現実
戦場にまるで不似合いな、アップテンポの明るく青い歌が流れている。命を奪わんと繰り出される刃が陽光を反射する光景と、歌が伝える夢や希望とのギャップは、楽しいはずの歌詞を悲痛な祈りに変えていた。
『気付いてよ、ねぇ? この想い、受け止めて』
怒号が飛び交い、剣を打ち合わせ、盾で槍を払う音が想いをかき消す。歌は、誰にも届かない。
『知らないふりをしないで、こっちを向いてよ』
マイクを握りしめてカリオペイアが歌っている。黙れ、とでも言うように飛来した矢が照明を打ち抜き、派手な音を立ててステージの床に散らばった。
『声を聞かせて。ドキドキが止まらないの。大好きだって言わせてよ。あなたがうまくリードして』
火球がステージに着弾し、爆風を受けたバックバンドのベーシストが吹き飛んだ。ミューゼスの三人が慌てて振り返る。ベーシストはわずかに上半身を起こして叫んだ。
「歌を止めるな! 曲の途中だ!!」
ステージの周囲ではケテルの兵が懸命に敵の侵入を阻止している。「危険です。お下がりください!」「ステージへの侵入はご遠慮ください!」と叫びながら【手加減】の剣を振るっている。唇を噛み、ミューゼスは再び前を向く。ベーシストは力尽きたように気を失った。ベースを失ったまとまりを欠く伴奏が曲を進行する。
『臆病になる。立ちすくむ。今日も姿を追う。あなたに――』
精一杯の思いを込めたミューゼスの声が唱和する。
『胸きゅん☆はぁとDE恋シテル!!』
曲が終わり、瞬間的にステージから音が消える。戦場は――何も変わらない。殺し、壊す意志が渦巻く空気が変わらない。カリオペイアはスタンドマイクに寄り掛かり、うつむいて目を閉じる。
歌で世界を変えることはできないのだろうか。心を打ち、心を震わせ、苦しみや悲しみを別の色に塗り替える力を、私の歌は持っていないのだろうか。現実を前にして歌は無力だろうか。誰も、救えないのだろうか。そんな弱気がカリオペイアに浮かぶ。音楽を失った戦場は当たり前のように戦いの音が支配している。当たり前だ、戦場なんだから。
生まれながらに与えられた『悪魔』の力に怯えて生きてきた。『悪魔』と決別して後、セシリアを守るための力を求めたとき、剣士が思い描いたのは暴力ではなかった。誰かを傷付けることを、命を奪うことを、彼はもう受け入れられなかったのだろう。『悪魔』と同じにはならない。その想いを受けて『何でもない剣』が授けたのが、歌の力だった。
しかし今、彼の、カリオペイアの歌は届かない。歌に込めた希望も、未来も、愛も、死と破壊と絶望の前に脆く崩れて風に散る。歌で世界が変わるなど絵空事だと、現実が嘲笑っている。どんな歌だって、聞いてもらえなければ届かないのだ。そして、戦場は歌を聞く場所ではない。カリオペイアは強く奥歯を噛む。顔を上げ、戦場をにらむ。皆が戦っている。死が足音を立てて迫る。
「私の歌を、聞けっ!!」
憤りを込めてカリオペイアは叫ぶ。その頬を一粒の涙が伝った。込めた想いも、祈りも、戦場の音が掻き消していく。何も、変わらない――
「バカじゃないの?」
冷たい罵倒がカリオペイアに向けられ、ミューゼスの三人は声の主に視線を向ける。そこには、まだ幼いと言っていい面立ちの少年が、ハルバードを担いで立っていた。
樹上に潜み、イヌカとルルたち猫人の部隊はエーイーリー伯の築いた野戦陣地を見つめている。森を切り拓いて作ったその陣地は、参戦すればすぐに放棄されるはずの仮設にしては過剰に見えるほどに防御を固めている。馬防柵を配置し、空堀で囲み、櫓を建て、警備兵が周囲を巡回している。工事はまだ続いており、もはやこの地に砦を築こうかという勢いだ。それはここの主の性格を如実に表している。つまり、エーイーリー伯はここまでしなければ安心できない、ということだ。
