興行
トラックは自信ありげにプァンとクラクションを鳴らす。
「凱旋パレード?」
ドワーフの王が訝しげにトラックの言葉を繰り返す。どうやらまったくピンと来ていないようだ。まあ、それは俺も同じなんだけど。ケテルを無傷で取り返す秘策を問われたトラックの返答が「ノブロの凱旋パレード」ってことのようなんだけど、ノブロが東洋太平洋チャンプになった記念にケテルで凱旋パレードをする、って話なんだろうか? それはそれでまあ、めでたいことだしやればいいんだけど、それがケテルの奪還とどう繋がるの? 東洋太平洋チャンプにケテルをお返しします、なんてあのアディシェス伯が言ってくれるはずもないと思うけど。
「凱旋パレードを口実にケテルに潜入するってことか」
イヌカが腕を組んでつぶやく。トラックの考えを推し量っているようだ。剣士もうなずいて口を開く。
「ノブロと一緒にトレーナーやプロモーターとしてケテルに入れば、少なくとも数人は怪しまれずにケテルに入れるだろう。そこでヘルワーズに連絡を取って他の連中の――そうだな、A、Bランクの奴らの潜入を手引きしてもらう。Cランク以下は当日に、パレード目当ての観光客を装ってケテルに入る。全員揃ったら、アディシェス伯の邸宅を急襲して人質に取り、クリフォト軍に退去を迫る。そんなところか?」
トラックはプァンと肯定のクラクションを鳴らす。マスターが難しい顔で眉を寄せた。
「アディシェスの連中が凱旋パレードなんぞを許可するのか? 占領間もない時期で、皆ピリピリしてるだろう」
「おそらく、大丈夫です」
マスターの疑問にセシリアが答える。
「当初はその武力で住民を抑えられても、それが永続するわけではないことはアディシェス伯も充分にご存じのはず。占領から少し時間が経ち、住民たちが冷静さを取り戻して、これから徐々に不満が募り始める時期です。伯が愚鈍な支配者でないなら、そろそろ抑圧以外の手段が必要だと考えるはずです」
セシリアはノブロを見る。
「ノブロさんが南東街区出身であることも、重要な点の一つです」
ノブロが小さく首を傾げた。セシリアは確信に満ちた表情をしている。
「南東街区の住民が、易々とアディシェスに従うと思いますか?」
ああ、とノブロは納得した様子でうなずいた。南東街区の住人は野生動物のように警戒心が強く、他人を信用しない。アディシェスの兵がどれほど剣を振り回したところで、そう簡単に言うことなど聞きはしないのだ。
「アディシェス伯も南東街区の統治には手を焼いているはず。そこでノブロさんの凱旋を持ち掛ければ、南東街区の住民を懐柔する手段の一つとして興味を示すでしょう」
な、なるほど? えーっと、あんまり詳しいことはよくわからんのだけども、要するにケテルの占領から時間が経って力による抑圧に対する反発が出始めるこの時期に、ケテルの底辺と言うべき南東街区出身のノブロが実力で掴みとった東洋太平洋チャンプという肩書を引っ提げて凱旋することは、ケテルの住民にとって留飲を下げるいい機会になる、ということ、なのかな? ガス抜きって言うか、占領によって傷つけられた誇りを別の手段で回復する、みたいな? 特に南東街区の人間にとって、ノブロのサクセスストーリ―は「もしかしたら自分も」という夢を見ることができるという意味で効果的だ。そういうエンターテインメントを与えることで南東街区を安定させ統治をしやすくすることを狙って、アディシェス伯はノブロの凱旋パレードというイベントの開催に乗ってくる、というのがセシリアの見立て。ほんとかな? あってる?
「……それほどにうまくいくものか? そもそも誰が敵にその話を持ち掛けるのだ。ここにいる者たちは皆、顔を知られているだろう?」
女王が不信げに顔をしかめる。確かに、トラックはアディシェス伯ともその嫡男であるウルスとも面識があるし、マスターやセシリア、剣士なんかのギルドメンバーもそれなりに名が知られており、アディシェスの関係者に顔を知るものが一人もいない、という事態は考えづらい気がする。Cランク以下の冒険者なら顔は知られていないだろうが、そういう奴らにこの策略の命運を託すのも違うだろう。ここで急に名前も知らんCランカーが登場して見事に交渉を成功させたらなんか嫌じゃない?
