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不安と不穏

 宣誓を終えて王となったセシリア、いやアウラは、他種族の王たちからの祝福を受けて微笑む。それは他種族からの承認を受けたことを示す儀式であり、つまりは彼女が他種族間の統合の象徴となったことを意味している。エルフの女王とドワーフの王がアウラに注ぐ眼差しは痛ましげなものだった。二十歳に満たぬ少女が負う運命としてはあまりに過酷だ、ということだろう。

 猫人の王におやつをあげ、犬人の王にお手をさせるアウラの顔はどこか硬い。まあ、彼女の年齢でこの場で泰然としているほうがどうかしている気もするが。列席している他種族の顔ぶれは王たちだけではなくその重臣たちもいるわけで、そういった者たちの値踏みするような視線にさらされ続けるのは常人には耐えがたいだろう。彼らは今も、これからもずっと彼女を見定めようとする。味方でいるメリットが本当にある相手なのか、と。そして彼女はそれに応え続けなければならないのだ。たった独りで、ずっと。王たる彼女の傍らにトラックはいない。剣士も、ミラもいない。彼女はこの国の唯一の頂点として、対等な存在を傍に置くことは許されない。




 アウラが様々な式典をこなし、人々に王であることを認知させる裏側では、ルゼとコメルを中心とした実務部隊がクリフォトとの戦いに向けて着々と準備を進める。マスターやトラックもその一員として忙しく働いていた。

 ルゼがアディシェスに、一時的にであれ下ったことでそれまでに準備していた武具や食糧は大半が接収され、隠匿できた一部もエルフの都に冒険者たちが滞在した期間に消費されてしまい、物資面では相当に厳しい。アウラの存在が知られた時点でクリフォトとの正規の商取引は事実上ストップしており、まともな方法では調達もままならないのだ。蛇の道は蛇、抜け道はないではないのだろうが、そういった方法では取り扱うことのできる量が限られる。現実問題として、ケテルには長期の戦に耐えるだけの体力はない。


「短期決戦、それしか生き残る道はありません」


 コメルが厳しい表情で告げる。ルゼは硬く目を閉じて口を引き結んでいる。グラハムが厳しい表情で首を横に振った。


「クリフォトはアディシェスを中心とした北部の諸侯を動員して攻めてくるだろう。アディシェス伯は戦上手で有名な上、ケテルの内情も筒抜けだ。こちらの思惑通りに動いてくれることはない」


 アディシェスがケテルを支配下に置いていた期間は短いとはいえ、その間に多くの、そして致命的な機密情報がアディシェスに流出している。ケテルの兵士の数、練度、経戦能力。それらの情報を握っている以上、アディシェス伯はこちらが最も嫌がる戦い方を仕掛けてくるだろう。


「兵糧攻めを仕掛けられたら悲惨だぞ。我らは戦うこともできずに敗れる」


 グラハムは冷静にコメルを見据える。ルゼが目を開き、冷たい声で言った。


「そのための、王位継承だ」


 マスターが顔をしかめる。


「陛下をエサにするってか」


 ルゼの表情は動かず、その声は当然の事実を語るもののそれだ。


「全ては最初から承知の上のはず。陛下も納得されておられる」


 ルゼたちがなぜセシリアと名乗っていた少女を滅んだ王国の王女アウラとして必要としたのか。それはクリフォトにケテルを攻めさせるためだ。グラハムの言った通り、クリフォトはケテル周辺を封鎖して物資の流入を断つことができる。わざわざ剣を掲げて突っ込んでくる必要はないのだ。ケテルの周辺は森林地帯で耕地が少ない。囲んで待てば、ケテルは一年も耐えられまい。事実、クリフォトはその方法でシェリダー伯を降伏させている。

 だが、滅んだはずの王国の王女が生きていて、自らを王と名乗るなら話は別だ。放置すればクリフォトの現政権に不満を持つ者たちを糾合する存在になりかねない。ましてその王女が英雄の志を継いで他種族融和を掲げれば、その大義を奉じてより多くの人々が集まるかもしれない。建国以来の内乱をようやく治めたばかりのクリフォトにとって、アウラという名の少女は極めて不快で、目障りな存在だろう。


「セフィロト王国の正統な後継を名乗る陛下を放置すれば、クリフォトの諸侯は動揺する。心からズォル・ハス・グロールに臣従する者は多くない。潜在的な反乱分子が顕在化する前に、クリフォトはケテルを攻めざるを得ない。そこに付け入る隙が生まれる――いや、付け入る隙を見つけるしかない、と言うべきだな」


 コメルが大きく頷き、ルゼの言葉を継ぐ。


「アウラ殿下の御名においてクリフォトに不満を抱く諸侯に檄文を発しております。ズォル・ハス・グロールはさぞ苦い顔をしているでしょう。決して気の長い男ではない。南部の諸侯の準備が終わる前に、北部の諸侯のみで仕掛けてくるはずです。実際、その動きはすでにある」


 クリフォト北部の諸侯とはアディシェス、エーイーリー、カイツールの三者を指すのだそうだ。それらはそもそもケテルとの戦の準備を進めていたので、ケテル侵攻の準備に要する時間はそれほど必要ない。クリフォトとの初戦はその三者の連合軍になるだろうとコメルは言った。


「アディシェスが独断でケテルを占領したことにエーイーリーとカイツールは強い不満を持っていたようだ。しかもむざむざ奪還を許したことで、アディシェスは苦しい立場にあるらしい。エーイーリーとカイツールは領界を巡って諍いがあると聞く。三者の連携に綻びがあるなら、戦いようはある」


