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撤退

 皆の視線を一身に集めて、トラックは何だか所在なさげだった。まあね、わかるよ。『後は頼む』とか言って、あんな劇的に停止した手前、『元気になりました』って言いづらいよね。重病ですって職場に言って入院したら一日検査入院しただけで戻ってきました、みたいな状況と似たようなもんかな。深刻な顔をしていればしているほど、気まずさは倍増するよね。

 対照的に駄女神は『どうだ!』とでも言いたげな、満足そうな顔をしている。ってか、そもそもなんでこのタイミング? ご都合主義もここに極まれりだよ。


『まあまあ、そう言わないで。あれで結構、気にするタイプだから』


 ヘルプウィンドウが枠を揺らせて俺をなだめに掛かる。でもさぁ、いくら危機的状況だからって、神様が出てきて解決したらダメでしょうが。デウスエクスマキーナでもあるまいし。


『それはそうなんですけど、でも本人はずーっと気に病んでいたんですよ。『チートスキルあげ忘れた! どうしよう、どうすればいい!?』って。『最初にあげられなかったら、急に何でもないタイミングであげたらおかしいよね?』って。相当テンパってて』


 詳しいな。知り合い?


『上司です』


 それは――ずいぶんご苦労なさったねぇ。


『言わないでください。泣きたくなるから』


 ヘルプウィンドウは遠い目をするように駄女神のほうを向く。駄女神は威勢よくトラックに向かって叫んだ。


『ゆけ、トラック! チートスキルを渡し忘れた私の失態を覆い隠すほどの活躍を見せよ! 恥ずかしさに身悶えして眠れぬ夜から私を解放せよ!』


 すっごい私的な理由なのな。それ言っちゃダメなヤツじゃね? そして、言わなくてもいいヤツじゃね?


『天然ですから』


 ヘルプウィンドウの声には深い疲労と諦念がある。掛ける言葉が見つからず、俺は口を閉ざした。どこか現実感を失ったように、ヘルプウィンドウはぽつりぽつりとつぶやく。


『結局、チートを授けるにふさわしいタイミングは大ピンチのときだろうって、そのときこそはばっちりキメてやるって、すごい意気込みだったんですよ。何回もリハーサルして。私たちはそれに突き合わされて。何回も。こっちにも仕事はあるのに』


 感情を失った声でそんなこと言わないでくれ。胸が痛いわ。


『その挙句に本番でグダグダで。この数日間が無駄に終わって。なのにあの満足そうな顔。何なんだろう。なんだ、あのひと』


 怖い怖いよ声の調子がだんだん怖い。いったん落ち着こうか。深呼吸してみようか。


『……ふぅーーーー』


 胸の奥にたまった様々な感情を吐き出すようにヘルプウィンドウは息を吐く。どす黒い何かが空気に拡散して消える。登場したときと同じように、駄女神は光の柱を通って天に帰っていった。……トラックが無事に戻ってきて、絶望的な状況をひっくり返す期待に満ち溢れているはずの場面だというのに、何だろうこの徒労感。苦く虚しい感情の正体を探して、俺はそっと胸に手を当てた。答えは、見つからなかった。


『……この世界は――』


 駄女神が消えた空を仰ぎ、ヘルプウィンドウは独り言のようにつぶやく。


『――夢、なんです。彼らの夢。私たちの、夢』


 それって、夢オチってこと? 最後は俺がベッドから目を覚まして、「何だ、夢か」で終わるヤツ?


『そう、かもしれませんね。そうかもしれない』


 マジで!? こんなに長い夢の終わりがそれ!? ちょっとした暴動ものですよ?


『ごめんなさい』


 謝らないでよ。それじゃ夢オチ確定ってことになんじゃん。本当にそうだったとしても、それは最後まで秘密にしとこうよ。


『あなたにとっては夢オチかもしれないけれど、私たちにとってこの世界は間違いなく夢の欠片。魔法があって、異種族がいて、まるでおとぎ話のような。だからこそ、耐えられなかった』


 ……耐えられなかった?


