猫探し
「宅のミィちゃんが逃げ出してしまったざーます! 一刻も早く見つけておうちに連れて帰りたいざーます! とっとと探しに行くざーます!」
耳をつんざくようなハイトーンボイスがギルドの応接間に響き渡る。応接間のソファには、派手な装飾を凝らしたピンク色のドレスを着たセイウチが座っており、その隣には慇懃な態度の執事が直立している。セイウチの正面にはテーブルをはさんでトラックと、その両脇にセシリアと剣士が座っている。セシリアはセイウチがしゃべるたびに顔を引きつらせて目を閉じ、剣士はうんざりした顔を隠そうともしていない。トラックは特に何の反応もしていないが、たぶん話を聞いていないんだろう。まあ、気持ちは分かるよ。なんせもう三十分も、セイウチは一人でひたすらしゃべり続けているのだ。しかも、猫が逃げたから探せと、それだけの内容を、延々と。ちょっとした拷問の様相を呈している応接間を眺めながら、俺はここに至った経緯を思い出していた。
トラックがギルドへの登録を済ませた後、セシリアたちは町に宿を取った。しばらくこの町を拠点に活動するのだそうだ。ここで会ったのも何かの縁、ということで、セシリアたちはトラックとパーティを組むことにしたらしい。剣士は渋い顔をしていたが、セシリアにひと睨みされて早々に降伏した。トラックを泊めることのできる大きさの部屋を持つ宿はこの町になく、トラックは宿の馬小屋の横に勝手に駐車スペースを確保したようだ。突然現れた見慣れないトラックの姿を、興味深そうに馬が眺めていた。見た目はゴツいけど、いい奴だよ。仲良くしてやって。
翌朝、セシリアはトラックと共にギルドを訪れ、イーリィに仕事のあっせんを依頼した。剣士は置いて行かれたようだが、トラックのエンジン音に気付いて後を追いかけ、ギルドで合流した。虐げられてるなー。頑張れ。超頑張れ。
トラックが面倒そうにプォンと呟く。やる気が出ないとか、もう帰りたいとか、そんなことを言っているのだろうか。セシリアは「そう言わずに」とトラックをなだめた。剣士は呆れたようにトラックを見ている。
ギルド内は何だか慌ただしい雰囲気で、複数のギルド職員がバタバタと走り回っている。イーリィも話の途中で上司に呼ばれ、奥の部屋に引っ込んでしまった。冒険者の中の、主にベテランのパーティの幾つかにも、職員から声が掛けられたようだ。声を掛けられなかった冒険者たちが奥の部屋の扉に訝し気な視線を向けている。
しばらくして、イーリィは奥の部屋から一人で出てきた。「何かあったのですか?」と問うセシリアに「ちょっとね」とだけ答えて、イーリィはカウンターの下から一枚の羊皮紙を取り出した。どうやら仕事の依頼書のようだ。
「今、あなた達に紹介できる仕事はこれだけよ」
イーリィがにっこりと笑って依頼書を差し出す。セシリアと剣士がそれを覗き込み、何とも情けない表情を浮かべた。トラックは心底やる気の無さそうにプォンと唸った。
「飼い猫探し、ですか……」
セシリアがようやく声を搾りだす。イーリィは表情を変えることなく、当然だろうとばかりに頷いた。
「Eランクの冒険者に、重要な仕事を任せるわけにいかないでしょう?」
