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自嘲

「だからなんであんたに歯磨きの心配までされなきゃなんないんだよ!」

「歯磨きの大切さは歳取ってから実感すんだよ! いいから言うこと聞いとけクソガキ!」


 朝っぱらから冒険者ギルドに怒声が響き渡る。カウンターに座るイーリィがあきれ顔で言い争う二人を見ていた。二人というのはもちろん、ルーグとイヌカのことだ。周囲の冒険者がまたか、と言いたげに肩をすくめた。

 西部街区の失せ物探しの一件から三日が経ち、その間にルーグとトラックはいくつかの仕事をこなしていた。森に入っての薬草集めや保存食作りの手伝い、出張料理などなど。それらの仕事はすべてイヌカがルーグのために厳選したもので、危険がなく、かつ冒険者として必要な知識や技術に触れることのできるような、相当に考えられたものだった――のだが、イヌカの過保護ぶりがあまりにひどいため、ルーグは感謝どころか完全にイヌカに反発してしまっていた。きちんとあいさつをしろ、愚痴は外に出さずに飲み込め、食事も仕事の内だ、くらいならまだしも、ハンカチ持ったか、魚は小骨に気を付けろ、腹を出して寝るなってお前はかあちゃんか。ルーグが嫌になる気持ちがよく分かるわ。

 カウンターを挟んでイーリィと向かい合っていたトラックがプァンとクラクションを鳴らす。トラックはこの三日間ずっとイヌカがルーグのために持ってきた依頼をこなしていたので、いい加減配送の仕事がしたくなったらしく、イーリィにちょうどいい仕事がないか確認していた。もっとも今日は配送の依頼はなく、トラックは心なしかガッカリしているようだった。


「確かに、過保護だと思うわ。ルーグが怒るのも仕方ないわね」


 トラックのクラクションに答えて、イーリィはやれやれと軽く首を振った。ルーグとイヌカの怒鳴り合いはまだ続いている。イヌカはよかれと思ってやっているんだろうから、両者の溝を埋めるのは難しそうだ。イーリィはため息を吐くと、トラックに愁いを帯びた瞳を向けた。


「でもね、トラさん。イヌカがああなのは、理由がないわけじゃないのよ。イヌカは昔、見習いの世話係をやっていたことがあるから」


 イーリィが少し声を落として目を伏せる。トラックが続きを促すように再度クラクションを鳴らした。イーリィはためらいがちに口を開く。


「イヌカはね、昔――」

「おい、おしゃべり女!」


 イヌカの鋭い怒声がイーリィに向かって放たれる。イーリィがハッと息を飲み、イヌカに顔を向けた。ルーグとケンカしながらトラック達の会話も聞いていたのだろうか。イヌカは厳しくイーリィをにらんだ。


「余計なこと言ってんじゃねぇぞ。いつからそんなに偉くなった」


 その声にはルーグに怒鳴っていたときとは全く別の、物騒な響きが含まれていた。ギルドを包んでいた雑多な音が止まり、奇妙な沈黙が流れる。ルーグも急に変わった周囲の雰囲気に戸惑ったのか、黙ってイヌカを見ていた。


「ごめん、なさい……」


 イーリィの謝罪の言葉がギルド内にいやに大きく響く。イヌカのあまりの剣幕に、ルーグがイーリィとイヌカを交互に見ていた。不穏な空気がギルド内に立ち込める。しかしその空気は、


「ようやく見つけたぞ~、イ~ヌ~カ~」


 地獄の底から響くような恨みがましいマスターの声であっさりと破られた。


「てめぇ、自分の仕事ほったらかして何やってやがる。俺は言ったよな? 使える奴を腐らせとく余裕はねぇって」

「い、いや、それは……」


 怒りを通り越した感があるマスターは、底知れぬ笑顔を浮かべてイヌカに迫る。マスターが一歩近づくと、イヌカは引きつった顔で一歩下がった。マスターがさらに一歩踏み込む。イヌカは距離を保つために一歩下がり――受付カウンターに腰が触れた。イヌカはもう下がれない。マスターがニヤリと凄絶な笑みを浮かべ、そして、一気にイヌカの懐に飛び込んで下から右手を繰り出し、その襟首をつかんだ。


「お前がサボってる間、俺がどれだけ苦労させられたか教えてやる。嫌とは言わせねぇぞ。今夜は二人で語り明かそうじゃねぇか、なぁ?」


 元Sランク冒険者の鬼気迫る形相に、イヌカは蒼白になって両手を上げた。マスターはそのまま有無を言わさず、後ろ襟を掴んでイヌカを自分の執務室に引きずっていく。ずるずると引きずられながら、イヌカはトラックを指さして叫んだ。


「おい、トラック! てめぇ、ちゃんとルーグの面倒見とけよ! 分かったな! 絶対だぞぉーーーーっ!!」


 長く尾を曳くイヌカの悲鳴にも似た叫びは、マスターの執務室の扉が閉まる音と共に途絶えた。思わぬ見世物に満足したのか、周囲の冒険者たちは自分たちの用事に戻り、冒険者ギルドに普段のざわめきが戻る。ルーグは執務室の扉に向かって、


「いい気味だ。ざまぁみろ」


 そう言ってべぇっと舌を出した。嫌われてるなーイヌカ。報われない奴。トラックが少し同情したようなクラクションを鳴らす。ルーグはすさまじく嫌そうな顔をした。


「だって、あいつうるさいんだもん。世話係でもないのに」


 あまりに素直なルーグの言葉にイーリィが苦笑する。イーリィの瞳には少しだけ悲しげな影がある。おそらくはさっき言いかけた、イヌカの過去がその影の正体なのだろう。トラックのプァンというクラクションに、イーリィは首を横に振った。


