メシにしよう
無事に配送を終え、トラックはギルドに帰還すべく南東街区の道をゆっくりと進んでいた。行きの道中には、ほぼずっと文句を言い続けていたルーグだが、今度はうってかわって静かにしている。お客さんからお礼を言われて何か思うところがあったのだろうか。どこか難しい顔をして、窓の外を眺めていた。
「離せっ!」
突然聞こえてきた鋭い叫びに、トラックはブレーキを踏んだ。周囲の空気がざわめいている。ルーグが助手席の窓から身を乗り出し、声の主を捜してきょろきょろと辺りを見回した。トラックは耳を澄ませるようにじっと停車している。
「ようやく捕まえたぞ! なめたマネしやがって!」
今度は男の野太い怒声が聞こえてくる。どうやら声の主はトラックのいる場所から右に入った細い路地にいるようだ。トラックはエンジンをぶぉんとふかすと、躊躇なく路地に突撃する。ルーグが慌てて窓から首を引っ込めた。
――バキバキバキッ!!
路地の幅はトラックの幅よりも狭く、トラックは強引に車体を路地にねじ込む。南東街区の崩れかけたボロ屋はトラックに壁を抉られ、柱をなぎ倒されて、無残にもとどめを刺された。倒壊したボロ屋が轟音と共に大きな土煙を上げる。ボロ家は無人だったらしく、人の気配は感じられなかった。よかった、誰かいたら大変だった。
「な、なんだ? 何が起こった!?」
手で土煙を払いながら、男が戸惑いと共に叫ぶ。あれ? こいつ、荷物を届ける途中に会った、少年を追いかけてたガラ悪男じゃない?
「て、てめぇ、さっきの……!」
視界が晴れてトラック達の目の前に現れたのは、三人のガラ悪男と、腕を掴まれて逃げることができずにガラ悪男たちをにらみつける少年の姿だった。
「やっぱりてめぇもグルだったかよ」
驚きから怒りに表情を変えて、ガラ悪男がトラックをにらむ。少年が強気な態度で声を上げた。
「ああそうさ! ケガしないうちに逃げたほうがいいぜ! そいつは怒ったら手が付けられない狂犬で通ってんだ!」
おお、見事なはったり。ルーグが苦々しい顔を作る。少年のはったりに動揺してか、ガラ悪男たちの表情が強ばった。しかしガラ悪男の一人は気丈にもトラックの前に一歩踏み出して言った。
「いいか、こいつはな、俺たちからパンを盗みやがったんだよ! だから」
プァン、とトラックはガラ悪男の言葉をさえぎる。ガラ悪男は一瞬怯んだように顔をひきつらせたが、再度口を開いた。
「だから、盗んだコイツが悪いんであって、俺たちは――」
プァン、と発したクラクションが再びガラ悪男の言葉を断ち切る。
「いや、だから――」
プァン。
三度発言をさえぎられ、ガラ悪男はついに口をつぐんだ。さらにトラックは静かにクラクションを鳴らす。ガラ悪男たちは互いの顔を見合わせ、悔しそうな表情を浮かべると、
「お、覚えてやがれ!」
そう捨て台詞を吐き、少年を置いて走り去った。少年は少し安心したように息を吐くと、ガラ悪男に掴まれていた腕に手を当てた。かなり強く掴まれていたのだろう、赤く手の後がはっきりと残っていた。
トラックが労わるように軽いクラクションを鳴らす。少年はトラックに視線を向けた。しかしその表情は硬く、目には不信、警戒、そして強い拒絶の色を宿している。しばらくトラックを見ていた少年は、ふいっと顔を逸らし、何も言わないまま、トラックに背を向けて歩き始めた。ルーグが慌てて助手席から外に出る。
「おい、ちょっと待て! こらっ!」
ルーグの上げた声に、少年は面倒そうに足を止めて振り返った。険しい表情でルーグをにらみつける少年を、ルーグも負けじとにらみ返した。
「二度も助けてもらっといて一言も無しか? 礼ぐらい言ったらどうだ」
少年は不快そうに鼻にシワを寄せ、吐き捨てるように答える。
「助けてくださいと言った覚えはないぜ」
「……てんめぇ!」
カチンときた様子で目を剥き、殴りかかろうかという勢いで一歩踏み出したルーグを制するように、トラックが緊張感のないクラクションを鳴らした。つんのめってよろけた身体を何とか支え、ルーグは何とも情けない顔でトラックを振り向く。
「確かに、じゃないよアニキ! こういうヤツは一度きっちり思い知らせた方が」
トラックに自説を披露しようとしたルーグに対し、トラックはまたもぼへっとしたクラクションを鳴らした。「えっ?」とつぶやいて振り返り、ルーグは「あーーーっ!!」と驚きを叫ぶ。少年はトラック達に背を向けてさっさと立ち去っていた。
