登録手続き
剣士が入れてくれた突っ込みを千載一遇のチャンスと捉えたか、イヌカは顔を赤くしながら、
「き、今日のところはこのへんで勘弁してやる!」
と捨て台詞を残してダッシュで逃げていった。まだ走る体力が残っているあたり、相当タフだな。腐っても冒険者。体が資本のお仕事です。剣士は不思議そうに首を傾げ、トラックは何事もなかったようにギルドに戻っていく。トラックの接近を感知して、入り口が横に滑るように勝手に開いた。おお、自動ドアになっとる。セシリアの魔法おそるべし。至れり尽くせりだな。トラックが通り過ぎると今度は勝手に閉まった。剣士は感心したようにため息を吐くと、自らもギルドの中へと歩みを進めた。
――ゴンっ
顔面を扉にモロにぶつけて、剣士がその場に声もなくしゃがみこんだ。うわ、痛そう。可哀そう。入り口、開かなかったな。自動ドアじゃないのか? 動作不良? あっ、もしかして、トラックしか感知しないの? ……セシリアの魔法おそるべし。扱いの差がひどい。
ギルドの中ではイーリィが、カウンター越しにトラックと話している。どうやらギルドの登録書類を書いているようだ。トラックは文字なんて書けないから、イーリィが話を聞きながら項目を埋めている。
「トラック族のトラックさん? 種族名と名前が同じなのね」
ふふっ、と柔らかく笑いながら、イーリィがペンを走らせる。隣で聞いていたセシリアが眉をひそめた。
「笑うのは少し失礼では?」
「ああ、ごめんなさい。馬鹿にしたわけじゃないのよ。数が少なくて、集団を作らない種族には時々いるの。種族の名前がそのまま自分の名前になっちゃうひとがね。だから、彼もそうなのかなって思っただけ。気を悪くしたなら謝るわ」
トラックはプォンと小さくクラクションを鳴らした。セシリアは「あなたがそう言うなら」と言って引き下がり、イーリィは「ありがとう」とほほ笑んだ。
「ギルドについて説明するわね。退屈かもしれないけど、我慢して聞いてちょうだい」
イーリィは冒険者ギルドについての基礎知識をトラックに説明する。曰く、冒険者ギルドとは、逃げたペットの捜索から戦争のお手伝いまで、ありとあらゆる仕事を請け負い、適切な人材にその仕事を斡旋する、仲介業者のようなものだそうだ。仕事を受けたい人間が冒険者としてギルドに登録しておくと、それぞれの冒険者のスキルや経験を勘案し、ギルドは請け負った依頼の中から適切な人材を選定して仕事を割り当てる。ギルドと冒険者の関係は対等で、冒険者は割り当てられた仕事を断ることを認められているそうだ。冒険者は実力とギルドへの貢献度によってEからSまでのいずれかにランク付けされ、ランクが高くなればなるほど難易度の高い仕事が割り当てられる。
「本当はギルドへの登録時にはテストをする決まりなのだけれど、イヌカを返り討ちにするほどの実力があれば必要ないわね」
イーリィは引き出しから、翼の生えた剣の意匠をあしらった鉄のペンダントを取り出し、カウンターの上に置いた。
「この翼剣紋のペンダントを受け取れば、晴れて貴方は冒険者よ。でも、ギルドに属するということは、ギルドの掟に従うということでもある。掟を破れば貴方はギルドから追われることになるわ。たとえどんな理由があろうとも、ね」
イーリィの瞳に危険な光が宿る。イーリィの手にいつの間にか、魔法のように短剣が握られていた。
「ギルドの掟はシンプルよ。『汝の義務を果たせ』。依頼を受けるかどうかは自由だけれど、一度受けた依頼には責任を持ってもらうわ。もし途中で投げ出すというなら……」
イーリィは短剣を弄ぶようにくるりと回して下に向けると、トン、という乾いた音を立ててカウンターに突き立てた。
「命を、置いていってもらう」
イーリィはじっとトラックを見つめる。トラックは無言で、たぶん、ペンダントを、受け取ろうとしているんじゃないかと思うんだけれども、トラックにどうやってペンダントを受け取れというのでしょうか? 誰かマジックハンド的な追加装備持ってきて!
ぴろりんっ
うおっ、びっくりした。またなんかひらめいてるよ。
『スキルゲット!
