告解
トラックはイヌカを乗せ、西部街区の通りを走っていた。「話がある」と言っていたはずのイヌカは、「西部街区へ」と言ったきり、助手席で沈黙したままだ。具体的な場所を指示されたわけでもないトラックだが、意識的にどこかへ向かっているのか、それとも慣れた道を選んだだけなのかはよく分からない。
車内に沈黙が続く中、窓の外の景色は流れていき、やがてトラック達の目の前にちょっとした森が姿を現した。現世の喧騒を拒み、魂の静謐を守る門のような佇まいの森――ケテルの墓地の入り口だ。トラックが向かう場所に気付いて、イヌカは思わずといった様子で苦笑いを浮かべた。
「……性格悪ぃぜ。お見通しかよ」
墓地に入り、トラックは小さな墓の前で停車した。助手席の扉を開け、イヌカは墓の正面に立つ。そっと墓石に手を当て、イヌカは自らの罪を告白するように語り始めた。
イヌカは元々西部街区の出身で、早くに両親を亡くして親戚に預けられて育ったそうだ。だが養父母との折り合いは悪く、十一歳で家を飛び出し、冒険者ギルドの扉を叩いた。ギルドはイヌカを見習いとして受け入れ、イヌカの冒険者としての生活が始まった。
世話係になったのは中堅の冒険者パーティで、イヌカをまるで家族同然に迎えてくれた。彼らもまた家族に恵まれた人生ではなかったようで、家族という枠からはみ出したイヌカは他人に思えなかったのだろう。冒険者として生きていく技術、心得、挨拶の仕方から歯磨きの重要性まで、人生の基礎はすべて世話係から学んだのだと、イヌカは懐かしそうに目を細めた。
やがてイヌカは正式なギルドメンバーとなり、冒険者として自立することになった。
「信じられねぇだろうが、結構優秀だったんだぜ?」
イヌカは順調にキャリアを重ね、十八歳にして異例のBランク昇格を果たした。ギルドの次代を担う天才、『無音』のイヌカの名はケテル中に鳴り響き、Aランク昇格も時間の問題と言われていた。我が世の春を謳歌する中、イヌカの中で自分でも気づかぬうちに何かが狂い始めていた。
「調子に乗ってたのさ。バカな人間にゃよくあることだ」
そんなある日、イヌカの前に一人の少年が現れた。冒険者を目指す十歳の男の子。生意気で怖いもの知らずで、そして大人の庇護を受けられない子供。コーダという名のその少年に自らの姿を重ねたイヌカは、彼の世話係になった。自分がしてもらったように、自分がコーダを立派な冒険者に育てるのだ。自分の実力ならそれが充分にできるはずだ。その、はずだった。
「簡単な仕事のはずだった。商人の護衛。Dランクの仕事だ。ゴブリンの巣の近くを通るから念のために護衛を、ってだけの、戦いになるかどうかも分からない、ありふれた仕事だった」
見習いに経験を積ませるため、そう思って引き受けたその仕事は、誤算の連続だった。早朝に出発するはずが依頼人の都合で遅れ、ケテルを出たのは昼前になってしまったこと。当初聞いていたより荷物の量が多く、移動に時間が掛かってしまったこと。本来日暮れ前に辿り着けるはずの目的地に、日が暮れても辿り着けなかったこと。そして依頼主が、日暮れを迎えても野営せずに移動を強行したこと。妖魔と呼ばれる者たちの多くは昼よりも夜に活動が活発になる。ゴブリンもその例に漏れず、イヌカたちは最悪のタイミングでゴブリンの巣の近くを通ることになった。
「オレには自信があった。ゴブリンごとき、何匹出て来ようと問題にならねぇ。一瞬で殺せるし、すべて守り切れる。オレはうまくやれる。できないはずはねぇ、ってな」
イヌカたちの持つ灯りを嫌い、十匹を越えるゴブリンたちが巣穴から姿を現し襲い掛かってきた。イヌカは依頼主に荷車の影に隠れるように言い、コーダに依頼主を守るよう命じて、ゴブリンたちを迎え撃つべく荷車を離れる。依頼主にもコーダにもゴブリンを近づけさせる気はなかったし、それは簡単なことのはずだった。十秒あればせん滅できる。しかしイヌカの目論見はあっさりと崩れた。依頼主がパニックを起こし、突然走り出してしまったのだ。コーダはイヌカの言い付けを守り、依頼主を追う。ゴブリンたちの一部が依頼主の方に向かい、イヌカは依頼主を守ろうと慌てて向きを変えた。しかし――