「~~~~~っ!!!」
憤懣やるかたないと無言で絶叫し、少年の消えた後ろ姿をにらみつけながら、ルーグが地団太を踏む。そして大きく息を吸い、様々な感情と共に長く息を吐き出すと、ルーグはトラックに向けて静かで低く抑えた口調で言った。
「跡をつけるぞアニキ。ヤサを押さえて乗り込んでやる。絶対、このままじゃ終わらせねぇ」
ドスの効いたルーグの声の迫力に、トラックは飲まれたような了承のクラクションを返した。
少年の後ろ姿を見失わないギリギリの距離を保って、ルーグは意外と手慣れた様子で少年の跡をつける。トラックはルーグからさらに大きく距離を取り、ルーグの合図に従ってなるべく音を立てないように進んでいた。幸い南東街区は死角の多いごちゃついた場所なので、気付かれる可能性は低い。ルーグは気付かれるよりも姿を見失わないように神経を使っているようだ。
少年は時折立ち止まって周囲の気配を伺ったり、急に道を曲がったり、かと思えばまた元の道に戻ったりと、かなり警戒している様子だ。もっともそれはルーグたちが尾行していることを警戒しているというよりは、日ごろからのルーティーンに近い行動のように見える。盗みが彼の日常なのだとすれば、常に報復の可能性があるということだろう。いつ、どこから来るかもしれない不特定の脅威に対して警戒しているという感じだ。しかしルーグは冷静に少年の警戒をかわし、気付かれることなく追跡することに成功していた。
ルーグってば、実はかなり有能? でも、十歳そこそこでこんなことが上手にこなせるというのは、おっさんとしては何となく切ない。普通の少年時代を過ごしてはいない、そういう証のような気がする。
やがて少年は南東街区の中でも特に人の気配のない、廃墟が連なる一角に足を踏み入れた。かつて火事でもあったのだろうか、無惨に焼け落ち、焦げた柱と壁の一部だけが燃え残った建物の残骸があちこちに見える。少年は慣れた様子でガレキを踏み越え、奥へと進んでいく。ルーグは廃墟の壁に身を隠しながら少年の姿を目で追っている。
少年はほどなく、一軒の廃屋の前で足を止めた。一部の壁が崩落しているが、周囲の家と比べればまだ屋根が残っていて、辛うじて四方を壁に囲まれた部屋もある。おそらくここが少年の住まいなのだろう。日暮れが近づき、赤みを増した太陽の光が廃屋を照らしている。少年は気配を探るように周囲を見渡すと、朽ちかけた扉をくぐって中へと入っていった。
「行くぞ、アニキ」
仄暗い喜びを瞳に湛えてルーグがトラックに声を掛ける。トラックは何とも答えづらそうにカチカチとハザードを焚いたが、ルーグは返事を待たずにさっさと少年の住む廃屋に向かって歩き始めた。トラックが慌ててルーグの後を追う。
「邪魔するぜ」
ルーグはためらいもなく扉をくぐった。廃屋の壁は一部崩落していて、夕日の光は部屋の中にも射し込んでいる。部屋の中には少年と、そしてまだ幼い二人の子供がいた。少年はハッと息を飲み、膝立ちの姿勢でその背に幼児たちをかばう。大きく手を広げ、突然現れた侵入者をにらみつけるその双眸は、子らを傷付ける者は決して許さないという決意と敵意に燃えていた。しかしルーグは平然とその目を見返している。
「ようやく落ち着いて話ができるじゃないか。なぁ?」
「……てめぇと話すことなんざなにもねぇよ」
薄く笑いを浮かべたルーグに、少年は顔をしかめてそう答える。少年は瞬きもせずにルーグの動きを注視していた。
「そっちになくてもこっちにゃあるんだよ。助けてやった上にコケにされちゃあアニキの面目が立たねぇ。ワビの一つもいれてもらおうか」
「はっ、てめぇらどこぞのマフィアかよ。あいにくこっちはてめぇらのくだらねぇ面目とやらに付き合ってるほどヒマじゃねぇんだ! とっとと帰れ!」
「なんだとてめぇ!」
ちょっとちょっと、ルーグさんよ。ガラが悪すぎますよ。おかげでマフィア認定されちゃいましたよ。激昂したルーグの怒鳴り声に、少年の後ろにいる子供たちが怯えた表情で身をすくめ、少年の服をぎゅっと掴んだ。その拍子に、子供の一人が持っていたものが地面に落ちて転がる。それは、ひと口だけかじった跡のある、黒パンだった。
「……ねーたん、こわいよ……」
子供の一人がか細く震える声でつぶやく。少年は広げていた腕を後ろの回し、子らの背を軽く撫でた。……ん? ねーたん?
