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光明を見ず

 放たれた矢のように、トラックは単身敵陣に突っ込み、兵士たちをなぎ倒していく。【手加減】されているとはいえ、大型トラックの質量が時速百キロ近いスピードで迫る様子は敵に恐怖を与えているようだ。【手加減】が本当にされるのかは攻撃を受けてみないと分からない。トラックを知っている者たちであればトラックが【手加減】なしで誰かを攻撃することはないと分かっているだろうが、カイツールの兵たちがそれを知る由もない。敵兵たちは為す術もなく吹き飛ばされ、前線が押し返されていく。


「退いてください、王よ!」


 マスターがドワーフの王をかばうように前に出る。冒険者の一人がドワーフの王に駆け寄り、魔法で傷を癒す。礼を言い、しかしドワーフの王はハルバードを支えに敵をにらみ据えた。


「退いてはならん! 特級厨師を戦場に孤立させてはならん! 我らは進むのだ、トラックと共に!!」


 おおっ!! とケテル兵とドワーフたちが気合の声を上げる。この戦いはケテルにとって『心』の戦いだ。殺さない、殺させない、負けない、退かない。精神だけを支えに皆は戦っている。だから、退けば折れるのだ。殺してしまおう、殺されてしまうから。逃げてしまおう、負けてしまいそうだから。そんな考えが頭をよぎったその瞬間に、ケテルの敗北は決定する。進み続けなければ、戦い続けなければ、恐怖を振り払うことはできない。

 飛んできた矢を打ち払い、マスターは奥歯を噛む。まだ始まったばかりだというのに、兵たちに疲労の色が見える。当然だろう。こちらがいくら攻撃しても敵は減らないのだ。しかし敵の攻撃を食らえばこちらは死ぬ。殺していれば無用なはずの敵の反撃を防ぎ、かわし、いなして、また【手加減】した攻撃を叩き込む。終わりの見えない戦いを、ケテルの兵は強いられている。


「……どこまで貫ける? いつまで、俺たちは――」


 鉄棍を握りしめ、マスターは呻くようにつぶやいた。




 ケテルの西側に配置されたゴブリンと獣人の混成部隊、およそ五百。それに対し、千のカイツール兵が森を迂回して襲い掛かる。ケテル側の指揮はガートンパパが執っていて、獣人とゴブリンをうまくまとめているようだ。しかし倍する敵に対し、しかも【手加減】という足枷を負っての戦闘は困難を極める。それはガートンパパの能力でどうこうできる問題を超えているだろう。


『アクティブスキル(レア) 【獣牙裂空閃】

 獣剣術の奥義の一。研ぎ澄まされた闘気を剣に宿し、

 大気を切り裂く剣風を放つ』


 犬人の将が放った剣風が襲い来る敵を吹き散らす。【手加減】は抜かりなく敵兵を怪我から守っている。吹き飛ばされた兵が別の兵にぶつかって陣形が崩れ、敵の連携をかき乱す。


「崩せ、崩せ! 体勢を整える暇を与えるな!」


 ガートンパパの檄が飛ぶ。ゴブリン語はすぐさま翻訳されて犬人に伝わり、連携は万全のようだ。事前に行った合同訓練の成果で、それはよかったのだが――相手を殺せない以上、戦い方はひどく限定される。すなわち、相手の気力と体力が尽きるまでひたすら耐える。それはたぶん、こちらの気力と体力が尽きることとどちらが早いかの競争で、そして、その競争に勝てるだけの見通しはない。


「将軍!」


 劣勢の知らせと救援を求める伝令が次々にやってくる。各部隊はじりじりと押され、ケテルの空堀を背に追い詰められたケテル側の兵たちは敵に包囲されて逃げ場もない。兵たちはガートンパパを見る。その瞳が言外に「【手加減】を止めろ」と告げている。


「……まだだ。まだ。だが――」


 ガートンパパの額に冷たい汗が滲み、伝い落ちた。




 一方のケテルの東側では、西側と同様に五百対千の戦いが繰り広げられている。指揮を執るのは犬人の将、レアンパパだった。


「かき乱せ! 敵を分断しろ! 囲まれたら勝機はないぞ!」


 レアンパパは兵の一部を五から十人程度の部隊に分け、敵をかく乱、分断する遊撃兵として運用しているようだ。本来なら、ただでさえ少ない戦力を小分けにして敵に突っ込ませるなんてことはしないのだが、それを可能にしているのは冒険者ギルドのAランカーたちだった。冒険者たちは集団戦よりも少人数での運用にこそ実力を発揮する。そう確信したレアンパパは少人数の部隊に最低一人の冒険者を入れ、強力な攻撃スキルを存分に振るえるようにしたのだ。

 冒険者率いる部隊が敵陣を切り裂き、陣形の崩れた敵に本体が一斉攻撃を仕掛ける。局所的な数的有利を瞬間的に作り出し、その一瞬を逃さず各個撃破する。その作戦は奏功しているように見えた。しかし、レアンパパの表情は暗い。なぜなら――


「敵が死なんということが、これほど厳しいとはな」


 思わず、といった風情で弱音がこぼれ、レアンパパは慌てて口を引き結んだ。戦場で弱音を兵士に聞かせるわけにはいかない。だが、その言葉はレアンパパだけではなくすべてのケテル兵が共有するところだろう。作戦はうまくいっている。これが普通の戦争なら、各個撃破した敵は戦場からいなくなるはずだ。しかし今回の戦いは、分断した敵を攻撃したところでせいぜい敵に恐怖を与える、くらいのことにしかならない。それも何度も繰り返せば、恐怖を与えることすらできなくなるかもしれない。体力を削り、心を折る。この戦いに勝つためにしなければならないのはその二つだが、それをどうなしうるのか、レアンパパにも明確な答えはないようだ。


