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南東街区の広場を乾いた冷たい風が渡る。武装した、二十人くらいの男たちがトラックを囲んでいた。そこらのチンピラとは違う、荒事に、殺すことに慣れた雰囲気。おそらくマフィアの実行部隊といったところだろう。しかしトラックは自分を囲む殺意に見向きもせず、ルーグに向かってクラクションを鳴らした。ルーグは馬鹿にしたように吹き出し、醒めた瞳をトラックに向ける。
「めぐりの悪いやつだなぁ。おれは元々ガトリン一家だって言ってるのさ。冒険者ギルドに入ったのは、こうしてあんたを騙して殺すためだよ」
ルーグは嫌な笑いを作り、のどをクククと鳴らした。
「ギルドの連中もバカばっかりだ。おれのことをカケラも疑わないんだからさ。最初イヌカに追い返されそうになった時にはどうしようかと思ったけど、その後はまあそろいもそろって世話してくれちゃって。おまけにあんたが世話係だ。どうやってあんたに近付こうかってさんざん考えてたのに、そっちから近付いてきやがった。どうしようもなくめでたい連中だよ、あんたらは」
ルーグは表情を消し、今度はひどくつまらなさそうな顔を作って冷たくトラックをにらんだ。
「本当はさ、こういう直接的なやり方はしたくなかったんだ。冒険者ギルドに直接ケンカを売るようなマネは面倒だもんな。事故に見せかけてあんたを消したかった。だからゴブリンどもをけしかけるなんて回りくどいことをしたんだ。護衛中にゴブリンに襲われる、なんて別に珍しい話じゃない」
ルーグは軽くため息を吐き、呆れたように首を振る。
「手間も金もかかったんだぜ? それでようやくゴブリンどもにあんたを襲わせたんだ。ピンチを演出するためにおれが一人でゴブリンに突っ込むなんて芝居までしたのに、あんたときたら、冗談みたいな方法で全部台無しにしてくれやがって。おまけにゴブリンどもまで助けてさ。ゴブリンと和解? しかも交易? ほんと、こっちの予想を裏切ってくれるよ、あんたは」
そしてルーグは、大きく息を吸うと、哀れみと蔑みの表情を作って、笑った。
「だけどそれも終わりだ。あんたも、くだらねぇ冒険者ごっこもな。バイバイ、トラック。あんたと過ごした時間は、何の意味も価値もなかったよ」
ルーグはそう言うと、トラックの方を向いたまま後ろに下がった。周囲のマフィアたちが囲みを狭める。マフィアの中の、おそらくは実行部隊のリーダー格の男がルーグに話しかけた。
「お前はいいのか?」
「おれみたいなのがいても邪魔になるだけでしょ」
今までトラック達に見せたことのない大人びた、大人びざるを得なかった表情をルーグは浮かべていた。感情を抑え、何を考えているのか隠すような冷静な声は、俺たちの知らないルーグがいるのだということを見せつけているようだった。
「ヘルワーズはあいつの首を取った者に幹部の椅子を用意すると言ってますよ。早い者勝ちだ」
おお! と興奮気味にマフィア連中が各々の武器を掲げた。リーダー格の男もいかつい顔をにやりとゆがませる。
「その言葉、忘れるなよ? ヘルワーズがどうしてコイツにこだわるのか知らんが、俺たちには容易い仕事だ」
期待してますよ、とリーダー格に笑いかけ、ルーグはトラックに背を向けた。そして他の連中に聞こえないように、「あんたらにできるんならな」と小さくつぶやく。去ろうとするルーグの背に、トラックは大きなクラクションで呼びかけた。わずかに肩を震わせ、少しだけ歩みを止めると、ルーグは何も答えずに去って行く。
「くだらねぇこと言ってんじゃねぇぞ。てめぇの心配をしろや」
リーダー格が侮るような蔑むような目をトラックに向ける。しかしトラックは他の連中など眼中にないように、再びルーグの背にクラクションを放った。完全に無視されたリーダー格が額に青筋を浮かべ、大きく息を吸い込むと、
「やれっ!」
目を血走らせて怒鳴った。トラックを囲んでいたマフィア連中が叫びともつかぬ唸り声と共にトラックに殺到する。
戦いが、始まった。
……と思ったら、戦いは終わった。あっさり終わった。
武器を振りかざして迫るマフィアたちに対して、トラックはまずアクセルを踏み込んで正面の奴らをなぎ倒すと、今度はバックして背後の奴らを蹴散らし、それから大きく右に回り込んで残った奴らを直線状に捉え、一気に加速して吹き飛ばした。
早っ! ルーグが去ってから一分も経ってないよ! 容易い仕事とか言ってた割に結局その辺のチンピラと扱いが変わんなかったよ! 敵に何もさせない圧倒的な実力差。トラックに生身の人間が敵うはずもない。