「……おまえ、女かよ」
子供のつぶやきを聞きつけたルーグの表情がひるむ。少年、いや、少女はバカにしたように口の端を上げた。
「女だったら何だってんだ? 優しくでもしてくれんのか変態野郎」
少女の挑発にルーグは再び怒りを顕わにし、少女に一歩詰め寄った。
「女だろうが関係ねぇ! 助けられたら礼を言う、当たり前のことだろうが! 筋を通せって言ってんだ!」
「余裕がおありで結構なこった。こちとら今日のメシのことで手一杯なんだよ! 筋だの面目だの知った事か!」
少女は揺るがぬ怒りの瞳でルーグの目をにらむ。気の強い、いや、たぶん気を張りつめているのだろう。子供らしい丸みも、女の子らしい柔らかさもない、痩せて骨の浮いた身体のその少女は、強くあらねばらなぬと自分に言い聞かせているようだった。一度折れたら立ち上がれないことを、知っているのだ。
「親がいねぇ、親に捨てられたガキなんざ、掃いて捨てるほどいるんだ! 同情してもらえる身分じゃねぇんだよ! バレるような盗みをやらかす間抜けが、一人で生きてるような顔してんじゃねぇぞ!」
ルーグの強い苛立ちを、しかし少女は冷笑する。
「同情なんざ願い下げだ。盗みがバレる間抜けでも、マフィアの犬よりマシだろうさ」
「いい加減にしろよてめぇ!」
――プァン
少女に掴みかかろうと一歩踏み出したルーグの背に、トラックの緊張感のないクラクションが鳴る。毒気を抜かれたように脱力し、ルーグは情けない顔でトラックを振り返った。
「メシにしよう、って、アニキ。いきなり何言ってんだよ」
少女も戸惑いに揺れる瞳でトラックを見る。その意図を計りかねている、という感じだろうか。ルーグの怒りに怯えていた二人の子も、少しだけ落ち着いたのか、不思議そうな顔でトラックを見上げた。
ぴろりんっ
あっ、お久しぶりのスキルウインドウ。危うくこの世界がスキル制だと忘れかけていた。それにしてもこのタイミングで何を閃いたの?
『スキルゲット!
アクティヴスキル(レア) 【キッチンカー】
効果:使用すると体内に調理設備が出現する』
トラックが右のウィングを大きく開く。すると荷台の中はいつも見慣れた光景ではなく、流し台やガスコンロ、冷蔵庫など、結構本格的な調理設備が設置されていた。ガスコンロの前では料理人らしき男が鼻唄を歌いながら魚をさばいている。
……もうスキル名に『カー』って言っちゃってんじゃん。この世界にトラック以外の車があんの? だいたいこのスキル、トラック以外が覚えたらどうなんの? 例えば剣士が覚えたら、腹の部分がカパッと開いて、腹の中にいるちっちゃいおっさんが料理を出してくれたりするのだろうか?
何が起きたのか分からない、という顔で固まっているルーグと少女をよそに、料理人は手際よく料理を進めていく。天然パーマの赤毛にだんごっ鼻、小太りの丸顔で、いかにも人の好さそうな中年のイタリア人シェフ、という感じだ。っていうか、誰? どっから湧いて出た?
「オーソーレミーオー」
陽気な謎のイタリア人はそう歌いながら、いよいよ料理の仕上げに入っていく。火に掛けた鍋からおいしそうな匂いが辺りに広がった。白い皿に魚の切り身を置き、ソースを飾り付けるように描くそのさまはまるで繊細な絵画を思わせる。自分の仕事に納得したのか、笑顔で大きくうなずいたシェフは、盆に出来上がった料理を乗せると、キッチンカーから降りて少女の許へ運んだ。その盆の上に乗っていたのは――
――サバみそ定食だった。
なんでだよっ! イタリアンじゃねぇのかよ! 純和風だよ! 白米とみそ汁までついてるよ! 湯飲みには玄米茶だよ! 盆を差し出された少女は、ポカンとした顔でシェフとサバみそ定食を見つめている。そりゃそんな顔になるよ! 曲がりなりにも異世界だよ? サバみそなんて明らかに未知の食べ物だろうよ!
