愛と希望の歌
人々の大歓声が青年を出迎える。沿道は無数の人で溢れ、警備に駆り出された兵が通りに飛び出そうとする者を必死で抑えていた。通りの真ん中を堂々と歩きながら歓声に応えているのは、誰あろう東洋太平洋チャンピオンとなったノブロだ。南東街区出身のゴロツキだったノブロが、今や世界を窺うトップアスリートとして凱旋した事実は、クリフォトの支配に屈したケテルの市民の心を大いに沸き立たせていた。
「ノブロー!」
「よくやった、ノブロ!」
歓声は途切れることなく、人々の鬱屈がいかに深いのかを実感させる。逆に言えば、このタイミングでガス抜きを用意する周到さをアディシェスは持っている、ということなのだろう。このパレードがトラック達に用意された罠であったとしても、実際に人々の不満を和らげる効果をもたらしてしまっている。トラック達がケテル奪還に失敗すれば、むしろこのパレードはアディシェスの支配をより強固にすることになるかもしれないのだ。
ノブロの周囲にははげヅラ姿の怪しいプロモーターコメル、同じくはげヅラにツケヒゲ姿のセシリア、はげヅラに猫耳カチューシャを重ねたミラ、はげヅラのマスター、逆立てたピンクのモヒカンの上からはげヅラを被ったとげとげジャケット姿のイヌカ、そして【ダウンサイジング】で少し小さくなってはげヅラをキャビンに乗せたトラックが沿道に愛想を振りまいている。
……
なんでノブロ以外全員はげヅラ姿なんだよ、ってツッコもうと思ったんだけど、そんなことよりもっと重大な問題は、
トラックなんで誰にも気付かれてねぇんだよ! キャビンにはげヅラ乗せただけで隠しきれる要素が欠片もねぇだろうが! はげヅラ乗せたところでトラックはトラックだよ! ただ『はげヅラがキャビンに乗ってるトラック』だよ! お前、特級厨師として近隣に名前が知られまくってんじゃないのかよ! この世界の人間はどういう理屈で他人を認識してるんだ!
そしてやっぱりツッコむわ! はげヅラの威力を信用しすぎやろうがぁーーーっ!! はげヅラ被ってたら万事OKってことないからね!? いや今のところうまくいっちゃってるから錯覚しそうになるけど、はげヅラに本来、こんな光学迷彩並みの隠蔽能力はないんだからね!? それか、アレか? このはげヅラには見た者を洗脳するような特殊な魔法でもかかってんのか? だったらはげヅラでなくでもええやろうがぁーーーっ!! もっとファンタジックな素敵アイテムにしたらんかいっ!!
沿道に手を振るノブロの顔はじゃっかん引きつっている。それはパレードという場に慣れないから、ということではなく、これが陽動だというプレッシャーを感じているからだろう。イヌカがさりげなく近付いて囁く。
「もっと自然に笑え。余計に怪しいぞ」
ノブロは「お、おう」と答え、やはり引きつったまま笑顔で手を振る。まあノブロに上手な演技など望んでも無理だよね。小さく息を吐き、イヌカがノブロから距離を取った。パレードの最中に話し込むわけにもいかないからだろう。
パレードの最終地点にはウルスが待っている。エキシビジョンマッチが終わるまでがタイムリミットだ。どれだけ時間を稼げるか――ノブロだけではない、セシリアもイヌカもマスターもミラも、たぶんトラックも、内心の焦りを隠して笑っている。
――同時刻。
パレードの警備に人員を割かれ、ケテル内の各所の警備は手薄になっている。中央広場から南東街区に至る道は厳重警戒だが、それ以外の場所にはそこここに死角ができていた。パレード目当ての観光客を装って市街に潜入した冒険者たちはそんな死角を利用して人混みからそっと離れる。剣士とナカヨシ兄弟、あるいはギルドのAランカーが彼らを率いてまず西部街区の空き家に潜伏し、その後、日が落ちた後にヘルワーズの用意した南東街区の隠れ家に移動する手筈だった。
あ、ちなみに今、俺は【視点分割】で二手に別れております。いやぁ、二分割くらいでは酔わなくなりましたよ。慣れって怖いな。
「こっちだ」
周囲を油断なく見渡しながら、剣士が抑えた声で呼び掛ける。呼び掛けに応えて数人の若者が剣士の後を追った。武器の携行もしていない、一見ごく普通の若者たちだが、その実冒険者ギルドの立派なCランカーだ。スキルで足音を消し、滑るように移動する様子はそれなりに場数を踏んでいるように見える。もっともその顔には、年相応の緊張が見て取れた。バレたら終わり、計画自体が吹き飛んでしまうプレッシャーは相当なものだろう。
