対決
ケテルの正門前の戦いは、ドワーフたちやマスターを含めたケテル兵の奮戦によって、そして何よりトラックのでたらめな活躍によって奇跡的に戦線を維持している。吹き飛ばされ、起き上がり、再び前に出て戦うことを強いられるカイツール兵たちに、身体的なものとは違う疲労が見える。あんな化け物とどうやって戦えばいいというのだ、というある種の諦めに近い感情がカイツール兵の動きを鈍らせていた。ケテルの兵はカイツールの兵を殺さない、という事実が、カイツール兵から「殺さねば殺される」という切迫感を奪い、士気は大いに下がっていた。
――プァン
不意にトラックが動きを止め、ある一点に向けて静かにクラクションを鳴らした。それは明らかに特定の誰かに向けて放たれたもので、敵も味方も、皆の視線がトラックの見据える先を向いた。トラックの視界を遮る位置にいた敵兵が海を割るように左右に分かれて道を譲る。そしてその先には、忘れようにも忘れられない男の姿がある。
――グレン・ジェマ。
傭兵団『屠龍』の総隊長。猫人の村を襲い、トラックと戦って、トラックに勝った男。殺し、壊すことを求めて戦う、決してトラックとは相容れない相手。トラックにとって絶対に勝たねばならない、敵。トラックは迷いなくグレンへとアクセルを踏み込む。この男を倒すためにこの戦場に身を置いている。そう思えるほどに、脇目も振らずトラックは走る。
グレンはすらりと剣を抜き、ゆっくりと走り始める。『屠龍』の隊員が動こうとするのを副隊長が制し、戦場の動きが止まる。トラックとグレンだけが、互いに向かって走る。グレンが徐々に足を早め、両者の距離はすぐになくなり――
――ガギィン!!
トラックのキャビンとグレンの振り下ろした長剣が激しい火花を散らした。
「失望したぞ、特級厨師」
心から無念そうに、グレンはギリギリと長剣を押し込みながらトラックをにらむ。
「お前は以前会ったときよりさらに強くなっている。それなのに、未だ【手加減】などという惰弱な幻想を捨てられずにいるというのか? お前は何のために強くなった? 強さとは、阻む他者を蹂躙する力のことだ!」
腕力で強引に押し返され、トラックは思わずといった様子で後退する。グレンが長剣を振り下ろし、地面を穿った。剣気が大地に亀裂を刻み、余波でトラックのサイドミラーが割れる。
「俺とまともに戦える奴はほとんどいない。だから俺は待ったのだ! あのときお前を殺さずに、お前が俺を殺しに来る時を! 互いの殺意が交わり、削り合い、新たな高みへと至るその瞬間を! それがどうだ! 戦場にあって血が流れず、誰も死なず、誰も殺さず! そんなものは戦いではない! ただのお遊びだ!」
グレンの長剣の刃が赤い輝きを帯びる。それは【絶対攻撃】――いかなる攻撃も必ず命中する攻撃用スキル――が発動した証だ。【無敵防御】と対を成す、相手を殺すというグレンの意志を体現したようなスキルは、禍々しい気配を周囲に放ってビリビリと肌を刺す。
「武の頂に届かんがために、俺は相応しい相手を探していたのだ! 俺を殺しうる敵を待ち侘びていたのだ! この絶望が分かるか!? ようやく巡り合った運命が無残に零れ落ちたのだ! 貴様の惰弱な精神のために!」
心の底から悔しさを滲ませ、グレンは剣を構えた。鮮血に似た禍々しい赤に輝いていた刃が徐々にどす黒く色を変える。闇が滴り、地面にわだかまって命なき異形が生まれる。ふと、グレンの顔から表情が消えた。
「……もういい。ただ、不快なだけだ。消えるがいい。この世に何の痕跡も残さずに」
