月下の告白
時間だけは平等に、慈悲もなく流れていく。アディシェス、エーイーリー、カイツールの各都市に放った間諜からは、続々と戦いの準備が整いつつあるとの報告が届いていた。ケテルもまた外壁を強化し、練兵を行い、他種族との連携を確認する作業に追われる。敵に攻めさせなければならない、しかしこちらの状態は可能な限り仕上げておきたい。じりじりとした焦燥が皆を苛む。
「ウェットタイプのドッグフードが足らんぞ!」
「猫人用のおやつの在庫を確認しろ!」
「エルフから白米を増やせと要望が」
「ドワーフに酒蔵の場所を悟られるな!」
他種族からの援軍が続々と参集する中、想定外の問題はいくらでも湧いて出る。食文化の違い、戦いに関する考え方、昼行性夜行性、慣習、しきたり。エルフとドワーフは互いにそりが合わないらしく、並んで共闘、という感覚にはどうしてもならない。猫人も単独で動くことを好み、戦術的な連携の必要性をなかなか理解しない。意外なことに、他種族の中でもっとも柔軟に対応してくれているのはゴブリンたちだった。種族同士の特性を理解し、相性を見極め、最適な戦力を配置する。その難題をクリアするために、ルゼは先生を軍師として指名した。
「打って出る、だと?」
評議会館の第一会議場に集められた関係者の前で、先生は皆の視線を一身に集めていた。その視線は決して好意的なものではなく、不信と猜疑に塗れている。突然現れた三十くらいの、しかも剣も弓も使えなさそうな若造が指揮を執ろうとしていることへの不満がはっきりと表れていた。先生は臆することなくうなずく。
「この戦は守るためのものではなく、敵を討ち破るためのものです。ケテルにこもっていてはいけない。膠着すれば負けます。速やかに敵の指揮系統を破壊し、瓦解せしめるのです」
先生が示した部隊配置は、エルフが外壁の歩廊から弓と魔法で味方を援護する以外は、ケテルの外壁の外に部隊を展開して敵を迎え撃つ、というものだった。正門の前にはドワーフとケテル兵を中心とした主力部隊を配置し、敵の侵攻を防ぐ。犬人とゴブリンの混成部隊は正門以外の東、西、北に分散配置され、外壁を突破しようとしてくる敵に対応する。猫人は森に潜み、敵部隊を奇襲する。そして――
「冒険者の皆様には、遊撃部隊として戦局の思わしくない場所をフォローしていただきます」
マスターが厳しい顔で先生をにらむ。先生の発言の意図を正確に理解したのだろう。この戦力配置の意味するところは、「負けそうになったところは冒険者が何とかしろ」ということに他ならない。
「おおよそ成功するとは思えん。ケテルを囲む空堀が意味を為さぬではないか。敵が三万の大軍を以て正面から攻め寄せてくれば、為す術もなく蹂躙されるだけだ」
ドワーフの将軍が呆れたように言った。正門の前に配置される兵力はおよそ三千。敵が正門の攻略に専念すれば十倍の敵とドワーフたちはぶつかることになる。勝ち負けなど戦う前から見えてる、ということだろう。しかし先生は揺るがぬ瞳で言った。
「今回の戦い、敵の総大将はカイツール伯との情報を得ました。敵は内部での不和を解消せぬままに戦に臨もうとしています。カイツール伯は功名心が強く、一方で戦の知識経験は浅い人物です。彼は必ず、まず自らの兵だけで戦います。そしてカイツール兵八千が相手であれば、ドワーフの皆様が後れを取ることはない。違いますか?」
いささか挑発めいた先生の言葉にドワーフの将軍が「その程度なら問題ない」と答える。先生に「言わされた」感じがすごくするけど、他種族の手前、それを主張するのは難しいのだろう。ドワーフの将軍は渋い顔で腕を組んだ。
「カイツールの兵を凌いだとして、その後はどうする? いくら戦の経験が浅いとしても、むざむざ全滅するまで他の兵を動かさぬわけではあるまい。カイツールとの戦いで疲弊した我らに、間髪を入れず残りの敵が襲い掛かってくるでは結局、勝機などあるまい」
今度はエルフの将軍が冷たい瞳で言った。先生はエルフの将軍に顔を向ける。
「カイツールとの戦いと並行して、エーイーリー伯の陣を急襲します。エーイーリー伯は小心な男です。安全なはずの後方にいるときに急襲されれば、恐慌を来たして兵を退くでしょう。猫人の皆様には、一部の冒険者と共にその役を担っていただきます」