「ごめんなさい。私が勝手に言っていいことじゃなかったわ。忘れてちょうだい」

「あいつのことなんてどうでもいいよ。それより今日は何をするんだい、アニキ」


 子供らしい残酷さでイヌカをバッサリと切り捨て、ルーグはトラックを見上げた。トラックはプォンとクラクションを返す。


「え、今日は仕事ないの? じゃあ、どうすんのさ?」


 トラックは少しの間、何かを考えるようにハザードを焚くと、静かにクラクションを鳴らした。ルーグが慌てた様子で首を振る。


「い、いや、別におれ、あいつらのことなんて気にしてないから」


 トラックは再度、穏やかにクラクションを鳴らした。ルーグはトラックを見つめ、少し目を伏せると、自分に言い訳をするようにトラックに答えた。


「……アニキが、そう言うなら」


 トラックが助手席側のドアを開けた。イーリィが「いってらっしゃい」と声を掛ける。ルーグがトラックに乗り込み、トラック達は朝のギルドを後にした。




 南東街区は他の街区と比べて様々な点で大きく異なる、ケテルの中でも特殊な場所だが、視覚的にもっとも分かりやすい違いは緑が極端に少ないということだろう。ギルドのある中央広場付近には街路樹が植えられ、西部街区には防火を兼ねた植込みがある。北東街区にはある程度の広さの公園が整備されており、客や荷運びたちの休息の場として使われている。北部街区は各屋敷に見事な庭園が造られ、その美しさや豪華さによって自らの財力を誇示している。しかし南東街区には木も花も見当たらない。雑草がはびこることはあっても、ほっとするような癒しの緑は南東街区には存在しないのだ。

 乾いた砂埃が舞う、殺伐とした南東街区をトラックは走っている。ルーグは助手席でどこか落ち着かない様子で外の景色を見ていた。


「なぁ、アニキ。やっぱ行かなくても」


 トラックが向かっているのはたぶん、以前出会った子供たちの住む廃墟だ。もう関わらないで、と言った少女に敢えて会いに行くというのは、ルーグにとってためらわしいのだろう。ルーグの目には迷いと戸惑いが同居している。会ってどうするのか、何をするのか何をすればいいのか、答えを持っているわけではないのだ。おそらくルーグには、あの少女が助けを拒んだ気持ちが分かるのだと思う。誰にも頼らない、頼れない、独りで生きると気を張る気持ちが。南東街区に生きる者にとってそれは日常であり、当たり前のこと。それなのにルーグが彼女たちを気にするのは、ルーグ自身が揺れているからだ。そしてその『揺れ』がルーグにとって大切だと思えばこそ、トラックは再び南東街区に足を運んだのだろう。

 昼前だというのに、今日は少し肌寒い。空を覆うどんよりとした雲が、南東街区に降り注ぐはずの温かい日差しを無慈悲に遮っている。ガタガタと音を立てて車体を揺らしながら、トラックは狭くごちゃついた南東街区の悪路を進んでいく。不意にトラックの視界が開けた。大火によって焼き払われ、棄てられた場所。そこは南東街区の中でさえ打ち棄てられた人々の居場所でもある。

 トラックはスピードを落とし、なるべく周囲を騒がせないように慎重に進む。ルーグは少し身を乗り出し、フロントガラス越しに廃墟の様子を見ていた。前に見た、夕暮れに沈む廃墟は物悲しかったけれど、今日のように曇りの昼間に見る廃墟の様子は、どこか冷淡で寒々しく見える。あの子たちはどうしているだろう。元気でいてくれているだろうか。


「あっ、あれだ!」


 ルーグが手を前に伸ばし、一軒の廃墟を指さした。辛うじて屋根が残り、壁のある部屋のある場所。あの三人がいた家だ。トラックは廃墟の崩壊した玄関付近に横付けし、エンジンを切った。ルーグが助手席から飛び出し、崩れた壁を乗り越えて、壁の残る部屋の朽ちかけた扉をくぐった。


「おい、おまえら――」


 そう呼びかけながらルーグは部屋に入り、そして動きを止めた。わずかに目を見開き、すぐに目を伏せる。部屋の中には誰もいなかった。少女も、二人の幼子も、誰も。


「……そうだよな。おれたちに見つかりゃ、もう安全じゃないもんな」


 自嘲するようにルーグは口の端を上げた。子供たちはおそらく、トラックたちが去った後すぐに、居場所を移動したのだろう。誰かに見つかってしまった場所にはもう居られない、ということだ。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ルーグは小さく首を横に振った。


「ちょっと探して見つかるような場所にいるような間抜けじゃ、とっくに死んでるよ。……帰ろう、アニキ。もうここにいてもすることはないから」


 トラックは無言のまま、助手席の扉を開ける。ルーグはうつむいたまま、強い後悔に奥歯を噛んで、トラックの助手席に乗り込んだ。

ルーグはギリリと奥歯を噛んだまま、呻くようにつぶやきました。「旗を、譲ってもらおうと思ってたのに……!」

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― 新着の感想 ―
[一言] 犬科のオカン化がとまらない!ww でもどんな過去があったんやろなぁ( ˘ω˘ ) 本作の場合、メッチャシリアスな可能性も、メッチャギャグな可能性も同じくらいあるから読めないんだよなぁw
[一言] いい話にはすぐにオチを付けたがる、照れ屋さんな曲尾さんがカワイイ。
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