拒絶
夕暮れの西部街区はすでに、思わず身体を動かしてしまうくらいに寒い。冬はもうすっかり始まっていて、子供たちは着ぶくれて動きづらそうだ。冬服、なんて概念は西部街区には無くて、夏は薄着、冬は重ね着が基本である。持っている服をすべて着るくらいの勢いで、みんなどうにか忍び寄る寒さに抵抗しているのだ。
町の広場には机と椅子が並べられ、今から青空教室が始まろうとしている。普段よりずいぶん遅い時間に始まるのには理由があって、そのせいで教室の雰囲気は普段と違う、奇妙な緊張感に包まれていた。教壇の横では先生とコメル、トラックが話をしている。アネットとレアンは遅れているのか、まだ姿を見せていない。ルーグは教室の最後方で、教室全体が視界に収まるように位置取り、じっと様子を窺っている。そして、教壇の真ん前の席には、緊張し、所在なさそうなガートンがいた。
ガートンを連れてケテルに戻ってから数日が経ち、トラック達は通常営業に戻っていた。ルーグの様子はどこかおかしくて、妙にはしゃいだと思ったら急に口をつぐんだりと、不安定な感じだった。イヌカもトラックも、それからセシリアも剣士も、ルーグのことを心配していたが、「何でもない」というばかりのルーグにどう対処すべきか戸惑っている様子だった。ルーグは無言のうちに「踏み込むな」と言っている。それはルーグが他人に頼る術を知らないことを示している気がした。
今日もトラックは荷物を積んでケテルの町を駆けまわっていた。結果的に一滴の血も流れなかったとはいえ、今回の件でルーグは命の危険に晒されている。本人に自覚がなくてもそのストレスは相当なものだろうと、イヌカやマスターとの話し合いの結果、しばらくトラックが請け負う仕事は危険のないものに限定することになったらしい。ルーグはまだ十歳なのだから、ゆっくりと成長すればいいのだ。やみくもに試練を与えるだけが成長を促すわけではない。
荷物の積み下ろしをするルーグの表情は比較的穏やかに見える。身体を動かしている間は余計なことを考えずに済む、ということだろうか。お届け先でお礼を言われたルーグは、はにかんだ笑顔を浮かべていた。
午前の配送を終え、ギルドに戻ってきたトラック達を待っていたのは、心なしかやつれた顔の肉まん、もといコメルだった。コメルの横には沈んだ様子のガートンがいて、ルーグがいることに気付くとぱぁっと明るい表情に変わり、パタパタと駆け寄って手をつないだ。
「どうしたんだよ、こんなところに」
若干の戸惑いと共にルーグが尋ねる。言葉の分からないガートンの代わりに、その疑問に応えたのはコメルだった。
「……正直、甘く考えていました。ゴブリンに対する拒絶感がここまで強いとは」
コメルは苦々しい思いと共に大きく息を吐いた。若干言い訳めいた口調で、コメルはケテルに戻ってからの経緯を語る。
「ゴブリンとの交易については、商人ギルドも非常に前向きでした。商人の安全と新規市場の開拓が同時に実現するわけですし、反対する理由がない。最終的には評議会での議決によって可否が判断されますが、可決はほぼ間違いない状況です」
誰にどれだけ利益を配分するかという難題はありますがね、とコメルは小さくぼやいた。どうやらゴブリンとの交易の利益を独占する、というコメルの目論見は崩れたようだ。議会での承認を得るために評議員たちにある程度の利益を分配することにしたのだろう。否決されればどうにもならないのだから、そこは涙を飲んで妥協したということか。
「評議会での議決を経て、ケテルは正式にゴブリンを友好勢力として認定し、内外に告知します。その後ゴブリンの代表を招いて調印式を行い、正式に交易が始まる。冒険者ギルドにも通達が行くはずです。ゴブリンを討伐対象から除外するようにと」
細かい交易のルールは議決後にゴブリンと話し合って決めることになるため、実際に交易が始まるのは一年程度後だろう、とコメルは言った。まあ、言葉も通じない相手と話し合ってルール決めなんて、そりゃ時間かかるだろうな。交渉の席では通訳としてトラックも同席するらしい。トラック本人の意思をまったく無視しているが、まあそれはいいか。トラックが特に嫌がっている様子もない。
「ゴブリンを相手に交易をすることは、誰からもまったく反対されませんでした。ですが……」
コメルはそこまで言って言葉を切った。軽く首を振り、疲労が極まった息を吐くと、呻くように言葉を継ぐ。
「……ガートン君を賓客として迎えることに対しては、こぞって皆が反対しました。自分たちの生活圏内にゴブリンがいるということが許せない、ということのようです」
商売相手としてゴブリンを認めることはできても、ゴブリンを隣人とすることはできない。それがケテルの本音ということだろう。隣の部屋にゴブリンがいるという状況が受け入れられないのだ。ゴブリンは粗野で言葉も通じず、視界に入れば襲ってくる獣と同じ。それが今のケテルの『常識』なのだ。ずっとその『常識』の中にいた人々に、急にゴブリンと仲良くしましょうと言っても効果はない。理屈より先に沸き上がる嫌悪感が、ゴブリンと空間を同じくすることを拒絶するのだ。
