狩人熱
道沿いを進んでいた族長ゴブリンは、道の脇に生えている一本の木の前で立ち止まった。奇妙にねじくれた、他の木とはどこか雰囲気の違う常緑樹。族長ゴブリンは木に手をかざすと、もごもごと何事かをつぶやく。するとそれに反応するように木が淡い光を放ち、そして今まで鬱蒼と木々が生い茂っていた森の中に、幻想的に輝く一本の道が現れた。
「これは……『妖精の道』、か……?」
助手席でコメルがつぶやく。妖精の道、ってことは、妖精が使う道ってことかな? 響き的に、物理法則を無視して遠くまで一気に移動する、的な感じ? ゴブリンは妖魔だったような気がするけど、そういう細かいことは別にいいのか? えぇい、誰も解説してくれないから推測でしかしゃべれねぇ。
族長ゴブリンが光の道を指さす。入れ、ということなのだろう。トラックはプァンとクラクションを鳴らし、運転席側の扉を開けた。イヌカとルーグがトラックに乗り込み、ルーグは運転席に、イヌカは席の後ろにある仮眠スペースにもぐりこんだ。トラックの席の後ろには、長距離移動の際に仮眠が摂れるよう、身体を横にして休める空間があるのだ。ルーグがシートベルトをしたことを確認すると、トラックはゆっくりと車体を『妖精の道』へと進める。車体は『妖精の道』が放つ光に包まれ、そして、ふっとその姿を消した。族長ゴブリンがトラックの後に続いて『妖精の道』に入り、ハイゴブリン、他のゴブリンたちが続く。すべてのゴブリンが『妖精の道』に消えると、ねじくれた木が放つ光も消えた。同時に『妖精の道』も消え、まるで最初からそうであったかのように鬱蒼と生い茂る木々が姿を現す。もうすぐ、日が暮れようとしていた。
『妖精の道』を抜けたトラック達の前に広がっていたのは、深い森の奥に拓かれた小さな村の光景だった。崖を背に半円状に広がるその村は、粗雑に作られた木の柵で囲まれ、森の木々の浸食に抵抗している。田畑の類は見当たらず、おそらくは狩猟採集によって生活しているのだろう。トラックのエンジン音に気付いた村人、ならぬ村ゴブリンがぞろぞろと村の入り口に集まり、威嚇の声を上げる。族長ゴブリンがトラックの前に進み出て、説明をするように「ぐぎゃぎゃ」と声を上げた。村ゴブリンたちと族長ゴブリンはしばらく言葉を交わしていたようだが、やがて村ゴブリンたちはしぶしぶといった様子で解散した。去り際に村ゴブリンたちは、憎らしげにトラック達をにらんだ。どうやら諸手を挙げて歓迎という感じでは全くないらしい。
族長ゴブリンは「失礼した」と言うように軽く頭を下げると、トラックを先導して村の中へと進む。ハイゴブリンは他のゴブリンたちをそれぞれ数匹ずつ率いてトラック達と別れた。きっと他にやることがあるのだろう。あるいは族長とトラック達のやりとりをゴブリンたちに見せたくないのかもしれない。
トラックの中で、コメルとルーグは窓からじっとゴブリンの村の様子を見ている。まだぎりぎり沈んではいない太陽が、ゴブリンの村の様子を辛うじて浮かび上がらせていた。村の中央には大きな広場があり、それを囲むように小さな家が点在している。家、といっても人間の町にあるような複雑な造りのものではなく、中を見ていないから正確なところは分からないが、竪穴式住居っぽい感じだ。コメルが興味深そうな視線を向けているのに対し、ルーグはどこかぼんやりとした様子だった。
村の中心を貫く道を族長ゴブリンはまっすぐに進んでいく。ゴブリンたちにとって日暮れは活動を始める合図だ。村の家々からは人間でいうところの朝の支度をしているような気配が感じられた。もっとも、聞き慣れないトラックのエンジン音はゴブリンたちを緊張させているようだ。家の中からじっとこちらを窺う視線を感じる。イヌカが居心地の悪そうに顔をしかめた。