「……ば、化け物、め……」
地面に倒れ伏したリーダー格がトラックを見上げ、恨みがましく呻いた。その身体の上には「どんなモンだ」と言いたげな手加減が腕を組んで座っている。リーダー格は力尽きたように気を失った。
トラックは向きを変え、ルーグが去った方向へと走り出す。きっと、ルーグの真意を確かめるために。トラックのエンジン音が焦りと戸惑いをはらんで廃墟に響いた。
ルーグはトラックを殺すために冒険者ギルドに入ったのだと言った。それはきっと本当だろう。だけど俺は、トラックと過ごしていたルーグの姿が全て演技だったとは思わない。荷物運びでお礼を言われて戸惑ったり、幼い兄弟を守ろうと必死な少女のことを気に掛けたり、ぬいぐるみを探し出して持ち主に返したことを誇らしく思ったことが、嘘だったなんて思えない。ゴブリンをけしかけてトラックを襲わせたと言っていたけれど、だったらゴブリン村に人質として残ったり、病に倒れた妻ゴブリンの手を握っていた理由が説明できない。ルーグはあの時確かに、妻ゴブリンが生きることを望んでいた。
ルーグはずっと、葛藤していたんじゃないだろうか。マフィアとして自分に与えられた命令と、冒険者として、トラック達の仲間として、自分が得た新しい居場所との間で。誰にも相談することができずに、ずっと独りで、苦しんでいたんじゃないだろうか。心が引き裂かれるような想いをずっと、抱えていたんじゃないだろうか。
南東街区に吹く風は冷たさを増し、空は黒雲がいよいよ重く垂れこめている。暖かな日差しは遮られて地上に届くことはなく、遠くで雷の音が聞こえた。
「……どういう、ことだ! おい、トラック!!」
イヌカの戸惑い混じりの叫びがトラックにぶつけられる。冒険者ギルドの裏手、人通りのない路地で、イヌカ、セシリア、剣士、そしてトラックが向き合っていた。時刻はとうに昼を過ぎているというのに、吹く風はうすら寒い。ピリピリとした雰囲気が周囲を包む。声が路地の外まで漏れるのを怖れたのか、イヌカは深呼吸で感情を整えると、厳しい視線をトラックに向けた。
「……説明しろ。何があった?」
トラックは言いづらそうにプォンと小さなクラクションを返し、今朝起こったことを三人に語った。
ルーグを追いかけたトラックは、しかしルーグを見つけることができなかった。南東街区に土地勘のないトラックでは、ずっと南東街区で生きてきたルーグに追いつくことは叶わないのだ。当てもなく廃墟の周辺を探し回り、時間だけを虚しく浪費したトラックは、やりきれなさをぶつけるように天に向かってクラクションを鳴らすと、その場を後にしてギルドへと戻った。これはトラックだけで解決できる問題ではない。助けが必要だった。
――バンッ
トラックの説明を聞いて、イヌカは右のこぶしでギルドの建物の壁を叩いた。その顔は青ざめ、やりきれないと言うように唇を噛む。剣士は腕を組み、無言で目を閉じた。セシリアの瞳に痛ましげな色が浮かんだ。
「様子がおかしいことには気付いてた。だが、踏み込めなかった……!」
イヌカの口調に後悔が滲む。イヌカをフォローするようにセシリアが声を上げた。
「ルーグの言葉がすべて本心だとは思えません。それにルーグはずっと、トラックさんの傍でトラックさんを見続けてきました。暗殺にどの程度の戦力が必要か、充分に分かっていたはずです。簡単に返り討ちにされるような戦力しか用意していなかったのなら――」
剣士が目を開け、セシリアの言葉を継ぐ。
「本気で殺す気はなかった?」
「そう思います」
セシリアは、おそらく多少の願望も込めて、剣士の言葉を肯定した。しかしイヌカは小さく首を横に振る。
「ルーグの本心はどうあれ、仲間を騙し、罠に嵌めた時点でルーグは裏切り者だ。このことがギルドに知られたら、ルーグはギルドから追われる身になる」
裏切りを許せば冒険者ギルドは組織として成り立たなくなる。ゆえに、そこにどんな理由があったとしても、裏切りには必ず罰が与えられる。それは見習いであっても変わらない。そして、裏切りに対する罰は、裏切り者の死、以外にはない。
「どう動く?」
剣士がイヌカに顔を向ける。イヌカは厳しい表情で答えた。
「ルーグが姿を消したことは早晩、ギルドにはバレる。経緯を調べられたら最悪だ。そうなる前に連れ戻すしか、あいつを助ける方法はない」
