想いと悪意と
夜が明けて、村はすっかり寝静まっている。ゴブリンは夜行性なので、今は村のみんなにとって睡眠のゴールデンタイムなのだろう。コメルは午前中を費やしてゴブリンシャーマンにリュネーの花の薬湯の作り方を伝授していた。ただの零細商人のはずのコメルがどうしてそんなことを知っているのかよく考えたら疑問なんだけど、作り方自体は簡単なので、気を付けなければならないのは分量と、リュネーの花の保存方法だけのようだ。
コメルは今日使う分を除いて残りは天日干しにしておくよう指示する。天日干しにして水分を抜いた後、乳鉢ですりつぶして粉末にしておけば、一年くらい持つのだそうだ。天日干しという概念はゴブリンの文化には無く、ゴブリンシャーマンたちは若干戸惑っていたようだ。ゴブリンにとって太陽はまぶしくて肌を焼くだけの厄介者という印象らしい。
一方で族長は妻に、長男をケテルに預けることを伝えたようだ。妻は長男を一度だけ抱きしめ、反対することなく送り出した。族長に族長の役割が、族長の妻には族長の妻の役割があるように、族長の長男にもやはり族長の長男として果たすべき役割があるということなのだろう。互いに何も言わない母子の姿は、少し悲しかった。
昼を回り、トラック達は長男ゴブリンを連れてゴブリン村を出た。長男がケテルに行くことはいつの間にか村中に伝わっていて、真昼、つまりゴブリンたちにしてみれば深夜に相当する時間にもかかわらず村ゴブリンは総出で長男を見送った。村ゴブリンたちの顔は心配や不安、そして長男に何かあったらただでは済まさんぞという強固な意志を伝えている。コメルは真剣な表情でゴブリンたちに深く頭を下げた。
ガタガタと不穏な音を立てながら、トラックは森の中を走っている。『妖精の道』を抜け、エルフの村とケテルをつなぐ道に戻ってきたトラックは、運転席にルーグを、助手席に長男ゴブリンを乗せ、荷台にイヌカとコメルを乗せて帰路を急いだ。ボロボロのトラックはいつもの速度を出せないが、それでも人が歩くよりずっと速いし休憩も要らない。何事も無ければギリギリ日没くらいのタイミングでケテルに戻れるんじゃないだろうか。
助手席では長男ゴブリンが緊張した面持ちで、握った拳を膝に置いてうつむいている。最初はコメルが運転席に乗っていていろいろ話をしようとしたのだが、ガチガチに緊張した長男ゴブリンの様子を見て、同い年くらいのルーグが隣にいたほうがまだリラックスできるかもしれないと場所を交代していた。ルーグは固まっている長男ゴブリンの横顔をじっと見つめていたが、やがてぶっきらぼうに口を開いた。
「お前、名前は?」
呼びかけられたことに気付き、長男ゴブリンは顔を上げてルーグを見る。何を言われたのか分からず、その表情は戸惑っているようだった。
「名前だよ名前。おれたちはお前を何て呼んだらいいんだ」
少し怒ったようにルーグが続ける。ただ、本当に怒っているのではなくて、照れ隠しで怒ったふりをしているような感じだ。優しい言葉を掛けることがなんとなく照れくさいのだろう。ルーグの言葉をトラックがプァンと伝える。
「……がー…とん」
長男ゴブリンがおそるおそるといった様子で答える。
「がーとん? お前、ガートンっていうのか?」
自分の名前が伝わったことが嬉しかったのだろう、長男ゴブリン――ガートンがほっとしたように笑った。ふぅん、とつぶやき、ルーグはガートンに身体を向けると、
「おれはルーグだ。る・う・ぐ。分かるか?」
ぐっとガートンに顔を近づけた。ガートンはこわごわ口を動かす。
「……るーぐ?」
「そう、ルーグ」
ルーグは大きくうなずき、強引にガートンの手を取ってぶんぶんと振った。ガートンは戸惑い気味にうなずきを返す。ルーグは手を握ったまま、ガートンの目をのぞきこんだ。
「そんなにシケた顔すんな。コメルさんは悪い人じゃない。お前の母ちゃんを助けてくれたろ?」
