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決着と

 エーイーリーの兵が去り、残された形になったカイツール兵は戸惑いと恐怖を浮かべて立ち尽くしている。【手加減】したケテル兵を、カイツール兵はまだ一人も殺せてはいない。それは特級厨師という化け物が存在したから、というわけではなく、『魔王殺し』を中心とした冒険者たちにさえ、カイツール兵は敵わなかった。化け物には化け物を、と用意した傭兵団『屠龍』は特級厨師に敗れて去り、駆けつけたはずのエーイーリー軍一万はあっという間に撤退してしまった。そして何より、今までの戦いでボロボロになり、今にも息絶えそうなところまで追い込んだはずの特級厨師が、傷一つない形で完全復活した。


「……勝てる、要素が、ない――」


 カイツールの将が呆然とつぶやく。手に持つ槍の穂先が下がる。


「……もう、嫌だ」


 誰かの呟きが聞こえる。がしゃん、と音を立てて、兵士たちの持つ剣が、槍が、弓が地面に落ちた。


「もう、嫌だよ。俺たちを殺そうとしない奴らを、殺すのは」


 心の底から疲れたように、そう言った誰かの声は、やけに鮮明に戦場に響いた。ケテルの兵たちが驚いたようにカイツール兵を見る。カイツール兵は一様にうなだれ、もはや戦意は無いようだった。


――プァン


 トラックがクラクションを鳴らす。カイツールの将は唇を噛み、葛藤するように槍を持つ手に力を込める。しばらくの逡巡の後、カイツールの将は覚悟を決めたように声を上げた。


「撤退する! この戦いは――」


 わずかに言いよどみ、しかし将は言葉を続ける。


「――我らの、負けだ」


 解放されるように、カイツール兵から一斉に歓声に似た声が上がる。きっと彼らの中でずっと、この戦いの意味を模索していたのだろう。そして、彼らは最後まで、この戦いに意味を見いだせなかったのではないか。殺されることのない戦いで、相手を恨むことも憎むこともできない戦いの中で、相手を殺すことの意味を。

 規則性を持ったラッパの音が広がり、カイツール兵が背を向け、重い足取りで戦場を去っていく。半ば呆然とそれを見ていたケテル兵が、ようやくその意味を悟ったようにつぶやく。


「……勝っ、た?」

「勝った!」


 凄まじいまでの高揚感がケテル兵を包む。それは歓声となり、歓喜となって戦場を塗り替える。生き延びた、その実感が笑顔に変わる。


「トラック!」


 マスターとシェスカさん、ジンゴの三人がトラックに駆け寄る。やや恥ずかしそうにトラックはクラクションを返した。小さく首を横に振り、シェスカさんがトラックのキャビンに手を添える。


「……本当に、無事でよかった」


 シェスカさんの目尻に光るものが浮かぶ。ジンゴが意地の悪い顔で言った。


「ひやひやさせるな。ジジイの心臓に悪いぜ」


 すまなさそうにトラックはクラクションを返す。マスターが笑いながらコンコンとトラックのキャビンを叩いた。


「あとは頼むなんて冗談じゃねぇぞ。そういうセリフは年寄りが言うもんだろうが」


 トラックは謝罪のクラクションを鳴らす。謝りっぱなしのトラックにマスターはひらひらと手を振って応えた。安堵が広がる。戦場が、弛緩する。




 光が周囲を覆い、景色を染める。真白に塗りつぶされた世界の中で、エバラと夫は向かい合っていた。


「……思い出したんだな」


 いくばくかの痛みをはらんで、夫は複雑な表情をエバラに向ける。エバラはうなずき、


「ずっと、見守っていてくれたのね」


と微笑んだ。夫はわずかに目を伏せる。


「……こんな日が来ないことを、望んでいた」


 エバラは小さくうなずく。


「でも、今は、嬉しいの。私に皆を守る力があることが」


 エバラはそっと手のひらを夫に向ける。夫もまたエバラに手のひらを向けた。ふたりの手のひらが重なる。光が、強さを増す。


「君だけに背負わせはしないよ。私たちは、一緒だ」

「ありがとう」


 光が更に強さを増し、彼我の境界を曖昧にしていく。重なり、溶けあう世界の中で、二人の姿もまた、光に溶けていった。




――シェギャァァァーーーーーッ!!


