幕間~黒子~
――コンコン
執務室の扉を叩く音に、ギルドマスター――グレゴリは書類への署名の手を止めて顔を上げた。不機嫌そうに眉をひそめ、扉をにらむ。「入れ」と短く声を掛けると、軋んだ音を立てて扉が開いた。
「失礼します」
普段にない礼儀を見せて入ってきたのは一人の剣士だった。グレゴリは渋面で剣士を迎える。
「……ルーグのことなら、俺にできることはねぇぞ」
ギルドマスターという立場上、グレゴリがルーグを擁護することはできない。自らがギルドの掟を破ることを推奨することになってしまうからだ。個人の想いはどうあれ、グレゴリが調査部の審問に介入する余地はない。剣士は重々承知、とばかりに首を振った。
「その話をするために来たわけじゃありません。関りはありますがね」
剣士は迷いなく執務机の前に進み出ると、グレゴリの目をまっすぐに見据えた。
「俺たちは今日、ガトリン一家を潰します。マスターには――」
「ちょっと待て! 何の話だ!?」
グレゴリが慌てて剣士の言葉を遮る。混乱したように頭に手を当て、正気を疑う目で剣士をにらみ返した。
「ガトリン一家を潰す? できるわけないだろう! ガトリン一家は南東街区の大半を牛耳る巨大ファミリーだぞ!? 構成員の数も十や二十じゃない! たとえギルドが協力したとしても」
「ギルドに協力してもらう気はありません。やるのは俺たち三人でいい」
「なおさら不可能だ! 自分の実力が分からないほどバカじゃないだろう!」
バン、と机を叩き、グレゴリは剣士を厳しく叱責した。そして自らの経験を語り、不可能である理由を諭す。しかし剣士の目はいささかも揺るがなかった。
「トラックが」
剣士は静かにグレゴリに告げる。
「やると言ってる」
「!?」
グレゴリが言葉に詰まる。トラックという男がそれをやるということを、それを成し遂げてしまう可能性を、予感したのだろう。かつて詐欺事件でグレゴリ自身が持ち掛けた損な役回りを迷いなく引き受けたあの男が、ルーグのためにできることをしないなど考えられない。
「あいつがやると言った以上、ガトリン一家は今日で終わる。だからマスター、俺はやるかやらないかの相談に来たわけじゃない。相談したいのは、その後のことなんだ」
「その、後?」
怪訝そうなマスターに、剣士は小さくうなずく。
「ガトリン一家が壊滅すれば南東街区は重しを失って荒れるだろう。他のマフィアどもが次の覇権を争って抗争が始まれば、犠牲になるのは弱者ばかりだ。そいつはトラックの本意じゃない。ガトリン一家後の新しい秩序が南東街区には必要だ」
剣士の声にわずかに力がこもる。冷静な声音の奥に、隠しきれない想いが宿る。
「衛士隊と協力し、ガトリン一家後の南東街区に秩序と治安を構築してもらいたい。俺たちは壊すことはできても、創ることができない」
剣士はグレゴリをじっと見つめる。衛士隊を巻き込むのは南東街区での騒動を理由にトラック達が処断されないため、ギルドに仲介させるのは衛士隊の暴走を防ぐためだろう。イャートの言う『法の秩序』をいきなり南東街区に持ち込めば反発や混乱は必至で、そしてイャートはそれらを力で排除することにためらいがない。衛士隊の面目を保ちつつ、穏健な形で新たな秩序構築を主導することを剣士は冒険者ギルドに期待しているのだ。
「ガトリン一家を潰して無法地帯の南東街区を変えるってことが、ルーグの件とどう関わる? それでルーグの罪が消えるわけでもねぇ」
グレゴリは懐疑と若干の失望を込めて剣士に言った。ルーグを救う方法を見つけた、剣士がこの部屋に入ってきたときから、彼がそう言ってくれることをどこかで期待していたのかもしれない。剣士は首を横に振った。
「ガトリン一家はルーグを縛る鎖だ。奴らが存在する限りルーグは解放されないだろう。どのみち潰さなきゃならない相手だ。それに、トラックはこの道がルーグの未来に続くと信じてる。俺たちもそれを信じて、できることをやるだけだ」
お願いします、剣士はそう言って深く頭を下げた。グレゴリは腕を組み、しばし目を閉じると、厳しい視線を剣士に向けた。
「……言いたいことは分かった。だが、ギルドが南東街区に乗り込んでいったところで、あそこの住民はそれを素直に受け入れたりはしねぇよ。単にマフィアがギルドに変わっただけだってな。本当に南東街区を変えたきゃ、当事者たちの中から、全員が自発的に従うような象徴的な人間が出て来なきゃうまくはいかん」
言葉を終えて、グレゴリは小さく苦笑した。いつの間にかガトリン一家の壊滅が話の前提になっている。トラックがやると言っている、その一言で、不可能だと言ったはずの事態を受け入れてしまっている自分に気付いたのだ。剣士は頭を上げると、自信ありげな笑みを浮かべて言った。
「そのことなら心当たりがある。今、トラック達が、そいつに会いに向かっているところだ」
幕間の語りは三人称なんですって。




