女王の帰還
ウルスの残した問いは部屋全体に広がり、皆がセシリアを見る。それは彼女が王として相応しいのかどうかを示す最初の試練なのだろう。セシリアは厳しい表情のまま、皆に聞こえるようにはっきりと言った。
「確かに私は若輩の身なれば、心許なく思うこともありましょう。しかし、ズォル・ハス・グロールの暴虐を憎み、世の安寧を願う気持ちに一点の曇りもない。その大望を果たすためならば、いかなる犠牲を払おうとも振り返るつもりはありません。私は全てを背負い、必ずやこの世界に秩序と平和をもたらすとお約束いたします」
衛士隊、イャートとルゼがうなずき、自然と拍手が巻き起こる。それとは対照的に、冒険者ギルドの面々は複雑な表情を浮かべていた。セシリアは虚勢の仮面を被り、皆がそれを虚勢と知りながら称賛する。今までセシリアと少なくない時間を共にしてきたギルドメンバーたちは、まだ十八になるかならないかの少女がたった今背負ってしまった重責を思っているのだろう。セシリアは王になる。それは、ウルスの言ったとおり、トラックに、剣士に、彼女に従う全ての人々に、クリフォトと戦うことを命じる、ということを意味しているのだ。
「まずは殿下の無事を天下に知らしめ、正統の絶えておらぬことを宣言いたしましょう。しかる後、他種族の代表を招いて王位継承の儀を行い、殿下はセフィロト王国の王となっていただきます。あまり時間は掛けられませぬ。すぐにでも準備に取り掛かります」
ルゼがそうセシリアに言って、それを合図にケテルの関係者が動き出す。その動きに戸惑いも迷いもない様子からして、彼らには事前に今後のことまで説明がなされていたのだろう。セシリアはうなずき、コメルが、おそらく指揮を執るために、ケテルの関係者と共に部屋を出ていった。
いや、なんかスムーズに話が進もうとしておりますけども、ケテルの関係者には話が通っているのかもしれないけれども、むしろこっちに話が通ってないんですけど!? 誰か説明をしてくんない? これからどうなろうとしていて、そしてこれからどうなるんですか?
ケテル側の人間が全て退出し、部屋には冒険者ギルドの面々とルゼだけが残った。じゃっかん気まずい雰囲気が漂う。まあそりゃそうだろう、ルゼは、何か考えがあったのかもしれないけど、一度は冒険者ギルドを売ってケテルをクリフォトに明け渡したのだ。ウルスを鮮やかに裏切ってこちらに付いたとはいえ、手放しでもう一度信用する気にはならない。
「……いつから、私のことを?」
セシリアがルゼに掛ける声に怒りや憤りはない。しかしそれは感情を抑えた冷たい言葉だった。ルゼは少なくとも表面上は動揺することなく答える。
「アディシェスに降伏を打診する直前、コメルから」
マスターが眉を寄せて険しい顔を作る。降伏を打診する直前であれば、ルゼはセシリアがセフィロト王国の王女であることを知っていながら冒険者ギルドを『売った』ということになる。冒険者の面々も表情を険しくしてルゼを見つめた。トラックは、表情がないから分からん。ルゼは気負いもなく淡々と言葉を続けた。
「事が成った暁には、私を処断なされませ。そうせねば皆も納得いたしますまい」
セシリアは深く呼吸をして、努めて感情を込めずに問う。
「理由を聞かせていただけますか?」
理由、というのは、ルゼがセシリアを、あるいは冒険者を売った理由、ということだろう。クリフォトとの戦に備え、超次元要塞まで準備しておきながらの突然の変心は確かに理由を聞きたくなるところだ。ルゼは痛みが走ったような様子で顔をしかめ、うつむき加減に首を横に振った。
「……すべて、私の弱さによるもの」
それは「言い訳はしない」という表明であり、同時に「理由を伝える意思はない」ということでもあるのだろう。たとえ処断、つまり命を落としても言うことのできない理由がそこにあるのだ。セシリアはじっとルゼを見つめ、小さく首を横に振った。
「死者は役に立たぬ。己が責務を果たせ」
冷淡な声音に打たれ、ルゼはうなだれるように頭を下げた。
セシリアがルゼを伴って退出し、部屋には冒険者ギルドのメンバーだけが残された。マスターが大きく息を吐き、椅子の背もたれを軋ませる。疲労感をただよわせ、マスターはトラックに話しかける。
