新人潰し
「へいへいへい! ずいぶんとゴキゲンなご登場だな新人さんよう!」
周囲に聞こえるような大きな声を上げて、トラックの右手の方向から一人の男が近づいて来る。ピンクに染めたモヒカン頭で、中肉中背。いたるところに金属のトゲトゲが付いた革製のジャケットを素肌に来ている。モヒカン男は下からねめつけるようにトラックを見上げると、侮りとともに口の端を歪めた。
「俺もここに来てそれなりに長いがよう、時々いるんだ、自分の実力を勘違いしてド派手な第一印象やらかしちまう奴らがよう。もっとも、ギルドの壁をぶち抜いて入ってきた新人は初めて見たぜ」
そりゃそうだろう。新人が来るたびに入り口を破壊されたらたまったもんじゃない。もしそうだったら、受付は外に設置すべきだ。
「やめてイヌカ! ギルド員同士の私闘はご法度よ!」
モヒカン男をキッと睨んで受付嬢が鋭い声を上げる。ほう、あのモヒカンはイヌカという名前か。だがイヌカはトラックから目をそらさずに叫んだ。
「黙ってろイーリィ! こいつはまだ登録してねぇんだろ? だったら問題はねぇはずだ。違うか?」
「それは……」
イヌカの正論に、イーリィと呼ばれた受付嬢は反論できずに悔しそうな表情を浮かべた。そしてカウンターから少し身を乗り出してトラックに身を寄せると、苦々しい声で囁く。
「やっかいなのに目を付けられたわね。あいつはイヌカ・マーセィ。『新人潰し』のイヌカって呼ばれてる、嫌な奴よ」
「おいおいご挨拶だな。オレはただ覚悟も実力もねぇ新人どもに、身の程ってやつを教えてやってるだけだぜ? 夢や希望で渡っていける業界じゃねぇんだ。魔物の餌になる前に諦めさせるのが優しさってもんだろ?」
底意地の悪い笑みを浮かべて、イヌカはくっくっくと笑う。
「ギルドに登録するにゃ審査が必要だろ? 俺が今からこいつをテストしてやる。手間が省けていいだろ。もっとも、通りゃしないだろうがなぁ」
イーリィは、そしてトラックの隣でイヌカの話を聞いていたセシリアも、不快そうにイヌカを睨んでいる。でも俺は、なぜかこのモヒカン男のことを嫌いになれなかった。モヒカンにトゲトゲの付いた革ジャン、嫌みな言動、そして『新人潰し』の二つ名。たぶん、たぶんだけど、こいつは……
「おい! さっきからスカした顔で無視してんじゃねぇぞ! こっち向けコラ! それとも、怖くてオレの顔が見れねぇか、あぁ?」
イヌカが大声を上げてトラックに凄む。
「いい加減に……」
たまりかねて抗議の声を上げようとしたセシリアを制するように、トラックのエンジン音が響く。セシリアは一瞬、不服そうな表情を浮かべたが、黙ってトラックの傍から離れた。そして。
――バックシマス。ゴチュウイクダサイ。
無感情な合成音声が周囲に広がる。ああ、そうだよな。トラックにちょっとこっち向けとか無理だよな。バックして切り返して向きを変えるしかないよな。トラックはバックで外に出ると、向きを変えてイヌカを真正面から見下ろした。破壊された壁の破片がパラパラと地面に落ちる。
「へっ! 表に出ろってか! いい度胸じゃねぇか!」
イヌカもまた外へと飛び出し、両者はギルドの前で対峙した。広場を通りがかった人々がいったい何事かと周囲に集まる。ギルドの中にいた冒険者たちも、建物を出て見物を決め込んでいるようだ。みんな物見高いな。やじ馬はあっという間に膨れ上がった。イーリィとセシリアだけは、心配そうにトラックを見つめている。なんだよ、いいなぁ。美人に心配されて。なんでそんなに肩入れされるのか分からんが。
イヌカは腰のカトラスを抜き放ち、トラックに突き付けるようにその刃を向けた。
「新人ってのは厄介なもんでな。根拠のねぇ自信に満ち溢れてやがる。自分はうまくやれる、何でもできる、できないはずはねぇってな。だかそういうのは大概、勘違いなんだよ。ゴブリン三匹に囲まれりゃ、死んじまうのが現実だ。あの世に行って後悔する前に、オレ様が現実ってもんを教えてやる。実家に帰って家業を継ぎな!」
そう叫んで、イヌカが間を詰めるべく地面を蹴る。それを迎え撃つトラックも前進し、そして――
轢いたーーーっ!
ためらいもなく轢いたーーーっ!
総重量二トンという質量に正面から挑んだイヌカは、あえなく数メートル後ろに吹き飛ばされて地面を転がった。ちょ、ちょっと! これシャレになんないよ!? さっきのはギリギリ物損事故だけど、今度はもう言い訳できない人身事故だよ! お前、何考えてんだ! トラックは凶器じゃないんだぞ! お前に付いてる保安器具は、一体何のためだと思ってるんだ!
