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誤算

 それからも一行は休憩を挟みながら歩き続け、気が付けば夕暮れの時刻にさしかかっていた。道行きは順調そのもの、目的地まではもう一時間程度のはずだ。ずっと強張っていたイヌカの表情も心なしか和らいでいる気がする。ルーグはさすがに疲れたのか口数も減り、ややうつむき加減で歩いていた。


――ピューイ


 意外に近い距離で、甲高い鳥の鳴き声が聞こえる。そういえば、最初に鳴き声を聞いてからずっと、一定の間隔でこの鳴き声が聞こえていた。何だろう、群れからはぐれた鳥がずっと仲間を呼んでいるんだろうか。


「あっ」


 うつむいていたルーグが顔を上げる。不意に視界が開け、森の中にちょっとした広場のような、木のない空間が現れる。夕暮れの赤が森の広場を染め上げていた。美しい、でもどこか禍々しい広場の中央に、トラック達は進み出る。


――ピューイ


 間近で鳥の声が聞こえ――


「止まれ!」


 イヌカの鋭い制止の声に、トラックとルーグは足を止めた。同時に、トラック達の進路をふさぐようにゴブリンの群れが現れる。総勢十匹といったところか。群れの中心にいる身体の大きなゴブリンが、口に小さな笛のようなものをくわえていた。さっきから聞こえていた鳥の声は、この笛の音だったのだ。


「ま、待ち伏せ!?」


 コメルが動揺したように叫ぶ。イヌカはカトラスを抜くと、トラックより一歩前に出て、ゴブリンたちから目を離さずに言った。


「トラックは依頼人をしっかり守っとけ! ルーグはそこにいて、依頼人に奴らを近づけさせるな! 敵を倒そうなんて思うなよ! この仕事は倒すのが目的じゃない、守るのが目的だ!」


 有無を言わさぬ迫力を伴ったイヌカの指示に、トラックはプァンとクラクションを返す。ルーグも「う、うん」と答えるのが精いっぱいのようで、緊張した面持ちで腰のナイフを抜き、トラックの助手席側のドアの傍らに立つ。イヌカは敵に突っ込むのではなく、トラックの少し前に陣取って近づいてくる敵を迎撃するつもりのようだ。イヌカのゴブリンたちをにらむ瞳が、冷たい青に光る。


「……ステータスウィンドウ、オープン」


 イヌカの小さなつぶやきに応え、ゴブリンたちの頭上に次々とステータスウィンドウが現れる。群れのリーダーであろう中心にいるゴブリンがハッとした表情に変わり、すぐさま「グギャッ!」と叫んだ。ガシャンと窓ガラスが割れるような音と共に、ゴブリンたちのステータスウィンドウが砕け散る。


「遅ぇよ。もう全部視えてる」


 イヌカは嘲笑うように口の端を上げた。ゴブリンのリーダーはギリリと奥歯を噛んで悔しそうにイヌカをにらむと、「グギャッ」と短く叫んで、そして森の向こうへと逃げて行った。他のゴブリンたちもリーダーを追いかけ、次々に背を向けて去って行く。ホッとしたように息を吐き、イヌカは戦闘態勢を解いた。ルーグは拍子抜けした顔でポカンとゴブリンの去った方向を見ている。コメルは助手席で胸に手を当てて安どのため息を吐き、トラックは不思議そうにクラクションを鳴らした。