アクティヴスキル(ノーマル) 【念動力】
効果:手を触れずに物体を動かすことができる』
……ついに超能力に目覚めちゃったよ。いちいちいいタイミングで必要なスキルを思いつく奴だな。これはもしかしてアレかな、ごつごうしゅ
――ウィーン
トラックは運転席側の窓を開けると、念動力を使って翼剣紋のペンダントを空中に浮かび上がらせ、滑るように動かしてダッシュボードの中にしまい込んだ。イーリィは頷き、短剣を片づけると、艶やかな微笑みを浮かべた。
「改めて、ようこそケテルの冒険者ギルドへ。新しい勇者の誕生を、私たちは歓迎する」
トラックはプァン、と、どこか気のない返事を返した。イーリィはトラックの隣に座るセシリアに視線を向ける。
「そう怖い顔しないで。可愛い顔が台無しよ」
セシリアは杖を強く握りしめ、厳しい顔でイーリィを見据えている。不満を隠そうともせず、セシリアは言った。
「私が登録したときには、これほど威圧的な言い方はされませんでしたわ」
「あなたが登録したのはカイツールでしょう? 噂は聞いてるわ。『翡翠の魔女』セシリア」
おお、二つ名。いいよね二つ名。雰囲気出るよね二つ名。
「そんな大層なものではありません」
やや顔をしかめ、セシリアが首を振る。あんまり気に入ってないみたいだな二つ名。もしかして、『鬼軍曹』とか『吠える闘将』とかのほうが良かった?
「各町のギルドには色があるのよ。ウチは入り口で絞るタイプ。覚悟のない半端者は簡単に命を落とす場所だからね。以前は、そんなこともなかったのだけれど」
イーリィは遠くを見るような目をして言った。イーリィの言葉に、セシリアは何か思うところがあるのか、複雑な表情で目を伏せる。イーリィはそんなセシリアの態度に少し引っかかるものを感じたようだったが、特に追及はしなかった。気分を変えようとしたのか、イーリィはトラックを見上げて、少し不自然なほどに大きな声を上げた。
「ま、トラさんだったら心配する必要もないでしょう。きっとすぐに活躍して、上位ランカーの仲間入りね」
「ト、トラさん!?」
驚愕に目を見開き、セシリアがばっと勢いよく顔を上げた。
「ちょっと、馴れ馴れしくありませんか? 今日初めて会った殿方に、そんな」
セシリアの反応に、イーリィは意外そうな顔をする。そして、面白いものを見つけたとでも言いたげに、にやっと笑った。
「あら、私が彼をどう呼ぼうと自由でしょう? それに、男と女の間に時間なんて関係ないわ」
ねぇ、とイーリィは艶っぽい視線をトラックに向ける。
「お、男と女って……!」
セシリアは顔を真っ赤にして、口をパクパクさせている。イーリィは挑発するように意地の悪い笑みを浮かべると、
「うらやましいならあなたも呼べばいいでしょう? ほら、トラさんって」
「結構です!」
叩きつけるようにそう叫んで、セシリアは椅子を倒さんばかりの勢いで席を立った。イーリィは口に手を当て、こらえきれないようにくすくすと笑っている。鼻息荒くイーリィを睨みつけ、セシリアはギルドの入口へ向かった。テーブル席で待っていたのか、セシリアの姿を見つけた剣士が、立ち上がって彼女に声を掛けた。
「あ、セシリア。ちょっと……」
ギンッと石化しそうな勢いの怒りの視線を向けられ、剣士が固まる。セシリアはふんっと鼻を鳴らし、ギルドの外へと出ていった。
「な、なぜ……?」
セシリアの出ていった入り口を見つめ、剣士は途方に暮れたように呟いた。うん、お前は悪くないよ。悪いのはタイミングだ。めげずに頑張れ。報われそうにないけど。
トラックがたしなめるようにプァンとクラクションを鳴らす。イーリィはツボにはまったのか、笑いながら答えた。
「ご、ごめんなさい。あんまり可愛いから、つい、ね」
イーリィはしばらく笑っていたが、ようやく落ち着いたのか、ふぅっと大きく息を吐き、目じりの涙を拭った。そして真面目な顔を作り、トラックを見上げる。
「あの子とはどういう関係?」
トラックは素っ気なくクラクションを返す。イーリィはふぅん、と、納得したのかしていないのか分からないような声を上げると、少し考えるような仕草をした。
「……彼女の魔法は大したものよ。貴方が壊した壁をあれほど簡単に直せる魔法使いは、ギルドにも数えるほどしかいないわ。だけど心はまだまだ子供。能力と精神のバランスが取れていないのね」
心の未熟さは思わぬところで危機を招くのだと、イーリィは言った。
「魔法には才能が必要なの。優秀な癒し手は貴重よ。だから時に、誘拐や売買の対象にもなる。戦いになれば真っ先に命を狙われるわ。癒し手はいつも危険に晒される。日常でも、戦場でも。だから……」
イーリィはじっとトラックを見つめた。
「守って、あげてね」
さっきセシリアをからかって笑っていたのと同じ人間とは思えないほど、イーリィは真剣な瞳をしている。イーリィの言葉を聞いているのかいないのか、トラックは無言のまま、何も答えなかった。
なぜならこの時、トラックは爆睡していたのですから。