やがて族長ゴブリンは村の一番奥、切り立った崖の前で足を止めた。そこには黒々とした闇を抱えた大きな穴がぽっかりと口を開けている。元々天然の洞窟であった場所に、ゴブリンたちが手を加えて拡張したようだ。地面や壁の中ほどまで、つまりゴブリンが手の届く範囲の高さまでは人工的に均された跡があり、トラックでも中に入れそうだ。奥の様子は暗くてよく見えないがかなり広い空間のようで、生活の場というよりは、どこか世俗から切り離された、神殿のような雰囲気を醸していた。
族長ゴブリンは洞窟の奥を指し示し、トラックに中に入るよう促す。洞窟の荘厳な雰囲気にトラックに乗ったままではいけないと思ったのか、コメル、ルーグ、イヌカの三人はトラックから降り、洞窟の中を覗き込んだ。トラックがプァンと族長ゴブリンにクラクションを鳴らす。族長ゴブリンは少し考えるような表情をすると、トラックに向かってうなずいた。トラックのライトが洞窟の中を照らす。ああ、たぶん灯りをつけていいか聞いたんだな。トラックがゆっくりと洞窟の中に入っていく。族長ゴブリンがトラックの隣に並び、イヌカたちがやや後ろからトラックに続いた。
洞窟の中はとてもシンプルな造りで、広い空間の奥に祭壇のようなものが置かれているだけだった。やはりここは何らかの信仰のための場所で、村に住むすべてのゴブリンがここに集まることができるよう、洞窟を掘り広げているのだろう。トラックのライトに祭壇と、その周辺が照らし出される。今、祭壇には一匹のゴブリンが寝かされており、その周囲には独特の装束に身を包んだゴブリンが三匹、一心に祈りを捧げていた。
「……ゴブリンシャーマン」
イヌカがわずかに顔を引きつらせてつぶやく。シャーマン、ということはつまり、巫女、ということだろうか。何となく魔法が使えそうな感じ。ゴブリンにもいろいろいるんだなぁ。イヌカの顔が引きつったということは、敵に回すとそれなりに厄介だということなのだろう。
祈りを捧げるシャーマンたちの手前でトラック達は足を止める。族長ゴブリンがシャーマンたちに声を掛け、シャーマンたちは祈りを中断して道を開けた。族長ゴブリンは祭壇に横たわるゴブリンに駆け寄ると、その手を取って声を掛ける。横たわるゴブリンが薄く目を開け、族長ゴブリンに弱々しく微笑んだ。横たわるゴブリンは族長ゴブリンよりも一回り小さく、身体も丸みを帯びている。おそらくは女性、そして族長ゴブリンの妻なんじゃないだろうか。族長ゴブリンの目に涙が浮かぶ。
「……これは……!」
妻ゴブリンの姿を見たコメルが何かに気付いたように軽く目を見開いた。妻ゴブリンの肌には、ところどころ赤黒いあざのようなものが浮かんでいる。あざがある部分は腫れ上がり、熱を持っているようだった。呼吸は荒く、ひどく消耗している。族長ゴブリンは縋るようにトラックに「ごぶごぶ」と話した。
「何かの、病気か?」
イヌカが誰にともなく言った。トラックが族長ゴブリンのごぶごぶをプァンと翻訳する。トラックのクラクションに対するイヌカやコメルのリアクションから導き出した俺の大胆な推測によると、どうやら事態はこういうものらしかった。
ある日突然、妻ゴブリンが倒れたんだけど、ゴブリンたちにはその原因も、助ける方法も分からなくて、だけどある日、えーっと、たぶん夢か何かで、人間の商人を襲えば病気直るよ的なお告げ? を見て、ゴブリンたちは森を通る商人を手当たり次第に襲った、らしい。
……
いや、分かるよ? ざっくりしすぎだろって言いたいんでしょ? でもね、これでも相当頑張ったんですよ? ごぶごぶプァンにときどきイヌカやコメルが「夢?」とか「それで……」とか言うのを必死につなぎ合わせるのもこれが限界なんじゃーっ! トラックいい加減言葉しゃべれやーっ!! だいたい他の奴らにはプァンで通じとるやないか! 何この俺にだけ厳しいご都合主義!!