トラックが伝えたルーグの言葉に、ガートンは少し目を伏せてうなずいた。コメル個人がいい人であろうと、ガートンがこれから対峙しなければならないのはケテルそのものなのだ。誰もがゴブリンに好意的なはずはないし、公的な建前と私的な本音はきっと使い分けられるだろう。ガートンもまた、ガートンとしてではなくゴブリンの代表として振る舞わなければならない。ガートンの振る舞いがケテルでのゴブリンのイメージを作る、あるいは、自らの振る舞いによってガートンはケテルのゴブリンのイメージを変えなければならない。子供が負うにはあまりにも重い責任だ。ルーグが握った手に少し力を込める。
「お前が今から行くところは敵の巣の中じゃない。これから仲間になる奴らがいる場所だ。誰もまだお前を知らないけど、お前を知れば仲間になろうって奴は必ず現れる。怖がるな。堂々としてろ。だってお前に後ろめたいところなんてないんだから」
ガートンの伏せていた目が、ルーグの目を見つめ返した。しかしその瞳にはまだ、不安の影が揺れている。
「だいじょうぶ。コメルさんだけじゃない。トラックのアニキに言えばどんなことだって必ず力になってくれる。イヌカはちょっと嫌なヤツだけど、なんだかんだで頼りにはなるよ。ちっちゃいことでも遠慮すんな。頼れ。誰もそれを迷惑に思ったりなんかしない」
トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ルーグはハッとした表情をして、
「……おれ?」
と言うと、ガートンから目を逸らし、薄く苦笑いを浮かべた。そして気を取り直すように表情を改めると、再びガートンの目を見る。
「……お前はだいじょうぶだよ。きっとみんな受け入れてくれる。ケテルは、そんなに悪いところじゃない」
ルーグはそう言って微笑んでみせた。微笑みが安心を与えるのは、ひとでもゴブリンでも同じなのだろう。ガートンの瞳から不安が薄れ、代わりに勇気の色が浮かぶ。そして二人は互いにうなずきあった。未来への決意を確かめるように。
その後しばらくして、ガートンは助手席で眠りに落ちた。日がある時間帯はゴブリンにとって眠りの時間なのだ。ルーグの言葉がガートンの張りつめていた気持ちを解きほぐしたのだろう。ルーグは黙って運転席の窓から外を見ている。ガートンの右手は、ぎゅっとルーグの左手を握ったままだった。
夕暮れが迫る中、トラックは何とか日のあるうちにケテルに辿り着いた。そういえば日が落ちたらケテルの門って閉まるんだった。せっかく戻ってきても門が閉まってたらじっと朝まで待機になるところだったよ。よかった間に合って。
ケテルに入ったトラックはまずそのまま北部街区の商人ギルド本部に向かった。まだガートンを人目に触れさせるわけにはいかなかったからだ。北部街区の門も商人ギルドの受付も、なぜかコメルは顔パスだった。ギルドメンバーだったら誰でもそうなのだろうか? 緊張した面持ちのガートンを伴い、コメルは商人ギルドの奥に消えた。これから先はコメルに頑張ってもらうしかない。ガートンが連れて行かれた部屋の扉を、ルーグは心配そうに見つめていた。
北部街区を出ると、トラックは冒険者ギルドでイヌカとルーグを降ろした。ただの商人の護衛、Dランクの仕事のはずが、なんだか予想外の方向にいっちゃったなぁ。イヌカもルーグもぐったりと疲れた顔をしている。トラックはルーグに労いのクラクションを掛け、宿で休むように告げ……たんだと思う。そしてイヌカにはギルドへの報告を頼んだようだ。
「お前はどうすんだ?」
イヌカの問いにプァンとクラクションを返し、トラックはギルドを後にした。
薄暮の西部街区をトラックは急ぐ。普段はもう少しゆっくりと走るのだが、その姿はどこか焦っているようだった。トラックが向かう先には施療院がある。でも、トラックが施療院に何の用があるんだろう。
施療院の前に着いたトラックが、中に聞こえるようにプァンと大きめのクラクションを鳴らした。普段のトラックなら施療院の周辺では、病人に障らないように大きな音を立てないよう気を遣っているのだが、今日はそうした配慮がない。やっぱり焦っている感じだ。いったい何を焦ってんの?
