答え
暗愚王はまるで何事もなかったように元の位置に戻ってトラックたちを見ている。本当にこれ以上説明する気はないようだな。ちくしょう、こちとら初心者だぞ。もっと懇切丁寧に説明せんかい。ゲームのチュートリアル並みに一個ずつくどいくらいに説明せーよ。ゲーム内でのチュートリアルが充実した代わりにソフトに付いてくる説明書がなくなって意外に寂しい思いをしているオールドゲーマーだぞ俺は。
いくらでも世界を蔑ろにできる力があるからそれを自覚的に使えとか言われてもどうすればいいのかさっぱり分からん。そもそも俺は目の前に起こったことについてつらつら考えたりツッコんだりしてるだけで意図的に何かを描写しているつもりはないのだ。いや、まあ確かに、考えてみれば俺の思考にしては不自然な表現だなってことはいろいろあるよ? この世界に来るまでは日常生活の中で、
現世の喧騒を拒み、魂の静謐を守る門のような佇まいの森
なんて表現したことないからね。静謐って言葉を日常で口に出す人いる? トラックの運転手してて日常会話に『静謐』って言ったことのある人、いたら手ぇ挙げて!
そういう意味では俺は『地の文』という役割に引きずられているのか? ヘルプウィンドウが言ってた『役割に飲まれる』ってそういうこと? 描写するという役割を担うことによって元々の人間性が薄くなっている? 元の世界に戻りたいとか、嫁や娘に会いたいと思う気持ちが消えつつある? い、いや、それはいかん! 確かに最近あまり考えていなかったけども、このまま流されてはいかん! そうか、ヘルプウィンドウが言っていたのはそういうことか! 自覚しなければ俺は描写する者としての役割にどんどん侵食されていって、俺でなくなっていくってことなのか! 気をしっかりもたにゃ、俺は本当に意志を持たない『地の文』になるのか!
そんでもって、意志を持ちながら『地の文』であり続ければ、俺の恣意が世界を歪ませる可能性があるってことだ! 自覚しなければ俺は無意識に自分の望む結末を導くことになるのか! だからこそ、今、このタイミングでヘルプウィンドウは俺の正体を明かしたんだな! 今、おそらくこの世界は分岐点にいる。トラック達とズォル・ハス・グロールという男の、絶対に相容れない思想の対立は、これからの世界の在り方を規定する新たな『理』を生む舞台だ。人間だけが存在する世界と、異なる種族が共存する世界。そこに俺は介入することができる。まったく別の『理』を打ち立てることができる。トラック達の決断を無視して、ズォル・ハス・グロールという男が生きた時間も無視して。
……
重いわぁーーーっ!! 嫌じゃぁーーーっ!! だいたい、俺一人が想像できる未来の姿なんてたかが知れとるわ! そして俺の想像が正しい自信も全くないわ! ノーセンキューだよこんな能力! 俺は将来夫婦で喫茶店を営むために頑張って働いてた普通のトラック運転手なんだよ! 何背負わせてくれとんねん! そういうのは召喚の際にあらかじめ充分に説明したうえで明確な同意を取らないといけないんじゃないんですか? 個人情報保護法の趣旨を本当に理解しているんですか!?
くっそう、俺の声は聞こえているはずなのに暗愚王はピクリとも反応しやがらねぇ。と、とりあえず、どうするかはいったん保留しよ。俺は今までと同じスタンスで、目の前の出来事にツッコんだりツッコまなかったりします!
皆がそれぞれに得た力を実感する中、ただ一人、セシリアだけが姿を現さないでいる。試練にどれだけの時間が掛かるのかは分からないが、セシリア以外はほぼ同時に戻ってきたことを考えると、試練は通常の時間の流れとは別の時間軸を持っているんじゃないかと思う。ノブロが東洋太平洋チャンプになるのに要した時間と、ミューゼスがナカヨシ兄弟をメンバーに加えて新たに再出発するまでの時間と、トラックがラーメン修業していた時間が全部同じとは考えにくいもんね。そうだとすると、セシリアだけが戻って来ないのは、彼女の迷いを反映しているのだろうか?
「……戻らないな」
帰還の高揚が醒め、剣士が不安げにつぶやいた。剣士はセシリアが試練の門をくぐったときにはすでにその場にはいなかったから、余計に不安なのだろう。ミラやルーグも落ち着かぬ様子でトラックを見る。ノブロとナカヨシ兄弟は焦燥を抑え込むように目を閉じて立っていた。
――プァン
トラックが皆に応えるようにクラクションを鳴らす。剣士が意外そうに目を見開いた。
「迎えに行く?」
トラックが肯定のクラクションを返す。皆が「それっていいの?」という視線をトラックに送った。試練って自力で克服しなきゃいけないもんじゃないの? 手を貸しちゃったら、なんか、ダメっぽい気がするけど、まあでも試練に失敗して命を落としましたとか最悪だし、助けに行っていいのかな? ってか、助けに行かないとダメな気がする。よし、行け! セシリアさんを助けに! 一つの試練の失敗で人生なんか終わんないんだからな! そして、人生において試練なんて意外にポンポンやってくるんだからな! いちいち命賭けてられっかって話なんだよ! 今日を生きてりゃ上出来だコノヤロー!!
