伝言
午後から特に予定のないトラック達は、町内会長やエバラに挨拶をした後で、のんびりと帰途についた。セシリア、剣士、イヌカの三人はトラックに並んで歩いており、ルーグだけがトラックの助手席にいる。トラックは樹海での、主に暗黒樹海騎士団との戦いの様子を話しているらしく、プァンプァンというトラックのクラクションをルーグは楽しげに聞いていた。
セシリアは少し厳しい表情で無言のまま歩いている。たぶん、自分にできることを、自分のすべきことを、自問しているのだろう。剣士は何も言わずセシリアの隣を歩いているが、時折気遣うような視線をセシリアに送っていた。イヌカはルーグのいるトラックの助手席のドアを見ている。
不意に冷たい風が通りを渡る。秋の終わり、というよりも、もう冬の始まりと言うべきなのだろうか。薄曇りの空は期待ほどの温もりを与えてくれない。ゆっくりと歩くくらいの今のペースだと、ギルドに帰り着くのは昼前だろう。そのころにはもう少し暖かくなっているだろうか。
「あー、そこのトラックとゆかいな仲間たち。ちょっと止まってもらえますか?」
のんびり進むトラック達に向かって一人の男が、急に声を掛けてくる。男はトラック達の進行方向に立ちふさがるように立っていて、必然的にトラック達は足を止めた。黒に近い茶色の短髪で、不愛想な顔をした青年だ。どっかで見たことあるような気がするな。どこだったっけ?
「あなたは、衛士隊の……」
セシリアは記憶の糸を辿り、青年の正体に気付いたようだ。あ、そうそう! この人たしか衛士隊の副長だよ! ああ、という感じで剣士がうなずく。イヌカは副長のことを知っているのか、特に目立った反応はしなかった。ルーグは誰? と不思議そうな顔をしている。トラックがプァンとクラクションを鳴らした。
「ああ、そういえば名乗っていませんでしたか。私はイャートの部下の、リェフと言います。その節はどうも」
敬意を表す気のない敬語で、リェフは不愛想な表情のままそう挨拶した。セシリアと剣士が若干戸惑いの表情を浮かべる。捕まるようなことをした覚えはない、と言いたげに剣士が口を開いた。
「何の用だ?」
「警戒しないでください。あんたらを捕まえに来たわけじゃない。衛士隊の中で唯一暇を持て余している中年男から伝言を頼まれましてね。正直、てめぇで行けやクズが、とはっきり言ってやったんですが、部下という立場上断ることもできないもので」
部下の立場で上司に『てめぇで行けやクズが』って言うのは問題ないのか、という点は置いておくとして、イャートからの伝言って何だろう? セシリアと剣士が顔を見合わせた。トラックのクラクションがリェフに続きを促す。リェフはいまいち何を考えているか分からない顔で淡々と語った。
「あんたらが金貸しの家に殴り込んで暴れた事件があったでしょう? あの件で分かったことがありまして、是非あんたらにお伝えしろと腹黒タヌキがね」
「あの件はもう決着したはずでは?」
セシリアが少し首を傾げ、リェフに疑問を返す。リェフはやはり不愛想にうなずいた。
「確かに金貸しどもは起訴され、裁判で有罪が確定した。しかし我々としてはちょっと納得がいってない事件でしてね」
金貸しどもは北東街区の商人だったが、人身売買を組織的に運営する金もコネクションも見当たらない。人身売買には調達、保管、運送といった工程があり、それぞれに人手と金が掛かる。さらに買い手が見つからなければ現金化できない。言ってて気分が悪い話だが、人身売買を禁じているケテルで人身売買で儲けようとするなら、人手と元手と買い手とのコネクションが必要なのだ。
衛士隊は、金貸しどもは末端の調達部隊に過ぎず背後にはもっと大物がいる、と考えていたが、金貸しどもに直接指示を出していた北部街区の商人が姿をくらましたことで追及の糸は途切れ、商人ギルドからの圧力もあって、結局事件は金貸しどもの有罪の確定を以て終了した。しかしイャートは背後関係の解明を諦めておらず、密かに捜査を続けていたのだろう。
「行方をくらました商人の周辺を地道に洗っていたら、面白い名前が出てきたんですよ。あんたらも覚えがあるはずだ。ヘルワーズ、って名前に」
「ヘルワーズ……確か、獣人売買の時の」
イヌカが険しい顔でつぶやく。セシリアと剣士が同意するようにうなずいた。えーっと、確かシェスカさんの詐欺事件でも名前が出てた気がするな。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。
「そう、図らずもトラックさん、あんたが関わった獣人売買、詐欺、そして人身売買の三つの事件全てで、ヘルワーズという人物が登場する。これを偶然で片付けたら、衛士隊はたいそうおめでたい連中だ」
「ヘルワーズが何らかの意図を持ってそれらの事件を起こした、と?」
セシリアの言葉に、リェフはわずかに口の端を上げた。
「三つの事件には共通点が一つある。それは犯人が商人ギルドの正式な組合員だということだ。ヘルワーズは商人ギルドの、あるいはケテルそのものの信用を貶めようとしている、というのが隊長の見立てだ」
イャートの考えの通り、ヘルワーズが商人ギルドやケテルを貶めるためにそれらを企てたとして、その動機は何だろう。獣人売買は他種族との交易で栄えるケテルにとって致命傷になりかねない大事件だったが、詐欺事件にケテルを脅かすようなインパクトはない。人身売買についても、いわばケテル内での問題であって、他種族との関係を揺るがすものではないだろう。商人ギルド内部はそれらの事件でそれなりに混乱したようだが、商人ギルドを混乱させてヘルワーズに何の得があるの?