「当面は私がガートン君を預かるとしても、ずっとそのままというわけにはいきません。私が仕事をしている間はガートン君一人になってしまいますし、私の家に閉じ込めているだけでは彼は本当にただの人質になってしまう。交流し、理解を深める。それがガートン君を招いた本来の目的なのですから」
コメルの声は以前に比べて力がない。高い理想に比して実現する手段を見つけられなかった、自分の見通しの甘さを痛感しているのだ。コメルはたぶん、他の商人たちよりもずっと商人だったのだ。商売のために自分の感情を抑え、利益のためには笑顔も作る。他の商人たちもそうだろう、という思い込みがコメルの目算を狂わせた。
「情けない話ですが、トラックさん。私にはもうガートン君を受け入れてくれる当てがありません。あなたにはどこか心当たりがありませんか?」
コメルがトラックにすがるような目を向ける。ガートンが心細げにルーグの手を握り、ルーグは期待外れの顔で無言のうちにコメルを責める。トラックはカチカチとハザードを焚いてしばらく考えていたが、やがてプァンとクラクションを返した。
ガートンが座る席を遠巻きにして、子供たちは青空教室の後ろの席に固まってひそひそと言葉を交わしている。子供たちにしてみれば、ゴブリンという存在は親が子を叱る時に出てくる怪物でしかない。夜更かしする子はゴブリンに喰われちまうよ、なんて言われながらみんな育ってきたのだ。そんな存在が急に目の前に現れたら、どうしていいか分からないのも無理はないだろう。でもガートンにとってこの状況は針のむしろだ。ちょっと先生もコメルも、ガートンをきちんとフォローしなさいよ。ここは大人の出番でしょうが。
だいたいだよ、言葉の分からない状態で知り合いもいない集団の中にいきなり放り込むってのもちょっと乱暴じゃない? せめてある程度言葉が分かるように教えてからとかさ、段階を踏む必要があるんじゃないの? トラックよ、お前は今のところ唯一ゴブリンの言葉が分かるんだから、ガートン君に人間の言葉を教えてあげなさいよ。
――ぴろりんっ
あっ、トラックがなんかひらめいた。このタイミングでひらめいたってことは、何かガートンの問題を安易に解決するスキルに違いない。スキルウィンドウが中空に現れ、覚えたスキルの内容を説明する。
『スキルゲット!
アクティヴスキル(ウェルダン) 【古今伝授】
効果:使用者の持つ知識を対象に伝授する』
……以前はスルーしたけど、どうやら間違いだったようだ。やはり出てきたその場で突っ込まなければ既成事実化するんだな。これは俺の過ちだ。もう遅いかもしれないが、今回は全力で突っ込ませてもらおう。
スキルのレアリティがウェルダンってなんじゃい! 中心までしっかり火の入ったスキルってことか!? スキルに火を入れるってどういうことじゃあーーーっ! そしてアレか、今まで出てきたスキルの『レア』って表記は『珍しい』じゃなくて『生に近い』って意味なのか!? ってことは、『ノーマル』スキルってのは『一般的な』スキルじゃなくて、ステーキハウスなんかに行って焼き加減を尋ねられた時に何て答えていいか分からなくて思わず「ふ、ふつうで」と言ってしまった時のあのせつない感じを表してんのか!? なんでスキルにそんなせつなさ背負わせにゃならんのじゃあーーーーーっっっ!!!
俺の魂の叫びをよそに、トラックがプァンとガートンを呼ぶ。ガートンは席を立ってパタパタとトラックに駆け寄った。まあ、これでガートンが言葉を覚えられたらめでたしだけども。トラックがプァンとクラクションを鳴らし、ガートンの頭上にキラキラと輝く光が降り注いで――
でんでろでんでろでんでろでんでろでーでん
呪われそうな効果音が周囲に響き渡る。ガートンが不安そうにトラックを見上げた。あれ、上手くいかなかった? ガートンとトラックの間にスゥっとスキルウィンドウが現れる。ちょっと、どういうことよ。
『【古今伝授】で知識を伝えるには、対象の知力がC-以上であることが必要です』
えーっと、つまりガートンの知力が足りなかったってこと? 変に条件の厳しいスキルだなおい。だいたい、知力C-っていうのがどの程度のものなのか分からねぇよ。ああ、そう思い出した。ちょっと納得できないことがあったの思い出した。
――なんでイヌカにステータスオープンできてオレにはできんのだ!!
セシリアができます、とか、ギルドマスターができます、ということなら俺も納得しよう。でもイヌカだよ? イヌカができるのに俺にできないってなーんか納得いかないんだ。イヌカにできるんだったら俺にもできろよ。そう思っても仕方なくない?
