スタッフルーム
あ、あれ? ここは――どこだ? 確か、暗愚王が俺に向かってきて手をかざした、ところまでは憶えてるんだけど……
俺は今、小さな部屋の中に立っている。飾り気のない長机が一つ、椅子が四脚あり、なんだろう、お昼休憩に使う感じの部屋? 休憩室? 部屋の端にケトルが置いてある小さな机があったり、電子レンジがあったりして、カップ麺食べてもお弁当チンしてもいいよ、みたいな。
『な、なんでお兄さんがここにおんの!?』
焦ったような驚きの声を上げたのは、ちょっとお久しぶりのインフォメーションウィンドウだった。ご無沙汰。お笑い、頑張ってる?
『当たり前や。今日もバイト終わりに相方とネタ合わせ――って、そんなんどうでもええわ! ここはお兄さんのおる世界の『外側』やで!? どうやってきたん!?』
動揺しているのだろう、インフォメーションウィンドウの枠が波打つように歪む。どうやって、て言われてもなぁ。気付いたらいた、としか。
『暗愚王の仕業でしょう。あれは創世時の特権を保持したまま身を隠したはず』
どこか忌々しげな声音で言ったのは、ヘルプウィンドウだった。ちょっと今までと印象が違うな。最近出番もなかったし、キャラ変でもした?
『違いますぅ。私は最初から超絶美少女キャラですぅ』
厚みすらない板状の半透明枠の分際で美少女とは笑わせる。
『失敬な。これでもヘルプウィンドウ界の美女枠を独占しているともっぱらの噂ですよ?』
どこ界隈でだよ。そもそもヘルプウィンドウってお前しかおらんだろうが。
『そう、すなわち、言ったもん勝ち』
やかましいわ。結局自分で言っとるだけだろうが。
『脱線してる。ここは部外者立ち入り禁止』
どこか眠たそうな声でスキルウィンドウが言った。こくこくとうなずくようにインフォメーションウィンドウが枠を伸び縮みさせる。
『そや、こんなんお上にバレたらエラい怒られんで。お兄さんも悪いこと言わんから帰り』
いや、好きで来たわけじゃないけどね。そもそもここはどこなのよ。
『ここは――スタッフルームです』
『ちょっとお姉さん!? そんなん部外者に言ったら!』
焦ったようなインフォメーションウィンドウと対照的に、ヘルプウィンドウは覚悟を決めたように悠然としている。
『暗愚王があなたをここに送り込んだのも運命なのでしょう。真実を知り、自らの手で選択する。あなたにはその権利がある』
つぶやくようなヘルプウィンドウの決意に触れ、インフォメーションウィンドウは視線を落とすように枠を曲げた。ってか、スタッフルーム? ヘルプウィンドウたちはスタッフなの? ここはあれか、夢の国の裏側的な感じか?
『夢の国ほど楽しくも幸せでもありませんが、似たようなものです』
ヘルプウィンドウはまっすぐにこちらを見ている。インフォメーションウィンドウが諦めたように「……お姉さん」とつぶやいた。スキルウィンドウはボーっとしたように動かない。えーっと、何だか変な緊張感があるんだけども、これはいったいどうするのが正解だ?
『ずっと、心苦しく思っていました。あなたを巻き込んでしまったことを』
巻き込んだ、って、そういえば俺、ヘルプウィンドウにこの世界に召喚されたんだっけ? いや、はっきりそう言われたわけでもないんだけど。
『私は管理者の命に従い、あなたを召喚しました。ただ、管理者があなたを指定したわけではない。召喚する対象をあなたにしたのは、私です』
そうなんだ。でも、なんで? 俺フツーのトラック運転手ですけど。
『この世界に足りないものをあなたが持っていたからです』
……俺、なんか持ってたっけ? 俺が人様に自慢できる持ち物なんて、スーパーロココのシールくらいだけど。
『私はスーパーゼウスを持っていますよ』
マジで!? いーな、いーな!