 狂暴な鳴き声が天を衝き、大気が恐怖に震える。誰もが唖然と『それ』を見ていた。いや、目を奪われた、と言ったほうが正しい。『それ』は圧倒的な存在感で戦場に君臨する。ドラムカンガーFよりも一回り大きいその姿は、宝石のようにきらめく鱗に覆われ、どこか神聖な雰囲気を漂わせている。


「……ニヨベラピキャモケケトス神――!」


 誰かがかすれた声でつぶやく。エバラと夫が腕をクロスして溢れた光が晴れたとき、ふたりの姿はそこになく、代わりに現れたのはこの美しい獣だったのだ。ニヨが嬉しそうにキューと鳴く。


「聞いたことがある」


 別の兵士が誰にともなく言った。


「かつて神と魔王が戦ったとき、魔王側に味方した戦いの神は、激しい戦いの末に敗れ、人間の魂に封じられた。人間の短い寿命のサイクルで転生を繰り返すことで、その魂が擦れきれ、消えてしまうようにと」


 神話は本当だった、と兵士は目を見開く。武器を構えることも忘れ、皆がニヨベラピキャモケケトス神を見る。


――エバラがついに神になったぁーーーーっ!! 神話の時代に活躍したっぽい戦いの神になったぁーーーーっ!!

 まさかニヨベラピキャモケケトスに顔が似ていた理由がこんなところで判明するとは! そして夫はいったい何者だよ! 天龍と知り合いだったり謎が多すぎるわ!


 ニヨベラピキャモケケトス神はギロリと戦場を見下ろす。その縦長の瞳に見据えられただけで、誰もが動けなくなった。畏怖の念が身体を縛る。


――シェギャァァァーーーーーッ!!


 もう一度、ニヨベラピキャモケケトス神が鳴き声を上げた。しかしその声は、怒りや破壊の気配ではなく、どこか悲しみに満ちていた。兵士が大きく目を見開いてつぶやく。


「ニヨベラピキャモケケトス神が、悲しんでおられる。そうか……この戦いに、正義はないのか――」


彼のつぶやきに皆がニヨベラピキャモケケトス神を見上げる。そこにはもう、戦いの意志はなかった。


――パッパッパラッパッパッパーーーッ


 遠くラッパの音が響く。それはカイツールの撤退を告げる音だった。競馬の出走前のラッパみたいな感じなのは置いておこう。きっとカイツールの文化なのだ。きっと。

 ラッパの音に我に返ったカイツール兵が、複雑な表情と共に背を向け、重い身体を引きずるように去っていく。この戦いの意味を、自問しながら。

 いったい何が起きたのか――そう言いたげに、ケテル兵は呆然と逃げ去るカイツール兵を見つめていた。




――カンカンカン


 試合終了を告げるゴングが鳴り、大きく息を乱しながら、ノブロは拳を天に掲げた。


「どうだ、ばかやろーっ!」


 試合開始十秒、出会い頭の右フック一閃。相手は前のめりに倒れ、そのままテンカウントKOとなった。ケテルボクシング史上最速KO記録を更新し、会場が大いに沸く。だが、それはノブロの圧倒的な強さを示すものではなく、体力がほとんど残っていない今のノブロができる、ギャンブルのような作戦だった。最初の一発に全てを賭ける。何ラウンドも戦い続けることはもうできないのだ。


「次!」


 リングの対角線上に立つ新たな敵を見据え、ノブロは鋭く叫ぶ。対戦相手は若いパワータイプのファイターのようだった。しかしその若いファイターはファイティングポーズを取らず、複雑な表情でノブロを見ていた。


「なぜ?」


 若いファイターは真剣な目でノブロに問い掛ける。


「なぜ、こんなことを続けている? 不可能だってことは分かってるだろう? 東洋太平洋チャンプだろうと、独りで何千の敵の相手ができるわけがない。いつか必ず負ける戦いを続けていったい何になるんだ?」