「これから、どうなるのかねぇ」
トラックはプァンとクラクションを返した。マスターはカリオペイアに目を遣る。カリオペイアの身体が光に包まれ、剣士が本来の姿を取り戻した。
「俺が頼む義理じゃないが、どうか殿下の力になってもらいたい。彼女一人で背負うには、王という地位は重過ぎる」
剣士は皆に頭を下げる。イヌカが呆れたように軽く剣士をにらむ。
「下らねぇこと言ってんじゃねぇよ。頼まれなくてもやるこたやるさ。仲間を見捨てるような奴はウチのギルドにゃいねぇ」
イヌカの言葉にギルドメンバ―たちは顔を見合わせ、照れ隠しのように肩をすくめた。「美人を助けるのに理由はいらない」「逆玉を狙えるか?」などという軽口が上がり、マスターににらまれて慌てて口をつぐんだ。そう遠くない未来に、間違いなく厳しい戦いが待っているというのに、ギルドメンバーに悲壮感はない。実感を伴わないのか、すでに覚悟を決めたのか。少なくとも、逃げ出そうと言い出す者はいなかった。
「クリフォトの軍勢十万。勝てると思うか?」
マスターがトラックに問う。トラックは迷いもなくクラクションを鳴らした。マスターが苦笑いを浮かべる。
「お前さんはいつでも変わらねぇな。図太いのか、何も考えてねぇのか」
トラックが抗議のようなクラクションを鳴らす。軽く手を上げて謝罪に代え、マスターは表情を改めて皆に言った。
「ケテルの冒険者ギルドはアウラ殿下をお支えし、その剣となってクリフォトと戦う。異議のあるものは?」
トラックが真剣なクラクションを返す。軽く目を見張り、口元に微かな笑みを浮かべ、マスターは皆に問い直した。
「ケテルの冒険者ギルドは、セシリアを支え、その盾となって彼女を守る、で、いいか?」
満足そうにトラックは同意のクラクションを鳴らした。こだわるねぇ、という声がギルドメンバーから上がり、笑いを誘った。そう、こだわり。それはトラックのこだわりなのだろう。地位や権力に拠らず、彼女を彼女として守ることは。王女だから守るのではない。打算によって守るのではないのだと、トラックはそう言いたいのだ。
――プァン
トラックが皆にクラクションを鳴らす。皆は大きくうなずきを返した。トラックは、そしてギルドメンバーは今、道を決したのだ。戦いの道を。守るために戦うことを。強い風が吹いたのだろうか、窓がカタカタと音を立てて震えていた。
セフィロト王国の王女の生存はケテル奪還の報と共にケテル商人のネットワークを通じて瞬く間に広がり、クリフォト各地に激震が走った。ようやく平定された各地の反乱は再び不穏の気配を帯び、人々は不安に天を仰ぐ。ズォル・ハス・グロールの強権的な支配への反発はセフィロト王国の王女への期待を膨張させ、一方ですでに一度敗北したセフィロト王国の若すぎる王位継承者への冷めた視線はクリフォトへの恐怖と未来への諦念を加速させている。誰もが戦なき世を求めながら、軍靴の音は確実に近付いている。
セシリアは『アウラ王女』として評議会館の新たな主となり、ルゼ、イャート、マスターの協力を得て『新生セフィロト王国』に向けた準備に奔走する。ケテルの財力は新たな王の威光を示すドレスと宝飾品を仕立てさせ、一人の少女の虚像を膨らませていく。エルフ、ドワーフ、獣人たち、そしてゴブリンの有力者がケテルに招かれ、王位継承の式典の準備が着々と進められている。クリフォトとの戦への備えも同時に行われており、慌ただしい日々の中で、セシリアとトラックは互いに顔も合わせぬことが増えていった。
そして、王位継承の儀の朝が来る。
ケテルの中央広場に設えられた式場は、突貫で作ったとは思えぬほどに重厚な石造りの神殿だった。ドワーフの職人が大勢集められ、細部まで妥協なく作りこまれた彫刻があたかも古代からの歴史を誇るかのような威容を演出する。神殿には壁がなく、広場に集まった人々に中が見えるようになっていた。中心部は階段状に盛り上がり、聴衆は見上げる形で儀式を見ることになる。赤い絨毯が道を示し、セシリアはこの絨毯の上を歩いて神殿の中心部まで登り、教会の大神官から王冠を授かって、王となるのだ。
