献身と戦術
評議会館の地下、超次元要塞ケテルの中央指令室で、ルゼ、コメル、そして先生がモニターに映る戦場の様子に焦りを募らせている。アディシェスと冒険者が交戦状態に入り、ケテル防衛戦は新たなステージに入った。アディシェス伯はケテルを包囲するつもりはないらしく、全力で正門を突破する構えなのだろう。先生が伝声管に向かって叫ぶ。
「エバラさん、ノブロさん、ミューゼスの皆さん! 正門の支援に回ってください!」
了承の意味だろうか、ニヨベラピキャモケケトス神が「ギャオース」と天に吠え、ノブロは「人使いが荒いぜ」と苦笑いする。ミューゼスの三人がステージを駆け下り、マカロン君たち親衛隊が慌てて後に続く。ガートンパパ、レアンパパはその場に残って奇襲を警戒するようだ。モニターの中の背を見送り、先生は祈るように「早く、どうか」とつぶやいた。
「エネルギーチャージはどうなっている?」
ルゼが押し殺してなお滲む不安に震える声でオペレーターに確認を促す。オペレーターは苦しげに奥歯を噛み、冷酷な事実を告げる。
「チャージ率27.48%。推定終了時間は十六分四十四秒後です」
「もっと早められないのですか!?」
コメルが焦りを隠そうともしない様子で叫んだ。オペレーターは首を横に振る。
「ダメです! ハムスターさんたちへの負荷がもう限界です!」
これ以上は動物愛護法に違反する、というオペレーターの言葉に、コメルは口惜しそうにうつむいた。すると突然、今まで動きのなかったモニターのひとつが緊迫した空気を伝えてくる。そこは超次元要塞ケテルの動力室、三万匹のハムスターさんが回し車を回しているまさにその場所だった。
「どうした!? 何があった!」
ルゼが顔色を失って叫ぶ。モニター越しに見える光景は明らかな異常事態を示していた。オペレーターが「応答してください!」と必死に呼び掛ける。しばらくしてモニターに姿を現したのは、仲間に肩を借りて辛うじて立っている一匹のハムスターだった。
「きゅー」
問題ない、作戦を続行する、と言うように、ハムスターは力強い鳴き声で応答する。しかしその顔はやつれ、もはや限界を越えていることを示していた。別のオペレーターが感情を抑えた声音で報告する。
「チャージ率29.10%。チャージ速度低下しています!」
モニターの奥では悲鳴や叫び声が響き、回し車から振り落とされる何匹ものハムスターさんが見えた。モニター前に立つハムスターはこちらの視界を遮るようにカメラに近付く。
「きゅー」
忙しいんだ、通信を終わるぞ、と言わんばかりの冷たい態度で、ハムスターはモニター前を去ろうとする。ルゼは思わずといった風情で叫んだ。
「ハム隊長!!」
呼び掛け、しかしルゼは言葉の続きを持たない。無理をしないで、止めたっていい。そう言いたい気持ちを飲み込んでいるのだろう。ハム隊長は振り返り、厳つい顔にかすかな笑みを浮かべる。
「きゅー」
ケテルを、救うんだろう? そう言ったような雰囲気を残し、ハム隊長はモニターから消えた。ルゼは奥歯を噛み、拳を強く握る。
「……あなたがたの献身を、無駄にはしない」
ルゼは正門前の戦いの様子をにらみつける。そこには必死に戦線を支えるトラックと冒険者たちの奮戦があった。
――超次元要塞起動まで、あと十五分。
無尽の敵、という言葉がぴったりと当てはまるほどに、トラック達の視界をアディシェス兵が埋め尽くしている。非常に訓練されたアディシェス兵は、カイツールやエーイーリーの兵よりもさらに戦いづらい相手だった。隊列を崩さず、突出せず、他の部隊と連携を取り、自分の役割を果たすことに集中する。つまり、彼らはプロフェッショナルなのだ。だから彼らは、トラック達と戦うことに拘泥しない。この戦いは、ケテルを陥落させれば彼らの勝ちなのだ。一部の兵でトラック達の動きを封じ、残りの兵で正門まで到達する。それだけで、アディシェスは勝てる。
――プァン!
