試練 ~トラックの場合~
他に通る者のない高速道路をトラックは急くように進む。道の果ては見えず、窓の外の景色は止まっていると錯覚するほどに変化がない。わずかに揺れる車体と地面を捉えるタイヤの感触だけが前に進んでいることを伝える。どこか苛立たしげにトラックはクラクションを鳴らした。
やがてトラックの前にサービスエリアの看板が現れる。ようやく見えた景色の変化に安堵したのか、トラックはスピードを緩めた。車線を変えてサービスエリアに進入すると、そこにあったのはサービスエリアではなく一軒の中華料理屋だった。いかにも町中華、という気やすい雰囲気のその店は、トラックを招くように入り口を開放している。トラックはわずかにためらいを示し、入り口の前で停車すると、意を決したように【ダウンサイジング】で身を縮めて暖簾をくぐった。
「いらっしゃい」
落ち着いた男の声がトラックを出迎える。客のいない店の中で、堂々たる体躯の壮年男性が人懐こい表情を浮かべてトラックを見ていた。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。壮年男性はからからと笑った。
「会って第一声がそれかい。心配せんでも、今日は貸し切りだ。お前さんとはサシで話をしたかったんでな」
白い調理服を着た男の右の袖がひらひらと揺れる。男は軽く頭を下げた。
「まずは礼を言わせてくれ。ウチのかみさんが世話になった」
トラックはプァン? と不思議そうなクラクションを返した。男は苦笑いを浮かべる。
「おいらはお前さんが【キッチンカー】で呼ぶ中華料理人の夫だよ。かみさんが喜んでたぜ。『バカ息子とようやくまた会えた』ってな」
トラックは驚き混じりのクラクションを返し、軽く頭を下げた。男も慌てて再び頭を下げる。
「いやいや、こちらこそ」
互いに頭を下げあうことしばし、男はやや呆れたように吹き出して頭を上げた。
「こちらこそって言い合ってるだけじゃあ話が進まねぇやな。挨拶はこの辺にして、本題に入ろうか」
男が表情を改め、鋭い目でトラックを見据える。店の中の雰囲気が、変わった。
「ここに来た、ってことは、何かを望んでるってことだろう? 今、おいらがここにいるのはそれを叶える手段をお前さんに与えるためだ。まずは――」
圧倒的な重圧を伴って男の視線がトラックを射抜く。
「お前さんの望みを、聞こうか」
静かな声がビリビリと大気を震わせる。カタカタと店内の机と椅子が細かく動いた。【キッチンカー】のおかみさんの夫、ということは、この男こそが初代特級厨師、冥王の暴走を己の身ひとつで抑え込んだ伝説の英雄に相違ない。トラックは大きく息を吸うようにハザードを焚き、はっきりとクラクションを返した。男が意外そうに目を見張る。
「――『最強』、か」
思案げに中空を見つめ、男は独り言のようにつぶやいた。
「……おいらは昔、その名を負い、その名と共に生きていた。だが、そいつは面倒で鬱陶しいだけの重荷だったよ。なんせおいらにとってその名は誉め言葉でも何でもなかったんだからな」
自らの調理服を軽くつまみ、男はトラックに笑いかける。
「おいらは料理人なんだよ。『最強』は料理人に対する誉め言葉じゃねぇ。おいらが言われて嬉しいのは『美味かった』の一言だけだ」
小さく息を吐き、わずかな失望を宿して男はトラックを見る。
「グレン、という傭兵に負けたことは知っている。あの男は殺し、壊すことに己の存在意義を見出しているような人間だ。お前さんとは決して相容れない。次に会ったとき、奴に勝たなきゃならんって事情も分かる」
トラックは黙って男の言葉を聞いている。男は小さく首を横に振った。
「結局、お前さんは力でねじ伏せる道を選んだってことか? 今まで貫いてきた道を捨て、守るためには殺すことを厭わんと、そういうことか?」
グレンとの戦いはトラックに一つの大きな問いを突き付けた。己の全力を注いでも勝てぬかもしれぬ相手がいるとき、どうすればいいのか。相手は自分の守りたいものに刃を向けている。守るためには殺さねばならない。殺さぬなら守り切れぬかもしれない。何を優先し、何を諦めるのか。譲れぬのは不殺の誓いか、守るべきものを守ることなのか。男の顔が厳しさを増す。トラックはカチカチとハザードを焚き、そして穏やかに、はっきりと否定のクラクションを返した。男は不可解そうに眉を寄せる。
「だったらなぜ、『最強』を望む?」
トラックは男の疑問に答える。クラクションがわずかな熱を帯びた。男はますます不可解そうに顔をゆがめる。
「だから、要はその男に負けたリベンジって――」
――プァン!