「バカな! 五百足らずの戦力で一万の兵を突破しろというのか!?」
思わず、と言った風情で猫人の将が声を上げた。彼にしてみればほとんど「死ね」と言われたようなものなのだろう。しかし先生は冷静に答えを返した。
「猫人の皆様には、敵の布陣を確認後、森を移動してエーイーリーの陣幕のギリギリまで隠密裏に迫っていただきます。そして、こちらの合図に呼応してエーイーリー伯の陣を襲っていただく。首を獲る必要はありません。ただ、恐怖させればいい。その後は速やかに撤退してください。猫人の皆様の驚異的な身体能力があればそれは可能かと考えていますが、いかがでしょう?」
先生の静かな瞳に猫人の将軍は「無論、できるが」ともごもごと言ってから口を閉ざす。釈然としなさはあるものの、反論はないらしい。「できない」ということはプライドが許さない、ということなのだろう。こちらも先生の誘導に乗ってしまった、という感じだ。
「エーイーリーを首尾よく退けたとして、一番厄介なアディシェスはどうする? アディシェス伯は間抜けでも小心でもない。アディシェスだけでも一万五千。まともに相手をするには厳しいだろう」
ゴブリンの将軍がゴブゴブと先生に問う。周囲の皆は「何を言っているのか分からん」と渋い顔をしたが、先生はゴブリン語を通訳したうえで問いに答えた。
「アディシェスには『ケテル・ハンマー』で対応します」
超次元要塞ケテルの主砲、ケテル・ハンマーを使えば、アディシェスの軍勢を一瞬で消し飛ばすことができる。しかしそのためには敵をケテル・ハンマーの射線上に誘導する必要がある。それが勝利のカギなのだと先生は言った。
「カイツールを撃退したら、主力部隊は速やかに前進し、アディシェスと交戦していただきます。そして、速やかに退いてください。カイツールを破って調子に乗り、勢いでアディシェスに仕掛けた、と思わせるのです。そして後退しつつ敵をケテル・ハンマ―の射線に誘導してください。敵はケテル・ハンマーの存在を知りません。誘導がうまくいけば――」
先生は一度言葉を切り、皆を見渡してから言った。
「――この戦、我らの勝ちです」
勝ち、という言葉に、議場がざわつく。勝ち筋が明確に見えた、という感覚が広がり、不信と猜疑が高揚に姿を変える。もしかしたらいけるのではないか――願望と相まった期待の膨張を制するように、冷静な疑問が放たれる。
「全て、あなたの空想ではないか? カイツールが単独で戦う確証がどこにある? エーイーリーが兵を退かなかったらどうする? アディシェスはカイツールやエーイーリーが潰走するまで動かずにいてくれるのか? どれか一つでも目算が狂えば、この作戦は容易に瓦解するぞ」
鋭い眼光でそう言ったのは、犬人の将軍だった。れ、冷静なご意見。もっともなお話だけども、急にぽっと出てきたあなたに言われるといささか釈然としませんけども……ん? でも待てよ? このひと、どっかで見たことが……
「そもそもあなたは何者だ? 居並ぶ将軍を差し置いてなぜあなたが指揮を執るのだ? 見たところ実際に戦場で戦った経験があるとも思えぬ。あなたの妄想に我らの命を預けよと言うなら、それはできぬ相談だ」
……あっ! 思い出した! このひと、レアンのお父さんじゃん! レアンを実家に戻すかエバラ家に残すかって話をしたときに、夫婦でレアンと一緒にエバラ家に居候するっつって全力で食っちゃ寝生活を謳歌してたひとじゃん! 犬人のえらいさんだったの!? そんな面影全然なかったよ!?
「……十年ほど前、当時のセフィロト王国に『天才』と呼ばれた男がいた」
ルゼが唐突に口を開く。皆が怪訝そうな顔をする中、ハッとしたように先生はルゼを振り返った。
「その男はまだ二十歳にもならぬ身でありながら、最年少で王国騎士団の参謀となり、賊の討伐や領主の武装反乱の鎮圧に功を上げたという。彼の名声は王国内に鳴り響き、人々は敬意を込めて彼をこう呼んだ」
ルゼの声は奇妙な威圧感を伴って皆を制する。誰かがごくりと唾を飲んだ。
「――すなわち、『メガネ君』と」
メ、メガネ君!? それって、内輪で付けたただのあだ名じゃない? っていうかむしろディスられてない? だいじょうぶ? その呼び方、本人も納得してる?