「ぐわぁ!」


 敵の放った矢を受けた味方の兵士が膝をつく。レアンパパの双眸が火を噴き、かざした剣から放たれた業火が次々と飛来する矢を焼き尽くした。


「……味方は減り、敵は無尽、か……」


 運命を呪うように、レアンパパは中空をにらんだ。




 ケテルの北側は、他とはやや異なる状況にある。カイツール兵千が襲い掛かってきた、ということ自体は他と変わりはしないのだが、迎え撃つケテル側は――


「……すまない。付き合わせてしまって」


 剣士が頭を下げる。気にしたこともない、と言うようにナカヨシ兄弟が笑った。


「なんの。我らが兄弟、すでに道は見定めておる」

「おうよ。挑む貴方の助けになるなら、本懐というもの」


 戦場に不似合いなステージが設えられ、主役の登場を待つ。ステージの周囲をケテル兵が囲み、守っている。大地を踏み鳴らす音、剣の打ち合う音、鎧が立てる金属音――戦争の音を、剣士たちは塗り替えようとしている。

 大きく息を吸い、ステージ袖で剣士が『何でもない剣(ダブラ・ラーサ)』を抜き放つ。鞘から解放された剣は光を放ち、剣士を、ナカヨシ兄弟を、包んでいく。光が晴れたとき、そこにいたのは一組のアイドルユニット――『ミューゼス』のカリオペイア、エラトー、ウーラニアだった。


「行こう」


 互いにうなずき合い、三人は袖からステージ中央に駆ける。同時に、始まりを告げるように幾つも花火が上がり、冬の空に広がる。何事か、もしや敵の策略かと、カイツールの将が花火を見上げた。ステージ中央に置かれたスタンドマイクをカリオペイアが手に取る。スポットライトが『ミューゼス』を照らし出す。戦場全体に聞こえるように、カリオペイアは精一杯の声を上げた。


「『ミューゼス』ウィンターツアー・イン・バトルフィールド! 始まるよ!!」


 カリオペイアのその声は、しかし戦場の音をかき消すには至らない。ステージの周囲ではケテル兵が必死に敵の猛攻に耐えている。放たれた矢がカリオペイアの頬をかすめた。わずかに血が滲む。マイクを両手で強く握り、己を奮い立たせるように、カリオペイアは叫ぶ。


「それでは、聞いてください! 最初の曲は私たちのメジャーデビューシングル、『胸きゅん☆はぁとDE恋シテル』!!」


 戦場に渦巻く死と破壊に抗うべく、『ミューゼス』の戦い(・・)が始まった。




 薄暗い森の中を、無数の影が音もなく走っている。先頭にいるのは猫人の村長の娘、ルルとイヌカだった。森に潜み、森の中を大きく迂回して、イヌカと猫人の部隊はエーイーリー伯の陣幕を目指している。


「まだなのか? 伯爵ってのの陣地?」


 焦りを滲ませてルルが言った。戦場ではすでにカイツール兵とケテル兵の戦いが始まっている。しかしその戦況がこちらに伝わることはなく、いたずらに焦りが募っているようだ。ケテルがカイツールに対して優位なら、カイツールはエーイーリーに救援を求めるかもしれない。ケテルがカイツールに対して劣勢なら、エーイーリーを退却させることによってカイツールを動揺させ、劣勢を覆す契機としなければならない。つまり、ケテルが優勢であろうと劣勢であろうと、イヌカたちは早くエーイーリーを退場させないといけないのだ。


「焦るな。敵に見つかれば全部終わるぜ」


 抑えた声でイヌカが答える。音を消し、気配を消して進む代償は速度に現れている。そこを気にしなければもっと速く走れる、というルルの思いを見透かしているのだろう。森を大きく迂回している、とはいえ、敵の哨戒に掛からない保証はない。それに、この作戦の趣旨からして、イヌカたちがエーイーリー伯の陣幕を急襲することが知られればその時点ですでに失敗なのだ。予想もしなかった襲撃を受けて動揺する、という状況を作らなければ、エーイーリー伯は撤退を決断したりはしないだろう。


「だが、間に合わなきゃ――」

「間に合わせるさ、必ずな」


 己に言い聞かせるように、イヌカはルルの言葉を遮った。


「……必ず」


 間に合わなければケテルに勝機はない。決意を宿した瞳でイヌカは自らの行く先を見据える。エーイーリーの陣幕は、未だ視界に入ることはない。




 トラックは単騎で敵に突っ込み、なぎ倒して前線を支える。それによってできるわずかな時間の余裕を使って、ドワーフやケテル兵のけが人を冒険者の治癒術士が癒す。前線はかなり押し返されており、ケテル正門――すなわち女王アウラ、というかセシリア――からは遠ざかっていた。トラックは捜している。敵を、決して分かり合うことのできない敵の姿を。トラックは見定めている。この戦場での自分の役割を。この戦場に必ずいて、そしてトラック自身が対峙しなければならないその男だけは、自分自身で決着を付けなければならない。

――グレン・ジェマ。傭兵団『屠龍』の総隊長。その姿を捜して、トラックは戦場を駆けている。

戦争では人が死ぬ。常識ですね。でも、常識って、つまらないよね。

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何という過酷な戦い( ˘ω˘ )
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