「……私たちの森を、好き勝手に――!」
ルルが陣地を憎らしげににらむ。陣地を作るための資材は現地調達、つまり周辺の木々を切り倒して使われる。森に住む獣人たちにとってみれば自分の庭を荒らされているようなものなのだろう。
猫人たちの憎しみの視線とは別に、イヌカの表情もまた厳しいものだった。イヌカは苦々しくつぶやく。
「……臆病だとは聞いていたが、やり過ぎだろ。隙がねぇ」
警備兵が数人の小隊を組んでひっきりなしに行き来し、櫓から弓を構えた兵が周囲を警戒している。前線から離れた後方、しかも兵站基地というわけでもないというのに、その警戒ぶりは度を越しているように見えた。陣地の中央には陣幕が張られ、エーイーリーの紋章がはためく一角がある。エーイーリー伯はおそらくそこにいる。
「どうする? 仕掛けるか?」
ルルが抑えた声で問う。だが、イヌカは表情を変えぬまま首を横に振った。
「……今、俺たちが仕掛けてもうまくいくとは思えねぇ。なにせ、な」
イヌカが濁した言葉の意味を、ルルは正確に読み取ったようだ。「なにせ」の後に続くのは「敵を殺せない」というセリフだろう。この作戦の要諦は『エーイーリー伯に恐怖を与えること』。自分が死ぬかもしれないと思わせられなければ伯が兵を退くことはない。だが、襲撃者であるイヌカたちが兵を殺していないことが知られれば、恐慌を来たすほどの恐怖を与えることはできまい。つまり、この作戦を成功させるためには、『イヌカたちが誰も殺さないということに気付かれる前に派手な破壊を見せつける』必要がある。
「隠密行動とは真逆のスキルがいる。……Aランカーをひとり引っ張ってくるんだったぜ」
イヌカは調査部所属になってから任務に必要なスキルに特化したところがあるようで、高火力の攻撃スキルを持っていないらしい。もともと地味で堅実なスキルを好む傾向もあり、あらゆる場面で有能なものの、盤面をひっくり返すような爆発力はない。猫人たちは戦闘能力という意味では申し分ないが、その力は集団戦というよりは対個人で最も発揮されるもので、広域殲滅的なスキルは持っていないようだ。通常の戦争なら、彼らの行くところ屍の山、という状況が作れるが、【手加減】が前提となるこの作戦では恐怖を与えるだけのインパクトのある絵面にはならないだろう。
「だが、ここでじっとしていても打開策は浮かばないだろう。仕掛けるべきだ」
ルルの声に焦りが滲む。ケテルの戦況がどうなっているのかを知る術がない以上、ここでの時間の浪費は致命的な事態を招きかねない。カイツールに加えてエーイーリーの軍勢一万がケテルに襲い掛かってきたら、この戦争は絶対に勝てない。
かといってこのまま無策に突っ込んでいっても勝算はない。作戦が失敗してエーイーリー伯に『ケテル兵恐るるに足らず』との印象を与えれば、むしろ無用に功名心を刺激して参戦を促しかねない。ここまでの野戦築城をしたにもかかわらず無駄だった、戦場に身を置けば常に死が隣にいる、そうエーイーリー伯に思わせなければならない。だが、それを成し遂げるカードが、今、イヌカの手の中にない。
「決断を」
ルルがイヌカを見つめる。ルルだけではない。猫人の戦士たちがイヌカを見ている。これ以上待機を命じても猫人たちは聞き入れまい。イヌカは目を閉じ、沈黙する。数秒の後、目を開けたイヌカは、大きく息を吸って口を開い――
「その打開策ってやつ、あたしらに任せてもらえないかい?」
不意に聞こえた声に皆が思わず振り返る。そこにいたのは四人の人影。槍を持った女と大剣を背負った男、そして戦場に不似合いな優し気な雰囲気の女性と、彼女と手をつないだ幼い女の子だった。
カリオペイアの前に現れた少年、イヌカに話しかけた四人の人影。その正体はいったい誰か。
実は――
初登場キャラ、かもしれませんよ。




