白と黒
嬉しそうに笑うグレンの顔はしかし、疲労の色が濃い。空間を支配するなどという特殊なスキルを発動し続けるのはそれだけで体力を消耗するのだろう。それに加えてトラックと【手加減】が間断なく攻め続けたダメージがある。自分の支配領域だからと言って無敵なわけではないのだ。
「貴様を守ってくれていた【手加減】はもういない。結末は俺と貴様、どちらかの死だ。覚悟を決めろ。俺と殺し合え」
グレンが「潰れろ」と呟いて両手をぱちんと打つ。ベコッと重い音がしてトラックのアルミバンが左右から圧し潰されるようにへこんだ。トラックはハザードを焚く。【手加減】を失ったトラックに攻撃の術はない――と思ったら、トラックのヘッドライトが妖しく光った!
『アクティブスキル(SD)【慈愛の超電磁砲】
慈愛って言葉とレールガンって響きがまったく釣り合ってないよね』
瑠璃色の光が奔流となってグレンを襲う。しかしその光は、届く前に掻き消されるように大気に散った。グレンが不快そうに鼻を鳴らす。
「ここは飽くなき闘争の世界。慈悲など存在する余地はない」
【慈愛の超電磁砲】は発動したスキルを強制解除する力を持っているが、【朽ち夜魅・修羅三千大千世界】によって形成されたこの世界の内側からそれを打ち消すことはできない、ということなのだろう。そしてそれはたぶん、グレンの戦いに対する執着の強さを示している。戦いの勝敗によって生死を決める。そのルールに彼は執着している。
「穿て」
グレンがトラックを指さすと、細く尖った殺意がフロントガラスを砕いた。
「このまま何もせず死ぬつもりか? 失望させないでくれ。お願いだ」
グレンの声に哀願が宿る。心からそう願っている。
「吹き飛べ」
トラックの助手席側のドアが吹き飛び、地面に落ちて派手な音を立てる。
「お前はもっと強いはずだ。下らぬこだわりを捨てろ。自分を解放しろ。生きねばならん理由があるだろう。こんなところで死にたくないだろう」
諭すようにそう言い、グレンは左手を突きだす。
「ねじ切れ」
トラックの運転席が雑巾を絞るようにねじれ、バキンと金属が破断する音が響いた。トラックは、動かない。グレンは苛立ちを叫んだ。
「本当に死ぬぞ!」
グレンが大きく右手の長剣を振りかぶる。反応を返さないトラックに業を煮やし、
「断て!」
長剣を鋭く振り下ろした。斬撃は大気を裂き、光跡を描いてトラックに迫る! その軌道上には、トラックのエンジンがある。
――プァン!
トラックが強くクラクションを鳴らす。斬撃がキャビンを断ち――
パシンっ
弾ける音と霧散した。
グレンが大きく目を見開く。トラックもまた、何が起こったか分からない、というようにハザードを焚いた。斬撃を打ち消したのは一つの拳――【手加減】の正拳だった。
「なぜ貴様がここにいる!」
グレンが憎らしげに【手加減】をにらむ。トラックがプァンとクラクションを鳴らした。【手加減】は小さく首を横に振る。
『私は父の意志を継ぎ馳せ参じた。先ほどまであなたと共に戦っていた者とは別物だ』
え? 別人? そういえば何となく、さっきより背が高くて若々しい雰囲気がするな。代わりに老練さが無くなった感じがする。父の意志を継ぎ、ってことは息子さん? ってか、意志を継ぎって、もしかして、お父さん、その……
――プァン
トラックが神妙なクラクションを鳴らす。【手加減】はわずかに目を伏せた。
『……父は、盲腸で入院している』
盲腸だったーーーっ!! さっきの戦いのダメージ関係なかったーーーっ!! いや、盲腸も痛くて大変だろうけど、命に別条がなさそうでよかったわ!
『あなたの志をこんなところで潰えさせるわけにはいかぬ。手加減しても最強、それは我ら一族の悲願でもある』
そ、そうなんだ。【手加減】って一族を形成してるんだ。今さらだけどもどういう存在なの? 妖精? スキルの妖精的な?