深く冷たい怒りを吐き出すように息を吐き、グレンは無造作に剣を振るった。陽光をかき消す闇が斬撃となってトラックに向かって走る。生み出された魑魅魍魎がトラックを喰いちぎろうと斬撃を追う。
『アクティブスキル(SR) 【朽ち夜魅・百鬼夜行】
狂気の闇を極めた剣は魑魅魍魎を呼び寄せ、触れるものすべてを朽ち滅ぼす』
迫る闇と異形の群れに対し、トラックはぼーっと何もせずに止まっている。闇はトラックを飲み込み、異形たちはその闇へと飛び込んでいく。斬撃が獲物を狩り、魑魅魍魎が死肉を漁る。闇が晴れたときには何も残らない。【朽ち夜魅・百鬼夜行】は、相手の存在そのものを否定する意志の現れなのだろう。
グレンが小さく息を吐いて剣を納める。闇に飲まれて生き残る術はない。グレンの表情に勝利の喜びはなく、埋めようもない寂しさと孤独があった。ひどく疲れたように踵を返し――グレンの動きが止まる。ハッとしたように振り返ると、トラックを包んでいた闇が膨らみ、やがて内圧に耐えられなくなったように弾けた。グレンが大きく目を見開く。闇の欠片が空気に溶け、魑魅魍魎たちがキラキラとした光に包まれ、穏やかな表情で天を仰ぐ。
『スキルゲット!
アクティブスキル(HOR) 【善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや】
魍魎怨霊バッチコイ! みんなまとめて往生せいや!』
魑魅魍魎たちを包む光はやがて柱となって天に伸び、はるか浄土へと運んでいく。抱える苦しみも悲しみも、全てを解き放って。彩雲が空を彩り、かすかに香の匂いがした。
「俺の【朽ち夜魅】を、掻き消したというのか?」
唖然とグレンがつぶやく。まさか生み出した魑魅魍魎が浄土に送られるなんて想像もしていなかったのだろう。というか、浄土が何なのかも知らないだろう。トラックがプァンと静かなクラクションを鳴らす。ギリリと奥歯を噛み、グレンはトラックをにらみつけた。
「……それほどの力を持ちながら、なぜ――」
グレンは再び剣を抜き放ち、叩きつけるように叫んだ。
「認めんぞ、特級厨師! 俺は絶対に貴様を認めない! 弱者は蹂躙され、強者が栄華を誇るのだ! それが世界の理だ!」
まるでトラックの語る理想が、命には不可侵の価値があるという理念こそが理不尽なのだと言うように、グレンは激しい感情をむき出しにする。刃が再び赤い光を放った。
「弱い者は誰からも顧みられずに消えていく。弱いままで生きることなど許されん! それがルールだ! この世界というゲームのルールだ! それを今さら否定するな! 弱いまま生きることが許されるなら――」
グレンが剣の切っ先をトラックに向ける。刃の赤が黒く濁り、憎しみが滴る。
「――すでに虐げられて消えた弱者たちはどうやって納得すればいい!」
刃を染める黒は柄から手を伝わってグレンの身体をも漆黒に染めていく。対照的に瞳と髪だけは燃えるような赤に変わった。光も、未来も、希望も理想も拒んで、ただ闇と憎しみだけがグレンを包む。トラックはぶぉんとエンジンを鳴らした。闇の中から何かを照らし出そうとするように、車体が陽光を帯びていく。
「俺は、貴様を否定する」
そう宣言し、グレンは剣を構えた。トラックがクラクションで応える。グレンが地面を蹴り、トラックがアクセルを踏み込み――
『アクティブスキル(SR) 【朽ち夜魅・羅刹天】
悪鬼羅刹の力を宿し、全てを力によって蹂躙する』
『アクティブスキル(SR) 【瑠璃光・広大無辺】
遍く世界を照らす瑠璃色の光が救われぬ魂を包む』
相容れぬ二つの『意志』が、激突する――
相手を否定するには結局力づく、じゃあないものがそろそろ見たいお年頃なんですよ、ワタクシ。