サバみその匂いに釣られたのか、少女の背に隠れていた子供たちが顔をのぞかせて盆を覗き込む。トラックがシェフにプァンとクラクションを鳴らした。シェフは「オゥ」とうっかりした的な顔をして盆を少女に押し付けると、キッチンカーに戻り、再び料理を始めた。盆を受け取ってしまったものの、どうしたものか戸惑った様子で少女はサバみそをにらんでいる。ルーグはそもそも「これって食えるのか?」という疑問をありありとその顔に浮かべていた。
しばらくサバみそをにらんでいた少女は、はっとしたように顔を上げ、そしてトラックを見上げて険しい表情を作った。
「こんなモン押し付けて何のつもりだ? 施しなんざ要らねぇんだよ!」
「オーソーレミーオー」
少女の怒りを聞き流し、シェフが再び歌いながら、今度はワンプレートに料理を盛り付けていく。山の形に盛ったチキンライスの上にはイタリアの国旗が立ち、小さなハンバーグには子供用の甘めのソースが掛かっている。ハンバーグの横にはスパゲティナポリタンが添えられ、プレートの中央奥のくぼみにはポテサラが存在を主張していた。デザートにはプリン、そして手のひらに載るほどの大きさの、イベリコ豚のぬいぐるみがおまけに付いている。これはまさに紛うことなき、お子様ランチだった。そうそう、そういうの作りなさいよ、最初から。
シェフは両手に一つずつお子様ランチプレートを持ち、少女に、正確には少女の後ろにいる子供たちに歩み寄った。
「わぁ」
子供たちが初めて見るお子様ランチに目を輝かせる。しかしすぐに子供たちは、不安そうな目で少女の顔を覗き込んだ。少女は微笑むと、ルーグたちに向けるのとはまるで違う優しい声音で言った。
「いいよ。食べな」
少女のお許しを得て、子供たちがシェフからお子様ランチを受け取る。こぼさないように慎重にプレートを床に置き、付属のスプーンを握って、子供たちはまるで示し合わせたようにプリンをすくって口に運んだ。ああ、きっと好きなものから食べるタイプだな。
「おいしいっ!」
大輪の花が咲いたような満面の笑みを浮かべて子供たちが叫ぶ。子供たちの様子に少女は目を細め、シェフは満足そうにうなずいた。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。少女はトラックに目を遣り、そして手許のサバみそに目を落とした。ルーグが慌ててトラックを振り返る。
「いやいやいや、食べなさいじゃないよアニキ! なんでアニキがこいつらを食わせなきゃなんないんだよ! 意味わかんないよ!」
「オーソレミオ?」
理不尽だ、とでも言いたげに抗議の声を上げるルーグに、シェフが軽く小首をかしげ、いつの間にか手に持っていた盆を差し出す。盆に乗っていたのは豚の生姜焼き定食だった。
「いや、おれの分が無いから怒ってるわけじゃなくてさ」
にこにこと能天気に笑うシェフの様子に怒るのがバカらしくなったのか、ルーグは深いため息を吐くと、豚の生姜焼き定食を受け取った。生姜のいい香りが食欲をそそる。
子供たちが「おいしいねぇ」と言いながら互いに顔を見合っている。口の周りはハンバーグソースでべたべたになっていて、それが可笑しいのだろう、二人とも楽しそうに笑っていた。少女は膝に乗せた盆をじっと見ている。みそ汁の椀から立ち上る湯気がその顔を撫でた。ルーグはしかめっつらで何も言わず少女を見ている。
やがて少女は意を決したように箸を取り、サバみそをひと口大の大きさに切って、おそるおそる口に運んだ。もぐもぐと口を動かし、飲み込む。不意に少女の目から涙がこぼれた。
「……っ!」
肩を震わせ、唇を噛み、目を固くつむって少女は泣いている。張りつめていたものが、ふと切れてしまったのだろう。それでも声を上げて泣かない少女の姿はとても悲しい。きっとずっとこうやって生きてきたのだ。悲しみも苦しみも全部一人で背負って生きてきたのだ。
「ねーたん」
少女が泣いていることに気付いた子供たちが、少女に駆け寄って抱き着いた。少女は首を横に振り、
「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ」
子供たちを安心させるように何度もそう言った。涙が止まることはなく、盆の上にぽたぽたと落ちた。
日暮れ間近の夕日の赤が廃屋を照らし、トラック達の長い影が伸びている。秋の夜の風はもう冷たい。少女の押し殺した泣き声を、シェフのカンツォーネが静かに包み込んだ。ルーグは少女たちの様子をじっと見つめる。そしてなぜか、どこか傷付いたように顔をゆがめた。
「……不公平だよ、こんなの」
小さくつぶやいて、ルーグは苛立ちをぶつけるようにご飯をかきこんだ。
ルーグは唇を噛み締め、悔しそうに言いました。「おれだって旗が欲しかったんだ!」




