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意志と思想

 ケテル側の刺すような視線をものともせず、カイツール伯は憎らしげな笑みを浮かべたままでアウラを見る。


「もう六年以上も前になりますか。貴女が皆を見捨て、燃え盛る城から逃げ出してから」


 明確な悪意に満ちた言葉にケテル側の兵たちがざわめく。アウラの表情は変わらない。


「一度逃げ出した貴女が、よもや再び王位を望むとは思いもしませんでしたよ。どうすればそこまで厚顔になれるのか、後学のために教えていただけませんか?」


 お供の騎士たちが一斉に笑い声を上げる。ケテルの兵たちの纏う雰囲気が一段物騒になった。兵の怒りを制するようにアウラが冷たい声を上げる。


「私の二倍以上長く生きているカイツール伯に私からお教えできることなどありません。ズォル・ハス・グロールにいち早く膝を折り、従順な犬のごとく我が城に攻め寄せた変節漢にむしろお聞きしたいわ。矜持という言葉の意味を」


 今度はケテル側から嘲笑が上がる。カイツール伯の額に青筋が浮かび、しかしすぐに余裕を取り戻したかのように笑みを浮かべる。


「六年という逃亡の日々で、ずいぶんと品性を失われたようだ。口ばかり賢しくなったのは卑しい身分に染まった証ですかな? セフィロト王家の証たる美しい金の髪も、追手を逃れるために染めておられたとか」


 カイツール伯の顔が侮蔑に歪む。


「哀れですな、殿下。それほどまでに命が惜しかったのですか? 王族の誇りもかなぐり捨てて生き延びることになんの意味があるのですか?」


 ルゼが冷淡な眼でカイツール伯をにらむ。


「アウラ様は『殿下』ではなく、新生セフィロト王国の王である。訂正いただこう、カイツール伯」

「誰にも認められぬ『自称』王など何の意味もないわ!」


 ルゼを一喝し、カイツール伯はなお言葉を続ける。


「髪の色も髪型も変えて、無様に逃げ延びることが王族に相応しい姿ですか? ズォル・ハス・グロール陛下はずっと貴女を捜していたというのに、王族の誇りたる金の髪を染めるなど、よもやそのように見苦しく生にしがみついているとは」


 カイツール伯の言葉が徐々に愚痴めいた雰囲気を帯び、視線を落としてブツブツと言い始める。


「まったく、想像だにしなかったわ。よもや髪の色を変えるなどあり得ぬであろう。そのようなことをされては、どれだけ懸命に捜しても見つからぬが道理よ」


 ……いや、まあ確かに髪の色が変わると雰囲気が全然変わるけども。ぱっと見誰かわからなくなることもあるかもしれんけども。


「髪の毛だぞ? 髪の毛の色だぞ? それを変えるなぞ、にわかには信じがたい。髪色を変えてどうして同じ人物を名乗るというのだ? 髪の色が違えば別人だろう? 同じ人間なら、髪の色だって同じだろう? そうではないか? いや、そうでなければならん!」


 ……


「本当にあり得ぬ。髪色を変えるなど、よくもそのような悪辣なことを思いつくものだ。髪の色だぞ? そんなもの変えられたら見つかるわけもないわ。髪色が変わったらいったいどうやって捜せというのだ。だいたい髪の色というものは変わらない前提だろう? その前提が崩れてどうして」


 どんだけ人物の特定を髪色に依存しとんじゃぁーーーっ!! 髪の色なんて普通に変えるわ! 染粉とか普通に売っとるわ! 髪の毛以外に人物を見分ける方法がないって初期のギャルゲーの登場人物かっ!!


「そのようなことを言いに、わざわざ?」


 アウラは冷淡に問う。カイツール伯はハッと現実に引き戻されたように顔を上げると、不快そうに鼻を鳴らした。


「貴女に王たる資格はないと、ご忠告差し上げようと参ったまで。己の立場を自覚なさり、ぜひ徒に兵を損なうことのないよう正しい決断を為されよ。今ならまだ間に合う。貴女の首一つで、ケテルは救われるのだ」


――プァン


 今まで黙っていたトラックが静かなクラクションを鳴らす。それは決して威圧的なわけでも激しいわけでもなかったが、カイツール伯の顔色を失わせるに充分な怒りを伴って戦場を渡る。ドワーフの王がハルバードを振り、その切っ先をカイツール伯に向けた。


「特級厨師の言う通り、我らが友をこれ以上愚弄することは許さぬ。もはや言葉は無用。これよりは血風の戦場にて、矢と剣を以て語られるがよかろう」


 ヒュっと風を裂いて放たれた矢がカイツール伯の頬をかすめる。エルフの女王がケテルの外壁の歩廊から凍えるような視線でカイツール伯を射抜いた。次は心臓を貫く、との意志をその瞳が伝える。小さく悲鳴を上げ、悲鳴を上げたことを取り繕うように、カイツール伯は顔を紅潮させて怒鳴った。


