かませ犬の唄
――ガゥンッ!
徐々に藍色に染まりつつある南東街区の空を、轟音と共に鮮烈な雷光が引き裂く。その雷光はしかし自然の営為ではなく、地上から天に放たれたものだった。
「どうして……」
呆然とルーグがトラックを見つめる。その右手は不自然に、人形が操り糸を引っ張られたように上に引き上げられ、呪銃の銃口もまた天へと向いていた。ルーグの疑問に応えるように軽薄な効果音が鳴り、スキルウィンドウが姿を現す。
『熟練度アップ!
【念動力Lv.2】
射程距離が延長しました』
……
じゅ、熟練度上がったーーーっ!!
熟練度上がって距離伸びたーーーっ!!!
トラックの念動力がルーグの右手をがっちりと押さえ、呪銃はもはやピクリとも動かせない。イヌカが地面を蹴り、ルーグとの距離を詰める。ルーグは放心したように立ち尽くしていた。イヌカは一瞬でルーグの前に到達し、そして地面に膝を付け、ルーグを正面から抱きしめた。
「お前が死ぬ必要はない!
お前が死ぬことなんてない!
お前は死ななくていいお前は!!」
命をつなぎとめるように、イヌカは枯れるほどに大きな声で叫ぶ。
「お前は、死んじゃいけない!!」
手を離せば消えてしまうと信じているかのように、イヌカはルーグを強く抱きしめている。それは腕の中にある存在を決して失ってはならないという、イヌカの強い願いだった。過去に立ち尽くしていた男は今、一歩を踏み出し、そしてようやく、届いたのだ。
「……生きてくれ。頼むよ――!」
かすれ声の懇願に、ルーグの手から呪銃がこぼれ落ち、カシャン、と地面に転がる。イヌカの目から涙があふれた。そしてルーグもまた、大きな声で、泣いた。
夕日は完全に姿を隠し、冴え冴えとした月が南東街区の廃墟を照らし出す。ルーグはちゃんと十歳の男の子の顔で泣いていて、イヌカはだいじょうぶの言葉の代わりにルーグの身体を抱きしめている。頼りない未来を見通そうとしているかのように、トラックは静かにふたりを見守っていた。
トラック達はマフィア連中を撃退したセシリアたちと合流すると、急いで冒険者ギルドへと戻った。日付が変わればルーグに追っ手がかかる。なんとかその日のうちにギルドに戻り、ルーグはイヌカに付き添われてギルドの調査部に出頭した。それにより追跡者の派遣は取り消され、ルーグは翌日から調査部の審問を受けることになった。追跡者は標的の弁明など聞かない冷徹な刺客だ。話を聞いてもらえるだけ調査部の審問の方がはるかにマシだろう。ルーグの命は本当にか細い糸でつながっている。しかし――
ルーグは憑き物が落ちたように、素直に審問に応じているようだ。ガトリン一家の思惑や背景事情を知りたい調査部はしばらくルーグを生かすだろう。調査部がルーグから得られる情報はもうないと判断したとき、ルーグの命は消える。『裏切りに死の報いを』はギルドの鉄の掟だ。
イヌカは今、寝る間も惜しんでルーグ擁護の論陣を張っている。ギルド幹部の許に赴き、地面に額をこすりつけてルーグの助命を嘆願している。生い立ちの不遇、マフィアの構成員としての事情、そして何より『本当にトラックを殺す意思はなかった』ということを、懸命に訴えている。しかしイヌカの言葉に耳を傾ける者は誰もいない。どんな事情があれ、裏切りが正当化されることはないのだ。一度裏切りを許せば、ギルドは組織としての規律を保てなくなる。それでもイヌカは頭を下げ続けている。それは勝率ゼロの絶望的な戦いであり、決して負けの許されない戦いでもあった。
悪路にガタガタと車体を上下させながら、早朝の南東街区をトラックは走っていた。助手席にはセシリアが座り、厳しい表情で窓の外を見つめている。
ルーグは調査部の審問で面会も許されず、かといって冒険者ギルドに対して貢献度の薄いトラックやセシリアがギルドの幹部を説得できるわけもなく、トラック達がギルドに対してルーグの助命を求めることに効果はない。だが、それで諦めてしまえばその代償はルーグの命だ。勝率ゼロをひっくり返す逆転の秘策を求めて、トラック達は南東街区である一人の男を捜していた。
「よく来たな。待っていたぞ」南東街区の薄暗い粗末な小屋の中でトラック達を迎えたのは、腕を組んで不敵な笑みを浮かべる、ナカヨシ兄弟だったのです。