【手加減】がグレンを鋭く見据える。彼にとっても殺し壊すことを肯定するグレンは相容れぬ相手なのだろう。グレンは口惜しそうに唇を噛む。
「……どこまでも邪魔をする」
燃え盛る憎しみを込めて、グレンはその刃を【手加減】に向けた。
「……死ね」
刃に悪意と殺意を乗せて、グレンが大気を穿つような突きを放った。
わずかに身体をひねり、【手加減】は飛来する突きをかわす。それを合図にトラックが強くアクセルを踏んだ。【手加減】がいればトラックはグレンを攻撃できる。【手加減】はトラックに並走する。
ってか【手加減】、グレンの突きを避けたな。この世界の中じゃグレンの言ったことは全部叶うんじゃなかったっけ? 『当たれ』とか『砕けろ』とか、言ったと同時にそれが実現するような感じだったけど、今回は避けることができた。なんで? 他のケースと今回のケースに違いがある? そして、グレンが言うほどこの世界はグレンに有利じゃないのか? トラック達の攻撃はグレンにダメージを与えているようだし、少なくとも回復系の特典はこの世界――【朽ち夜魅・修羅三千大千世界】には無いようだが。
「爆ぜろ」
グレンの放った言葉がトラックの運転席側の扉を吹き飛ばす。トラックはそれに構うことなくそのままグレンに突撃した。鈍い音がしてグレンが吹き飛ぶ。【手加減】がグレンを地面への衝突から守った。忌々しげにグレンが【手加減】を斬りつける。【手加減】は目にも止まらぬ速さでそれをかわし、トラックの許へ戻った。
トラックが再びアクセルを踏み込む。グレンが虚空を斬る。無数の斬撃が弧を描いて迫る。【手加減】が残像さえ表さぬほどの速さで斬撃を打ち消した――いや、違う。正確には斬撃は打ち消されてはおらず、トラックに届いてしまっている。しかしそれはトラックの車体に傷をつけることなく表面で弾けて消えた。【手加減】は斬撃を打ち消しているのではなく、斬撃に手加減属性を付与しているのだ。攻撃が当たってもダメージはない。発動者だけでなく、あらゆる攻撃に手加減の力を付与する。つまり【手加減】は覚醒したのだ。自らの能力が世界に影響するに至った。なるほど、【手加減】は超人系だったんだな。
『アクティブスキル(SR) 【天下御免】
一瞬で亜高速まで加速される身体はあらゆるものを滅砕する黄金の弾丸となる』
車体が黄金の輝きに包まれ、トラックが自らをグレンにぶつける。グレンもまた、防御など考えてもいない様子で剣を振るった。グレンははるか後方に吹き飛び、トラックのキャビンのフレームが抉れ、ルームミラーが吹き飛ぶ。【手加減】がグレンの背後に回り込んで受け止め、すぐさま上空に蹴り上げる。グレンの身体がボールのように宙を舞った。
『アクティブスキル(ベリーレア)【突撃一番星】
一等星の輝きを身に宿し、阻む万象の一切を無慈悲に滅砕する流星となれ!』
【フライハイ】でグレンを追い、銀光を纏ってトラックはグレンを追撃する。【姿勢制御】で体勢を整えたグレンは左の掌をトラックに向けた。
「圧し潰せ」
グレンとトラックの間にある大気が歪む。光さえ捕える重力がトラックの上昇を阻む。纏う銀光が重力に絡めとられる。【突撃一番星】のスキルウィンドウが音を立てて砕けた、と同時に重力場が消える。グレンは大きく目を見開いた。
『アクティブスキル(ノーマル) 【踵落とし】
前方回転し、全ての重量を踵に乗せて直上方向から叩きつける』
鈍い音を立ててグレンの身体が地面に向かって一直線に落下する。【手加減】が地面に先回りする。間髪を入れず、トラックの車体が灼熱の赤に染まる。すさまじい熱量に陽炎が揺らめく。
『アクティブスキル(SR)【熱風五千キロ】
その情熱はあらゆる困難を克服し、彼が通った後は灰と塵しか残らないという』
地面に激突する寸前に【手加減】に受け止められたグレンは、しかしうめき声を上げて動けずにいる。トラックはもはやプラズマと化した炎を纏い、グレン目指して垂直に落下する。グレンが声にならぬ言葉を叫び――
――地面に巨大なクレーターが刻まれる。
落下の衝撃でトラック自身も大きく弾き飛ばされ、クレーターの中心から外れた場所に横たわる。砂塵がもうもうと立ち上り、視界を覆っていた。【七転び八起き】で起き上がり、トラックはクレーターを、その中心にいるはずのグレンをじっと見つめた。【手加減】が軽く腕を振るうと乾いた風が吹き、砂塵を払っていく。クレーターの中心で、グレンは立っていた。長剣を支えにして、大きく肩で息をして。
「この世は、理不尽だ」
暗く淀んだ目でグレンはトラックを見つめる。
「正義がいくら語られようと、暴力の前には簡単に膝を折る。愛も、願いも、暴力に簡単に吹き散らされる。結局、この世の理は単純だ。暴力で他者を制圧せよ。それができる者が望む生を手に入れ、できぬ者が抑圧されて死ぬ」
虚ろな瞳でグレンは乾いた笑みを浮かべた。
「貴様もそうだろう? 最終的には暴力に頼る。許容範囲の違いだ。許容できぬ相手と相対したとき、暴力以外の選択肢はないのだ。ならば最初から、善人ぶらずに暴力を使えばいい。善人の顔をするほうがよほど醜悪ではないのか? 貴様は偽善者だ」
グレンの表情が消える。虚無感がますます強まり、その瞳はトラックを見つめながら遠い場所を見る。
「……俺の故郷は争いの絶えぬ地だった。領主は周辺と小競り合いを繰り返し、領民にわずかの興味も持たない奴だった。治安は最悪でな。地方の小さな村は常に、領主と野盗の両方からの収奪に怯えて暮らしていた」
独り言のようにグレンがつぶやく。それは誰に言うというものではなく、朦朧とした意識の中で出てきた奥底の言葉のように聞こえる。
「俺が十二の時、野盗に村が焼かれた。父母と弟妹が死んだ。俺だけが生き残った。俺が賊の剣を奪って、殺したからだ」
淡々としたグレンの口調が静かに響く。トラックは黙ってそれを聞いていた。グレンは言葉を続ける。
「殺せば生き残る。殺さなければ、弱ければ消える。それがルールなんだ。ルールに従って父母は死に、弟妹は死んだ。ルールに従って、俺は生き延びた」
……ああ、そうか。なんか、分かった。なんか分かった。違和感の正体。
――すでに虐げられて消えた弱者たちはどうやって納得すればいい!