皆を鼓舞するようにトラックが力強いクラクションを鳴らす。それに応え、ケテルの冒険者たちが雄叫びを上げた。怒涛のように攻め寄せる敵兵を退かせるのは、冒険者たちの強力な――そして、連打不能の攻撃スキルだ。【厭離穢土】の焦熱が大気を灼き切り、【欣求浄土】の白光が視界を覆い、【常寂光土】の黄金の波動が地形を変える。おお、大剣使いたちも合流していたのか。無事でよかった。
本来なら一撃で戦いの趨勢を変えるような決め技に、すべて【手加減】が乗っている。しかしその事実が冷徹な軍人であるアディシェス兵の心を揺るがすことはない。トラックが【怒りの陽電子砲】や【サイクロントルネードハリケーン】で敵を吹き飛ばしても、アディシェス兵は後方に控えていた予備戦力によってすぐにその空隙を埋め、決して隙を作らない。吹き飛ばされた兵士たちは後方で再編され、疲労を回復させながら戦線復帰を待つ。極めてシステマチックに構築された優秀な軍隊に、感傷を期待するのは愚かなのだろう。しかし――
「戦いを止めてください! ケテルに交戦の意志はない!」
「我々はあなた方の敵ではない!」
「ケテルの望みは、この地で、生きていきたい! それだけです!」
マスターを始めとした冒険者たちは、破滅をもたらすはずの一撃に【手加減】と言葉を乗せる。地を割り地形を変えるその攻撃をまともに受けて、傷一つない自分の身体に驚き、敵兵は冒険者たちの言葉の意味を知る。敵兵の行動は変わらない。しかし、幾人かの兵士たちの中に、冒険者の言葉に対してわずかに顔をしかめる者がいる。少し、ほんの少しだけ、冒険者たちの声が敵の心を引っ掻いている。
「ジンゴ! シェスカ!」
マスターが戦場を見据えたまま叫ぶ。それだけで伝わるのだろう、二人は自分たちの前にいるアディシェス兵を派手に吹き飛ばし、数秒の余裕を作る。そしてその数秒は、次の一手の準備を可能にする。
「三十年ぶりだ。失敗しても恨むなよ」
そう軽口をたたき、ジンゴが突き出した右手首を左手で支えるように掴む。すると大気の流れが変わり、すぐにジンゴに向かう奔流となった。彼の持つユニークスキル【うわばみ】によって周囲の空気を吸い込んでいるのだ。その引力はすさまじく、眼前の敵兵が体勢を崩し、磁石に集まる鉄片のように引きずられていく。
「現役じゃねぇか」
マスターはニッと笑みを浮かべ、鉄棍を振り上げて両腕に力を込める。鉄棍が青紫の輝きを帯び、マスターの瞳が冷たい黄金色に変わる。
『アクティブスキル(SSR)【霹靂】
天を裂いて飛来する神雷の豪雨』
鉄棍が振り下ろされると同時に、轟音を従えて無数の雷が戦場に降り注ぐ。ジンゴによって身動きを封じられ、狭い範囲に集められたアディシェス兵は為す術なく雷撃を浴び、倒れた。彼らの身体には焦げ跡一つないが、轟音と雷に打たれたショックが彼らの意識を奪ったのだ。マスターたちの前の広範囲に視界が開ける。馬に乗った指揮官が、あっけにとられたように無防備な姿を晒している。シェスカさんがわずかに身を沈め、そして――『風舞い』の二つ名に相応しい跳躍で倒れた敵兵を飛び越え、一気に指揮官に迫る! 指揮官はハッと我に返ると、整わぬ体勢のまま斬撃を繰り出した。シェスカさんは【姿勢制御】で空中で姿勢を変えて斬撃をかわすと、【二段ジャンプ】で空中を蹴って指揮官の肩に着地し、身体を半回転させてその背後を取った。指揮官の乗っていた軍馬が望まぬ乗客の出現に驚き、前足を高く上げていななく。シェスカさんは指揮官の首に手を回し、共に馬から落下する。空中で体を入れ替え、指揮官の背は地面に叩きつけられ、シェスカさんがマウントを取った。双剣をくるりと回して逆手に持ち、シェスカさんは優しく微笑む。
「おやすみ、ぼうや。目覚めたときには戦は終わっているわ」
【手加減】を乗せた双牙に心臓を打たれ、指揮官は意識を失った。
流れるような三人の英雄の連携に、見惚れるように動きを止めていた敵兵が我に返り、敵陣に一人深く切り込んだシェスカさんを囲む。見せつけられた圧倒的な実力と、三十代半ばの美女、という戦場に似つかわしくない容貌は敵兵の剣の速度をわずかに鈍らせ――そのわずかの時間は、『風舞い』には充分すぎるほどの余裕を与える。シェスカさんは地面を蹴って大きく跳躍すると、上空の風を捉えて流れに乗り、事も無げにマスターの隣に戻った。信じられないものを見たように敵兵がシェスカさんを振り返る。戦場がわずかに停滞する。
「何度もできるもんじゃねぇぞ」
ジンゴが息を乱しながら小さな声でマスターに言った。シェスカさんも、周囲に気付かれぬように平然としながらうなずく。敢えて派手に力を見せつけた、しかしこれは、局所的な戦術的勝利の徒花に過ぎない。マスターは同意するようにうなずき、
「だが、手本にはなったさ」
小さく笑みを浮かべる。近くで冒険者たちが戦っている。派手なスキルを使い、敵を吹き飛ばす。しかし今、その戦い方に変化が生まれようとしていた。【手加減】必須のこの戦場で勝つために必要なのは圧倒的な実力差を見せつけて心を折る、だけではない。
――指揮系統の破壊。
高度に訓練された軍隊を、絶望的な戦力差を覆して勝利するために必要な唯一の道。そう見定めて、冒険者たちは最後の力を振り絞る。
――超次元要塞起動まで、あと十分。
ハム隊長は歴戦の傭兵。そして上司にしたいハムスターアンケートで三年連続一位です。




