三十分
地響きと共に土煙が上がる。アディシェスの軍勢がケテルを目掛けて正面から迫ってくる。それは怒涛のような勢い、というよりは、むしろ堂々と余裕を感じさせる前進だった。その余裕こそが重圧となってケテルの戦意を挫くのだということを、アディシェス伯は分かっているのだろう。
ケテル兵は絶望的な顔でまだ遠い地響きを聞く。勝った、終わった、そう思ってしまった。緊張の糸が切れた。疲労は極みにあり、彼らに一度弛緩した戦場の空気をもう一度引き締めろと言うのは酷な要求だろう。
「皆、隊列を整えて正門前まで撤退してください! そこでアディシェスを迎え撃ちます!」
先生が声を張り上げ、伝令兵が指示を携えて走る。ケテル兵の反応は鈍い。もう一度、最初から。殺さぬ戦いを、戦上手の率いる精鋭相手にせねばならない。その絶望感がありありと見える。ドワーフの王は撤退の指示に何かを言いかけ、兵士の様子を目にして口を閉ざした。もはや「戦う」と声を上げるだけの力は残っていないのだ。
「我々にはまだ切り札があります! 必ず勝てる! だから、もう少しだけ力を貸してください!!」
祈るような声音で先生は味方を鼓舞する。ケテル兵は重い体を無理やり動かすように気合の声を上げ、動き始める。先生がほっと息を吐いた。
「トラックさん。そして、冒険者の皆さん」
先生はトラックのほうに向き直り、感情を抑えたような冷静さで言った。
「アディシェスの軍勢がこのまま殺到すれば、ケテルはひと飲みにされて終わる。時間が必要です。皆さんには、できる限りアディシェス軍を食い止めていただきたい」
マスターが先生を軽くにらむ。
「簡単に言ってくれるぜ。一万五千を百人足らずでどうしろって?」
先生は深く頭を下げた。
「それができなければケテルは終わる。それができるのは、皆さんだけです」
ジンゴはマスターを軽く小突いた。
「意地の悪ぃことを言うんじゃねぇ。最初から無茶は承知だろうが」
「ええ。それに、無理も、無茶も、散々経験してきたでしょう? 私たちは」
シェスカさんが先生に近付き、頭を上げるように促した。
「私たちならできると、そう仰るのね?」
先生は顔を上げ、はっきりとうなずく。
「三十分、持ちこたえてください。私はすぐに戻り、準備を整えます」
トラックがプァンとクラクションを鳴らす。先生はトラックに視線を移し、
「超次元要塞ケテルを起動させます」
力強く宣言した。
馬でケテルへと戻る先生の背を見送り、マスターは苦笑する。
「三十分たぁ、気の遠くなるような時間だぜ」
一万五千の軍勢を百人足らずで相手にするには、確かに三十分は長すぎる時間だろう。しかし、疲弊しきったケテル兵五千をアディシェスの軍勢にぶつけたところで、被害が増えるばかりで結果は変わるまい。むしろ十分を持ちこたえるだけなら、爆発力に優れた冒険者のほうがふさわしいのかもしれない。先生の戦術はほぼ賭けだが、もっとも犠牲を出さないためのギリギリの選択でもあるのだろう。そして、その賭けに出ることができた理由が、完全復活したトラックの存在なのだ。
「頼むぜ出戻り男。お前が一番元気なんだからな」
ジンゴがトラックのキャビンをコンと叩く。任せろ、というようにトラックはクラクションを返した。周囲の冒険者たちが呆れたように笑う。戦いの前の緊張がわずかに緩んだ。
馬の蹄が大地に刻む足音がだんだんと大きくなる。冒険者たちが表情を引き締めた。トラックが皆を庇うように前へと進み出る。アディシェス軍の先頭に見知った顔を見つけ、トラックはプァンとクラクションを鳴らした。
「特級厨師。やはり貴様か」
ウルスが右手を軽く上げ、アディシェス軍の前進を止める。彼はそのまま馬を進め、正対する形でトラックと対峙した。ウルスとトラックを挟んで両軍がにらみ合う、とはいえ、両者の戦力差は一目瞭然。まともに戦えば一瞬で捻りつぶされるのはケテルのほうだろう。
「いつぞやは世話になったな。今日は姑息な変装などしなくてよいのか?」
苦々しい表情でウルスは問う。トラックたちがはげヅラで変装し、まんまとウルスを騙してケテルを奪還したことを言っているのだろう。騙されたことを非難したい気持ちは分からんでもないが、トラックのキャビンにはげヅラを乗せただけであっさり騙されたことは反省したほうがいいと思うよ。なんか詐欺とかいろいろ騙されないか心配になる。
