選択
「耐えろ! 敵の攻撃も永遠ではない!」
空堀を背に半包囲され、間断なく攻め立てられる味方を鼓舞する咆哮が戦場に響く。ガートンパパが剣を振るい、飛来する矢を吹き散らした。ケテルの西を守る五百の兵は今、集団スキル【絶対防壁】を発動して辛うじて敵の猛攻に耐えている。しかしそれはもはや、守りを固めるしか手立てがない、という絶望的な状況を示していた。囲まれているということは、敵と対峙している兵は外周にいる一部だけで、内側にいる多くの兵が機能していないことを意味する。攻撃を受けて負傷した者を内側に下げ、内側にいた者が入れ替わることを繰り返しているが、負傷していない兵などすでになく、負傷兵を癒す治癒術士の疲労も限界に達していた。今発動している【絶対防壁】が崩れたとき、終わる――その感覚はその場の誰もが共有するところだろう。
「攻め続けよ! 一度崩してしまえば、奴らにそれを立て直す術はない!」
敵将が剣を掲げ、敵の攻勢が強まる。【絶対防壁】のスキルウィンドウが揺らいだ。
「……将軍! もう、これ以上は――!!」
傍らにいる副将が悔しさを滲ませてガートンパパを見る。ガートンパパは答えず、いや、答えることができずに敵をにらむ。
「トラックよ。貴方が成したことを、我らが成すことはできぬか。英雄でなければ、特別でなければ、互いを『命』と尊ぶ世界は、描けないのか――」
人とゴブリン族は、はるか神話の時代から争い、殺し合ってきた仇敵だった。ほんの一年前まで、言葉も通じず、姿を見かければ襲い掛かる。殺さなければ殺される。そんな関係を変えたのは、トラックという一人の男の言葉であり、行動だった。原因不明の病に伏した妻を、その男は「救える」と言い、自ら傷付くことを厭わず奔走し、実際に救ってみせた。理由もなく、存在するだけで害悪だと刃を向けていた歴史がその時変わった。ゴブリンの命は、人と同じく、等しく救うに値するのだと、その男はそう示したのだ。ゆえにゴブリン族はケテルを、人を信じることができた。刃ではなく言葉を交わすのだと、そう決意することができたのだ。
「甘い幻想を、貫く強さを――」
目を閉じ、ガートンパパは小さくつぶやく。数秒の沈黙の後、目を開けたガートンパパは強い決意を宿した瞳で剣を掲げた。
「皆、これよりは敵を打ち払うのではなく、己を守ることに専心せよ! 誰も死んではならぬ! これは軍命である!」
同時にガートンパパの身体が淡い光に包まれる。それは命の限りを燃やし尽くす黄金色の輝き。その意味するところに気付いた副将が目を見開く。
「いけません! 将軍っ!!」
光は徐々に強まり、スキルウィンドウがその正体を告げる。
『アクティブスキル(SSR)【サクリファイス】
己を死神の供物に捧げ、一時的に発動したスキルの効果を十倍にする。
発動したスキルの効果が切れると死神が現れ、
スキル発動者の魂を刈り取る』
ガートンパパは桎梏から解き放たれたような清しい笑みを浮かべた。
「理想は捨てぬ! 未来を諦めぬ! だが、英雄ならぬこの身にそれを成す力が足らぬなら、犠牲なしに成し遂げることが叶わぬというなら!」
大地がわずかに震え始める。怯えるように細かく空気が振動する。ガートンパパの目が紅く光った。この世ならざる気配が渦を巻く。
「最初の犠牲は俺がなろう!!」
『アクティブスキル(YKL)【鬼神降臨】
異界より鬼神・牛頭天王を自らの肉体に降臨させる』
晴れていたはずの空がにわかに掻き曇り、雷鳴が轟く。自然をすら捻じ曲げるすさまじいまでの重圧が戦場を支配する。雲間から光が差し、ガートンパパに降り注ぐ。尋常ではないその雰囲気に敵味方を問わず混乱が広がる。
「許せよ、トラック。だが、お前の目指す道は正しいと信じている」
ガートンパパの身体がメキメキと音を立てて膨張する。牙が伸び、角が赤くねじくれ、その顔に忿怒相が浮かび上がり――
「だったら、やり方間違えてんじゃないのかい?」
その声は不敵な自信を携えて、発動直前のスキルウィンドウを粉々に打ち砕いた。