イヌカを返り討ちにしようが、壁に穴を開けようが、冒険者ギルドに登録した直後は誰であろうと必ずEランクから始まる。それがギルドのルールだそうだ。実力があっても、ギルドへの貢献度がなければランクは上がらないのだ。役に立たない実力はないのと同じ、ということらしい。うーん、手厳しい。
ちなみに、セシリアのランクはB、剣士のランクはCだそうだ。ただ、パーティで仕事を受ける場合はパーティ内で最も低いランクの奴と同ランクの仕事までしか受けられない。二人がトラックと組んで仕事を請け負う場合、自身のランクとは無関係にトラックのランクと同じランク、つまりEランクの仕事しか受けられないということになる。ちなみにEランクの仕事は戦闘が発生しない案件、短距離の物品の輸送や町の中での人探し物探し、清掃作業なんかが主なのだそうだ。ペット探しもEランクの定番らしい。剣士が昔を懐かしむように、「あー、俺も昔やったわ」と呟いた。
ランクを上げるには依頼をこなす以外にない。イーリィの笑顔が無言で「嫌なら一生Eランクだぞ」と告げている。セシリアは覚悟を決めたように頷き、イーリィに依頼を引き受けると伝えた。そして、ブーブーとクラクションを鳴らし続けるトラックをなだめすかして、三人は依頼の詳細を聞くべく依頼人と面会した。
きっとこのセイウチは魔獣の類で、声に何らかの魔力が宿っているのだろう。聞いた者の脳を揺さぶり、気力を奪うような魔力が。すでに面会を開始してから一時間近くが経過し、セシリアと剣士は車に酔ったようにぐったりとしている。
「ミィちゃんは夫が私の誕生日にプレゼントしてくれた大切な猫ちゃんざーます! どこかでひどい目に遭っているかと思うと気が気じゃないざーます!」
セイウチはずっとこの調子で、ミィちゃんのことをしゃべり続けている。ミィちゃんは生後半年くらいのオスの黒猫で、名前付きの赤い首輪をしているそうだ。名前を呼ぶと返事をしてくれる極めて賢い猫で、そして何より超絶可愛いので一目見れば必ず分かる、ミィちゃんと他の猫はその可愛さにおいて魂のレベルで格が違うため見間違うことはあり得ない、もしミィちゃんと他の猫の見分けがつかないという輩がいたとしたらそれはもう美意識というものが根本的に破壊されているのだ、そもそもこの世の中に美というものを真に理解している人間がどれほど存在しているのか、本来美というものは――云々。
毛色と首輪以外に役に立つ情報は皆無だが、息つく暇もなくしゃべり続けるので口をはさむ隙がない。もはや認めるしかないだろう。この魔獣のミィちゃんに対する愛情は本物だ。それを認めたところで、猫探しにはまったく役に立たないが。
――プォン
いい加減に飽きたのか、いままで微動だにしなかったトラックが軽くクラクションを鳴らした。それは大きくも鋭くもない、穏やかな鳴らし方だったが、意外なことにセイウチはしゃべるのを中断し、不思議そうにトラックを見つめた。
「? それは、どういう意味ざーます?」
「な、なんと無礼な!」
セイウチの鈍い反応とは真逆に、セイウチの隣で直立していた執事は顔を真っ赤にして怒りの表情を浮かべた。両手をわなわなと震わせながら、トラックに掴みかからんばかりに詰め寄ると、大声でまくし立てる。でもテーブルに乗るなよ、行儀の悪い。
「冒険者に礼儀を説いても詮無きこととはいえ、それはあまりの侮辱! 私、執事として黙っておるわけにはまいりませぬぞっ!」
すごい剣幕だな。トラック、お前一体何て言ったの?