「……やめとけ」
背後から声が聞こえ、皆は一斉に振り返った。そこには難しい顔をしたイヌカが腕を組んで立っている。え、なんでイヌカがここに? 『愚者の門』をくぐったメンバーにいなかったよね? あれ? いたんだっけ? いなかったよね? 記憶に自信がない。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。イヌカは不愛想に答えた。
「セシリアは無事だし、ヤバそうだったら連れて帰る算段もある。今はまだ手を差し伸べるタイミングじゃねぇよ。独りで戦う時間が必要なのさ」
な、なんかイヌカがいぶし銀の輝きを放っている。突き放すのでもなく、甘やかすのでもない、『信じて耐える』意志と苦悩がその表情から垣間見えた。とてつもなく大人だなイヌカ。『新人潰し』として最初に登場したときから比べたらすごい成長っぷりだよ。感慨深いな。ちょっと涙出てきた。
剣士はイヌカに何かを言おうと口を開きかけ、言葉を飲み込み、大きく息を吸って、ただ一言、
「頼む」
と言って口を閉じた。トラックもまた同意したのだろう、イヌカのほうを向いて沈黙する。待つ、ということは、信じるということ。トラックと剣士は腹をくくったのだ。
「トラック」
ミラがトラックの助手席側の扉に右手を掛ける。ルーグは運転席側の扉に触れた。手をつなぐようにトラックは二人の心を支える。トラックはセシリアが現れるであろう何もない空間を見つめるようにヘッドライトを点灯した。
やがてどれほどの時間が経ったのか――不意に、揺らめき、歪み、朧に透ける門が浮かび上がる。……トラックの向いている方向とは全然違う場所に。イヌカが安堵のため息を吐き、気配に気付いた他の皆が一斉に振り向いた。門は明確な像を結ばぬまま開かれ、頼りなさげな光が漏れ出る。そしてそこから出てきたセシリアは、暗く思いつめた表情をしていた。
「お姉ちゃん!」
ミラがセシリアに駆け寄って抱き着く。優しくそれを抱き止めるセシリアはぎこちなく微笑んだ。剣士はセシリアの消沈に複雑な様子だが、とりあえず戻ってきたことを安堵しているようだ。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。セシリアは憔悴した面持ちで小さく頷きを返した。
「答えは出たか?」
無感情に暗愚王がセシリアに問う。セシリアは首を横に振った。彼女からは試練を経て得た新しい力の気配も、自信も、何も感じられない。何も得ることができなかった――セシリアは試練に、失敗したのだ。
「――私は、選べなかった」
己の不甲斐なさを呪うようにセシリアは固く目を瞑る。その目からこらえきれぬ涙がこぼれた。ミラがぎゅっとセシリアを抱きしめる。皆が労しげな視線を向ける中、トラックはどこかお気楽なクラクションを鳴らした。
――プァン
セシリアがハッと顔を上げてトラックを見る。ナカヨシ兄弟が大きく頷き、ノブロが苦笑めいた表情を浮かべた。剣士は脱力したように息を吐く。ミラとルーグはパチパチと目を瞬かせた。
『百年前、お前と同じように、ディアーナという名のセフィロトの娘が試練に臨んだ』
厳かに暗愚王が口を開く。セシリアは暗愚王に目を向けた。暗愚王は神託のように告げる。
『ディアーナは決断を下し、その意志に見合う力を手に入れた。セフィロトの娘としての真の覚醒を得て、彼女はここを後にした』
セシリアが目を伏せる。百年前の『セフィロトの娘』にできたことが自分にはできなかった。そんな苦しみが滲む。しかし暗愚王はどこか楽しそうに言った。
『だが、彼女の選択は後に彼女を苦しめる結果となった。己の役割を果たし、世界を救って、彼女は後悔と痛苦の中で生を終えた。お前はそれをなぞるためにここに来たわけではあるまい?』
セシリアが視線を彷徨わせる。己の義務、願望、その身に背負う多くの誰かの想いが彼女の心を引き裂いている。暗愚王は大きく声を張りあげた。
『選ばずとも良いのだ!』
セシリアがその大声に目を見開く。暗愚王は両手を掲げて天に吠えた。
『トラックの言う通り、お前は全ての可能性を捨てなかったのだ! 何も決断を為せぬ者を世に愚者と呼ぶ! だが、決断した者はそれ以外を捨てた者なのだ! 何も諦めぬ者を世界が愚者と呼ぶのなら、私は愚者をこそ肯定する!』
暗愚王の身体から光が立ち上り、天を裂いて彼方へと消える。暗愚王は満足そうにセシリアを見つめた。
『答えによっては褒美を与えると約束していたな。お前の答えは充分に私の望むものであった。お前の心に巣食う影を一つ、取り除いてやろう。現世に戻り確かめるがいい』
戸惑いと共にセシリアは暗愚王を見つめ返す。トラックは不可解そうにプァンとクラクションを鳴らした。暗愚王はそれに答えず、あたかもショーの終わりを宣言する支配人のように声を張り上げた。
『試練を経て、舞台は整う! 決戦の時は近い! 力を得た者も、未だ迷う者も、すべてを飲み込んで歴史は動き出す! 主役はお前たちだ! 己の意志で、世界を創れ! それが絶望と滅亡を導くとしても、想いこそが物語なのだ!』
ゴウ、と強い風が吹き、皆が顔を覆う。暗愚王の楽しげな笑い声が響き、視界が白く染まった。
えーっと、ちょっと何言ってるかわかんないんですけど。