呼吸さえ厭わしいと、剣士はできる限り音を立てないようにしながら裏道を走る。本当は【隠形】なんかのスキルを使えばいいんだろうけど、【隠形】は運動強度が高い動作をすると消える――つまり、走ると解除される。時間的にも精神的にも、【隠形】を維持しながら動けるスピードで移動するのは無理だという判断のようだ。【隠形】って、当たり前っちゃ当たり前なんだけど、相手からこちらは見えなくてもこちらから相手は見えるんだよね。こちらが見えていないからといって、平気で敵の前をゆっくり歩くことができるかというと、誰にでもできる話ではないのだ。
「……待て」
剣士が曲がり角の前で止まり、右手を上げて若者たちを止めた。若者たちの表情がわずかに強張り、背をかがめて気配を窺う。曲がり角の向こうにはアディシェスの兵が三人、なのだが、なんとなく様子がおかしい、というか、三人が三人とも槍に縋ってだらけた雰囲気を醸し出している。
「やってらんねぇよなー」
「人多すぎだろ。警備とか無理だって」
「朝からずっと休憩なしってありえん」
どうやら三人は警備の仕事をさぼって裏路地に隠れているようだ。剣士の顔が焦燥に歪む。この曲がり角を曲がらないとすると、西部街区に辿り着くにはかなり遠回りになるのだ。距離が多くなれば敵に見つかるリスクも増えるわけで、Cランカーの若者たちを連れてそんなリスクは負えない。
「パレードなんかやるなってんだよな」
「どうせならキレイなラウンドガールとかさ」
「チャンピオンの周り、全部ハゲだったもんな」
やる気の無さそうな様子で三人が同時にため息を吐く。……はげヅラ、やっぱ正解だったのかな? ヅラのインパクトが強すぎて結果的に人物の印象を消してんのか?
剣士が口の中で小さく「早く持ち場に戻れ」とつぶやく。祈るような、なじるようなその言葉は届かずに消える。届いてしまっても困るが、このままここに居座られては剣士たちも身動きが取れない。もし今、剣士たちの背後から別の兵士が現れたらもう万事休すだ。剣士の顔にじっとりと汗が滲んだ。兵士たちは「もうこのまま終わるまで隠れてようぜ」などと話している。最悪、急襲して気絶させ、ふんじばってどこかに隠しておくべきか――剣士が腰の剣に手を伸ばした。
「おい! どこ行った!」
「やべっ」
曲がり角の先のさらに奥から怒鳴り声が聞こえ、兵士たちは思わずといった様子で身体を竦ませた。おそらく怒鳴り声の主は彼らの上官なのだろう。兵士たちは慌てて駆け出し、奥へと消えていった。剣士が深く長い息を吐く。慎重に気配を探り、完全に問題ないことを確信して、剣士は再び西部街区を目指して移動を再開した。
「剣士殿」
抑えた声で路地の奥から声が掛かる。剣士がそちらに目を向けると、そこにいたのは別ルートで西部街区を目指していたナカヨシ兄弟の兄、ナカノロフだった。ナカノロフは苦々しい顔で剣士に近付く。
「西部街区につながる道に配置された警備が思ったほど減っていない。巡回ルートが上手に練られているな」
巡回を避けてルートを変えた結果、本来は剣士が使うルートと合流してしまったのだとナカノロフは言った。ナカノロフの後ろには不安そうなDランカーがいる。一緒にいる人数が多ければ見つかる可能性は増えるわけで、これはちょっとまずい状況――
「兄者っ」
焦りを滲ませた別の声が聞こえる。ナカノロフが声の主を振り返って思わず声を上げた。
「ヨシネン、お前もか!」
ヨシネンも別ルートを使って低ランカーを西部街区まで送る予定だったのに、彼らまで合流してしまったら、この狭い裏路地に二十人弱の人間が集まったことになる。それは目立つなって言うほうが無理だ。ちょっと、早くバラけないと見つかっちゃ
「ここで何をしている!」
ったぁーー! 早速見つかっちゃったよ! 険しい顔で槍を握る兵士たちが剣士たちをにらむ。剣士はうつむいて小さく舌打ちをすると、抵抗の意志はないことを示すように両手を上げてにこやかに笑った。
「ああ、すまない。道に迷っちまってさ」
剣士の言葉を兵士たちはまるで信用していないようで、油断なく槍を構えたままだ。焦ったふうを装って剣士は言葉を続ける。
「俺たちはパレードを見に外から来た観光客なんだよ。ただ、パレードはすごい人だかりだろ? あの人数に酔っちまって、ちょっと離れたんだよ。で、気分が落ち着いたからパレードをまた追いかけようと思ったんだが、ケテルは不案内でね。気が付いたらこんなところにいたってわけだ」
兵士の中でも年かさの男――おそらく隊長とかだろう――が不審げに鼻を鳴らす。
「見え透いた嘘を吐くな。お前と、それから後ろの二人、少なくともお前らはただの観光客じゃあるまい。腰にぶら下げた剣が、ずいぶんと使い込まれているようじゃないか、なあ?」