「こ、後悔するぞ! おとなしく降伏しておけばよかったと! 戦が始まれば、ケテルの運命は滅亡より他にないのだからな!」


 カイツール伯の怒鳴り声はしかし、ケテルの兵たちの鋭い眼差しに気圧されるように尻すぼみになる。アウラは凍えるような声音で丁寧に言った。


「どうぞ自陣にお戻りになられよ。これ以上ここに留まるようなら、御身の安全は保障いたしかねる」


 カイツール伯はアウラを憎らしげににらみつけ、何かを言おうとして口を開きかけて、何も言えずに口を閉じると、馬首を返して逃げるように帰っていった。アウラが小さく息を吐く。いささかの安堵と徒労感、というところだろうか。ルゼが労いの言葉をかけ、アウラは首を横に振った。


「結局、何だったの、アレは」


 イーリィが不快そうに顔をしかめる。アウラは周囲に聞こえるように大きな声で答えた。


「カイツール伯は不安なのでしょう。実際に戦いが始まれば勝てる確信がない。だからあのような形で降伏を勧めたのです。あのような指揮官に率いられる兵は憐れですね」


 ケテルの兵たちの間から笑いが漏れる。それはアウラの、兵たちの緊張を少しでも和らげるための言葉なのだろう。カイツール伯が陣に戻れば戦が始まる。兵たちの緊張は極限に近い。


――ドンッ


 遠く太鼓の重く低い音が響き、皆の顔が引き締まった。それはカイツールが戦いを始めた合図――


「来るぞ! 皆、構えろ!」


 マスターが叫び、前衛のドワーフたちが分厚い木製の盾を地面に突き刺す。後衛のエルフが弓を天に向けた。この世界の戦はまず、矢の応酬から始まるのだ。敵の放った無数の矢がケテルに降り注ぐ。空を埋め尽くさんばかりに迫る矢を、エルフの、冒険者の、アウラの魔法が吹き散らす。


「放てっ!」


 エルフの女王の号令で、天に向けられた弓から一斉に矢が放たれる。エルフの弓兵およそ五百が放った矢は天の彼方に消え――明らかにその数を増やして天から雨のように降り注いだ。


『アクティブスキル(レア)【アローレイン】

 天に放った矢は無数に分裂し、豪雨のごとく降り注ぐ』


 矢の雨に晒されたカイツール兵の動揺が遠く伝わる。しかしその動揺は、すぐに戸惑いの空気に変わった。エルフの女王が唇を噛み、呻くようにつぶやく。


「……お前を、信じるぞ、特級厨師!」


 カイツール兵の戸惑いの原因は、エルフたちの放った矢にある。降り注ぐ無数の矢は、カイツール兵の頭上に降り注ぎ、そして、誰の命も奪わなかった。矢には一つ残らず黒子のように【手加減】が寄り添う。そう、エルフたちは【手加減】と共に矢を放ったのだ。トラックの正気とも思えない願いに応えて。




 作戦会議でトラックが皆に伝えたのは、この戦いにおいて、いや、この戦いにおいても、誰も殺さないという意志だった。命を奪ってはならない。失っていい命などない。トラックは皆にそう伝え、頭を下げた。それは、トラックがこの戦いを『戦争ごっこ』にしようとしていることを意味している。『戦争ごっこ』で誰かが死ぬなどあり得ない。だからこの戦は、『戦争ごっこ』でなければならないのだ。

 会議の場でのこの提案は当然のように誰からも受け入れてもらえず、今日、この場に至るまで誰も、どの種族からも明確な返答はなかった。目の前で命を奪おうと迫ってくる敵に対して「手加減して戦え」と命令できる指揮官などいまい。「殺されるかもしれないが殺すな」と言われて従う兵もいまい。だが今、エルフたちはそれをやった。この戦争を『戦争ごっこ』にする、その想いを共有すると、行動を以て宣言してくれたのだ。トラックはエルフの女王を振り返り、無言で頭を下げ(チルトし)た。


――ドンッ


 敵の太鼓の音が響く。


「第二射、来るぞ!」


 明確な殺意を乗せて、敵の放った矢が迫る。戦争と『戦争ごっこ』、圧倒的な非対称が混在する戦場で、『戦い』が始まった。

これは生死を賭けた戦いなのではなく、意志と思想のぶつかり合いなのだ。

なんつって。

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― 新着の感想 ―
確かに初期のギャルゲーは、髪で見分けてましたねw
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