コメルはアゴに手を当て、妻ゴブリンをじっと見つめてしばらく考えてから、ややためらいがちに口を開いた。
「私は医者ではないし、人とゴブリンでは違うかもしれませんが――」
「何か知ってるのか?」
イヌカが驚いたようにコメルを見た。コメルは小さくうなずく。
「私のような零細商人は、扱える商品は何でも扱わなければならないものでして。薬の材料、なんてものもよく扱わせてもらっているのですが、以前、納品先でよく似た患者を見たことがあります」
コメルの顔が険しいものに変わる。
「これはおそらく、狩人熱です」
トラックに通訳された族長ゴブリンが、聞いたことがない、と言いたげに首を傾げた。トラックは当然知らないし、ルーグもイヌカもピンとこない顔をしている。コメルはトラック達の顔を見渡し、噛み砕くように説明を始めた。
狩人熱は森に関わる人間が多く罹る病で、皮膚に赤黒いあざが浮き出るという特徴を持つ。発熱、皮膚の腫れ、強い倦怠感を伴い、重症化すると四肢の脱力、呼吸困難の症状が現れて、やがて死に至る。狩人熱の名の由来はかつてこの病気になる者がほとんどが狩人だったことだが、もう一つ、この病に関わる伝説がある。
今からずっと昔、ひとりの妖精が人間に恋をした。妖精の名はリュネー。美しい青い髪のリュネーは、狩人の青年と森で逢瀬を重ねる。
しかしリュネーに邪な想いを抱いた妖魔が、青年に呪いを掛けた。肌に赤黒いあざが浮き出る呪い。醜く変わった青年の姿を見れば、リュネーは幻滅するに違いない。しかし妖魔の予想とは裏腹に、リュネーの青年への想いは変わらなかった。
妖魔は青年にさらに強い呪いをかけ、そして青年に告げる。リュネーのことを忘れれば、その呪いを解いてやろう。青年は妖魔の言葉を拒み、残りの時間をリュネーと共に過ごして、そして死んだ。
妖魔は嬉々としてリュネーに声を掛ける。死んだ者など放っておいて、俺を愛してくれ。しかしリュネーは、妖魔の言葉など耳に入らぬというように、青年の亡骸を抱いて、泣き続けた。三日三晩泣き続け、四日目の朝、青年の亡骸の傍らにリュネーの姿はなく、代わりに可憐な青い花が一輪、儚げに揺れていた。
リュネーを失った妖魔は、なぜだ、と嘆き、そして湖に身を投げたのだという。
「そのおとぎ話が、いったい何だってんだ?」
イヌカがやや苛立った声で言った。コメルはできの悪い生徒を諭すような口調で答える。
「長く伝わるおとぎ話は必ず何かの真実を含んでいるものですよ。この伝説に登場するリュネーは実在します。正確に言えば、リュネーという名の青い花がね。それが何を意味するかわかりますか?」
ああ、きっとこの人、うんちく好きだ。自分の知ってる雑学を言わずにはいられない人だ。このネタを披露できる日をずっと待っていたんだな。なんかいきいきとしている。イヌカが心底めんどくさい、と言いたげにコメルを軽くにらんだ。
「もったいつけてねぇで教えろ」
「青年を失った痛苦と悔恨がリュネーの姿を花へと変えた。リュネーの花にはリュネーの願いが宿っているのですよ。つまり、リュネーの花には狩人熱を治す効能がある、ということです」
どうだ、と言わんばかりにコメルが得意げな顔をする。イヌカは限りなく冷めた目をしている。
「その花があれば狩人熱が治せる、って言えば済む話だろうが」
イヌカにまったく響いていないことに気付いて、コメルが怯んだように「うっ」とうめいた。しかしそれも一瞬のことで、コメルの雑学愛は止まらない。
「それは、まあ、その通り。しかしその『あれば』が難しい。伝説でリュネーは『美しい青い髪の』と言われていたのを覚えていますか? リュネーの花は青の染料の原料でもあるんです」
だ・か・ら・そ・れ・が・ど・う・し・た、とイヌカの目が雄弁に語る。コメルはうろたえて早口にまくし立てた。