「具体的な交渉については専門家に任せればいいだろ」
剣士がそう言ってコメルを振り返った。皆の視線がコメルに集まる。完全に油断してぼーっとしていたコメルが慌てた様子で答えた。
「い、いや、私ですか!? 私はアディシェスに顔を知られている上に、ケテル占領と同時に姿を消しているわけでして、私がノブロさんのプロモーターなりトレーナーなりとして姿を見せたら明らかに不審がられますよ? むしろ見つかった時点で捕縛されてもおかしくはない」
両手を身体の前で振って「無理」を主張するコメルに対し、セシリアは「何の問題もない」と言うように微笑む。
「これを」
セシリアは自分の道具袋をごそごそとまさぐり、コメルに近付くと、何かを取り出してコメルの頭に被せた。
「こ、これは……?」
コメルは戸惑いを口にする。セシリアはそっと手鏡を差し出した。鏡に映った自分の顔を見つめ、放心したようにつぶやく。
「……はげ、ヅラ――」
そう、コメルに被らせたのは紛うことなきはげヅラ。側頭部と後頭部の下半分しか髪の毛の無いかつらだった。えーっと、ほら、コントとかでおじいさん役をするときに被るやつね。コメルがそれを被っている絵面はなかなかシュールなんだけど、それ以前の問題として、
はげヅラで正体隠せるかぁーーーっ!! あっという間にバレてジ・エンドだよ! そしてセシリアさんはなんで道具袋にはげヅラを常備してんだ! そういえばツケヒゲも入ってたなその道具袋! 変装道具一式が入ってんのか!? ってことは、そのはげヅラ自分用!?
「……これなら、いける」
コメルが希望を見出したように拳を握る。なんでだよ! どういう思考の経路でその結論に至ったんだよ! 誰か止めて! この無謀な計画を止めてあげて!
「最大の懸案は解決したようだな」
ハイエルフの女王が厳かにうなずく。なんで急に推進派に寝返ってんだよ! さっき思いっきり疑問を呈していただろうがよ! ああもう、誰かまともに事態を判断できる奴はいないのか!
「決まり、だな」
誰もいなかったぁーーーっ! この場にまともな判断を下せる奴はひとりもいなかったぁーーーっ!! どうすんだよこれ。どうすればいいのこの不安以外の要素が何もない状況!
「詳細を詰めよう。ノブロについていく第一陣は――」
作戦の具体的な段取りを皆が話し始める。ああ、本当にこの策で行くんだ。うまくいく気がしないけど、この『はげヅラ大作戦』。ケテル奪還の重要な作戦のキーアイテムがはげヅラってどうよ。せめて何か魔法のアイテムとかさ、もう少し華々しい何かであれよ。俺の願いをよそに、はげヅラ大作戦は着々と具体化されていった。
アディシェス伯の名代としてケテルの議長室の主となったウルスは、椅子に座ったまま難しい顔を――というか、ちょっと困った顔をしている。彼を困らせているのは正面にいるいかにも怪しげなはげヅラの男、つまり変装したコメルだ。コメルは機関銃のように話し続けており、ウルスに遮る隙を与えない。
「わたシ、町から町に渡り歩きながらイベントを主催しておりマス、いわゆるプロモーターというものでございまシて、サーカスから格闘技大会まで、手広くやらせてもらっておりまシて、ええ、こちらの町でもぜひ、興行をさせていただきたいとお願いに参った次第でございまシて、ええ」
ウルスの顔は明らかに、面会を許可するのではなかったという後悔に彩られている。っていうかコメル、どういうキャラ付け? 微妙にカタコトな喋りが気になるわ。声も変に甲高いし、服装も派手で、業界人っぽいっちゃあぽいんだけど、あやしさ半端ない。普段のコメルとは全然違う雰囲気に、ウルスも他の人間も今のところ彼の正体に気付いてはいないようだ。はげヅラ、意外と正解だった? 信じられん。
「興行の許可なら衛士隊に申請を出せ。話がそれだけならお帰りいただこう。これでも忙しい身の上なのだ」
わずかに途切れたコメルの言葉に割り込み、ウルスは険しい顔でコメルをにらんだ。あえて威圧的な態度をとっているのはあまり彼らしくないが、たぶんもう本気で帰ってほしいんだろう。しかしコメルはいささかもひるむことなくにこやかに話を再開する。
「ええ、ええ、お忙しいのは充分承知しておりマス。しかし閣下、この興行にはどうしても閣下の御力添えが必要でございまシて、ええ」
おそらく拒否のために口を開こうとしたウルスを制するように、コメルは言葉を重ねた。