「ま、まさか、あなたが『メガネ君』だというのか!」
犬人の将軍、すなわちレアンパパが驚愕を顔に示した。知ってんの『メガネ君』を!? 他種族の面々もそれぞれに驚き、先生を見つめる。やや苦い表情で先生はうなずいた。この様子だと、先生は『メガネ君』って呼ばれるの嫌なんじゃないかな? 本人が嫌がってるあだ名はダメだよ。互いに楽しく呼び合えるあだ名じゃないと、気付かないうちに一方が傷付いていることに後から気付いても遅いんだからね。
「……ならば、いい。あなたを信じよう」
とげとげしい雰囲気が消え、議場の空気が少し柔らかくなった。『メガネ君』の名声は他種族の疑念を吹き飛ばすほどに凄い、ということなのだろう。前から唯者ではないとは思っていたけど、先生って昔から凄かったんだな。でも、あんまり戦いとかは似合わない気がするけど。戦いの指揮を執るより、子供たちと真剣に向き合う先生のほうがずっと、すごいし似合ってると思うよ、俺は。
先生は大きく息を吐き、気持ちを切り替えるように言った。
「この戦い、決して負けるわけにはいきません。皆様の奮闘は疑いようもありませんが、それでも厳しい戦いになることは間違いありません。ですので――トラックさん」
不意に先生がトラックに呼びかける。トラックはぶるんとエンジンを掛け、クラクションを返した。……エンジンを掛けた、ってことは、また寝てたのかお前。最近多いよそういうの。緩んでんじゃないの? しっかりしてよ、ほんと。
「特級厨師トラック殿には、単独で戦場を駆け巡り、縦横無尽のご活躍をしていただきます。危機に陥ればトラック殿を呼んでください。必ずや皆様を助けるでしょう」
先生の言葉に同意するようにトラックはプァンとクラクションを鳴らす。皆の顔に安堵と不快が入り混じった複雑な色が浮かぶ。特級厨師の助力は安心材料だが、戦士に向かって助けを呼べというのもいささか誇りが傷付くのだろう。微妙な空気が流れる中、トラックはひどく真剣な、祈りのようなクラクションを鳴らした。
「な!?」
皆の顔が信じられないものを見るように強張る。幾人かが思わずといった様子で立ち上がり、椅子がギギッと耳障りな音を立てた。
「正気か、特級厨師!」
困惑、怒り、呆れ、そんな感情が議場に渦巻く。その真意を測りかねたように皆の視線がトラックに突き刺さった。トラックはクラクションを返さず、ただ、皆に向かって深く頭を下げた。
作戦会議はトラックの一言で大荒れに荒れ、収拾できないまま解散となった。トラックの求めは到底皆に受け入れられるものではなく、下手をすれば他種族たちを離反させかねないほどのものであったらしい。各々がトラックの言葉を吟味し、自らのこの戦に対する態度を決めることを迫られている。いや、本来なら悩むことさえバカらしい、決まりきった答えをトラックが否定したことに、混乱しているのだ。そして、皆がその混乱と折り合いをつける前に、決戦の日は近付く。ケテルの南、ほど近い丘の上に敵が陣を張ったとの知らせが届き――決戦前夜の月が昇った。
明日、戦いになるとは思えないほど、冬のケテルの夜は静けさに満ちていた。空には満天の星、そして月は冴え冴えと地上を照らしている。ツンと鼻を刺す冷気は満月の美しさと冷酷さを強調しているようだった。温もりの無い美しさは、もしかしたら戦場となるケテルに相応しいのかもしれない。
評議会館の貴賓室で、アウラは、いや、セシリアはトラックと向かい合っていた。決戦を前にして、トラックは急にアウラの侍女に呼ばれ、ここに連れてこられたのだ。部屋には他に誰もおらず、セシリアはゆったりとした私服姿だ。公務に謀殺されていたときと違い、セシリアの表情は幾分柔らかい。ただ、なんだろう、その柔らかい表情は、どこか作り物めいていた。
「初めて会った日のことを、覚えていますか?」
セシリアはトラックを見つめて微笑む。トラックは無言でセシリアを見つめ返している。
「初めて会ったあの日、私は――」
窓は開け放たれ、月の光がセシリアの姿を浮かび上がらせる。現世を離れ天界の存在になったかのように、淡く月光を纏ったセシリアは美しく、そして消えてしまいそうに儚い。
「――あなたを、『使える』と思った」
強い風が吹き、カーテンが揺れる。セシリアの微笑が、嘲りに歪んだ。
侍女は今、部屋の扉の前でハラハラしながら聞き耳を立てています。




