これから
まばゆい光が晴れたとき、そこは『愚者の門』の中ではなく、ハイエルフの都『真緑の樹』の奥、『魂の樹』に埋もれた場所だった。
「戻ったか!」
安堵を声に滲ませてハイエルフの女王がトラック達を見渡し――猫耳姿のミラに目を留め、顔を紅潮させた。
「今、この瞬間、時を止めたい」
鼻血を垂らしながら真剣な眼差しをミラに向ける女王に、周囲が我知らず一歩引いた。ミラは無表情に女王を見返し、ひとこと、
「にゃあ」
と鳴く。
「おふぅ」
右手を額に当てて女王が幸せによろめく。天を仰いで女王はつぶやいた。
「暗愚王よ。素晴らしい試練をありがとう」
女王の目尻に光るものが浮かぶ。……ってか我々はいったい何を見せられとんだ。女王のキャラがどんどんおかしくなってきているよ。それともだんだん本性が見えてきた、ということなのだろうか。
「セフィロトの娘よ」
ほぼ役に立たない女王に見切りをつけたのか、ドワーフの王がセシリアに向かって口を開く。セシリアはわずかに身を固くした。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。セシリアはトラックを制するように首を横に振り、ドワーフの王を見据えた。
「……真の覚醒には至らなんだか」
ドワーフの王の言葉には、なぜかわずかな安堵があった。セシリアが驚いたような表情を浮かべる。かすかに苦いものを含んだ顔でドワーフの王は言った。
「……かつてディアーナが『愚者の門』から戻ってきたときはな、とても、苦しそうであったよ」
百年前に世を鎮めるための力を得た一人の女の子のことを、ドワーフの王は思い出しているようだった。『セフィロトの娘』として真の覚醒を得るということは、人の領分を超えるということだ。それが人としての幸せにつながることはない。ディアーナという名の十八歳の女の子はその時、世界の礎となることを覚悟していたのかもしれない。そしてドワーフの王たちはそれを、忸怩たる思いで見ていたのではないか。齢二十に満たぬ子供に世界を背負わせる罪に歯噛みしていたのではないだろうか。
「真の覚醒などいらない。お姉ちゃんはお姉ちゃんのままでいい」
ミラがセシリアの横に並び、手をつなぐ。ミラの顔には強い決意と覚悟があった。セシリアが目を伏せる。トラックがプァンとクラクションを鳴らした。
「そうだな」
剣士が同意するようにうなずく。イヌカがニヤリと口の端を上げた。
「今どき一人で世界を救うなんて時代じゃねぇんだよ」
ナカヨシ兄弟が当たり前のように笑った。
「何でも一人で出来るなら、仲間などいる意味がないではないか」
「おうよ。独りで出来ぬことを為すために仲間がおるのだ」
ルーグが生意気そうな顔で言った。
「セシリア姉ちゃんの一人くらい、おれが守ってやるよ」
ノブロが右の拳を自らの左手に打ち付ける。
「うーっし、やってやんぜ」
トラックはセシリアに向かって真っすぐにクラクションを鳴らす。セシリアはハッとした表情を浮かべ、そして泣きそうな顔でほほ笑んだ。
「……そうか」
ドワーフの王は目を閉じて独り言のようにつぶやく。
「お前たちは、百年前とは別の道を歩むのだな」
目を開けたドワーフの王はどこか、厳つい顔に不似合いなほどの柔らかな瞳をしていた。
「これから、どうするのだ?」
ティッシュを鼻に詰めたハイエルフの女王が威厳に満ちた声でトラックに問う。威厳、という言葉の意味を問い直したい絵面だが、ハイエルフの宿す光輝は鼻血ごときで揺らぐことはないようだ。トラックは女王に向き直ってクラクションを鳴らす。女王は我が意を得たりとばかりにうなずいた。
「ケテルは他種族融和の象徴であり、英雄コングロの夢でもある。かの地を取り戻すことは拠点を得る以上に大きな意味があろう。日和見を決め込む者たちを引き込むためにも、この戦は決して負けられぬものとなる。我らエルフも総力を以て支援しよう」
「ドワーフも思いは同じと心得られよ。ケテル攻略の折には必ずや精兵を率いてはせ参じようぞ」
力強く断言するふたりに向かって、トラックは慌てたようにクラクションを鳴らす。ふたりが怪訝そうに眉を寄せた。
「戦は、しない?」
肯定のクラクションを返したトラックにふたりは戸惑いを深くする。剣士が言葉を補うように口を開いた。
「力づくで奪い返せばケテルの市民に被害が出る。そいつはこの男の趣味じゃないんだ。だからケテル奪還は戦をせずに為さなきゃならない」
イヌカがうなずいて解説を引き継いだ。
「戦いになれば敵が最悪ケテルに火を掛ける可能性もある。今後のことを考えても、ケテルを無傷で取り戻すことは絶対条件だ。だから、エルフとドワーフの助力は、今は少し待ってもらいてぇ」
ドワーフの王は明らかに信じられないという顔でイヌカを見る。
「ケテルに駐留しているのはアディシェスの軍勢と聞くぞ。それを相手に無傷でなど、どうやって実現するというのだ?」
自信ありげにクラクションを返し、トラックは向きを変える。ヘッドライトで照らされて浮かび上がったのは――アフロ姿の青年だった。
「……へ?」
ぽかんと間の抜けた顔を晒し、ノブロは想像もしていなかったと言うように口を開けてトラックを見つめ返した。
ケテル奪還の要、それは――アフロ魂。