「三匹のゴブリンに囲まれて、オレは足を止めた」
足を止めたイヌカは、一瞬で自分を囲むゴブリンたちを屠った。再び駆け出すイヌカの目に、剣を抜き、依頼人を守ろうとするコーダの姿が映る。ゴブリンの持つ錆びた刃がコーダに迫っていた。イヌカは全力で走り、コーダを襲うゴブリンの首を切り裂く。ゴブリンの青い返り血がイヌカの顔を染めた。だが、一瞬――三匹のゴブリンに囲まれて足を止めたほんの一瞬の分だけ、イヌカは間に合わなかった。ゴブリンの刃は、すでにコーダの肩口から心臓に至るまでを深く抉っていた。
「くだらねぇ話さ。調子に乗って、何でもできると息巻いた結果がこのザマだ。オレの油断が、驕りが、こいつを殺したんだ」
荷車のそばを離れず手の届く範囲にコーダを置いておけば、ゴブリンたちが巣から出てくる前に乗り込んで全滅させていれば、無理にでも依頼人に野営を承諾させていれば、そもそも依頼を受けなければ。押し寄せる後悔は怒りへと変わり、イヌカは残ったゴブリンたちを全滅させ、さらに巣の中にいたゴブリンたちをもせん滅して、そして、
「どうしてじっとしていなかった!」
依頼主を殴りつけ、依頼を放棄し、コーダの亡骸を抱えて一人でケテルに戻った。依頼主は自力で目的地にたどり着いたが、勝手に依頼を放棄したイヌカはその重大な背信行為の責任を問われ、Dランクに降格された。本来なら追放、あるいは最悪処刑もありうる依頼放棄への罰が降格で済んだのは、ひとえにそれまでのイヌカのギルドへの貢献度のおかげだったのだろう。
この事件を機に、将来を嘱望されていたイヌカが人々の話題に上ることはなくなった。イヌカ自身もまた華々しい活躍から遠ざかり、代わりに、ギルドの扉を叩く新人に因縁をつけて追い返すようになった。人々はそんなイヌカを、挫折した男が未来ある者に妬みをぶつけているのだと嗤った。イヌカはまるで自分の評価を貶めるように、人々の反感を買うような態度ばかりを取るようになり、やがて――ピンクのモヒカンにトゲトゲの革ジャン姿になった。
……
どうしてピンクのモヒカンにトゲトゲの革ジャンの姿になったのかの説明にはなってないっていうか、そこには大きな飛躍がある気がするんだけど、ちょっと今の雰囲気じゃそれに突っ込む勇気がない。情けない俺をどうか笑ってくれ。
「似てるんだ、ルーグは。生意気なところも、怖いもの知らずなところも、大人に守ってもらえなかったところも」
イヌカは墓石を軽く撫でながら言った。
「いや、おそらくルーグの方が、うまく言えねぇが、危うい気がするんだ。たぶんあいつはオレたちに見せない、言えないものを抱えてる。迷いや感情の揺れは決定的な瞬間に生死を分ける」
イヌカはトラックを振り返り、弱々しく笑う。
「オレはどうやらルーグに嫌われてるらしい。オレの言うことをあいつは素直に聞かねぇだろう。オレじゃ、ダメなんだ、トラック」
嫌われている自覚はあるのか。でもどうして嫌われているかはよく分かっていないようだ。そうか、うん、そうか。イヌカは真摯な瞳でトラックを見据えると、大きく息を吸い、そして深々と頭を下げた。
「ルーグを守ってくれ。オレにはできなかった。オレは失敗したんだ。ルーグを守れるのは、お前しかいないんだ! 頼む、トラック!」
自分ではダメなのだと、どうか守ってくれと、イヌカは頭を下げたまま何度も繰り返す。それは自分に失望した男の、決してあきらめることのできない祈りだった。トラックは静かにクラクションを返す。イヌカは顔を上げ、
「……悪い」
ほっとしたような表情を浮かべた。
