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一時しのぎ

 津波のように押し寄せるエーイーリーの軍勢を前に、トラックは味方を鼓舞するように強くクラクションを鳴らした。ケテル兵はカイツールとの戦いで疲弊の極みにある。それは単純に肉体的な疲労ではなく、カイツール兵に対してした戦いをもう一度最初からエーイーリーの兵に対してもしなければならないという絶望感だろう。エーイーリーの兵たちはケテルが彼らを殺す意志がないことをまだ知らない。戦いの中でそれを伝え、相手に戦意を失わせる困難さを、ケテル兵たちは嫌というほど知っている。


「エーイーリーに後れを取るな! 敵を討てば褒賞は思いのままぞ!」


 背後から迫るエーイーリー軍の足音にカイツールの将が焦りを滲ませて叫ぶ。褒賞、という言葉にカイツール兵の顔色が変わる。援軍を得て圧倒的に有利な状況となり、おまけにケテル兵は【手加減】してくれる。ならば、この戦場はノーリスクで手柄の立て放題、早い者勝ちの収穫場だ。人の欲をまとった、ぬらりとした空気が広がる。


『アクティブスキル((最後の)(リスペクト))【熱風五千キロ(クリムゾンフレア)

 その情熱はあらゆる困難を克服し、彼が通った後は灰と塵しか残らないという』


 欲深い風ごと燃やし尽くすように、トラックは【フライハイ】で空中に舞い上がると、灼熱を纏って地面に――カイツール兵たちの真ん中に突っ込む。その威力は地面にクレーターを刻み、肌を焼く熱と共にカイツール兵を吹き飛ばす。【手加減】が一族総出でカイツール兵を守った。クレーターの中心でトラックが苦しそうにハザードを焚く。敬ツール兵たちの顔に、再び絶望が宿る。いかにケテルの兵が寡少でも、疲弊の極みにあっても、あの化け物が、特級厨師がいる限り、この戦いに勝つことはできない――


「あの化け物に構うな! ケテル兵を殲滅せよ!」


 若干震える声でカイツールの将が言う。トラックはプァンとクラクションを鳴らした。慌てて向きを変えようとするトラックに、いよいよ間近になったエーイーリーの地鳴りのような足音が聞こえる。


――プァン!


 苦渋に満ちたクラクションが響く。マスターはあえてだろう、不要なくらいの大声でトラックに返答した。


「任せろ! こっちは俺たちで抑える!」


 ドワーフの王が厳しい表情でうなずく。一瞬、迷うようにハザードを焚いたトラックは、すぐに向きを変えてアクセルを踏んだ。エーイーリーの軍勢一万を迎え撃つために。




 カイツール兵はトラックの前進を阻まず、道を譲ってケテル兵に槍を向ける。トラックの相手はエーイーリーにしてもらおう、ということなのだろう。エーイーリー兵はトラックのでたらめな力をまだ知らないし、『屠龍』が敗れて撤退したことも知らない。無知とは罪だ。憐れな生贄は罪人の役割、とでも言いたいのかもしれない。


「振り出しに戻る、か。まだいけるか?」


 ドワーフの王が両足のスタンスを広く取り、ハルバードを強く握ってマスターに言った。マスターはうなずき、大きく息を吐いて鉄棍を軽く振った。


「ドワーフ隊は一度下がってくれ。少しの間だが、冒険者ギルドがカイツールを抑える」


 ドワーフ隊は今までの奮戦の結果、誰もがどこかしらに傷を負い、疲労もピークに達している。マスターはそれを慮ったのだろう。ドワーフの王が眉を顰める。


「できるのか?」

「一応、こっちも『魔王殺し』で通ってんだ。特級厨師ばっかりもてはやされちゃあ立場がねぇよ」


 マスターの纏う空気が変わる。否応なく耳目を集める凄まじい『覇気』が周囲を圧倒する。その決意を読み取り、ドワーフの王は厳粛にうなずいた。


「甘えさせてもらおう。……死ぬなよ」


 マスターはふてぶてしく口の端を上げて応える。ドワーフの王が配下を引き連れ背後に下がり始めた。トラックの【熱風五千キロ(クリムゾンフレア)】に吹き飛ばされたカイツール兵たちは隊列を整えつつある。当然、敵戦力は減っていない。

 カイツール兵の多くは徴集された民兵だ。彼らにとってこの戦場は、より多く報奨金をもらうための仕事場だ。生きて帰る、のは前提だが、生きて帰ることができればそれでいいわけではない。この戦争に参加し、故郷を離れた彼らは、この戦争で稼いで帰らなければならない。本来なら自分の生業に費やしていたはずの時間をここで浪費しているのだ。その時間の空白を埋め合わせるだけの給金が必要なのだ。そして、ケテルは自分たちを殺さないのだとすれば――この戦場は、ノーリスクで手柄を立てる絶好の狩場ということになる。今まではそれをトラックの存在が阻んでいた。あの化け物がいる限り、誰もケテルを傷付けることができない。しかし今、トラックはエーイーリーと戦うために去った。もはやカイツール兵を阻むものはない。ケテル兵の首を獲ることに、何の障害もない。