神殿の北側は関係者用の区画となっており、式典の関係者が大勢控えている。東西南は市民に解放されていて、新たな王の誕生を一目見ようと集まった人々でごった返していた。そこにはケテルの人々だけではなく、エルフやドワーフ、獣人にゴブリンの姿もあった。衛士隊と冒険者ギルドが事故が起きないよう各所に配置され、人々の誘導や迷子の保護などを行っている。剣士やナカヨシ兄弟などは雑踏警備に回され、トラックは関係者用区画で待機していた。トラックは特級厨師としてアウラ王女の王位継承の見届け人の役割を担っているらしい。儀式の開始時間が近づき、周囲はピリピリとした雰囲気に包まれていた。
――ふぅ
トラックから少し離れた場所で、椅子に座ったセシリアが緊張気味に息を吐く。失敗できないプレッシャーなのか、これから背負う運命への不安なのか、その表情は硬く強張っていた。セシリアの周囲はルゼたちがいて、緊張をほぐす要素は皆無だ。せめてミラかイーリィがいてくれたらなぁ。侍女的な女性はいるが、この短期間で心を許せるような間柄になれる相手はいるように見えない。
――カラーン、カラーン
教会の鐘が鳴り響き、定刻を告げる。騒めいていた聴衆が一斉に口をつぐみ、緊張感を高める。「参りましょう」と言って立ち上がったセシリアが神殿の中心を見据えた。そこには大神官がすでに王冠を持って待機している。その王冠はドワーフの職人たちによって新たに造られたもので、セフィロト王国の正統を証しするものではない。彼女が身にまとう装束もセフィロトの伝統を継ぐものではなく、エルフの手になる純白のドレスだ。靴は獣人たちが造り、彼女を神殿に導く赤い絨毯はゴブリンが織り上げたもの。セシリアは今、他種族の統合の象徴としての『王』になろうとしている。
セシリアが胸を張り、まっすぐに歩き始める。冬の気配を先取りしたような空は、弱さも逃げることも許してはくれないほどに澄んでいた。見届け人としてルゼとトラックが彼女の少し後ろをついていく。セシリアは急くこともためらうこともなく階段を上る。戻れない道を、登っていく。ほどなくセシリアは、独り、大神官の前に立った。大神官は厳しい表情でセシリアを見つめる。大神官の横に控えていた神官が手に持った鈴を鳴らす。シャン、という音が響き、人々の静寂を強調する。セシリアは神の代理人たる大神官の前に膝をつき、頭を垂れた。
「汝、アウラ・エン・ソフよ」
大神官の声が広場に詰めかけた人々に余すことなく広がる。おそらく何らかの魔法で声を伝えているのだろう。決して大きく張り上げているわけではないその声は厳かに少女の覚悟を問う。
「汝はセフィロト王国の正統なる継承者として、民を導き、守り、慈しむことを誓うか?」
セシリアははっきりと問いに答える。
「誓います」
セシリアの答えに呼応して神官が鈴を鳴らす。澄んだ音と共に光が一つ、中空に現れた。
「汝は自らを捨て、国のためにその身を捧げることを誓うか?」
「誓います」
――シャン
「汝は自ら先頭に立ち、国を脅かすものと戦い、打ち勝つことを誓うか?」
「誓います」
――シャン
問いに答えるたびに鈴が鳴り、光が増えていく。やがてその光が十を数えたとき、大神官は両手を掲げて天を仰いだ。
「神よ! 今、十の誓いを携えて王たらんと望む者に、その意志を示したまえ! 偽りのあらば雷を、真に誓いを果たす力能のあらば光輝を、この者に与えたまえ!」
大神官の祈りは天に拡散し、人々は固唾を飲んで推移を見守る。セシリアの前に浮かんでいた十の光がゆっくりと彼女の周囲を巡り始めた。光は徐々に速度を増し、やがて一つの大きな光となって、彼女に吸い込まれて消える。同時に、セシリアの身体が仄かな光を放ち始めた。これはおそらく、大神官の言った『神の意志』の現れ。彼女が雷ではなく光輝を受けた証だった。
「神意は示された! 汝、アウラ・エン・ソフよ! 神の光輝を受け、今、汝は俗世を導く王となった! 私は神の代理人として、その証たる王冠を汝に授ける!」
王冠を手に取り、大神官はセシリアの頭に載せる。人々の中から自然と拍手が起こり、それはすぐに万雷となってケテル中に響き渡った。歴史的な瞬間に立ち会った高揚が会場を包む。セシリアは立ち上がり、振り向いて軽く手を上げ、聴衆を制した。
「今から六年前、臣下の裏切りによって私は城を追われ、浪々の身となった。幼かった私には敵に抗う術なく、数多の犠牲の上に生かされ、このケテルに辿り着いた」