「こっちに解析者がいたことに驚いて逃げたんだろう。一方的にステータスを見られると戦いは相当不利になるからな」


 頭にはてなマークを浮かべて、ルーグがトラックの影からイヌカの方に顔をのぞかせる。言葉足らずに気付いてイヌカは表情を緩めた。


「ああ、知らねぇか? 【スキャン】スキル持ちのことを解析者と呼ぶのさ。相手の能力を『視る』力が【スキャン】だ」


「えぇ!?」っと声を上げ、ルーグが気味悪そうな顔で一歩下がる。イヌカは思わずというように苦笑いを浮かべた。


「お前のを視たりはしねぇから安心しろ。ギルドの内規で【スキャン】は身内に使わないことになってる」


 【スキャン】は使える者がかなり少ないレアスキルで、解析者は癒し手と同じくらい貴重なのだそうだ。しかし解析者が貴重ということは、大半のひとはステータスを視ることができないということでもある。さっきのルーグの態度に現れているように、解析者に勝手にステータスを視られることに拒否感を持つ者は結構多いらしい。仲間同士の不和の種になりかねない【スキャン】スキルの身内への使用を、ギルドは内規で禁じているそうだ。

 ほっとした様子でルーグが息を吐き、懐へ手を遣った。イヌカはトラックを見上げると、表情を引き締めて、コメルやルーグに聞こえないように小さく囁いた。


「……ゴブリンたちの中に、族長クラスが一匹いやがった。奴らの縄張りはもっと森の奥のはずだ。上位種が縄張りを出るなんて聞いたことがねぇ。警戒しといてくれ。どうにも嫌な予感がする」


 一般にゴブリンはあまり頭の良い種族ではなく、戦い方も力押し一辺倒だと思われているが、実際には上位種の指揮の許である程度規律だった行動ができるらしい。解析者の存在に気付いて撤退する、という、およそゴブリンのイメージにない冷静な行動は、指揮系統が機能していることを示唆していた。


――ピューイ


 また、ゴブリンの持っていた笛の音が聞こえる。イヌカたちは笛の音が発せられた、つまりゴブリンたちが逃げ去った方に目を向けた。するとそこには逃げたはずのゴブリンが二匹、こちらを向いて立っていた。イヌカが再度警戒態勢を取り、ルーグの顔に緊張が走る。トラックは――特に何の変化もなく、じっとゴブリンたちを見ているようだ。

 ゴブリンはしばらくじーっとこっちを見ていたが、やがてこらえきれなくなったように「ぷっ」と吹き出し、そして大声で笑い始めた。イヌカが虚を突かれたように目を見開き、ルーグが戸惑いと共に声を上げる。


「ご、ゴブリンに、笑われてるぞ?」

「……構うな! じっとしてろ!」


 ゴブリンたちの目的を計りかねているのか、イヌカはゴブリンたちを見据えたままルーグに答えた。ルーグはゴブリンたちとイヌカを交互に見ている。トラックは相変わらず何を考えているのか分からない様子でゴブリンたちを注視していた。

 ゴブリンたちの嘲笑はエスカレートしていき、こちらを指さし、辺りに響き渡るほどの大声で腹を抱えて笑っている。戸惑いと緊張が薄れ、ルーグの顔に徐々に苛立ちの色が浮かび上がった。イヌカが再びルーグを声で制する。


「落ち着け! 挑発に乗るな!」


 ルーグがギリリと歯を食いしばった。イヌカは未だゴブリンたちの意図を読めず、対応を決めあぐねているようだ。ゴブリンたちがこちらを挑発しているのは間違いないが、わざわざ挑発する理由が分からない。ゴブリンたちにとってこちらは偶然通りがかった略奪相手だろう。護衛がいて、どんな荷を持っているのか、そもそも荷を持っているのかも分からない相手にこだわる理由などないはずなのだ。……それとも、ゴブリンたちにとってトラック達はただの略奪相手じゃないのか?

 ゴブリンたちは「ぐぎゃぎゃ」と笑いながら、おどけた調子で踊り始めた。ルーグの頬がピクリと引きつる。ゴブリンたちが揃ってトラック達に背を向け、尻を突き出し、肩越しに振り返って尻をぺんぺんと叩いた。ルーグは大きく息を吸い、ふっと強く吐き出すと、カッチーンと額に青筋を浮かべて口の端をゆがめた。


「……いい加減にしろよ、ふざけやがって。ぶっとばしてやるっ!」

「!? おい、待て!」


 我慢の限界を超えた様子で、ルーグがゴブリンたちに向かって駆けだした。イヌカは慌ててルーグに手を伸ばす。しかしその手はほんのわずか届かず、空を切った。ゴブリンたちが駆けてくるルーグの姿を認めて嘲笑を収め、グッと拳を握った。トラックは動かない。イヌカがルーグを追おうと一歩踏み出した、次の瞬間――


――ガキィンッ!