俺の怒りも知らず、トラックは動揺した様子もなしにじっとイヌカを見ている。あまりに一方的な決着に、イーリィも、セシリアも、誰も声を上げずにいた。俺は両手を合わせて必死に祈った。せめて一命をとりとめてくれ! 俺のトラックが人殺しだなんて、そんなのほんとに冗談じゃない!
俺の祈りが通じたのか、イヌカの身体がピクリと動いた。やった! よかった! 生きてる! ちょっと何してんの! 早く救助して!
「……てめぇ、何のつもりだ」
イヌカはゆっくりと上半身を起こすと、憎らし気にトラックを睨んだ。あれ? なんか、元気そう、だな? ちょっとした擦り傷はあるものの、命に別条はないようだ。骨が折れた様子もないな。あんだけ派手に吹っ飛んだのに。もしかして、異世界人ってばとっても丈夫? もしかして慌ててたの俺だけ? 俺がちょっぴり気恥ずかしさに顔を赤くしていると、
ぴろりんっ
もはや聞きなれた軽薄な効果音に、中空に現れる電球のマーク。このタイミングで何のスキルを閃いたんだろう。
『スキルゲット!
アクティヴスキル(ノーマル) 【手加減】
効果:このスキルを使用して攻撃すると、相手のライフをゼロにすることが無い』
ああ、手加減してたんだ。なるほどねー、それでか。それなら大したケガもしてないのも納得……できるかぁ! トラックと正面衝突する過程でどうやって手加減できるんだよ! おもいっくそ吹っ飛ばしてたろうがよ! なにか? 手加減って宣言すれば、剣で切ろうが槍で突こうが鉄塊で押しつぶそうが、絶対死なねぇってか? そういうことなのか? そうなのか? そう、なの? そっ……か。じゃあ、仕方ない、な。
「手加減だと!? ふざけやがって! てめぇに同情される謂れはねぇぞ!」
イヌカは怒りを全身にみなぎらせて立ち上がると、再びトラックに襲い掛かった。トラックはすばやくバックで距離を取ると――
やっぱ轢いたーーーっ!
再度轢いたーーーっ!
まるで免罪符のように、【手加減】の文字が空中に踊る。「ぐへぇ」というカエルがつぶれたような声を上げてイヌカが宙を舞った。いや、手加減してるのはいいけどさ、手加減すりゃいいってもんじゃないよ? けがの程度に関わらず、人は轢いちゃいけないんだからね?
手加減スキルの発動を確認したからか、戦いの行方を見守っていた周囲の人々の態度が一気に弛緩した。勝負はついてるし、大ケガをしたりといった派手なことも、もう起こらないだろう。やじ馬たちは徐々に自分の日常へと帰り始めていた。壁に空いた穴を腰に手を当てて眺めるイーリィにセシリアが声を掛ける。二言三言、言葉を交わした後、セシリアは小さく呪文を唱え、壁に向かって純白の光を放った。光は壁の穴の中心に到達すると、まるで穴をふさぐように広がり、まぶしいくらいに輝いた。そして光が収まった時、壁の穴はまるで何事もなかったかのように完全に塞がり、入り口もちゃんとできていた。しかも入り口は幅、高さとも広げられており、トラックが通れる大きさになっていた。
すげぇ。リフォームも自在かよ。確かに魔法で修理も自在なら、壁に穴が開いてもみんなが大して動じていなかったことに納得がいく。ねぇ、セシリアさん。ちょっと相談なんだけど、こっちの世界に来て俺とリフォーム会社を立ち上げませんか?
――リンゴーン、リンゴーン
教会の鐘の音が、町の人々に時間を伝える。正午にはまだ早いな。十時の鐘かな。鐘の音を合図にやじ馬は完全に解散し、人々は「なんか肩透かしだったね」などと話しながら去って行った。イーリィはセシリアに丁寧に礼を言って、二人は談笑しながらギルトの中へと入っていった。
見物人がいなくなったギルドの前で、しかし、イヌカは諦めていなかった。自らを鼓舞するように雄たけびを上げ、トラックに正面から突っ込んでいく。そしてばいーんと吹き飛ばされる。うん。分かるよ。引っ込みがつかないよな。大ケガしたとか、気絶させられたとか、そういうんじゃないから、終わるタイミングがつかめないよな。かといって、自分から負けを認められないよな。意地があるもんな。噛ませ犬には噛ませ犬なりの、意地ってやつがさ。
誰も得をしないエンドレスバトルが繰り広げられる中、ギルドの前に一人の剣士が通りかかった。あ、お前、セシリアと一緒にいた剣士じゃん。ようやく動けるくらいには回復したんだな。よかったよかった。剣士は足を止め、イヌカとトラックの戦いをしばらく見ていたが、やがて不思議そうな顔で言った。
「お前ら、なにやってんの?」
「うるせぇ!」
ちょっぴり涙目になりながら、イヌカは八つ当たり気味に剣士に怒声を返した。
イヌカとトラックの戦いはその後三十年に渡って繰り広げられ、伝説となったのです