 ルゼの言葉には、冷静な声音とは裏腹な願望が見える。アディシェス伯の軍勢はおよそ一万五千、エーイーリー一万、カイツール八千。一方のケテルの兵力は三千ほど。他種族の兵が続々と参集してくれているが、それらをかき集めても五千に満たないだろう。圧倒的な数の不利を覆すためには、是が非でも敵の連携を阻止する必要がある。五千対三万三千ではなく、五千対一万五千、五千対一万、五千対八千の状況を作らなければならないのだ。その意味で三者の不和は朗報と言っていいだろう。不和を亀裂に、亀裂を断裂にするために、ルゼやコメルは必死で頭を巡らせている。


「百年前、ケテルを囲んだ十万の兵を英雄コングロは【無敵防壁】の力で退けたというが……」


 マスターが大きく息を吐く。百年前の英雄はここにはいない。コングロは三か月の間ケテルを【無敵防壁】で囲み、一切の攻撃を防いで敵の戦意を挫き、ついには敗走せしめたというが、そんなデタラメな力を持った者はケテルにはいない。ルーグが、もっと成長して立派な大人になればできるかもしれないが、彼は今十歳の子供だ。十歳にケテルの命運を託すなんて決断をするとしたら、ルゼたちは無能の誹りを免れまい。ケテルを守る責任は大人にあるのだ。


「存在しない英雄を求めても詮無き事。我らは我らの力で勝利を得なければならぬ。『魔王殺し』の名声に期待しているぞ、グレゴリ殿」


 ルゼの言葉にマスターは苦笑する。ハルの一件で三十年前の『魔王殺し』の真相はルゼに伝わっているはずだ。それでもマスターをその名で呼ぶなら、ルゼはマスターに『虚像を真実にせよ』と言っているのだ。


「冒険者は集団戦には向かねぇ。過剰に期待されても困るぜ」

「いいや、期待させてもらう。冒険者の個々の力量は一般兵とは比べ物にならん。数的な不利を覆すためのカギは冒険者だと、私は考えている」


 マスターの弱気をルゼはピシャリとはねつける。小さく唸り、マスターは腕を組んだ。ルゼはトラックに目を向ける。


「お前もだ、特級厨師トラック。お前の存在が味方を鼓舞し、敵の戦意を挫く。暴走する冥王を阻止した伝説の英雄の名を継ぐお前もまた、我らの勝利に不可欠なのだ」


 ルゼの視線はトラックに鋭く覚悟を求めている。トラックは反応を示さず、じっと沈黙していた。沈黙の意味を解釈できなかったのだろう、コメルが眉を寄せて声を掛ける。


「トラックさん?」


 トラックはハッとしたように車体を震わせた。車体を震わせた、というのはつまり、エンジンを掛けた、ということなんだけど、ってことは今までエンジンを切っていた、ということで、要するにトラック、寝てた?


――プォン


 やや申し訳なさそうにトラックがクラクションを鳴らす。どっと疲れたようにルゼが目を閉じて首を振った。


「……休む暇もないほど働いてくれているのは知っている。だが、お前はすでにケテルの中核なのだ。頼むぞ。お前が揺らげばケテルは倒れるのだ」


 再びトラックがクラクションを鳴らす。微妙な空気が流れ、皆の表情が曇った。




「あっ」


 評議会館の廊下で、側近と共に歩いていたセシリアが小さく声を上げる。会議を終えたトラックが部屋から出てきて、ふたりは数日ぶりに顔を合わせた。アウラの顔をしていた少女がセシリアの顔に戻る。張り詰めていた雰囲気が解ける寸前、トラックはどこか冷たい手触りのクラクションを鳴らした。セシリアが心臓に針を刺されたように顔をしかめる。トラックはまるで臣下のように脇に退き、セシリアに道を空けた。セシリアは胸の前で両手を握り、縋るような目でトラックを見る。


「待って、ください。あなたは、私の臣下では――」


――プァン


 王の仮面が剝がれかけた彼女の言葉をトラックが冷酷に遮った。ここにいるのはセシリアとトラック、だけではない。アウラ陛下に従う者たち、アウラ陛下の協力者たち、そういった者たちの前で、彼女は一個人としてふるまうことは許されない。トラックはたぶん、そう言っているのだろう。いや、それはそうかもしれんけどさ。ちょっと冷たくない? 彼女が王になってから態度変わりすぎじゃない? 一個人としての彼女の心を支えるのも大事なことでしょうが。そんで、それができるのはずっと仲間だったお前らだけじゃんか。


「参りましょう、陛下。次の予定の時間が」


 側近がアウラ陛下に声を掛ける。目を閉じ、気持ちを整えるように息を吐いて、目を開いたとき、彼女は再びアウラの顔をしていた。そして彼女は歩き出す。王として、このケテルを率いる者として。


――プァン


 すれ違い、去り行く彼女の背に、トラックは小さくクラクションを鳴らした。セシリアは思わず、といった様子で振り返る。しかしトラックは彼女が向かう方向と逆方向に進み始め、止まることも振り返ることもなかった。トラックの後姿を、大きく目を見開いてセシリアが見つめる。


「……やがて、いなくなる? どういう、意味――?」


 口をついて出た疑問は、誰に答えられることもなく冷たい空気に拡散して消えた。

トラック、決戦前にまさかの逃亡!?

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