指名
マスターは依頼の詳細を伝えるため、トラック達を執務室に招いた。通常の依頼と違ってギルドカウンターを通さないということは、やっぱり何か特殊な事情の依頼なのだろう。マスターの表情が硬いこともあって、執務室の中はどこか落ち着かない雰囲気が満ちていた。
「最近、ゴブリンどもの動きが妙に活発でな」
マスターは苦い口調で言った。ゴブリンは他種族と多く交流を持つケテルにあって数少ない、ケテルと敵対する種族なのだそうだ。ゴブリンは小鬼族に分類され、背丈は人間より一回り小さいくらい、肌は緑がかった灰色、あるいは灰色をしている。独自の言語を持っていて、人間の言葉は通じない。おまけにゴブリンはエルフやドワーフなどとも敵対関係にあり、ゴブリン語を訳すことのできる者がいない。言葉が通じないと交流は進まず、交流がなければ理解も進まず、人とゴブリンは関係改善の糸口さえ見えずにずっと敵対したままだという。
「ここ数日、ケテルから他種族の村に向かう商人たちがことごとく被害に遭ってる。ほとんど手当たり次第って勢いだ」
ゴブリンの戦闘能力はそれほど高くないし、基本的には臆病な種族なので、今まで護衛の付いた商人を襲うということはほぼなかったのだそうだ。しかしここ数日のゴブリンたちは様子が違った。集団で現れ、護衛にもひるまずに向かってくる。今のところギルドメンバーが護衛を担当した案件に関してはすべて撃退に成功しているが、護衛を雇えないような零細商人の中には被害に遭った者も出始めているようだ。
「ゴブリンどもが何を考えているかは分からんが、手をこまねいているわけにもいかんってことでな。自力で護衛を雇えない零細商人を守るために、商人ギルドがウチに護衛を依頼してきた。トラック、お前さんの指名でな」
「指名?」
セシリアが不可解そうに少し首を傾げた。確かに、指名されるほどトラックが商人ギルドに信頼されているとは思えない。どっちかっていうと嫌われている気がするけど。トラックがやや戸惑ったようなクラクションを返した。
「お前さん、腹に物を貯め込めるだろう? 依頼人も荷物もお前さんの腹に入れて運べば安全だろう、ってことらしいな」
マスターはやや苦笑気味に言った。そう言われれば、荷台に乗せれば安全っちゃあ安全なのか? 人は助手席に乗せるとして。
「確かに、トラックさんの中に荷を隠せば、そもそも商人であると気付かれる可能性が低くなるかもしれませんね」
セシリアが多少納得した顔でうなずく。ああ、なるほど。この世界の住人にはトラックが荷物を運ぶものだという認識がないから、略奪のターゲットとして認識されづらいということなのか。へぇ、という感じでトラックがクラクションを鳴らす。剣士が軽い口調で言った。
「ま、俺たちもいるんだ。ゴブリンごときに遅れは取らないさ」
そうですね、とセシリアが表情を和らげた。剣士やセシリアにとって、ゴブリンは苦戦しようもない相手なのだろう。イヌカが厳しい表情で二人を見る。マスターは小さく頭を振った。
「いや、この件はトラックとルーグとイヌカで担当してもらう」
「ちょっと待ってください! どうしてルーグが!?」
イヌカが身を乗り出してマスターに詰め寄る。ルーグがムッとした表情でイヌカをにらんだ。
「アニキはおれの世話係だぞ。アニキが行くところにおれがついて行くのは当たり前だろ」
「お前は黙ってろ!」
イヌカは振り向きもせずに一喝する。ルーグは不服そうに顔をしかめ、ふんっと鼻を鳴らした。
「こいつはまだ半人前にもなってない! 危険すぎます!」
イヌカの剣幕に動じる風もなく、マスターは表情を消してじっとイヌカを見上げる。そして努めて冷静な声音で言った。
「冒険者ってのは多かれ少なかれ危険と付き合っていかにゃならん仕事だ。箱入りじゃ務まらん。危険の中で動けるかどうか、適性を見るのも必要なことだ」
真っ当な意見を返され、イヌカが言葉に詰まる。反論できなかったのだろう、イヌカは呻くように「……早すぎる」とつぶやいた。マスターはあえて感情を抑えるような無表情を貫いている。
「ゴブリンってのが気に入らねぇか?」
マスターの言葉にイヌカはうつむき、奥歯を噛み締めた。マスターは軽く息を吐き、
「状況をコントロールして見習いを『安全な危険』に晒すのが世話係の役目だ。危ないと思うならお前が守れ、イヌカ」