 欲が、人の善性を凌駕する。戦場で敵を殺しても咎められることはない。その安心感が人を変える。戦場は、人を壊す。


「『魔王殺し』と言うのなら、私も必要よね?」

「本当なら俺もその名で呼ばれていたはずだろう?」


 不意に聞こえた懐かしい声に、マスターは振り返る。そこにはシェスカさんとジンゴがいた。すでに冒険者を引退して久しい二人は、しかしその目にマスターに劣らぬ決意を湛えている。マスターはふっと表情を緩めた。今さら、「なぜ」とも「帰れ」とも言うような間柄でもないのだろう。マスターは再びカイツール兵に向き直り、短く


「行くぞ」


と言った。シェスカさんが双剣を抜き、ジンゴが剣の柄に手を掛ける。カイツール兵の目がギラリと光った。




「無敵の力よ! 命を脅かす一切を許さぬ不破の防壁となれ!!」


 まだ幼い少年の声が響き、淡く青く輝く光が壁となって立ち上って敵の槍を弾いた。【無敵防壁】のスキルウィンドウに驚き、カイツール兵の動きが一瞬止まる。【無敵防壁】は英雄コングロの代名詞だ。伝説の英雄と同じスキルを持つ者がいる、そのことに愕然とし――彼らはすぐに安堵する。スキルの発動者が十歳そこそこの少年であることに気付いて。


「【無敵防壁】に構うな! 横に展開して敵を囲め! 全てを【無敵防壁】で覆うほどの力は発動者にはない!」


 未熟さを喝破され、ルーグが唇を噛む。実際、消耗を抑えるためにルーグは【無敵防壁】を攻撃のタイミングに合わせて発動し、攻撃を弾いたら消す、ということを繰り返している。スキルを発動し続ければあっという間に力尽きてしまうのだ。それが、かつて三か月の間ケテルを【無敵防壁】で覆い続けた英雄コングロとの決定的な差――純粋な実力の差だ。


「ぐぁっ!」


 近くで矢に貫かれたケテル兵が悲鳴を上げる。【無敵防壁】の発動の間隙を縫って、あるいは覆いきれぬ場所からの攻撃で、仲間が傷付いていく。こちらが相手を殺さなくても、相手はこちらを殺そうとしている。想いは伝わらない。理不尽に抗する力が足らない。


 血の臭いの風が渡る。悲鳴が、呻きが、絶望が広がる。命が、こぼれていく。


「……イヤだ!」


 運命を射殺すようにルーグが目の前の敵をにらむ。戦場は乱世の様相を呈し始めており、敵と味方を線で分けることはもはやできない。壁では守れないのだ。守るためには、別の力がいる。

 カイツール兵の槍がルーグに向かって突き出される。敵兵の目は濁り、欲に塗れている。それはかつての自分自身だった。南東街区で、他者に価値を認めず、自分の利益のために生きていた、自分と同じだった。だからこそ負けられない。トラックの想いを、命の価値を、否定する者たちに屈することはできない。


「……壁じゃダメだ。すべてを守るなら、すべてを守らなきゃ――」


 【無敵防壁】がルーグに迫る槍を弾く。敵が侮りの表情を浮かべた。所詮は一時しのぎに過ぎない。すぐにスキルは消える。そうしたらまた攻撃すればいい。なにせケテル兵はこちらを殺さないのだ。機会は幾らでもある。その侮りを焼き尽くすような怒りを全身に湛え、ルーグは叫んだ。


「誰だって、誰かに望まれる未来がある! それを奪う権利は、神様にだってない!」


 【無敵防壁】の蒼い燐光が輝きを増す。意志に、願いに応えて、その形を変えていく。何かが弾ける硬質な音が響いた。遠く重低音ボイスが耳に届く。


『今こそ少年の願いが結実するとき! 【無敵防御】の究極進化、その姿をその目に焼き付けよ!!』


 英雄コングロが施した封印を解き、スキル進化が解放の時を迎える。敵も味方も、金縛りにあったようにその動きを止めた。動けないのだ。スキルが究極進化を遂げる、その終わりまで、邪魔をすることは許されない。そう宣言するように、コングロの放つ重圧が戦場を支配する。【無敵防壁】のスキルウィンドウが細かな光の粒となり、組み替えられ、再構成されて、新たなスキルウィンドウとなって中空に現れる。地面が細かく揺れ、地鳴りのような音が聞こえる。【無敵防壁】の光が弾け――


『アクティブスキル(ユニーク)【無敵要塞ガイエス】

 無敵の力は要塞と化し、その内にある全てを守る』


 要塞化したぁーーーっ!!