「俺たちは彼らの護衛だよ。護衛なしで素人の田舎者がたどり着けるほど平和じゃないってことくらいわかるだろ?」
剣士の言葉に隊長はムッとした表情を浮かべる。アディシェスがケテルを奪って後、ケテル周辺の治安は少し悪化したらしく、それはつまりアディシェスが治安に維持に失敗しているということだ。隊長は言外に非難されたようで面白くないんだろう。剣士は慌てて手を振った。
「誤解しないでくれ、他意はないんだ。ただ、俺たちは田舎の村からパレードを見にやってきた観光客とその護衛だって、それを伝えたかっただけだ」
剣士とナカヨシ兄弟が引き連れていた冒険者たちが、剣士の言葉を肯定するように何度もうなずく。その顔に浮かぶ不安は演技か本物かわからないが、演技だったらかなりの役者だ。怯えた雰囲気を感じ取ったか、隊長はつまらなさそうに鼻を鳴らして槍の穂先を下げた。
「パレードはこちらとは反対方向だ。向こうの道をまっすぐ行ったら大通りに出るから、そこからパレードを追いかければいい」
とっとと行け、と隊長はアゴで道を示す。媚びるように笑って剣士はゆっくりと歩き出す。
「話が分かる隊長さんでよかったよ。手間をかけた。悪いね」
若者たちにも移動を促し、剣士は隊長に背を向ける。三メートルほど歩いたところで隊長が「待て」と低い声で言った。剣士は振り返って隊長を見る。
「まだ何か?」
「大したことじゃないんだが」
隊長はそう言いながらゆっくりと足を踏み出し――一気に踏み込んで槍を剣士に突き出した! 身をのけぞらし、反射的に剣を抜いて剣士は槍を弾いた。
「お前たち、どうして足音がしない?」
剣士の顔が引きつる。兵士たちが槍を構えて剣士たちの周りを囲んだ。ナカヨシ兄弟が冒険者の若者たちをかばうように前に出た。
「……ここまで、か」
剣士はそうつぶやくと、大きく剣を振って隊長を退かせる。兵士たちに緊張が走った。抵抗の意志を見せた剣士を隊長は鋭く見据える。
「吐いてもらうぞ。お前たちが何者で、何をしようとしているのかをな」
剣士はそれに答えず、抜いた剣を天に掲げた。剣はまばゆい光を放ち、視界を白く染め上げる。思わずといった様子で隊長が、自らの手で目をかばった。視界が利かない中で、聞き覚えのある声が響く。
「カリオペイア!」
「エラトー!」
「ウーラニア!」
『三人合わせて――』
光が晴れ、視界が戻る。ああ、視界が戻ってしまう。そこにいたのは、手に持つ剣をマイクに持ち替えた三人の美少女だった。
『ミューゼスです!』
ビシッとアイドル的ポーズを決め、三人はあざとさを含んだ笑顔で片目を瞑った。冒険者たちがぽかんと口を開ける。兵士たちも同様に、目の前の現実を受け止めきれないように動きを止めていた。ただ、隊長だけが徐々に興奮気味に顔を紅潮させていき、やがて限界に達したように叫んだ!
「お、俺、ファンです!」
「うん、知ってる! サイン会に来てくれたひとだよね?」
カリオペイアが隊長に近付き、その手を取って微笑む。
「いつも応援、アリガト」
隊長は感極まった様子で、言葉もなく何度もうなずく。カリオペイアはそっと手を放し、エラトーとウーラニアを振り返ってうなずき合うと、大きく息を吸って周囲に聞かせるように声を上げた。
「『ミューゼス』メジャーデビューメモリアル! シークレットゲリラライブ・イン・ケテル! はっじまっるよーーー!!」
おお、と感嘆の声を漏らし、兵士たちが拍手を送る。兵士の一人が冒険者の若者に近付いて言った。
「じゃあ、あなたたちはスタッフさんですか?」
「は、はいっ」
半ば反射的に肯定の返事をした彼らに、兵士は納得したような顔をして下がった。アイドルユニット『ミューゼス』が現れたという話はあっという間に広がり、今までどこにいたのかというくらいの人が集まってくる。スタッフ、ということになった冒険者たちは即席のステージを作った。急に振られて対応できる辺り君ら相当優秀ね。
「それじゃあ最初の曲はもちろん、先日発売された私たちのメジャーデビューシングル、知ってる人は一緒にね、『胸きゅん☆はぁとDE――』」
カリオペイアは返答を要求するようにマイクを観客に向ける。観客はその願いに正確に答えた。
「『恋シテル』!!」
満足そうに微笑み、カリオペイアは歌い始めた。ある種異常な熱気が会場を包み――愛と希望の歌声がケテルに広がる。
ノブロとウルスのエキシビジョンマッチも見たいけど、ミューゼスのシークレットゲリラライブも見たい! という人々で、その日、ケテルは大混乱に陥ったということです。