翌朝、トラックとルーグ、そしてイヌカはギルドのロビーに集合した。まだ日が昇る前の薄闇の中、ルーグがきちんとその場にいたことにイヌカは少しだけ落胆したようだ。寝坊すれば置いていく、そう宣言していたイヌカは、内心でルーグが寝坊してくれることを望んでいたのだろう。
「いよいよだなアニキ! ああ、腕が鳴るぜ」
イヌカとは対照的に、ルーグは不自然なほどにテンションが高い。自分の華々しい活躍を想像して興奮しているのかもしれないが、不安な気持ちの裏返しのようにも見える。ひと時もじっとしていられない、というように、ルーグはバタバタと手足を動かして身体をほぐしていた。せわしなく動くルーグの身体からカチャカチャと小さな金属音が鳴る。
「ルーグ、お前、何を持ってる?」
耳聡くその音を聞きつけたイヌカが眉間にシワを寄せる。ルーグは動きを止め、何のことだとイヌカに顔を向けた。
「懐に何か持ってるだろう。出せ」
ああ、と理解したようにうなずき、「細かいところによく気付くな」と苦笑して、ルーグは懐から金属製の何かを取り出した。それは大人の手のひらくらいの大きさの、まるで銃のような形をしていた。
「どうしてお前がそんなものを持ってる!」
イヌカが身を乗り出して声を荒らげる。ルーグは慌てて両手を上げ、
「弾は入ってないよ」
と言い訳のように言った。イヌカが鋭く目を細める。
「つまりお前は、それが何か知ってるんだな?」
ルーグは少し目を見開き、そして「嫌なヤツ」と顔をしかめた。二人のやりとりに置いて行かれた感のあるトラックがプォンとクラクションを鳴らす。イヌカはルーグを見つめたまま解説した。
「こいつは『呪銃』っつってな。『弾』と呼ばれる、魔法を込めた筒をセットすると魔法使いでない奴でも魔法が使える、魔道具の一種だ。もっとも『呪銃』も『弾』もすさまじく高価でな、極めて限られた場面でしか使われてねぇ。例えば魔法しか効果がないモンスターの討伐、あるいは、暗殺――」
イヌカはルーグとの距離を詰め、目の前に立って呪銃を持つ手の手首を掴んだ。
「普通に生きてりゃ一生お目にかかる必要のねぇ代物だ。どうしてお前がそれを知ってる?」
手首を掴まれたまま、意外に大人しくルーグはイヌカを見上げる。その表情はどこか空虚なものを含んでいるように見えた。
「知ってるさ。こいつは父親の形見だから」
「形見?」
問い返し、イヌカはルーグの手を離して一歩下がった。ルーグは呪銃に目を落とし、他人事のように淡々と語る。
「おれの父親はマフィアの下っ端でさ。三年位前かな、こいつを渡されて、別のマフィアの幹部を殺してこいって言われたらしい」
成功すれば幹部にしてやると言われ、父親は有頂天になった。ある日の朝、父親は意気揚々と家を出て、そして、帰ってこなかった。
「まあ、ロクでもない父親だったよ。だから死んだって聞いても、ああ、死んだかって、それくらい」
ルーグの持つ呪銃は、父親の知り合いが遺体から回収して届けてくれたのだそうだ。マフィアにおだてられ、いいように使われ、何を成し遂げることもなく死んだ父親。ルーグにとってこれは、愚かな父親が見た愚かな夢の象徴のようなものなのだろう。
「こいつを持ってて何か意味があるわけじゃないよ。ただ、初めて戦いになるかもしれない仕事だろ? だから、何となくさ。お守り代わりだよ。効果はなさそうだけど」
ルーグはそう言うと、呪銃を再び懐に納めた。そして気を取り直すように敢えて大きな声を出して言った。
「おれの父親のことなんてどうでもいいよ。それより早く行こうぜ! 依頼人を待たせちゃダメなんだろ?」
イヌカやトラックの返事を待たず、ルーグはギルドの外へと駆け出していく。トラックが慌ててルーグの後を追った。イヌカはじっとルーグの背を見つめ、そして二人を追ってギルドを後にした。
ルーグは走りながら楽しげに笑いました。「ほーほほほ、つかまえてごらん」




