闘争
八方からの同時攻撃は回避も防御も許さず、すべてが致命傷となる威力でトラックに迫る。トラックは急加速して正面の一体に体当たりした。衝突の衝撃でグレンの分身が吹き飛――ぶことなく、両腕でトラックの前進をがっちりと受け止めた! トラックの前輪がギャリギャリと地面を削る。勢いが完全に止められ、左右と後方から残りの七体の刃がトラックの車体に必殺の一撃を浴びせる――!
「がはっ!」
トラックの体当たりを抑え込むために力を集中していたグレンの分身が、不意に思わぬ方向から放たれた攻撃をまともに受けて吹き飛ぶ。トラックの【手加減】の放つ渾身の力を込めたミドルキックが、真横からその脇腹を抉ったのだ。抑えを失ったトラックは前方に逃れ、七つの凶刃が空を斬る。すぐさまトラックは牽制の【回し蹴り】で敵の追撃を封じた。【回し蹴り】の余波を受けて七体の分身の連携がわずかに乱れる。トラックのヘッドライトが妖しく光った。
『アクティブスキル(SR)【怒りの陽電子砲】
迸る怒りを電気に変えて、陽電子を亜光速まで加速して放つ荷電粒子砲』
大気を裂いて放たれた陽電子砲がグレンの分身の一体に直撃して大爆発を起こす。土煙が周囲を覆った。敵の姿が見えない――と思ったら、次の瞬間、視界を遮る煙を引き裂いてグレンの分身が再び迫る!
――バキンッ
トラックとグレンたちの間に割り込んだ【手加減】が掌打で蕨手刀を叩き折り、円を描くような軌道で放たれた右拳はグレンの分身の一体の顔にクリーンヒットする。瞬時に意識を刈り取られ、グレンの分身の一体が膝から崩れ落ちた。トラックが【マチガイル】で別の一体を浮かせ、【回し蹴り】をその無防備な身体に叩き込む。十メートルほど吹き飛んだその分身は地面に転がり、そのまま動かなくなった。
「……強い」
土煙が晴れ、残り四体となったグレンの分身が遠巻きにトラックを囲む。その額には一様に冷たい汗が滲んでいた。トラックは今、おそらく初めて、【手加減】の力を制御している。死なせない、という最低限の効果だけを残して、傷つけない、という部分を放棄して、戦っているのだ。そして、『傷つけない』という枷を外されたトラックは、こうも強い。っていうか、【手加減】が強い。むしろ【手加減】が強い。なんかいつの間にかトラックのバディ的な位置付けで戦ってくれてるけども、そもそも【手加減】が独自に敵を攻撃するっておかしくない? 【手加減】が敵を攻撃しているときにトラックが別個に攻撃したら、トラックの攻撃は手加減なしってことになんの? それダメやろうがぁーー! 趣旨変わっとるやろうがぁーー!
「……ふふ」
グレンが目を瞑ってうつむく。こらえきれない、と言うように、その口から笑いが漏れる。
「ようやくだ。ようやく会えた。勝てる未来が想像できぬ相手に。俺を殺しうる敵に!」
分身の姿が揺らぎ、一体に吸い込まれるように消える。異形の姿が燐光と共にしぼみ、グレンは人の姿を取り戻した。
「生きるとは、戦うことだ。闘争なしに生きることはできない。生とは他者の否定だ。自己を肯定するには、他者を力で従えるほかない」
にぃ、とグレンは笑みを浮かべる。
「俺は貴様を否定する。貴様は俺を否定する。それだけだ。善も悪もこの世にはない。勝ったほうが我を通す。この世にあるのは、力だけだ。どれほど取り繕っても、結局は全てが暴力に屈する」
グレンは長剣を軽く振った。ヒュっと風を切る音が聞こえる。
「これで、最期だ。これが俺の全てだ。だから、特級厨師トラック。お前も全てを見せてくれ。全ての枷を取り払って――」
祈るように静かに、グレンはまっすぐトラックを見つめた。
「――俺を、殺してくれ」
凍えるような風が吹き、怯えるように地が震える。グレンの足元から、空間が塗り替えられるように異界が広がる。
『アクティブスキル(ユニーク) 【朽ち夜魅・修羅三千大千世界】
永遠に続く闘争の世界、修羅道を現世に顕現する』
地面は草の一本も生えぬ荒野に変わり、風はじりじりと焼けるような熱を運ぶ。遠くに見える山の頂から溶岩が噴き出し、川となって流れていく。命の気配のない世界で、グレンとトラックが対峙している。【手加減】は変わらずトラックの隣に立っていた。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。グレンは首を横に振った。
「もはや、語ることはない。この修羅の世界で意味を持つのは戦うことだけだ」
グレンは無造作に剣を振りかぶり、そして振り下ろした。その斬撃は異界の空気を切り裂き――届かないはずのトラックの右のサイドミラーを切り落とす。【手加減】がはっと目を見開いた。な、なんで!? かすりもしない剣がどうしてサイドミラーを?