 今まで何もなかった空間から不意打ちに放たれた斬撃を、イヌカは辛うじてカトラスで受け止める。イヌカの目の前に、空気から染み出るように一匹のゴブリンが現れた。さっき見たゴブリンたちの中にはいなかった、身体が一回り大きく細身で筋肉質な姿。その横に浮かび上がるスキルウィンドウが事態を説明する。


『アクティブスキル(ノーマル)【隠形】

 使用すると周囲の空間に溶け込み、視認されなくなる。

 ただし、走る、攻撃するなど運動強度の高い行動をとると解除される』


「ハイゴブリン!? どうしてこんな場所に!」


 鍔迫(つばぜ)る刃を力で押し返し、動揺と共にイヌカが叫ぶ。二匹のゴブリンたちの挑発はこのためだったのだ。【隠形】で姿を隠したハイゴブリンに気付かせないための陽動であり、ゆっくりとしか移動できない【隠形】でトラック達に近付くための時間稼ぎ。大げさな、わざとらしいまでの嘲笑も、注意を引くための計算づくの行動だったのだ。【隠形】では音まで消すことはできない。

 鋭い剣戟の響きにルーグが振り向く。ルーグの背後の空間が揺らぎ、巨大な鉈を振りかぶった族長ゴブリンが姿を現す。ルーグの身体が族長の影に覆われた。


「え?」


 ルーグが戸惑いをつぶやく。イヌカが目を見開き、その身体が硬直する。イヌカの後ろと右側面の空間から、ぬらりと光る刃を持った腕が伸びる。正面にいたハイゴブリンも再び剣を振り上げた。しかしイヌカは自らに迫る危険など眼中にないとでもいうように、ただルーグを見ている。

 イヌカにとって、この事態は誤算に誤算を重ねた結果だろう。ゴブリンたちが襲撃してきたこともそう。荷物をトラックに乗せて運べばそもそも荷運びをしていることを気付かれないはずで、略奪目的の襲撃は避けられるはずだった。族長ゴブリンが現れたこともそう。ここは森の外縁、人間とエルフが行き来する場所だ。ゴブリンの縄張りはもっと奥の、エルフの支配領域とも重ならない範囲で、族長クラスのゴブリンが縄張りから出ることなどありえないはずだった。そして、ゴブリンたちが力押しではなく、逃げたと見せかけて身を隠し、奇襲してきたこともそう。ゴブリンがスキルを使うということも、複雑な命令を理解し実行することも、こんな場所に現れるゴブリンにはありえないはずだったのだ。それはイヌカの、経験に基づく判断のバイアスであり、油断、あるいは驕りであったかもしれない。


「やっ……」


 逃げたはずのゴブリンたちが森から再び姿を現す。トラックはじっと族長ゴブリンを見つめている。ゴブリンたちは皆、追い詰められたような、切実な、祈りに似た何かを湛えた瞳をしていた。コメルが助手席で前に身を乗り出し、ルーグの運命に息を飲む。三匹のハイゴブリンがイヌカを囲み、命を刈り取る冷酷な刃を繰り出す。かつての喪失の記憶が、その恐怖がイヌカの身体をすくませる。ルーグが族長ゴブリンを振り返る。族長ゴブリンが鉈をルーグに向かって振り下ろし――


「やめてくれ!!」


――プァン!


 イヌカの悲痛な叫びと、トラックの大気を震わせる大音声のクラクションが、重なった。

……え? 嘘でしょ? 続くの? ここで!?

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[一言] かつてないシリアスな展開ッッ!!!!
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