 息をなだめながらノブロは答える。


「……やってみなきゃ、わかんねぇ」

「運命は見えている!」


 若干の苛立ちを含んだ声で若いファイターはノブロを否定する。


「お前は負けて、ケテルは滅ぶ。それが現実だ! 降伏しろ! 俺は、あなたを殺したくない!」


 ノブロはにぃ、と口の端を上げた。


「……ボクシングしてっとな。不思議な気持ちになることがあんのよ」


 若いファイターがいぶかるように目を細める。ノブロは構わず話を続けた。


「うぉ、これを避けんのかよ、とかさ。これに耐えんの? とかさ。びっくりするし、腹も立つんだけどよ。同時に思うのよ。こいつ、すっげぇなって」


 ノブロはまっすぐに拳を若いファイターのほうに突き出した。


「戦争はよ、ダメなんだよ。殺しても殺したやつのことなんてわかんねぇ。でもボクシングはよ、戦った相手のこと、ソンケーできんのよ。どんだけ練習して、しんどい思いして戦ってんのか、なんとなく分かったりするから、余計にさ」


 ノブロはニカッと人懐こい笑みを浮かべる。


「俺は、ボクシングした相手をもう、殺せねぇよ。あんたはどうだい?」


 若いファイターはハッとした表情を浮かべる。あなたを殺したくない、さっきそう言った自分の言葉を思い出したのだろう。彼もまた、リングで戦うノブロの姿を見て、殺せないと思ったのだから。


――パッパッパラッパッパッパーーーッ


 カイツールの撤退のラッパが聞こえる。若いファイターは弾かれたように正門の方角を見ると、脱力したように笑った。リングを囲んでいた他の兵士たちも、一様に安堵したような表情を浮かべる。若いファイターは大きく息を吸うと、無言のままリングを降りた。


「やらねぇの?」


 拍子抜けしたようにノブロが彼の背に問う。歩みを止め、振り返らぬまま、若いファイターはやや大きな声で言った。


「勝負は預けておく。次は、お互い万全の状態でやろう」


 若いファイターはそのまま歩みを再開し、他の兵士と共に去っていく。楽しそうにひとしきり笑い、ロープに背を預け、ノブロは天を仰いで大きく息を吐いた。




 カリオペイアが両手でマイクを握りしめる。敵は武器を手に戦いを止めない。ステージを守る親衛隊に疲労の色が濃く浮かんでいる。誰も歌など聞いていない。それでも、カリオペイアは歌う。