グレンが前に言った、この言葉の意味が。たぶんグレンは、家族を襲った理不尽を理不尽として自分の中で抱えきれなかったのだ。自分が生き延びてしまったことを、抱えきれなかったのだ。グレンは理由を求めていて、そしてその理由こそが、『弱肉強食』のルールだったのだ。すべてはルールに従った結果なのだと、救われる余地などなかったのだと、そう自分を納得させる以外に道がなかったのだ。
トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ハッと顔を上げ、グレンが皮肉げに顔をゆがめた。
「うぬぼれるなよ特級厨師。この世の全ての正義を代表しているつもりか? 貴様ごときが何をしようとしまいと、世界は何も変わらない」
小さく首を横に振り、グレンは呼吸を整え、剣を構える。
「お互いそろそろ限界だろう。これが最後の一撃だ。これに耐えれば貴様の勝ち。貴様が死ねば俺の勝ちだ。不本意なことだがな」
グレンが【手加減】をにらみつける。トラックと【手加減】が揃っている以上、この戦いがグレンの死で終わることはないと悟ったのだろう。ふっと表情をゆるめ、グレンは世間話をするように言った。
「【朽ち夜魅・修羅三千大千世界】は他の【朽ち夜魅】とは異質でな。俺は今までこの世界の中でさらに【朽ち夜魅】を使ったことがない。【朽ち夜魅】はその一つ一つが戦闘を終わらせる切り札で、乱発するようなものじゃないからな。だが、貴様を殺すには、そういう無茶もしなけりゃならんようだ」
グレンの目が妖しい光を放つ。身体が盛り上がり、肩と脇から手が生える。顔の左右に新たな別の顔が浮かび上がった。どこか悲しみを湛えたような表情が、鬼神の力の凄みを静かに伝える。
【アクティブスキル(SR)【朽ち夜魅・阿修羅】
闘争の神は哀しみを携えて静かに降臨する』
肩から生えた左手には燃え盛る日輪を、右手には静謐に輝く月輪を持ち、脇から生えた腕は刀と槍を持ち、通常の腕は胸の前で印を結ぶ。空気が、いや、世界が、カタカタと震えた。【朽ち夜魅・修羅三千大千世界】が揺らいでいる。世界を維持できなくなりつつある。グレンの顔にじっとりと汗がにじむ。
「いったいどうなるのか、俺にも分からん。だから、受けてくれ、特級厨師。これが俺の、全てだ」
グレンの影が泡立ち、粘性を帯びた水音が聞こえる。影は地面を腐らせながらトラックに向かって伸びる。道を示すように影はトラックの足元に到達する。トラックは静かにクラクションを鳴らした。グレンは嬉しそうに、笑った。
『アクティブスキル(ユニーク) 【朽ち夜魅・真・百鬼夜行】
昏い狂気は異形を生み、異形は世界を侵食する。けれど、異形を抱えぬ人などいるのだろうか?』
グレンから伸びた影から、湧き上がるように異形の姿の何かが現れる。腐った皮膚を持つ竜、溶けながら再生し続ける双頭の鷲、そして、人。おぞましい姿の異形たちは、なぜだろう、皆悲しそうに見える。
トラックの身体から光が溢れる。それは、金でも銀でも赤でもない、真っ白な光だった。影を打ち消すような白。具体的な姿を持たない透明な白だ。やがてグレンの影は周囲を埋め尽くすほどの異形を作り出す。トラックの纏う白も、その純度を増していく。世界が、震えている。
「死ね、トラック!!」
グレンの祈りのような叫びが響き、異形が一斉にトラックに襲い掛かる。グレンの祈りに応えるようにクラクションを鳴らし――
『アクティブスキル(一子相伝)【無限光】』
黒と白が、激突した。
グレン……お前……
ただの変態じゃなかったんだな……