剣士とセシリアがうなずき、トラックがプァンと同意のクラクションを返した。イヌカの表情は暗い。イヌカも、トラック達も、ルーグのことを信じている。裏切りは本意ではないと、やむにやまれぬ事情があったのだと、信じたいと思っている。でももし、ルーグがトラックに言ったことがすべて本心だったら――ルーグがマフィアとしての生を望み、トラック達を拒絶したら。おそらく四人の誰もがその可能性を頭の隅に置いていて、そして誰もそれを口にできないでいるようだった。イヌカはもう一度苛立ちと共に壁を殴ると、
「……いくぞ。時間がねぇ」
そう言って歩き出した。トラック達もイヌカに続き、薄暗い路地を後にした。
「おや、皆さんお揃いで」
路地を出て冒険者ギルドの正面に回ったトラック達は、意外な人物に声を掛けられた。一見気さくな、しかしどこか油断ならない目をした中年男――衛士隊長イャート。イャートは丁度、ギルドの中から出てきたところだったようだ。
「ずいぶんと硬い表情だねぇ。何かあったのかな? 例えば――信じていた仲間に裏切られた、とか?」
イヌカの顔が強ばる。イャートが微かに笑った。剣士はイャートをにらむと、低く物騒な声を投げかけた。
「衛士隊長が冒険者ギルドに何の用だ?」
「そう怖い顔しないで。衛士隊は冒険者ギルドとは協力関係にある。互いに得た有益な情報を定期的に共有しているのさ。特に今回はギルドにとって重要な情報だったからね。僕が直接、ギルドマスターに伝えたんだ」
意識的な無表情でセシリアはイャートに問う。
「ギルドにとって重要な情報、とは?」
よくぞ聞いてくれた、とばかりに、イャートは得意げに胸を反らせた。本当に得意になっているのか、それともこちらの神経を逆なでしたいのか、一見しただけでは判断がつかない。何を知っているのか、何を言おうとしているのか。イヌカが鋭くイャートをにらむ。
「衛士隊が南東街区のマフィアの内偵をしてるって話は、確か副長から君たちに話しているはずだよね? そこで大変な情報を入手しちゃってさ。たぶん近々マスターからギルドメンバーに通達が行くと思うから言っちゃうけど」
イャートはそこで言葉を切り、勿体つけるようにトラック達を見回した。イヌカは苛立ちを増し、強く奥歯を噛んでいる。セシリアと剣士は少し冷静で、イャートに情報を与えまいと無表情を貫いているようだ。イャートは少し声を落として言った。
「ガトリン一家は構成員の一人を冒険者ギルドに潜入させたらしい。ギルドメンバーの誰かを、殺すためにね」
イヌカの目が見開かれ、その顔から血の気が引いた。セシリアの顔も隠しようもなく青ざめている。剣士は地面に視線を落とした。三人の様子にまるで気付かぬふりをして、イャートは言葉を続ける。
「しかも送り込んだのは年端も行かぬ少年だそうだ。マフィアってのは本当にタチが悪いね。子供を利用し、使い捨てる。バレたら間違いなく殺されるだろうに、あいつらにとってみればその少年の命なんてどうでもいいんだろうねぇ」
どこかわざとらしく、イャートはため息を吐いて見せた。イヌカが震える声をイャートに向ける。
「……そいつの、名前は?」
「そこまでは。でも、ギルドマスターは心当たりがあるようだったよ。可哀そうにね。ギルドはその子供を処断せざるをえないだろう」
イャートは痛ましげに首を振る。しかしその仕草は妙に白々しい。真実味を伴わない態度は、空虚なお芝居を見せられているようだった。
「ギルドにはギルドの掟がある。だけど、本当に許せないのは子供を道具のように使い捨てるマフィア連中だ。そうは思わないかい?」
同意を求めるようにイャートはトラックに視線を向けた。トラックは何も答えないまま停車している。イャートは少し不満げに肩をすくめた。
イヌカは半ば呆然とその場に立ち尽くしている。剣士はうつむき、セシリアは蒼白な顔で、しかしどうすべきか必死に考えを巡らせているようだ。しかし、妙案が浮かぶ気配はない。
時間がない、どころの話ではなかった。イャートからマスターに、つまり冒険者ギルドに、ルーグの正体は伝わってしまった。それはすなわちルーグを救う方法が失われたことを意味していた。
「……マスターと話をすべきです」
セシリアが少しかすれた声で言った。イヌカと剣士はその言葉にうなずき、一縷の望みをかけるようにギルドの中へと駆けこんでいった。トラックとセシリアも二人を追う。イャートはギルドに消えたトラック達を見送ると、
「期待しているよ、トラック」
そう言って冷ややかに笑った。
イャートは、本当は知っていました。ガトリン一家が送り込んだ構成員の名前を。
「さぞショックだろうね。まさかジョージが裏切り者だったなんて」