『聞いて。私の夢。きっと笑ってしまうような、小さな夢』


 静かに、染み入るように、カリオペイアは言葉を紡ぐ。剣の打ち合う音、鎧のこすれる音。戦いの音が止まない。


『海までの道を、ゆっくりと歩く。目的もなく、ゆっくり』


 カリオペイアの声は、戦場の音に掻き消される。


『すれ違う人は、穏やかに笑ってる。手をつないだ親子が、幸せそうに』


 祈りのような歌は、残酷な現実に打ち砕かれる。運命のように。


『恋人たちが、楽しそうに。夫婦が並んで、言葉少なに』


 誰も歌など聞いていない。誰も歌など望んでいない。


『やがて海に着いて、波の音を聞く。反射する光に目を細める』


 矢が風を切ってステージに届く。マカロン君のハルバードが矢を切り裂いた。


『波打ち際で子供たちが遊んでいる。無邪気にはしゃいで』


 カイツール兵が叩きつけた剣が折れ、刃が回転しながら飛んでいく。それはカリオペイアの頬をかすめ、ステージの後方に突き刺さった。浅く裂かれた頬に血が滲む。


『私は海を見ている。夕暮れまでずっと』


 カリオペイアは目を閉じる。己の無力さを閉じ込めるように。

 カリオペイアは目を開ける。決して諦めないと、そう言うように。


『聞いて。私の夢。きっと呆れてしまうような、ささいな夢』


 剣の折れたカイツール兵が、ステージのカリオペイアを見る。


『街中を当てもなく歩く。ショーウィンドウに目移りしながら』


 武器を失ったカイツール兵は、場違いに立ち尽くしてカリオペイアを見る。


『すれ違う人は、皆少し浮かれて。真剣にプレゼントを選んだり』


 隣にいた別のカイツール兵が、立ち尽くす彼の視線の先を見る。


『大切な人のためにちょっぴり高級レストラン。着飾った姿が誇らしげに』


 歌い続けるカリオペイアを、見る。


『通りを抜けて、雑踏に耳を澄ませる。騒めきさえも華やいで』


 そこだけが、戦場に奇妙な空隙を作る。空隙は、隣に、その隣に、伝播していく。


『私は空を見上げる。雲一つない澄んだ青』


 誰かが「どうして?」とつぶやく。つぶやきが、剣戟を静かに制していく。


『おかしいでしょう? 何でもない、当たり前の。手を伸ばせば必ず届く。そんな風景を夢見ている』


 がしゃん、と誰かが武器を落とした。武器を落としても、彼を攻撃する者はない。


『帰りましょう。当たり前の日々に。誰かを愛し、愛される日々に。剣も魔法もいらない。傷付ける力は、いらないから』


 剣を打ち合う音が、消えた。


「――今だ!」


 ステージ袖にいたプロデューサーの瞳が妖しく光る。スキルウィンドウが戦場の決定的な変質を告げる。


『アクティブスキル(ユニーク)【ドーム公演】

 いかなる場所もアイドルが主役のドームに変え、

 いかなる人もライブステージの観客に変える』


 野外ステージだったはずのその場所は一瞬でドームへと塗り替えられ、カイツール兵の持つ剣はペンライトに、鎧ははっぴへとその姿を変える。しかし、カイツール兵たちに戸惑いはない。彼らはただ、ステージ上のミューゼスを見ている。歌が、届く。


『思い出して。あなたが過ごした時間。声の温度。微笑みのリズム。花の名前。剣を持った手では掴めないものがあること。鎧のままでは抱きしめられないってこと』


 カイツール兵の目から、一粒の涙がこぼれた。


『聞いて。私の夢。きっと笑ってしまうような、小さな夢』


 伴奏が消える。不意の静寂に、カリオペイアの声だけが響く。


『伝えたいの。あなたが、大切だと』


 しん、と沈黙が訪れる。誰もがカリオペイアを見ている。「……帰りたい」と誰かが言った。誰もがうつむき、膝をついた。


――パッパッパラッパッパッパーーーッ


 カイツールの撤退のラッパが聞こえる。空気に溶けるようにドームが粒子となって消えた。再び武器を手に取るものはいない。戦いの意志が、戦場から消えた。


「……見事。我らの、負けだ」


 カイツールの将が感嘆の眼差しでカリオペイアを見つめた。




 エーイーリー、そしてカイツールの兵が撤退し、ケテル兵の間に安堵が広がる。誰も死んでいない、誰も殺していない。このケテルの地で、いかなる命も失われていない。そんな奇跡のようなことが本当に起こった。それは信じられないような現実であり、ケテル兵たちを高揚させていた。殺さず、生き延びた。そのことが誇らしく、皆が喜びを全身で表し、抱き合い、歓声を上げる。戦いは、終わった――


「ご報告!」


 喜びを切り裂くように、息を切らせた伝令兵がトラック達の前に膝をつく。不穏な空気を感じ取ったのか、皆が息を潜めて伝令兵の言葉を待った。蒼い顔をした伝令兵は、苦しげに咳き込み、職務を全うする。


「アディシェスの軍勢が、動き始めました!」


 皆の顔から一気に血の気が引く。先生が引きつった顔で言った。


「……さすがアディシェス伯。こちらの最も嫌なタイミングをよく分かっている」


アディシェス伯、芋焼酎とかあげたら帰ってくれないかなぁ

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カタルシスがパない( ˘ω˘ )
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