「ノブロと、戦ってみまセんか?」
ぴくっ、とウルスの眉が反応する。その目にわずかな興味が浮かんだ。
「ノブロ、というと、先日東洋太平洋チャンピオンになった、あのノブロか?」
「さすがは閣下、世情をよくご存じでいらっしゃる」
間髪を入れず称賛するコメルに若干不快そうに眉を寄せ、ウルスは視線で話の続きを促す。コメルは小刻みに何度もうなずいた。
「ええ、そのノブロです。ノブロはこの町の南東街区の出身でシて。次はいよいよ世界ランカー、そして世界チャンピオンに挑む予定ですが、その前に故郷でその雄姿を人々に見せ、勇気づけたいと、そのように申しておりまシて、ええ。そこで、ケテルの中央広場から南東街区までを凱旋パレードという形でやらせていただきたいのですが、それだけではいかにも面白みがない。そこで――」
コメルの目がギラリと何かを企むような物騒な光を帯びる。
「閣下とノブロの、エキシビジョンマッチをお願いしたいのです」
ほう、とウルスが表情を緩める。どうやら興味を引くことに成功したらしい。武人として、強者と戦うことに興味がない、ということはないのだ。手応えを感じたのだろう、コメルがやや前のめりになる。
「パレードの最終地点に特設リングを設置し、閣下にはそこでノブロと戦っていただきマス。アディシェス最強と名高い閣下と南東街区の底辺から栄光を掴んだ若きチャンピオンの対決。これは絶対に盛り上がる。観客大入り間違いなし! わたシの取り扱う興行の中でも、間違いなくトップクラスのビッグイベントになりますヨ」
それに、とコメルはやや声のトーンを落とした。
「……閣下もケテルの統治にはご苦労がおありなのデは? この町はもともと独立の気風の強い土地柄。中でも南東街区は無法地帯に近いと聞いておりマス」
ウルスの表情がスッと冷徹な支配者のそれに戻る。
「一介の興行主が政に口出しをするか?」
「滅相もございませン!」
コメルは慌てたように首を横に振る。もっともその様子は白々しく、うさん臭さがすごい。意図したものかそうでないのか、ウルスの神経を逆なでしようとしているならそれは成功している。しかし、と前置きをして、コメルは悪辣な笑みを浮かべた。
「民の支配に必要なのはパンとサーカス。そろそろ不満のはけ口を与えてやる時期ではありまセんか? ほら、耳を澄ませば聞こえてきますヨ。ケテルの民の声なき声がネ」
ウルスは冷たい視線でコメルを見据える。議長室の空気が張り詰めた。コメルははたと何かに気付いたように「ああ」と声を上げた。
「御心配には及びまセん。閣下がノブロに負けたとしても、ボクシングルールの中でのコト。決して閣下が弱いということにはなりまセん」
「……なんだと?」
安心してください、と言わんばかりにコメルは笑みを浮かべる。対照的に、ウルスの表情は怒りに引きつった。
「この俺が負けるというのか?」
「閣下の勇名は偽り無きもの、なれどそれは騎士としての名望でございマしょう。剣には剣の戦い方があるように、ボクシングにはボクシングの戦い方がございマす。優れた騎士が優れたボクサーであるわけではございマすまい。騎士がボクシングでボクサーに負けたとて閣下の名誉が損なわれることはないのデス」
ウルスは勢いよく立ち上がり、バン、と机を叩いてコメルをにらみつける。
「この俺を愚弄するか!」
「と、とんでもございまセン!」
悲鳴のような声を上げてコメルが頭を下げる。しかしその態度はやはりどこか真剣さを欠いていて、ウルスは怒りにわなわなと身体を震わせた。大きく息を吸い、怒鳴ろうとしたウルスを制するようにコメルは顔を上げ、挑発するようにニヤリと笑った。
「しかし、ノブロは強いですよ?」
「いいだろう!」
顔を紅潮させ、ウルスは大声で怒鳴った。
「貴様の興行とやらに付き合ってやる! 正々堂々、ボクシングルールで戦ってやるゆえ、せいぜい盛り上げて見せよ! ただし!」
ウルスはコメルに人差し指を突き付けた。
「俺がノブロに勝ったとしても文句は言うなよ!」
「ありがとうございマス!」
勢いよくコメルは頭を下げる。ウルスに気付かれぬよう、コメルは頭を下げたまま口の端を上げた。
はげヅラのインパクトは人物の印象を吹き飛ばし、ただ「はげヅラの人」と認識されるため正体がばれないのではないか、というのが最新の認知科学による結論です。