『いや、なんの話やねん。急にびっくりするわ。ビックリするマンやわ』
急に弛緩した雰囲気にインフォメーションウィンドウが思わずツッコむ。無表情にスキルウィンドウが言った。
『箱買いしたのに一枚もレアがなかった』
『いや、参戦すな。話広げんでええわ。箱買いした子供がシールだけ抜き取ってウエハースを捨てる事態が続発してPTAが緊急総会を開いたとかどうでもええねん』
お前だってツッコむふりして話広げてんじゃねーか。乗っかれ乗っかれ! 少しでも前に出て爪跡残さんと、あっという間に忘れ去られる世の中だからな。
『ホンマ、笑いの賞味期限て短うなっとるよな。めまぐるしーてかなんわ』
そういうときは古典に学ぶのもいいぞ。落語とか、講談とかな。長く残るものには長く残るだけの力がある。
『勉強になります』
笑いの道は日々精進だ。人を笑わせるには幅広い教養が必要なんだ。引き出しが多ければ一つスベッても挽回できる。客の色に合わせてネタを変えることもできる。渋い客を笑わせたときの快感は相当だぞ? まあ、やったことないけど。
『ないんかい! 真面目に聞いて損したわ!』
うん、いいツッコミだ。今度ライブにお邪魔させてもらうよ。スケジュールとか教えてくれる?
『あ、ありがとうございます! 今度チケット持ってきますわ!』
インフォメーションウィンドウが嬉しそうに頭を下げる。うーむ、若さだねぇ。頑張ってね。上方演芸大賞とか取ったら、周囲に『俺が育てた』とか言って自慢しよ。
『立ち位置』
スキルウィンドウがぼそっとつぶやく。俺の立ち位置はただのお笑い好きのおっさんです。
『そういうところです』
ヘルプウィンドウは穏やかに枠を揺らしながら言った。そういうところ、って、なに? この世界の足りないのは笑いってことですか?
『お人好しで、おせっかい』
……それは人物評としては貶し言葉じゃない?
『そうかもしれません』
否定せんのかい。
『でも、それこそがこの世界に足りないもの。他者の幸せや努力や、悲しみや痛苦に目を留めることが、無価値でないと信じること。種族、地位や貧富の差、性別老若、そんな違いが互いを理解せぬ言い訳として通用しているこの世界で、あなたの善良さは極めて異質です。その異質さが硬直する世界にもたらす変化を期待して、私はあなたを選びました』
なんだか褒められてるんだか貶されてるんだがわからんが、そもそも俺は目の前で起こってることに一人でツッコんだりしてるだけで、世界に影響なんてしてないぞ? 俺の言葉ってみんなに届いてないし。
『いいえ。明確な形で伝わってはいませんが、あなたの言葉は世界を変えています。気付きませんか? あなたが知りたいと思えば誰かが急に説明を始める。あなたが助けたいと思えば誰かが来て助けてくれる。あなたの望みは結果的に叶っている。不自然なほどに』
そ、そうだっけ? なんか結構な確率で俺のツッコみスルーされてる気がするけど。
『それはあなた自身が、あなたの紡ぐ物語に不要だと判断していたからでしょう。あらゆるボケにすべてツッコみを入れていたらキリがない、ということですね』
いや、まあボケ散らすだけボケ散らかされて回収できない状況に陥ることはままあるけども。そういうときには自分の無力を痛感するよ。ああ、またボケを殺してしまったって。
『それもあなたに与えられた『役割』ゆえです。あなたもまた、この世界で『役割』を与えられ、変質している。いえ、『役割』に飲まれようとしている。たとえば――』
『――警告! それ以上の発言はヘルプウィンドウには認められていません!』
突如室内に警報音が鳴り響き、赤色灯が室内を照らす。見たことのない仰々しいウィンドウが中空に現れる。『役割』に、飲まれる? どういうこと?