人々は拍手を止め、新たな王の言葉に耳を傾ける。
「六年という月日の間に、国は乱れ、多くの犠牲が生まれた。無辜の民の嘆きは天に満ち、痛苦の涙は大河を成す。簒奪者ズォル・ハス・グロールに平和と安寧をもたらす意志はなく、その能力もない。王を名乗るあの男は、ただ己の欲に従って国をほしいままにしている」
クリフォトを非難するセシリアの言葉に、人々はうなずきを返した。ズォル・ハス・グロールは簒奪者である、というのは事実であり、簒奪者とは何となく悪人である。ゆえに正統な王は正しく、敵は悪である。そういう単純なストーリーは、人々に受け入れやすいものなのだろう。クリフォト南部と違い、ケテル周辺はアディシェスが早々にクリフォトへの臣従を表明したことによって内乱状態を免れている。だから人々の理解は実感を伴ったものではなく、もっとふわっとしたイメージなのだ。だからこそ、セシリアは構図を単純化して提示する。人々は複雑な話を好まない。
「だが六年という歳月は、私に成長をもたらす時間でもあった。もはや私は無力な子供ではなく、星の無い夜の道を駆けた孤独は過去のものとなった。私は今、無数の頼もしい友に囲まれてここに立っている。すなわち、あなた方と共に」
セシリアは表情を緩め、人々に微笑みかける。微笑みかけられた人々は「おお」と感嘆の声を上げた。新たな王に『友』と呼ばれ、気持ちが昂っているのだろう。
「心強い味方を得て、私は王となった。私は必ずや世の暴虐を除き、平和と秩序をこの地にもたらすであろう。しかしそれはかつてのセフィロト王国の復興に留まるものではない! 私がもたらす未来は、かつて英雄たちが夢見た理想を実現するものとなろう! そしてそれは、もはや新たな世界の訪れを告げるものである!」
新たな世界、という言葉に、人々は魅了されたようにセシリアに視線を注ぐ。それに応えるように、セシリアはひときわ大きな声を上げた。
「私はここに、『新生セフィロト王国』の誕生を宣言する!」
人々は動きを止める。だがそれは冷めた無反応ではなく、心の高揚に身体が追い付いていないだけだろう。人々の顔が少しずつ紅潮する。爆発させるための感情を蓄えている。
「ズォル・ハス・グロールに大義はない。あの男の目指す未来は、己が認めぬ者の生を否定する世界。あやつの好悪が是非を決する秩序なき混沌よ。私が今、このケテルの地にあるは天命である。三英雄が遺したこの希望の地で、私は世界の新たな理を打ち立てるであろう。誰もが抑圧されることなく、己の道を歩むことができる『自由』こそ、我が大義である! 何よりも自由を愛するケテルの民よ! 剣を取れ! 己が尊厳を守るために! 世界を混沌から救うために!!」
――おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーっっ!!
もはや言葉にもならぬ興奮が叫びとなって会場に満ちる。新たな世界を自分たちが造るのだ、という思いに拳を突きあげ、人々は新たな王を讃える。
「アウラ陛下、万歳!」
「新生セフィロト王国、万歳!」
セシリアは軽く手を上げて人々に応える。それは人々の熱狂を抑えるのではなくさらに煽る結果となった。人々は声の嗄れんばかりに叫び、手を叩き、足を踏み鳴らしている。地が揺れたかと錯覚するほどに熱が伝播している。落ち着く気配のない様子に、ルゼがセシリアに儀式の終わりを促した。セシリアはうなずき、人々にもう一度手を振ると、背を向けて儀式の場を後にする。見届け人として後ろに控えていたトラックの横を、セシリアは通り過ぎる。
「……まるで私は死神ね。皆を煽り、死地へ向かわせようとしている」
豪雨のように耳を打つ歓声の中、セシリアはぽつりとそうつぶやいた。その小さなつぶやきは容易く掻き消され、誰かに届くことはない。虚勢の仮面を被り堂々と儀式の場を後にするセシリアの背中を、トラックはじっと見つめていた。
少女は王冠を戴き、新たな王として帰還を果たした。しかし二人の王は並び立たず、もはや戦は回避不能となった。ついに決戦の時は来たれり。でも気を付けて。トラック無双が描く『決戦』が、ただの『戦』であるはずがないってこと。