「ヘルワーズってのは何者だ?」
剣士が率直な疑問を口にする。その質問を予想していたのか、リェフは澱みなく答えた。
「ガトリン一家の若頭だ」
ようやく調べがついたのだと、リェフはわずかに得意そうな表情を浮かべた。ガトリン一家って、どっかで聞いたような……
「南東街区のマフィアか?」
イヌカがピクリと眉をひそめる。あ、そっか! 南東街区でサバみそを配りまくった時に邪魔しにきた奴らが確かそう名乗ってた気がする。イヌカの言葉に応えてリェフがうなずいた。
「ガトリン一家は二年ほど前に代替わりして以降、急激に勢力を増したファミリーだ。今じゃ南東街区の大半を勢力下に置いているが、その立役者がヘルワーズらしい」
代替わりする前のガトリン一家は、南東街区の中でも目立った勢力ではなかった。先代は筋の通らぬことが嫌いな昔気質のボスで、身内の結束は固く、比較的穏当なファミリーだったのだそうだ。それが代替わりを機に、汚いことも平気でやる、手段を選ばないファミリーへと変質した。古い幹部を軒並み追放し、抗争によって壊滅させたファミリーを吸収してどんどん膨張していくガトリン一家の内実を、衛士隊はなかなか把握できなかったようだ。
「ヘルワーズが、というよりはガトリン一家が、何を考えて南東街区の外にちょっかいを出しているのかは分からないが、ロクでもないことを考えているのは確かだろう。放っておけば犠牲者は増え続ける。どうにかしなければならないだろうな、というのが隊長からのあんたらへの伝言です。じゃ、確かに伝えましたよ」
リェフは役目は終わったとばかり、トラック達のリアクションを待たずに背を向けて歩き出した。えぇ? そこで切り上げんの? っていうかなんでそんなことわざわざ言いに来たのよ? 去って行くリェフの背にトラックがプァンと呼びかける。するとリェフが足を止めた。
「どうしてわざわざあんたらにこんなことを伝えたか、理解しているか?」
リェフは振り返り、トラック達を見渡す。セシリアは怪訝そうに問い返した。
「どういう意味でしょう」
「隊長は目的のための犠牲を厭わない人間だ。南東街区に法の秩序を回復するのは衛士隊の悲願の一つでね。そのために、あんたらに『やらかしてほしい』と思っている」
さっきまで不愛想で感情が読めない目をしていたリェフが、今は確かな感情を宿してトラック達を見ている。そこにあるのはどこか切実さを伴う祈りのようだった。
「あんたらの『やらかし』を口実に衛士隊は南東街区に介入する。マフィアもあんたらも処刑して、法の力と公平を住人に知らしめるのさ。強いものが正しいのではなく、法に適う者が正しいのだ、とね」
剣士は苦笑いでリェフの言葉に応える。
「そういうのは俺たちには黙っとくとこじゃないのか?」
リェフは小さく首を振る。
「大義のための犠牲、と言えば聞こえはいいが、犠牲にされる人間にとっちゃただの理不尽でしかない。本来、法は個人を理不尽から守るためのものであるべきだ」
リェフの瞳には強い信念と、そして哀しみの色が見て取れた。かつて何かあったのだろうか。理不尽な犠牲を強いられた記憶が。
「大事を為すには隊長のような人間が必要なんだろう。だが、だからといってあんたらに犠牲になってやる義理はない。いいように使われるなよ。犠牲になっていい者などこの世には存在しない」
リェフはそう言うと、再度トラック達に背を向け、今度は振り返らずに去って行った。たぶんリェフはイャートの言葉を伝えに来たのではなく、イャートがトラック達を利用しようとしていることを伝えに来たのだろう。なんだ、不愛想だしちょっと怖い人だと思ったら、意外といいやつ。
「案外おせっかいな奴だったんだな」
剣士も意外そうにリェフの背を見送る。
「忠告はありがたくいただいておきましょう。ですが……」
セシリアは難しい顔をして言い澱む。剣士が視線で続きを促した。
「……あのイャートという男は、得体の知れないところがあります。リェフさんが私たちに忠告することも含めて、私たちを誘導する伏線のような気がして」
セシリアがすでに姿の見えなくなったリェフの背に厳しい視線を向けた。剣士も釣られるように同じ方向を見つめる。イヌカは腕を組み、何事か考えているようだ。トラックの助手席で興味が無さそうにしていたルーグが、小さく笑った。
リェフが去り、不穏な気持ちを抱えたまま、トラック達はギルドへと戻った。町内清掃の結果を報告しなければならないのだ。そうしないと報酬がもらえないからね。言うなれば、帰るまでが遠足です。
終了報告をしようとギルドカウンターに向かうトラック達に、
「おう、帰ったか」
珍しくロビーにいたマスターが声を掛けてきた。なんか前にもあったな、こんなパターン。また何か厄介なことを頼まれたりするのだろうか。マスターはトラック達の前に来ると、やや硬い表情で言った。
「帰ったばかりで悪いが、トラック、お前さんに頼みたい仕事がある。商人の護衛、Dランクの仕事だ」
Dランク、つまり、戦闘の発生する可能性のある事案。だが、ランクよりもマスターの曇った表情が、その仕事に対する不吉な予感を強調している気がした。
衛士隊詰所の椅子に座り、イャートはぼんやりとつぶやきました。「副長ってツンデレだよね」




