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森の道

 朝なのに、あるいは朝だからなのかもしれないが、ケテルの門の周辺には多くの商人の姿が見える。それぞれが自分自身の目利きによって揃えた自慢の品を携え、それらを大金に化けさせるべく、ふさわしい客がいる場所まで運ぶのだ。荷車に荷物を積み、あるいは自分の身体より大きな荷物を背負って、商人たちはケテルを後にする。いつか来るはずの成功を信じて。


「……遅い!」


 苛立たしげに腕を組み、イヌカは町の外からケテルの門をにらんでいる。すでに約束の時間は過ぎ、冬の衰えた太陽がよろよろと中天を目指して空を這い上っていた。まだ薄暗いうちに出発する予定がすでに狂ってしまっている。イヌカはせわしなく右手の人差し指で組んだ左腕をトントンと叩き、ルーグは「せっかく早起きしたのに」とつまらなさそうにあくびをした。トラックは待つのが特に苦にならないのか、ぼへっと門の方を向いて停車している。


「……帰るぞ! これ以上待ってられるか!」

「バ、バカ言うなよ! できるわけないだろそんなこと!」


 どうやらイライラが頂点に達したらしいイヌカが、ケテルに戻ろうと歩き出した。信じられないという顔をしてルーグがイヌカを止める。依頼放棄はギルドに対する重大な背信行為で、そんなことをすればルーグが正式なギルドメンバーになる道は断たれかねない。ルーグにとっては死活問題だろうし、そもそも正規のギルドメンバーであるイヌカがやることじゃない。イライラして、というより、イライラを言い訳にして、イヌカはこの仕事を放棄したいのかもしれない。

 帰ろうとするイヌカに向かって、トラックがプァンとクラクションを鳴らした。イヌカが苦々しい顔をして舌打ちする。その視線の先には、荷車に一杯の荷物を載せた依頼人の姿があった。依頼人はふうふうと息を吐きながらトラック達の前まで来ると、申し訳なさそうに頭を下げた。


「いやぁ、遅れて申し訳ない。思いがけず安く仕入れができたもので、仕入れの量を増やしたのですが、これが運ぶのが大変で」


 仕入れの量を増やせば運ばなければならない重量も増えることを考えていなかったのだと、依頼人は恥ずかしげに身を縮めた。小太りで背もあまり高くなく、丸顔で目が細くて、ひとことで言うと、肉まん、という感じの人だ。なんか気の弱そうな人だなぁ。そんなんで商人としてやっていけるのだろうか。コメルと名乗った依頼人は、イヌカの斬りつけるような鋭い視線に気付いて「ひぃ」と情けない声を上げた。トラックがプァンとクラクションを鳴らし、右のウィングを広げる。


「は、はいっ! すぐに積みます! しばしお待ちを!」


 コメルはイヌカの目から逃れるように荷車から荷物をトラックの荷台に運ぶ。荷物は大きな麻袋で、大きさや形状は米袋に近い。何が入っているのかはよく分からないが、麦とか大豆とか、たぶんそんな感じのものなのだろう。ルーグはコメルを手伝って麻袋を運ぼうとするが、重すぎて一人では持てないようだ。むぅ、と悔しそうなルーグをトラックが念動力で手伝い、危なっかしい足取りで袋を運んだ。イヌカも厳しい表情のまま麻袋運びを手伝う。コメルはイヌカの顔をそっと盗み見て再び「ひぃ」と小さな悲鳴を上げると、麻袋を運ぶペースを速めた。

 ほどなく荷物はすべてトラックに積み込まれ、最後に荷車も積み込んで、トラックはウィングを閉じた。コメルは「ほぉー」と感嘆の声を上げてトラックを見つめる。


「いやぁ、話には聞いていましたが、すごいもんですねぇ。まるで荷物を運ぶために生まれたような方だ」


 そりゃ、トラックだからね。トラックはちょっと照れたようにクラクションを返し、助手席のドアを開けた。「こりゃ、すいません」と恐縮しながらコメルがトラックに乗り込む。トラックのエンジン音がうなり、車体が震えた。

 ケテルの教会から時刻を告げる鐘の音が響く。朝八時の鐘だ。出発予定よりもすでに二時間近く遅れていることになる。トラックはプァンとクラクションを鳴らし、運転席側の扉を開けた。ルーグが心外そうな顔で抗議する。


「おれはお客さんじゃない。アニキに乗せてもらわなくたっていいよ」

「いいから言うこと聞いとけクソガキ。日暮れまでに着くにはペースをあげにゃならん。途中でヘバられると迷惑なんだよ」


 厳しい、というよりもむしろ思いつめたような様子のイヌカの言葉は、しかしルーグには正しく届いてはいないようだ。ルーグは不快そうに顔をゆがませると、頭から話を聞く気はないと嫌悪の瞳でイヌカをにらみあげた。


「余計なお世話だ! 客と一緒に仲間に運んでもらう冒険者がどこにいるんだよ! 第一、この仕事でおれの適性を見るんだろ!? アニキにガチガチに守られてどうやって活躍すんだよ!」