男の言葉を遮り、トラックは強くクラクションを鳴らした。男が呆けたような顔に変わる。トラックは自らを落ち着けるように小さなクラクションを吐いた。男はかすれた声をかろうじて絞り出す。
「……何も、諦めない」
言葉をにわかに理解できない様子で男はじっとトラックを見つめた。トラックは揺らがぬ意志を以て男を見つめ返している。意味が浸透するにつれ、男の顔が楽しげな色を帯び始める。
「つまりは、『最強』は手段に過ぎんと、そういうことか?」
トラックはプァンとクラクションを返す。それは道を見定めた者だけが持つ力強さを持っていた。
「荷物と幸せを運ぶ、か」
くっくっく、とおかしそうに男は笑った。殺さず、守る。それが突き付けられた問いに対してトラックという男が辿り着いた結論なのだ。いや、この男は最初から、その答え以外には目もくれていなかった。二者択一の不条理を拒み、理想を追うことを止めない。そしてそのために必要なのが『最強』の二文字なのだ。
「『手加減しても最強』。それがお前さんの望みだってんだな?」
肯定するようにトラックはクラクションを返す。呆れたように、楽しそうに、男は腹を抱えて笑った。
「バカげた望みだ。すべての望みを叶えるなんて、それができりゃ誰も苦労はせん。諦め、妥協して、人は己の生を選択していく。夢追いのバカは自分の夢に溺れて何も為せずに消えていくだけだ。何も守れず、殺した相手の傍らで呆然と立つのがお前さんの未来だろうよ」
トラックは男の笑い声を無言で聞いている。ひとしきり笑って、男は笑いを収めると、「だが」とつぶやいてトラックを見つめた。
「追うことを止めればその時点で理想は潰える。現実を追認するだけでは何も変わらない。夢追いのバカが夢を追うことを止めればただのバカだ。夢追いのバカに価値があるとすれば、誰もが冷笑する実現不可能な理想を叫び続けることにある。なにより――」
男はその厳つい顔に不似合いな愛嬌を浮かべ、ニカッと笑った。
「――そういうバカが、おいらは好きでね」
男のまとう気配が変わる。右袖がはためき、光の粒が集まり始めた。光はなくしたはずの腕を形作る。
「ここはおいらの領域なんでね。こういうこともできる」
右手の具合を確かめるように軽く握り、男は軽く息を吐いた。右腕を取り戻したということは、かつて『最強』と呼ばれたこの男が全盛期の力を取り戻したことを意味する。大気が怯えるようにビリビリと震えた。店の屋根が、壁が、逃げるように掻き消え、戦いの気配が満ちていく。トラックは【ダウンサイジング】を解除して男と対峙した。
「お前さんに、おいらの『最強』をくれてやる。お前さんがそれを受け取ることのできる器なら、お前さんの望みは叶うだろう。だが、器じゃなければ弾けて死ぬ。覚悟はいいかい? 途中でやめた、は聞かねぇぜ?」
当然、というようにトラックはクラクションを返す。自信があるのか、虚勢なのか、その音からは判断できない。男は満足そうにうなずき、両手をトラックにかざした。
「武の頂に立ち、それを超えろ。『最強』の、その向こうへ――」
かざした両手に光が宿る。残酷なまでの美しい光には、破滅の予感と未来の希望が同居している。
「――誰も到達しえない高みへ、行け、トラック!!」
光が溢れ、爆発して視界を覆う。真白に飲まれ搔き消されることを拒むように、トラックは強くクラクションを鳴らした。
初代特級厨師の力を受け継ぎ、トラックはついに辿り着くことになります。
そう、今まで誰も到達しえなかった、究極のラーメンに。