 無敵の力がついに建築物になったぁーーーっ!!

 さすがは究極進化、壁から要塞への飛躍が著しいぜ! しかも超大型の主砲を備え、対空砲火も充実、まさに無敵の名に恥じぬ難攻不落の趣き! 攻撃は最大の防御ですか? 【無敵防御】の趣旨変わっとるやろがぁーーーっ!!

 そして、そして、『超次元要塞ケテル』とまさかのネタ被り! このあと超次元要塞ケテルが満を持して登場しても印象が薄らぐこと必至! ああ、また要塞ねって言われちゃうこの展開をどうやって裏切るのか! 芸人としての手腕が今、問われている!!


 足元からせりあがるように無敵の要塞が姿を現す。要塞の壁をケテル兵は素通りし、カイツール兵はペッと吐き出されるように外に放り出された。要塞の総司令官が冷徹に告げる。


「主砲用意」


 要塞正面に設えられた主砲がカイツール兵に向けられる。その無言の圧力に誰もが息を飲んだ。主砲の砲身から光が漏れる。破滅をもたらす光の影に、決意の光を湛えた【手加減】が潜む。


「――放て」


 あくまで無感情に、総司令官は命令する。無敵要塞ガイエスの主砲が無慈悲な光を放った。




 『鉄貫』の二つ名を持つマスターの鉄棍が敵の槍を折り、鎧を砕く。『風舞い』のシェスカさんが双剣で優雅に弓の弦を断ち切った。『うわばみ』ジンゴの居合は遥か離れた後方にまで届き、敵将の手綱を切り裂く。馬がいなないて前足を上げ、敵将を振り落とす。

 マスターの鉄棍が三人のカイツール兵を吹き飛ばす。吹き飛ばされた兵が別の兵にぶつかり、バランスを崩した兵がまた別の兵の動きを乱す。風の速さで駆けるシェスカさんを捉えることのできるカイツール兵はおらず、鎧の留め具を斬られて悲鳴を上げた。そして、何より戦場の雰囲気を変えたのは、【うわばみ】ジンゴのユニークスキルだった。


「ひっ」


 カイツール兵が悲鳴と共に姿を消す。そう、文字通り、掻き消えるように姿が無くなるのだ。ジンゴのユニークスキル【うわばみ】は触れた者を自らの体内にある異空間へと封じる。だが、カイツール兵がそのことを知る由もなく、突然に仲間が目の前から消える現実に大混乱の様相を呈していた。


――ケテルは俺たちを殺さないのではなかったのか?

――いや、相変わらず【手加減】はしているぞ

――消えた連中はどうなった!?


 不可解な現象を解釈できず、混乱が広がる。ジンゴの周囲にぽっかりと空隙が広がった。震える声でカイツール兵が言った。


「消えた奴らは、どこに?」

「さぁね? お前さんも試してみればわかるぜ?」


 ジンゴが敵に向かって一歩踏み出す。敵兵がさらに距離を取った。




「な、なんだ、これは……?」


 カイツールの将が呆然とつぶやく。目の前の現実を受け入れられずにいる。ドワーフ隊が退き、冒険者の一隊と交戦を開始したときは、どう考えても圧勝しかありえなかった。冒険者の数は少なく、こちらは無傷。兵力は三倍にもなる。おまけに冒険者は未だ【手加減】に囚われている。それで負けろというほうが難しい。そう思っていたのだ。しかし――

追い詰めたと思った冒険者の一軍は突如現れた要塞に守られ、今は手も足も出ない。逆にこちらに攻め入ってきた少数の冒険者の一隊は、でたらめな強さでカイツール軍を蹂躙している。数倍の兵力差が何の役にも立たない。おまけにケテルは【手加減】までしているのだ。


「……特級厨師がいなくても、我らはケテルに勝てぬのか――?」


 現実を目の当たりにして、カイツールの将は今まさに、心折れかけていた。


 冒険者たちの奮戦はカイツール兵を圧倒し、戦況はケテル優位に傾いている。しかしそれは一時的なものであることを、冒険者たちは理解していた。冒険者の戦い方は基本的に長期戦に向かない。強力で派手なスキルは敵を圧倒するには向いているが、激しい消耗を伴う諸刃の剣だ。マスターがドワーフ隊を一度退かせたのも、冒険者たちが戦線を支えられる時間は長くないことを分かっていたからだ。おそらく、マスターたちの今の戦いは、彼らが切れる切り札のようなものだろう。全力を以てカイツールを抑える。今それをしなければ終わる。だからもう、マスターたちに切れるカードはない。


「頼むぞ、トラック――!」


 圧倒的な優位を装いながら、マスターは誰にも聞こえぬように小さくつぶやいた。


……『無敵要塞』、って言いたかった。それだけなんです。

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無敵要塞ザイガス的なもの?( ˘ω˘ )
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