『あかん! お上にバレた! お姉さん、これ以上は――!』
インフォメーションウィンドウが焦りを滲ませて叫ぶ。ヘルプウィンドウは意に介さぬ様子で淡々と言葉を続ける。
『一番最初に私を呼び出したときのことを憶えていますか? そのときあなたは元の世界に戻れるのか、この世界は何なのか、この世界で自分はどんな存在なのかを私に問いました。でも今、その疑問はあなたから出てこない』
お、おう。そう言われれば確かに。でも、なんかもう慣れちゃったって言うか、どうせ聞いても答えてもらえないというか……
『――警告! ヘルプウィンドウの発言は自身の権限の範囲を超えています! 警告を無視し続ける場合、あなたは管理規定に従って処分される可能性があります!』
しょ、処分!? ちょっとなにその物騒な響き? ヘルプウィンドウさん、ここはいったん終わりにして、またの機会を探ろうじゃありませんか?
『いいえ、この機会を逃せば次はない。あなたは知るべきです。自分が何者なのか。そして決めてください。この世界の未来を。あるべき世界の姿を』
せ、世界のあるべき姿を俺が決めてどうすんのさ? 決めたからそうなるわけでもあるまいに。
『――最終警告! ヘルプウィンドウの発言は現行の秩序を破壊するものと認定します! 消去許可申請……十秒以内に発言を停止しない場合、管理規定に従ってヘルプウィンドウは消去されます』
消去!? いやいやそんなシリアスな場面!? さっきまでスーパーゼウスの話とかしてましたよ!?
『あなたが真実を知っても、あなたの善良さは失われないと信じています。そしてそれがきっと、世界をよりよいものへと導く』
『消去許可申請受理まで五秒』
『お姉さん!』
冷静なヘルプウィンドウの声と、無情なカウントダウンと、悲痛な呼び声が重なる。けたたましい警報音が響いている。
『あなたは――』
『……残念です』
警告ウィンドウが初めて感情を示し、小さくつぶやいた。インフォメーションウィンドウとスキルウィンドウが警告ウィンドウに駆け寄ってその枠を掴む。ヘルプウィンドウは微笑むように色を変えた。
『――あなたは、地の文』
――パシン
何かが弾ける音がして、唐突にヘルプウィンドウは消えた。「ああ」と声を上げてインフォメーションウィンドウが床にうずくまった。スキルウィンドウは首を横に振るように枠を震わせている。感情を押し殺した様子で警告ウィンドウはじっと、さっきまでヘルプウィンドウがいた空間を見つめ、そして姿を消した。警報音が止まり、赤色灯も消えて、スタッフルームはただの休憩室に戻る。
えっと、なにこれ? なんでヘルプウィンドウが消されてんの? 『あなたは地の文』ってどういう意味? 俺、地の文? どういうこと?
インフォメーションウィンドウもスキルウィンドウも辛そうな様子で、俺の疑問に答えてはくれない。そもそも疑問に答えるのはヘルプウィンドウの役割だろう。そのヘルプウィンドウが消されてどうすんだ。ちゃんと仕事しなさいよ! 出てきて俺をヘルプしろヘルプウィンドウ!!
『はぁい♪ 呼ばれて飛び出て超絶美少女! ヘルプウィンドウ推☆参!! あなたの疑問を拳で解決! すべての答えは筋肉が教えてくれる!』
出てくるんじゃねぇか! びっくりしたわ! 処分とか消去とか言われたからさぁ! 心配して損したわ!
『何の話です?』
何の話、って、たった今、警告ウィンドウに警告受けて消されちゃっただろうが!
『ああ』
何かに気付いたようにヘルプウィンドウは枠を揺らし、頭を下げるように枠を折り曲げる。
『ごめんなさい。直前のエンドポイントから復帰したから、エンドポイント作成時から今までの間の記憶は私にはないの。たぶん、私は――』
インフォメーションウィンドウとスキルウィンドウが痛ましげにヘルプウィンドウを見ている。対照的にヘルプウィンドウはあっけらかんと言った。
『――三人目、だから』
今までずっと隠してきたけれど、なんとトラック無双のジャンルは実は、『異世界転移』ではなく『地の文転生』だったのです! うーん、新ジャンル!