 ルーグの言葉にイヌカは苦々しい表情を浮かべる。確かにマスターはルーグの適性を見るようなことを言っていた気がする。護衛として移動に耐えられる体力、というのも、見るべき適性の一つと言われればそうかもしれない。もっとも、ルーグはまだ十歳なのだから、体力は成長と共にいくらでもついてくるだろう。見るべきはむしろ、体力的にキツい状況でどう振る舞うか、心の傾向なんじゃないかという気がする。

 何か言おうと口を開きかけたイヌカに、トラックはプァンとクラクションを鳴らしてドアを閉めた。ルーグが嬉しそうに、イヌカが恨みを込めた目でトラックを見る。


「さっすが、アニキ。世話係がいいって言ってんだから、イヌカの口を出す幕じゃないぜ。さあ行こう、アニキ! 早くしないと日が暮れちまうよ」


 ルーグがトラックの助手席側に駆け寄り、トラックはプァンと返事をしてゆっくりと進み始める。ルーグが意気揚々と右の拳を掲げ、「しゅっぱーつ」と声を上げた。イヌカは小さく舌打ちをすると、トラックの運転席側に並んで歩き始めた。




 目的地であるエルフの集落はケテルから半日程度の、比較的森の外縁部にある。エルフの住む集落は森に点在しており、奥に行けば行くほど強い力を持つエルフたちが住まうのだという。そして森の中心にはもはや樹齢さえ定かではないほど大きなオークの樹があり、エルフの女王がまします都があるのだとか。もっともエルフの都に足を踏み入れることのできる者は限られており、招かれざる者は無数の矢に貫かれ、あるいは森を永遠に彷徨うことになる。……こわっ。絶対近付きたくない。

 ケテルとエルフたちとの関係は良好で、両者の交流は活発なのだが、エルフたちは森を切り拓かれたりすることを嫌がるため、大規模に街道を整備することができない。必然、エルフの集落に辿り着くには、獣道に毛の生えたような頼りない道を進むことになる。それでも百年の先人たちの営為によってすこしずつ踏み固められた道は、かろうじてトラックが通れるくらいの道幅を提供してくれていた。


「……なーんも、起こんないじゃん」


 トラックの隣を歩きながら、ルーグは腕を頭の後ろで組んでつまらなさそうにつぶやいた。ケテルを出発してすでに六時間、時刻は午後二時を回っている。最初は気を張り、周囲を警戒しながら進んでいたルーグも、危険の気配すらない状況に今はすっかり緩んでしまっていた。トラックのエンジン音はいい感じに獣除けになっているようで、トラック達の周囲には野生動物の気配すらない。


「当たり前だ。Dランクの護衛の仕事は大半が何も起こらねぇんだよ。そもそも護衛ってのは襲われたときに敵を撃退するためじゃなく、敵に襲われないようにするために雇われるもんだ」


 イヌカがルーグをたしなめるように声を掛ける。明確に襲撃されることが分かっている場合はともかく、そうでない場合は、護衛は襲撃者に襲撃を諦めさせるために雇われるのだそうだ。こちらはこんなに護衛を雇っているぞ、襲っても割に合わないぞ、ということを相手に見せつけることで、そもそも襲われないようにするのが目的なのだ。逆に護衛がいるのに襲われるということは襲撃者が護衛に勝てると判断したということで、その時点で護衛の任務は半分失敗している。

 トラックを挟んで向こう側にいるイヌカに見えないことをいいことに、ルーグはお説教はこりごりとばかりに「べぇっ」と舌を出した。うーむ、こじれておるのう。ちょっとイヌカがかわいそうになってきた。

 今日はここしばらくないくらいのいい天気で、森にも穏やかな木漏れ日が射し込んでいる。木々を揺らす風は少し冷たいけれど、歩いている身には心地よく、季節が冬の入り口に立っていることを忘れてしまいそうだ。このまま何事も無ければちょっとした森林浴である。マイナスイオンを身体に浴びて気持ち良く終わる。そんな仕事になればいいなぁ。

 イヌカが何度も休憩を提案していることもあり、ルーグはヘバることもなく歩き続けていた。このペースならギリギリ日暮れ前には目的地に辿り着けそうだ。もし間に合いそうになければイヌカとルーグをトラックに乗せてスピードを上げればいい。まあトラックが走るには悪路なので、それほどスピードは上げられないかもしれないが。


「おれの大活躍は次にお預けかなぁ」


 がっかりした様子でルーグは足元の小石を蹴った。カツンと音を立てて小石が木にぶつかる。コメルが苦笑いを浮かべた。イヌカが「バカ言ってんじゃねーぞ」と注意する。ルーグはイヌカの言葉を聞き流すと、右手を懐に入れた。父親の形見を触ってるのだろう。強がってはいるが、内心はそれなりに不安だったのかもしれない。


――ピューイ


 遠くで、鳥の声だろうか、何かの甲高い鳴き声が聞こえた。

鳴き声を聞いたルーグが言いました。「あ、ナカヨシ兄弟が鳴いてる」

イヌカは少しまぶしそうに空を見上げます。「ああ、もう冬なんだな」


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― 新着の感想 ―
[一言] >こちらはこんなに護衛を雇っているぞ、襲っても割に合わないぞ、ということを相手に見せつけることで、そもそも襲われないようにするのが目的なのだ。 SPみたいなものってことですね。 大事な仕事で…
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