「ここは俺のスキルで展開した、俺の支配する領域だ。ここでは俺の願いが全て叶えられる。『当たれ』と願えば、どれほど離れていようと俺の攻撃は当たる。『砕けろ』と願えば――」
グレンが左手を突き出し、何かを握るようにゆっくりと閉じる。【手加減】の顔が苦痛にゆがんだ。【手加減】の右上腕が押しつぶされるようにへしゃげ、
――バキッ
鈍い音を立てて砕ける。その腕がだらんと下がった。奥歯を噛み、【手加減】は左手で自らの右腕を付け根から引きちぎる。呻くような声を上げると、【手加減】の右腕が根元から再生する。【手加減】は荒く息を吐き、グレンをにらんだ。プァン、とトラックがクラクションを鳴らす。【手加減】は大丈夫と言うようにうなずいた。
「忠告しよう、特級厨師」
心から憂うような瞳でグレンは言った。
「甘い幻想に囚われたままでは、簡単に死ぬぞ」
その言葉を証明するように、グレンが無造作に振るった長剣がトラックの左のサイドミラーを砕いた。
トラックはプァンとクラクションを鳴らし、グレンに向かってアクセルを踏む。【手加減】がうなずきを返し、トラックに並走する。グレンは再び剣を振りかぶった。距離も位置関係も無視して届く攻撃に対処する方法は一つしかない。それは、攻撃をさせないこと。攻めて、攻め続けてグレンを防戦一方に追い込むしかトラックに勝機はない。
振り下ろそうとしていた剣を【怒りの陽電子砲】で弾き、トラックは正面からグレンに突っ込む。同時に左に迂回した【手加減】が拳を握りしめてグレンに迫る。グレンは【跳躍】で空に逃れた。トラックが急ブレーキをかける。トラックのキャビンを踏み台にして、【手加減】が空にグレンを追う。しかし――
「抉れ」
その追撃はわずかに及ばず、グレンが攻撃する時間を与えていた。左手を突き出すような動作をした瞬間、【手加減】の左わき腹が抉れて消し飛ぶ。口から溢れるものに構わず、【手加減】は歯を食いしばって中空を蹴り、グレンに渾身の拳を叩き込んだ! 身体をくの字に曲げてグレンがうめき声を上げる。【手加減】が口の端を上げ――力尽きたように落下を始めた。グレンは【姿勢制御】で体勢を立て直すと、右手の長剣を【手加減】に向ける。
「まずは、貴様だ」
――ゴウッ
繰り出されようとした突きはしかし、トラックの放った【サイクロントルネードハリケーン】によって阻まれる。風に弄ばれる木の葉のように暴風の中でもみくちゃにされるグレンをよそに、トラックは【念動力】で【手加減】を受け止めた。【手加減】は抉れた右脇腹に手を当てる。失われた場所が泡立ち、再生する。【手加減】の身体がわずかに揺れた。再生できる、とはいえ、ダメージがないわけではないのだろう。その顔は苦痛に耐える者のそれだ。
「散れ」
グレンの言葉と共に暴風が散り失せる。トラックは素早く【フライハイ】で空に昇り、グレンに向かってアクセルを踏んだ。
『アクティブスキル(ベリーレア)【突撃一番星】
一等星の輝きを身に宿し、阻む万象の一切を無慈悲に滅砕する流星となれ!』
銀の光を纏ったトラックが空中で無防備な姿を晒すグレンに突っ込む! グレンは笑みを浮かべ、長剣でトラックを迎え撃った! 赤黒い闇と銀の光が交錯する!
――シャラン
無数の細かい鉄片が打ち合うような金属音が響き、トラックとグレンが後方に吹き飛ぶ。完全な互角、両者の力は完全に打ち消し合い、ダメージはないようだ。吹き飛ぶグレンに向かって【手加減】が走る。地面に叩きつけられる直前、【手加減】はグレンの身体を蹴り上げて空に飛ばした。それは激突の衝撃からグレンを守るとともに次の攻撃を阻止するためなのだろう。瞬時に【手加減】はグレンのさらに上に移動し、両拳を組んで大きく振りかぶると、勢いよくグレンに叩きつけた! グレンの身体が吹き飛び――その先に、トラックがいる。
『アクティブスキル(レア)【マチガイル】
突っ込んでくる敵に対してカウンター気味に放たれる
サマーソルトキック』
トラックの車体が縦に回転し、飛んできたグレンをまたも上空に跳ね上げる。さらに【怒りの陽電子砲】がグレンを直撃し、空中で大爆発を起こした。【手加減】は油断も驕りもなく、落下するグレンに近付く。グレンの発動しているスキル【朽ち夜魅・修羅三千大千世界】の効果は続いている。グレンの心を折り、あるいは気を失わせるまで、攻撃を続ける以外にトラックに術はない。
【手加減】が拳を強く握り、グレンに向かって突き出す。グレンが、笑った。【手加減】が大きく目を見開く。グレンの右手には長剣が握られていなかった。
「貫け」
かすれてほとんど聞こえぬような声でグレンが囁く。【手加減】の拳がグレンを捉える直前、背後から飛んできた長剣の刃が【手加減】の胸を貫いた。
――プァン!
トラックが焦りと共にクラクションを鳴らす。半ば本能に突き動かされる形で、【手加減】は倒れ込むようにグレンを落下の衝撃から守った。グレンが【手加減】の首を掴む。【手加減】が苦しげに呻く。
「断て――」
グレンの言葉が終わる寸前、【手加減】の姿がスイッチを切り替えたようにふっと消える。トラックがスキルを解除したのだ。【手加減】に刺さっていた長剣が乾いた音を立てて地面に落ちる。長剣を拾い、グレンは乾いた目で笑った。
「これでようやく、手加減なしのお前と戦える」
ギリリと奥歯を噛むように、トラックはハザードを焚いた。
【手加減】なしのトラック無双なんて、ピーマンしか焼かないバーベキューみたいなもんだろ。