議論は終わりだ、とばかりにそう言い放った。イヌカは納得のいかぬ様子で一歩下がる。ルーグがいい気味だと言いたげに小憎らしく口の端を上げた。
「私たちを除外する理由をお聞かせ願えますか?」
イヌカとの話が終わるのを待っていたのか、セシリアが静かにマスターに問う。こっちはこっちで怒っていそうだ。声を荒らげない分余計に怒っている感じがする。しかしマスターはやはり動じることなく答えた。
「これはDランクの仕事だと言ったはずだ。お前さんたちのやるべき仕事じゃない。BランクにはBランクの、DランクにはDランクの役割がある」
マスターのどこか建前じみた説明に、しかしセシリアは納得していないようだ。セシリアの視線が厳しさを増す。
「自らのランクより下の仕事を引き受けることに制限はないはずでは?」
「お前さんたちにはこちらが割り当てた仕事を断る権利がある。だが、誰に何を割り振るかはこちらの裁量だ。そこを勘違いしてもらっちゃ困る」
セシリアの視線を堂々と受け止め、マスターはやはり建前論を返す。確かにギルドの仕組み上、仕事はギルドが一括して請け負い、それを登録したギルドメンバーに割り当てることになっている。しかし請け負う側の要望がまったく無視されるわけではないし、現に今までトラックの仕事にセシリアたちが関わって問題視されることはなかった。セシリアの疑念に建前論で返すということは、つまりマスターには何らかの意図があり、そしてそれを説明する気はない、ということなのだろう。セシリアたちを執務室に入れたのは仕事の内容を聞かせるためではなく、仕事を手伝わないよう釘を刺すためだったのだ。セシリアが杖を持つ手を強く握った。マスターはセシリアを見つめたまま、諭すような口調で言った。
「トラックにゃ前にも言ったが、俺はこいつにもっと上の仕事をしてもらいたいと思ってる。そのためには実績が必要だ。だが、Dランクの仕事にお前さんたちが付き添えば、依頼を達成したところで誰もトラックの手柄とは思わねぇよ。仲がいいのは結構だが、いつもベッタリじゃトラックの評価を下げることになるぞ」
トラックの評価を下げる、というマスターの言葉は、セシリアには思いの外効いたようだ。内心の葛藤を示すように視線をさまよわせ、そしてセシリアは無理やり自分を納得させるようにうなずいた。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。セシリアは「……はい」と小さく返事をした。
文句はないな、と確認するようにマスターはその場にいる全員の顔を見渡す。イヌカはうつむき、セシリアは内心を表さぬような無表情、剣士はやれやれ、という感じでセシリアを見ていて、ルーグは……なんだろう、喜んでいるような、取り返しがつかないような、複雑な笑みを浮かべていた。トラックだけは普段と変わらないように見えるが。
「明日の早朝、ケテルの門の前で商人が待ってる手筈だ。行き先はエルフの集落。何事も無ければ日暮れ前に着くだろう。話は以上だ。戻って明日の準備をしとけ」
マスターの言葉を受けて、五人がぞろぞろと執務室を出て行く。その背中を見送りながら、マスターは小さくつぶやいた。
「……乗り越えろよ。お前はギルドの未来に必要な男だ、イヌカ」
執務室から出たセシリアと剣士に、イーリィが声を掛ける。どうやらやってほしい仕事があり、その相談のようだ。マスターがさっき言っていた、ランクに応じた役割、ということなのだろう。セシリアはトラックを振り返り、複雑な表情を浮かべると、イーリィに付いてその場を離れた。剣士がセシリアの後を追う。
「やっと、やっっっっっと! 冒険者らしい仕事ができる!」
ふっふっふ、と、こらえきれない笑みをこぼしてルーグがつぶやく。今までずっと荷物運びやら失せ物探しやらだったから、やっぱり鬱憤がたまっていたのだろう。魔物との戦闘は冒険者の華、という意識はルーグに根強くあるらしい。まあ、今回の仕事は護衛だから、必ずしも襲われるわけではないんだけども。
「敵がゴブリンってのがショボいけど、最初だし、しょうがないよね。パパっと返り討ちにしてあっさり依頼達成と行こうぜ、アニキ!」