「確かに、確かに奥様が一見、人間というものの規格からは少々外れた外観をお持ちであることは、この私も認めざるを得ないところでございます。だがしかし! 言うに事欠いて『人間の言葉がお上手ですね』とは何事か! いったい奥様を何だと思っておられるのか! セイウチか! セイウチなのか!」
「セ、セバスチャン? お前、何を言ってるざーます?」
戸惑い気味にセイウチは執事を見る。しかしヒートアップした執事は止まらない。
「確かにお前の言う通り、奥様は直截に申し上げて、セイウチに似ておられる。いや、むしろセイウチが奥様に似ているのではないか。セイウチは奥様の似姿として神に造られた生物なのではないか。その前提に立つならば、今ここにあるのは一つの奇跡だ。セイウチという生物種の元型、アーキタイプが今、我々の前に降臨したのだ!」
「セバスチャン。お前、自分が何を言っているか分かってるざーます?」
セイウチが剣呑な目で執事を睨む。執事はどこか陶酔した表情を浮かべて天井を仰いだ。
「これはまだ内々の話だが、私は今、奥様とセイウチの生物学的関連について論文を書いている」
「セバ、お前勝手に何やってるざーます!」
セイウチが思わず身を乗り出す。執事、聞いちゃいねぇ。っていうか、執事がセイウチの言葉に答えたことは一度もないな。セイウチの声を自動的にカットするようなスキルでも持っているのだろうか。
「複数の専門家から好意的な反応ももらっている。私はこの論文で閉塞した生物学界に風穴を開けるぞ! 学究とは無縁の、貴族たちの遊び場に堕した学会の腐敗を一掃し、この私が頂点に立つのだ! こんな田舎の商人の執事に甘んじる私ではないぞ! 見ていろ、私を捨てて若い男に走ったことを必ず後悔させてやる!」
どす黒い何かが色濃く反映された執事の笑い声が応接室に響き渡る。もう色んな要素が絡まりすぎて何が言いたいのか分からねぇよ。『奥様への暴言に対する怒り』は早々に消え失せたみたいだが、研究者なのか、ただの野心家なのか、女房に捨てられた憐れな中年なのか、あんたのキャラの中心が見えん。
すでに『複数の』専門家に論文が見られたという事実に打ちのめされたのだろう、セイウチは血の気の引いた顔で固まっていたが、やがてゆっくりと右足を上げ、執事の尻に思いっきり蹴りを入れた。あ、ヒレじゃなくて足だ。……ば、バカな。人間、だと?
「おぶっ!?」
尻を蹴られて前によろめいた執事は、トラックに顔面を強打してうずくまった。そして信じられないという顔でセイウチ夫人を見る。
「な、突然なにをなさいます、セイ……奥様!?」
「お前今、セイウチって言いかけたろ。明らかに私をセイウチだと思ってるだろ」
「滅相もございません! 私、常日頃から奥様のことを心の中でセイウチと呼んでございます!」
「そっちのほうが問題だろうがぁ! 何驚愕のカミングアウトかましとんじゃぁ! そして『滅相もございません』が後半のセリフと繋がっとらんわぁ!」
キリッと無駄に男前な顔をして立ち上がる執事に怒りをたぎらせ、湯気が出そうなほど顔を紅潮させたセイウチ夫人は、ソファに大きく身体を沈め、その反動で大きく空中に舞い上がった! やめて! ソファの上で飛び跳ねないで! スプリングがやられる! そしてその巨体を生かし、執事にボディプレスを……いや、違う!?
トラックが危険を察知し、慌てたように後方に下がる。跳躍したセイウチ夫人は飛び越しざまに前方回転しつつ執事の頭を掴み、後方に引き倒して机に叩きつけた! これは、飛びつき式ネックブリーカードロップ、またの名を、シャリマティー……! まさかこんな美事な技を異世界で魅せられるなんて思わなかったぜ。ありがとうセイウチ夫人。ただ、感謝を伝えたかった。
セイウチ夫人の重量と落下の勢いが、応接室の机の角にぶつけられた執事の背骨に集約され、ごきっ、という鈍い音を立てる。と同時に、その威力に耐えかねた机が憐れにも砕け散った。シャリマティーをまともに喰らった執事は息も絶え絶え、死にそうな顔で床に転がる。セイウチ夫人は執事を肩にひょいっと担ぐと、
「私、ちょっと執事と今後の待遇について話し合う必要が生じたざーます。ミィちゃんのこと、よろしくお願いするざーます。では、ごめんあっさっせ」
どすどすと地面を揺らしながら帰っていった。嵐のような時間が過ぎ、三人は呆然とその場から動けずにいたが、しばらくしてセシリアが、呪縛が解けたようにぽつりとつぶやいた。
「……結局、ミィちゃんの毛色と首輪をしていること以外、何もわかりませんでしたね」
剣士が声もなくうなだれ、トラックが果てない脱力感と共にプォンと情けない音を鳴らした。トラックの引き受けた初めての依頼は、どうやら前途多難だ。
そしてトラックはギルドの受付に向かうと、短く一言、「チェンジで」と言ったのでした。