……うん? 押せ? 鼻を? えーっと、こう?
『迷える羊を全力応援! あなたのプライベートコンシェルジュ、ヘルプウィンドウ! どんな悩みも粉砕骨折! 好きになっても、よくってよ?』
うわ、なんか濃いのが出てきた。いや、出てきたのはただのウィンドウなんだけども。キャラが濃い。ウィンドウのキャラが濃いとか意味わからん。そして俺はいつの間にか、鼻を押すとヘルプウィンドウを呼び出してしまう身体になってしまったのか……
『ヘルプウィンドウに何でも質問してね!』
もうお腹いっぱいだから帰って、っていうのはダメですか?
『ヘルプウィンドウに何でも質問してね!』
……聞いちゃいねぇ。ヘルプウィンドウを消す方法を教えて、っていうのは?
『ちょっと何言ってるか分かんないんですけど』
軽くキレ気味じゃねぇかよ。何か質問しないと帰ってくれそうにないな。……あれ? 俺の呼びかけに応えるってことは、ヘルプウィンドウは俺を認識してんの!? もしかして会話できたりする!?
『ヘルプウィンドウに何でも質問してね!』
じ、じゃあ聞くけど、俺はいったいなんなの!? 生きてるの? 死んでるの?
『ヘルプウィンドウに何でも質問してね!』
この世界は何なの!? 日本とはどういう関係なの!? 帰れるの? 帰れる可能性はあるの!?
『ヘルプウィンドウに何でも質問してね!』
……
……そっか。決められたことしか答えられないのか。まあそうだよね。ヘルプウィンドウなんだもんね。
『ヘルプウィンドウに何でも質問してね!』
よしっ、わかった! じゃあ教えてもらおう! ステータスオープンする方法を教えてくれ!
『ようし! それじゃあ、一緒に考えてみよう!』
何でだよ! 答えを教えろよスパっと!
『イヌカとあなたではステータスウィンドウの開き方に決定的な違いがあります。さて、何でしょう?』
こちとらそれを聞いてんだよ。取り立てて違いが思いつかないんだよ。
『シンキングターイム。シンキングターイム』
うるさいわ腹立つな言い方。結局自分で考えろってか。
『ヒント。イヌカはステータスを視る時、何と言っていたでしょうか?』
普通にステータスオープンじゃなかったっけ?
『ぶぶー』
違った? えーっと、うーん、あー、何となくうっすら思い出してきた……確か、ステータスウィンドウオープン?
『正解! オープンするのはステータスじゃなくてステータスを表示するウィンドウなのでした! 理由が分かれば納得、だよね?』
知・る・か・そんなローカルルール! 世界基準に合わせとけやぁーーっ! 独自性の出し方間違えとるわぁ!
『困ったことがあったら、またいつでも相談してね? ヘルプウィンドウでした。シーユー』
ラジオのエンディングのようなセリフを残してヘルプウィンドウの姿が掻き消える。最後まで何となく腹の立つ奴だったな。くそう、俺はこれから鼻をかむたびに奴を呼び出してしまうかもしれないのか。うかつに風邪もひけやしねぇ。
ま、それはともかく、せっかく正解が分かったんだから再挑戦せねばなるまい。やっぱこれがないと始まりませんよ異世界ファンタジー。よし、気合を入れて――
ステータスウィンドウオープン!
俺の発した言葉に応え、ガートンの頭上に光に縁どられた半透明のウィンドウが姿を現した。お、成功した。すげぇ。えーっと、どんなことが書いてあるかな……
……ああ、これはアレだ。アカンやつだ。見たらアカンやつだ。名前とか能力とかももちろん書いてあるんだけど、趣味とか嗜好とかまで全部載ってる。ギルドが内規で仲間のステータスを視ることを禁止してるって言ってたけど、理由が分かった。そらこんなことまで知られたら嫌に決まっとる……あ、ガートン君、好きな子いるんだ。
い、いやいや、これ以上はいかん。人間としていかん。他人の内面に土足で入り込むようなものじゃないか。知力、そう知力だけ確認しよう。【古今伝授】にはC-以上必要だって言ってたけど、ガートン君の知力はいかほどなのでしょうか?
知力:D-
……
D-だ。落第だよガートン君。
【古今伝授】の失敗はコメルたちをかなりガッカリさせたようだった。長いため息を吐くコメルを、寄る辺ない瞳のガートンが見つめる。コメルは慌てたように首を振り、微笑みを形作ると、ガートンに席に戻るよう促した。ガートンはしゅんとした様子で席に戻り、肩を落としてうつむいていた。
スキルのレアリティはロウからベリーウェルダンまで、お客様のお好みに合わせて十種類をご用意しております。もちろんよく分からないなどございましたら、普通と言っていただければシェフが最適と考えるレアリティに調整いたしますので、お気軽にお声がけくださいね。