トラックは悪びれない様子でクラクションを返した。ウルスはわずかに怒りを浮かべ、すぐに冷静な顔に戻って言った。
「カイツール、エーイーリーを退けたことは称賛に値する。両軍は指揮官が無能でも、兵は決して弱卒ではない。どのような手段を用いたか知らぬが、半数に満たぬ数で籠城もせず、兵を退かせたのだから大したものだ」
先ほどの恨み言と違って、ウルスの言葉には素直な称賛がある。相手に複雑な感情があったとしても、認めるべきところは認める、という気持ちのよさが彼にはある。そしてそういうところが、彼の一軍の将としての器を示しているのだろう。
「降伏せよ。降伏すればケテルの安全は保障する。望むなら自治を認めるよう陛下に掛け合ってもよい」
ウルスの言葉に、アディシェス兵も冒険者たちもざわつく。圧倒的に有利な状況にあってのこの言葉は、アディシェスにとってはほとんどメリットの無い提案だ。つまり、彼はケテルの未来を真剣に考えている。降伏することがケテルにとって最も利益になると、そう言っているのだ。トラックはプァンと静かなクラクションを返す。ウルスの表情が曇った。
「……なぜだ? もはや我らを相手に戦う余力はあるまい? 敢えて戦いを選ぶ理由を言え」
トラックは問いのようなクラクションを返す。ウルスは苦い表情を浮かべた。
「……異種族たちは、ケテルから追放されることになる。その後は――攻め滅ぼすことになるだろう」
論外だ、と言わんばかりにトラックがクラクションを鳴らす。冒険者たちが同意するようにうなずいた。
「異種族のために命を捨てるか?」
表情を殺し、ウルスが問う。トラックがプァンと答える。マスターが笑って言葉を継ぐ。
「他種族だろうが、言葉が通じなかろうが」
ジンゴが視線を空に向けた。
「魔王だろうがな」
シェスカさんが穏やかに微笑む。
「そんな違い、ケテルはとっくに、飛び越えているのよ」
ウルスは大きく息を吐き、感情を閉じ込めると、最後通牒のように言った。
「考えは、変わらぬな?」
トラックがプァンとクラクションで答える。わずかに呆れたような顔を作り、すぐに厳めしい表情に戻ると、話し合いの時間は終わったと言うように口を引き結び、ウルスは軽く右手を挙げる。後ろに控えていたアディシェス兵が戦闘態勢を取った。ビリビリとした戦いの気配が広がる。冒険者たちもまた、武器を構えた。
「……突撃せよ!」
轟く雷鳴のごとき号令と共に、ウルスは鋭く右手を振り下ろす。鬨の声を上げ、アディシェス兵が突撃を開始した。
敵の出鼻を挫くようにトラックが【怒りの陽電子砲】と放ち、それは戦いの幕開けを告げる号砲となった。敵陣を裂く一条の光は射線上にいる無数の兵士を吹き飛ばす。そしてそれは、トラックの、そしてケテルの意志を伝える最初の接触でもある。
「これは――?」
勇壮で知られるアディシェスの兵はどれほど苛烈な攻撃にさらされても怯みはしない。しかし今、その彼らを戸惑わせ、足を鈍らせたのは、【怒りの陽電子砲】に寄り添う【手加減】たちの存在と、吹き飛ばされた兵士たちが無傷であるという事実だった。策略? 侮辱? 疑いの目がトラックを見つめる。
――プァン!
トラックが真剣なクラクションを鳴らす。アディシェス兵がますます混乱したような表情になる。マスターが鉄棍を掲げ、気勢を上げた。
「そうだ! ケテルは誰も殺さん!」
同調するように冒険者たちも剣を、槍を掲げた。
「他種族も! 人間も! すべてが等しく命である!!」
シェスカさんが微笑んでアディシェス兵を見つめる。
「もちろん、あなたたちも」
ジンゴが鋭い声で戦場の空気を裂いた。
「共存こそが、ケテルの意志だ!!」
戸惑いながらもアディシェス兵の足が止まることはない。武器を構えて突撃してくる敵兵を、冒険者たちが迎え撃つ。先頭にいるトラックに槍の穂先が届く――
――ガキィン!
キャビンに触れた槍を弾き、トラックが一気にアクセルを踏む。冒険者たちもそれぞれに敵と武器を合わせ――おそらく最後になるであろう戦いの幕が開く。
――超次元要塞起動まで、あとニ十分。
三十分という時間は、超次元要塞ケテルの動力である三万匹のハムスターさんが回す回し車の回転速度が光速に達するまでの時間です。