荒く息を吐き、レアンパパは戦場を見渡した。冒険者を中心とした小隊が敵をかき乱し、分断して局所的な数的優位を作る、その作戦はうまくいっている。少なくとも今は。しかし、それがすぐにでも限界を迎えることは明らかだった。なぜならこの作戦は、こちらの機動力が落ちないことを前提としなければ成立しないからだ。戦場を常に動き回らなければ囲まれて終わる。だが、生物の体力が無尽であるはずもない。獣人もゴブリンも人間に比べれば遥かにタフだが、永遠に動き回ることができるはずもない。事実、ゴブリン族の部隊の動きが徐々に鈍り始めていた。
「いかんっ!」
ゴブリンの一隊が追いつかれ、敵の槍が突き出される。レアンパパは剣を強く握り、気合の声と共に振るった。
『アクティブスキル(VR) 【獣爪黒炎哮】
獣剣術の奥義の一。研ぎ澄まされた闘気を黒炎に変え、
生ける者全てを灰燼に帰す剣風を放つ』
ゴブリンに迫っていた槍が瞬時に燃え朽ち、黒い灰になって大気に散る。ゴブリンたちが【吹き飛ばし】で敵兵を退け、再び走り出す。安堵の暇もなく、レアンパパは自らに向けられた敵の槍を打ち払った。
「……おかしなものだな」
ふと、レアンパパは苦笑いを浮かべた。ほんの少し前まで、ゴブリンの命などに何の関心もなかった。ゴブリンは独自の言葉を持ち、意志の疎通もままならない。獣人族は人間ほどにゴブリンの生活域に進入することがなかったために対立が先鋭化することはなかったが、それでも互いに姿を見たら警戒し、牙を剥く間柄ではあったのだ。それがどうだ。今は敵の刃がゴブリンたちに向けば、考えるより先に身体が動く。助けるべき仲間なのだと、自身の手がそう命じる。そうかと思えば、目の前に敵として現れているのは、曲がりなりにも友好関係を結んでいたはずの人間だ。同じ人間でもケテルの民は味方、クリフォトの民は敵。敵と味方は『種族』という括りでは語ることができない。それはきっと――
「言葉を交わさねば、分からんということなのだろうな」
言葉を交わせば、共に食い、酒を飲めば、分かる。『人間』は、『ゴブリン』は、『敵』は、『味方』は、そう括って存在しない平均を見ていては、分からない。ハッと何かに気付き、レアンパパは「そうか」と小さくつぶやいた。
「……あの男は、『個』を見よと、言っていたのか」
どんな生を歩んできたのか。何が幸せで、何を大切にしているのか。それを知れば、相手が『敵』ではなく『命』であることがわかる。未来を奪ってはならない相手であると分かる。だが、それは『戦争』という価値観と根本的に相容れない。殺し、壊し、相手を否定するのが『戦争』の本質だから。だからトラックは――
「――『戦争』そのものを、否定するのだな」
『戦争』に手加減などない。殺さない『戦争』などない。だからトラックは、この戦いを『戦争』ではないことにしたいのだ。終わった後に誰も死んでいなくて、いったい俺たちは何をしていたんだと呆れてしまうような、しょうもない、バカらしいものにしたいのだ。『戦争』に命を賭ける価値などないと、そう言いたいのだ。
レアンパパは戦場を見渡す。皆が、動かぬ足を動かし、絶望をかみ殺して剣を、槍を振るっている。鋭い刃に【手加減】を乗せて。トラックの語る未来を、誰も死ななくていい未来を信じて。
「……ここまでだ」
レアンパパの牙の間から呻くように言葉が漏れた。もはや皆に、甘い幻想を実現するだけの余力はない。殺せば殺される。恨みと憎しみが降り積もり、世代を超えた憎悪の連鎖が続くことになる。それでも、心を削って戦う皆に『殺されても殺すな』ということはできない。大きく息を吸い、レアンパパは罪を一身に負う覚悟を以て叫んだ。
「【手加減】の使用義務を解除する! 己を守れ! 我らは生きて必ず故郷へと帰らん!」
皆が驚きと共にレアンパパを振り返る。敵もまた、もう【手加減】してもらえなくなるのかと動揺を示した。ほんのわずかの時間、戦場の動きが止まる。そして、再び戦場が動き出す、その直前――
「そいつはちょっと待ってくんねぇ?」
戦場に似つかわしくない、どこか緊張感のないその声は、しかしその場にいる皆の心を確かにつかんで広がった。
ガートンパパもレアンパパもそれぞれにカッコいいと思います。
つまり、パパはカッコいいのです。