クラクションを受けて、施療院の中からパタパタと足音が聞こえる。ガチャリと音を立てて出てきたのはセシリアだった。そういえばセシリアは施療院でバイトしてるんだったっけ。
「トラックさん!? いったい何があったのですか!?」
ボロボロのトラックの姿を見て驚きの声を上げたセシリアは、急いで駆け寄って魔法を唱える。セシリアの手から白光が広がりトラックを包み込んだ。光が晴れた後、トラックはまるで新品のような姿を取り戻していた。うーむ、相変わらずうらやましいまでの修理力。一家に一台セシリアさん、っていう時代がいつか来ないだろうか。
修理を終えたセシリアにトラックはプァンとクラクションを鳴らす。セシリアはやや怪訝そうな顔を作り、「クラルさん、ですか? ええ、いらっしゃいますが……」と言って施療院を振り返る。えーっと、クラルさん、って誰だっけ? 急かすようなトラックにうなずき、セシリアは施療院をトラックが入れるようにリフォームすると、トラックを病室の一つに案内した。そこにはベッドで上半身を起こし、窓の外を見ているひとりのお婆さんの姿があった。
「トラックさん?」
お婆さんはちょっとびっくりしたような声を上げてトラックを見上げる。あれ、このお婆さんって町内清掃のときの、【夢見の樹海】に囚われていたあのお婆さんじゃない? このひと、クラルさんっていうんだ。トラックは窓を開けてダッシュボードから小さな袋を取り出し、念動力でクラルさんに渡すと、プァンと懇願するようなクラクションを鳴らした。
「……ふやしてくれ、って、どういうこと?」
戸惑いながらクラルさんは袋を開ける。そこには小さな園芸ポット的何かに植えられたリュネーの花があった。トラックはコメルにお願いして、リュネーの花を少しだけ分けてもらっていたのだ。
「詳しい話を聞かせていただけますか?」
セシリアの言葉に応え、トラックは昨日からの出来事の説明を始めた。
「狩人熱、ですか……」
わずかに眉を寄せ、セシリアが険しい顔を作る。どうやらセシリアは狩人熱についてある程度の知識があるらしい。クラルさんは両手で園芸ポットを持ち、じっとリュネーの花を見つめている。
「とてもきれいな花ね。でも、少し寂しそう」
クラルさんのつぶやきを聞き、セシリアはリュネーの伝説と、そして乱獲された過去を簡単に説明した。クラルさんは「そう……」と悲しげに目を伏せた。セシリアはトラックを見上げる。
「狩人熱は原因の解明されていない病気なのです。治療法がはっきりしているため原因を追究しようとするひとがいない、というのがその主な理由ですが……」
セシリアはそこで言葉を切り、ためらいとともに再び口を開いた。
「……狩人熱は、呪いの一種ではないか、という医師もいるようです。リュネーの伝説では妖魔が狩人に呪いを掛けたとされていますが、それはおとぎ話ではなく真実なのだと。リュネーの花は病を癒す薬草ではなく、呪いを解く力を宿した聖なる花なのではないか。そう考えると、リュネーの花の狩人熱への劇的な効果も理解しやすい」
確かに、妻ゴブリンはリュネーの花から作った薬湯を飲んですぐ動けるようになったもんなぁ。薬があんまり劇的に効くとちょっと大丈夫か心配になるけど、呪いを解いたんだよって言われたら、ああ、そういうもんかって思うよ。まあ、呪いとか言われてもピンとこないってのもあるんだけど。
トラックがプァンとセシリアにクラクションを鳴らす。セシリアは少し慌てた様子で答えた。
「あ、ごめんなさい。遠回りな言い方をしてしまって。ゴブリンたちがケテルの商人を手当たり次第に襲った理由は『夢を見た』からだとおっしゃいましたよね? それはおそらく、【夢送り】という魔法だと思います」