「昔、貴族の間で、リュネーで染めた青が大流行したことがありました。その時にリュネーの花は乱獲され、今では私の知る限りクリフォトの都の薬草園にしか残っていません。手に入れるのは至難の業ですよ」
「……つまり、どうしようもないってことか?」
それって、結局聞かされたうんちくは全部無駄だってことじゃない? ただコメルの雑学知識を披露されただけじゃない? イヌカが額に青筋を浮かべた。コメルは弁解するようにバタバタと手を振る。
「お、落ち着いて。私が言いたいのはですね」
つばを飲み込み、少し自分を落ち着かせて、コメルはイヌカだけでなくその場の全員に向かって言った。
「エルフの集落に行きましょうってことです。我々にリュネーの花を探し出すのは不可能でしょうが、森を熟知するエルフならできるかもしれない。それに、私に少しだけ、心当たりがあるんです」
トラックの通訳に、族長ゴブリンは気色ばんで「ごぶごぶっ!」と抗議の声を上げた。たぶん話が違うと言っているのだろう。この様子だと、きっとトラックは族長ゴブリンに「大丈夫」とか「任せとけ」とか調子のいいことを言っていたんじゃないだろうか。実際に見てみたら難しそうだったので理由をつけて逃げようとしていると、族長ゴブリンはそう疑っているのだ。トラックが説得を試みているようだが、族長ゴブリンは頑なだった。族長ゴブリンにしてみればトラック達はようやく見つけたか細い希望の糸であり、簡単に手放すなどできるはずもない。困った、というようにトラックがプォンとクラクションを鳴らす。不意にじっと黙って聞いていたルーグが口を開いた。
「おれが残るよ」
イヌカとコメルがルーグを振り返る。イヌカが怒鳴ろうとするのを制するように、ルーグは淡々と言葉を続けた。
「誰かが残らなきゃ、信じてくれないよ。だからってアニキが残るわけにいかないし、依頼人を危険な目に遭わせられない。イヌカはいざとなったら自力で逃げちまうだろ? 人質にちょうどいいのはおれだけだ」
「バカ言ってんじゃねぇぞ!? 殺されるかもしれねぇんだ!」
イヌカはルーグの襟首を掴む。ルーグは抵抗する様子もなく、声の調子も変えずに言った。
「同じだよ。向こうだって命が一つ、消えるかどうかの瀬戸際だ。こっちも命を一つ、置いとくくらいじゃないとフェアじゃない」
「フェアかどうかの問題じゃねぇ! 死んだらお終いなんだぞ!?」
どこか他人事のように自分の命を語るルーグに、イヌカは苛立ちを込めて怒鳴った。ルーグはトラックに視線を向ける。
「アニキは、戻ってくるだろ?」
トラックはプァンとルーグに応える。ほら問題ない、と言うようにルーグはイヌカに向かって小さく笑った。鼻にシワを寄せ、ルーグを軽く突き飛ばすように手を離して、イヌカはトラックを振り向く。
「……なら、オレも残る。ゴブリンに伝えろ」
トラックが族長ゴブリンにルーグとイヌカの言葉を伝えた。族長ゴブリンはしばし考えるようにうつむき、そして顔を上げると、短く「ごぶ」と答える。了承した、ということなのだろう。トラックは族長ゴブリンの回答をイヌカたちに伝えた。イヌカはトラックに近付き、右の拳でトラックの車体を叩いて、トラックにだけ聞こえるように言った。
「……オレはゴブリンの命なんぞに興味ねぇぞ。危険を感じたら、オレはルーグを連れてここを出る。ゴブリンどもを皆殺しにしてもだ」
トラックが小さくクラクションを返す。イヌカはトラックの傍を離れ、ルーグの横に並んだ。族長ゴブリンがトラックに「ごぶごぶ」と声を掛ける。トラックが助手席の扉を開けた。
「行きましょう」
コメルが助手席に乗り込む。そしてトラックは、ぶぉんとエンジンを鳴らした。
数日後、イヌカは空を仰いでつぶやきました。「……戻ってこねぇな」
族長ゴブリンがイヌカの背後から近づき、そしてなぐさめるようにポンと肩を叩いたのでした。