『夢は美しいものであってほしいから』


 どこか超越した存在のような雰囲気で、ヘルプウィンドウは独り言を続ける。


『神はやり直しを望んで世界を壊そうとしている。女神もまた、世界の変革の契機とするべくあなたとトラックを召喚した。やり方は違えど目的は同じ。美しい夢以外はいらない。管理者を取り巻く現実は、それほどに苦しいんです。夢に縋らねば立つこともできないほどに』


 ちょっと何言ってるかわかんないんですけど。


『ええ、そうですね。それでいいんです。あなたたちは、あなたたちのために生きるべきです』


 ヘルプウィンドウは振り返り、微笑むようにウィンドウ枠を丸くした。


『魔法があっても、人間のみが知恵持つ存在でなくとも、世界は争いと憎しみに満ちる。けれどその中で、和解も愛も確かに存在するんです。涙も悲しみもなくならない。けれど確かに、笑顔も喜びも存在するんですよ、この世界には。だから――』


 ヘルプウィンドウの色が徐々に透明になり、背景が透過する。


『――私は人を、美しいと思います』


 スッ、と空気に溶けるようにヘルプウィンドウは姿を消した。


『見せてください。あなたたちの選択を。あなたたちが描く未来を』


 そんな言葉を残して。




 ぶぉん、とトラックがエンジン音を鳴らす。周りを囲んでいたエーイーリーの兵が一歩引いた。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ケテルの兵から小さく歓声が上がる。トラックがわずかにアクセルを踏んだ。ゆっくりと車体が前進し――


「トラック!」


 マスターがやっと事態を飲み込めたように叫んだ。それを契機に、ケテル兵が歓喜の声を上げ、それはうねりとなって戦場を渡る。対照的にエーイーリーの兵の顔が絶望に沈み、じりじりと後退する。


「ひ、退くな! 閣下の無念を忘れたか!」


 エーイーリーの将が引きつった声で檄を飛ばす。しかしその声はエーイーリーの兵たちには響かなかったようだ。無敵を誇った特級厨師が死んだ、と思った矢先に完全復活した。さっきまでのボロボロの姿でさえ手も足も出なかったというのに、傷一つなくなった今の特級厨師に勝てるはずもない。勝てる夢を見たからこその戦意なのだ。希望から絶望に落とされた、その落差が兵士たちの心を折った。


――プァン


 トラックが静かにクラクションを鳴らす。エーイーリーの兵の持つ槍の穂先が下がった。彼らの手は震えている。再びトラックがクラクションを鳴らした。敵兵が一様にうつむく。それでも彼らは槍を手放すことも、背を向けて逃げることもしない。きっと彼らは逃亡の罪に問われることを怖れているのだろう。トラックがいる限り戦場で殺されることはない。だが逃げれば戦いの後に殺されるかもしれない。彼らを戦いから解放するには、あと一手、足りない。


「エーイーリーの勇士たちよ!」


 聞きなれぬ声がケテル側から割って入る。馬に乗り、早足で戦場を横切るのは、意外なことに先生と、その背にしがみついている一人の男だった。装飾過多の衣装を身に付けた細身で小柄なその男は、トラックの隣まで来ると馬を降り、エーイーリーの兵に向かって叫ぶ。


「私は、生きている! ケテルの者に命を助けられたのだ!」


 精一杯胸を張り、大きな声を上げるのは誰あろう、エーイーリー伯その人だった。敵兵の間に動揺が走る。「閣下は亡くなったのでは?」という声があちこちで聞こえた。エーイーリー伯は真剣な表情で言った。


「私は、腹心で会った男に裏切られ、命を奪われそうになった。しかしケテルの兵がそれを阻み、私を救った! ケテルは私の恩人であり、恩人に向ける刃を私は持たぬ!」


 動揺がさらに広がる。どうすればいいのか、答えを求める兵士たちに、エーイーリー伯は回答を与えた。


「エーイーリーはこの戦から撤退する! もはや皆に戦う理由はない!」


 その言葉はエーイーリー兵に広がる動揺を安堵に変える。もう戦わなくていい。特級厨師という化け物に関わらなくていい。逃げても罪に問われない。皆が手の武器を地面に放った。あちこちでため息と、小さな笑い声が聞こえる。


「……約束通り、追撃はなしにしてもらうぞ」


 エーイーリー伯は先生を振り返り、苦々しく告げる。先生は「もちろん」と大きくうなずく。エーイーリー伯は「ふん」と鼻を鳴らすと、自軍のほうに歩いて行った。


「撤退する! 遅れるな!」


 エーイーリー伯と共に、敵兵が背を向けて去っていく。誰ひとり死ぬことのないまま、一万の兵が撤退していく。信じられないものを見るように、ケテル兵はその後姿を見ていた。


駄女神様、出演シーンすべて終了です!

お疲れさまでした!

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― 新着の感想 ―
たとえ創作の世界だったとしても、その中でキャラたちはちゃんと生きてるんですね( ˘ω˘ )
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