【夢送り】は文字通り、眠っている相手に対して夢を送る、つまり術者の見せたい夢を見せる魔法なのだそうだ。【夢見の樹海】は相手の望む夢を見せるスキルだったが、今度は真逆。使い方は術者次第だが、大半は悪夢を見せて相手を衰弱させるために使われるのだとか。要するに、呪術的な意味合いの強い魔法なのだ。
「ゴブリンが狩人熱に罹ったことを偶然知った誰かが【夢送り】でゴブリンの行動を操ろうとした、とは考えにくいと思うのです。狩人熱が呪いなら、自分で呪いを掛けたうえでゴブリンたちに夢を見せたと考えた方が自然ではないでしょうか?」
トラックがプァンとクラクションを返す。セシリアはうなずき、厳しい表情を浮かべた。
「……何者かが、意図を持ってゴブリンに商人を襲わせた、ということです」
もしセシリアの言うことが正しいとして、誰が何のためにそんなことをするんだろう。ゴブリンたちは確かに商人を手当たり次第に襲ったけど、被害に遭ったのは護衛を雇えない零細商人くらいで、大半の商人たちは護衛によってゴブリンを撃退している。今のところケテルやケテルと取引のある他種族に何か影響が出ているわけではないのだ。呪いを掛けたり夢を見せたりと労力を掛けた割に成果がない。それとも、単に失敗したということなのだろうか?
「回りくどい上に成果も期待できないやり方です。相手の意図が見えない。ある種の愉快犯かもしれません。自分の持つ力を試したい、あるいは他人の右往左往する姿を見て笑うような、子供じみた悪意を感じます」
セシリアが怒りを静かに吐き出すようなため息を吐く。もしそんな勝手な理由で今回のことが仕組まれたのだとしたら腹立つな。助かったとはいえ妻ゴブリンは生死の境をさまよったのだし、トラックは心ならずもセテスと戦うことになった。それに、リュネーの花をごっそり取って来なければならなくなったことでリスギツネたちはこの冬を越せなくなったのだ。……あ、なるほど。それでトラックはここに来たのか。
「トラックさんは、リスギツネたちを助けたいのね」
クラルさんはトラックを見上げる。
「でも、どうして私に?」
トラックはプァンとクラクションを返す。クラルさんは目を丸くして、そして微笑んだ。
「……そう。私を、信じてくれるのね」
クラルさんは手に持ったリュネーの花に目を落とした。リュネーの花は静かに揺れている。
「……わかりました。私に任せてちょうだい。必ずこの花をふやしてみせます」
【夢見の樹海】から助けたとき、クラルさんはとても元気とは言えない様子だったんだけど、今、リュネーの花を見つめるクラルさんの顔には決意のようなものがある。トラックがクラルさんにリュネーの花を託したのは知り合いの中で一番植物の扱いに長けているからだろうが、クラルさんに元気を取り戻してほしいという考えもあったのかもしれない。
クラルさんはよっこらしょ、と言いながらベッドを降りると、なにやら身支度を始めた。戸惑うセシリアが声を掛けると、クラルさんは事も無げに言った。
「もう充分休んだわ。私、退院します。ここじゃお花を植えることもできないもの」
クラルさんはてきぱきと荷物をまとめ、ベッドを整えると、リュネーの花を大事そうに抱えて部屋を出る。なかなかの豹変ぶり。でも元気になったみたいでよかった。セシリアが呆気にとられたような、でも安心したような笑みを浮かべた。トラックがクラルさんの背にプァンとクラクションを鳴らす。クラルさんは一度だけ振り返ると、自信ありげに笑って、そして施療院を後にした。
そしてクラルさんがふやしたリュネーの花はやがてケテルの町を飲み込み、国を、大陸をも飲み込んで、ついにはあらゆる生物の頂点に君臨することになるのです。