興奮した様子でルーグはトラックを見上げた。もうルーグの中では、ゴブリンに襲われるのは決定事項のようだ。自分の華々しい活躍を夢見る瞳に、イヌカが冷水を浴びせる。
「はしゃぐな! 遊びじゃねぇんだぞ!」
「はんっ! 怖いんだったらあんたは来なくていいぜ。こんな仕事、アニキとおれで充分こなせらぁ。なあ、アニキ」
トラックが少し困ったようなクラクションを返す。イヌカは威圧するようにルーグに近付き、上から鋭く見下ろして言った。
「見習いが調子に乗んなっつってんだ! 油断すりゃベテランだってゴブリンに殺られることもあるんだぞ!」
「そんなのそいつが間抜けなだけだろ!」
イヌカとルーグは顔を突き合わせ、ぎゃあぎゃあと言い争いを始めた。イヌカは芯からルーグを心配しているのだろうが、言い方が上からだからか、なかなかうまく伝わらないようだ。お説教は信頼関係が前提だという良い見本だな。いや、俺もあんまり人のこと言えないんだけども。娘もさあ、俺が怒っても全然言うこと聞かないんだよね。で、俺が妻に怒られんの。「あんたそれで怒ってんの!?」って。難しいよね、怒るとか叱るとか。
……ところで、さ。唐突なんだけども、実はずっと前から、やろうやろうと思ってできてないことがあるんだよね。でも、トラックがDランクの仕事を、つまり戦闘の発生する可能性がある仕事を受けるにあたって、やっぱりやっとかないといけないと思うんだ。これがあるとないとじゃ安心感が違うと思うんだよ。見てるしかない立場としては。
――ステータスオープン
ほら、スキルとか何とかあるわけだし、やっぱあると思うんだよ、ステータスオープン。能力の数値化。たとえば今回、ゴブリンが襲ってきたとして、ゴブリンのステータスとトラックのステータスを見ればだよ、ああ、すごい実力差があるから安心だーとか、おいおい意外と拮抗してんじゃんヤバくない、とか、こう、心の準備ができると思うんだよね。まあ俺が心の準備したってトラック達に何の利益も無いんだけども。
で、まあ、ずっとタイミングをうかがってたんだけども、そもそも今まで事前に戦いがある前提の仕事ってなかったし、緊迫した場面で急に俺が『ステータスオープン!』って叫ぶのもためらわしくてさ、できなかったんだよ。だけど今回は何か戦いが起こってもおかしくない雰囲気だし、この機会に試しておこうと思うんだよね。とりあえずトラックのステータスを確認しとけば、この先いろいろ便利な気がするし。
いいかな? いいよね? ああ、ちょっとドキドキしてきた。それじゃいくぞ! ご唱和ください! せーのっ!
ステータスオープン!
俺の叫びに合わせて、今まで聞いたことのない効果音が流れる。
でんでろでんでろでんでろでんでろでーでん
そして俺の目の前に、スゥっと半透明のウィンドウが浮かび上がった。
『しかし何も起こらなかった』
やかましいわぁーーーーっ! わざわざ効果音まで付けて言うことかぁーーーっ!! スルーしろやぁ!! めちゃくちゃ恥ずかしいわぁ!!
『……ぷっ』
笑ってんじゃねぇよ! そっちのさじ加減だろうがよ! ……って、あれ? 笑った?
『あっ』
ウィンドウがしまった、と言うように形を歪ませ、そしてふっと姿を消した。
どういうこと? 俺の言うことを聞いてたってこと? もしかして、俺の存在を認識している誰かがいる? ちょっともっかい出てきてウィンドウ! 怒んないから! ずっと独り言しゃべってるのってさびしいんだよぉーーーーっ!!
結局ウィンドウが再び現れることはなく、イヌカとルーグの言い争いもいつの間にか終わっていた。「寝坊したら置いてくからな」と言うイヌカに「べーっ」と舌を出し、プリプリ怒りながらルーグはギルドを出て行った。はぁ、とため息を吐いて、イヌカは隣にいるトラックを見る。トラックはずっと、言い争う二人の横でぼへっと停車していた。
「おい」
イヌカは真剣な眼差しでトラックに声を掛ける。
「……話がある。悪ぃがちょっと付き合ってくれ」
その声は苦く、そしてわずかな怯えと傷をはらんでいる。トラックはプァンと了承の意を返し、助手席の扉を開いた。
イヌカは助手席に乗ると、頬に右手を当てて眉間にシワを寄せました。「最近あの子ったら全然言うことを聞いてくれないの。反抗期かしら。どう思う? ねぇ、ちょっと、聞いてるの?」




