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暗愚王

「これは……」


 セシリアが戸惑ったようにつぶやく。『愚者の門』をくぐったトラックたちの前に広がっていたのは――ただ何もない真っ白な空間だった。見渡す限り果てもなく、足裏の感触によって辛うじて地面があることはわかるが、おうとつも陰影もない風景は見ていてクラクラする。なんだろう、確かに地面に足を付けているのに、変な浮遊感があるというか、ひどく安定しない感じ。いたずらに不安を煽られるような落ち着かなさがある。


――プァン


 トラックがクラクションを鳴らし、全員がトラックが見ている方向に顔を向けた。何もない空間の彼方から滑るように『何か』が近付いてくる。じっと目を凝らすと、どうやらその『何か』は人の姿をしているようだった。まあ、こんな場所にいるくらいだから普通の人間ではないだろうが。ほどなく『何か』はトラックたちの前に到達した。タキシードをビシッと着て、シルクハットに赤の蝶ネクタイの、手入れされたヒゲを持つその紳士は、鋭い視線で皆を見渡す。無言のプレッシャーを感じ、皆は紳士を注視した。紳士は値踏みするような瞳をセシリアに、そしてトラックに向けると、背筋を伸ばし、シルクハットを投げ捨て、杖を手放して両腕を円を形作るように横から持ち上げ、そのまま両手の指先を頭頂部に付けると同時にがに股に膝を曲げて無表情に言い放った。


「ばっかで~~す」


 場の空気が一瞬にして凍り付き、皆は何が起きたのか理解が追い付かないように紳士を凝視する。紳士は無表情から一転、両腕をまっすぐに下ろして手首を反らせ、足も伸ばしてつま先を上げかかと立ちになってケタケタと笑い始める。こ。こいつ、まさか、自分のギャグに自分でウケている、のか!? なんという強靭なメンタル! 他人にウケるかウケないか、そんなことを超越した強さがここにある! 俺は俺の笑いを追求するのだという、これは世界に対する挑戦であり、同時に自分を鼓舞する戦いの歌だ!


「あなたが、『暗愚王』?」


 恐る恐る、という風情でセシリアが問う。紳士は居住まいを正し、真剣な表情に戻って答えた。


「いかにも~~」


 その顔は瞬時に変顔を形作り、そして紳士――暗愚王は無意味にその場でくるくると回り始める。「ららら~~、世界は~~愛に~~包まれている~~」などと歌いながら――


「酔うわ! 何で回っとんねんワシ! 何で回っとんねん!! 世界は~~愛に~~包まれとらんわボッケーいっ!! パイか!? この世界はミートパイなんですか!? アツアツですか!? こちとら独り身じゃーボッケーいっ!!」


 今度は急に怒り始めた。ってか誰に向かって怒ってんだよ。そして何を怒っているのか一ミリも分からねぇよ。セシリアたちもただ呆然と暗愚王を見る以外に術がないようだ。いや、ほんとどう処理すりゃいいんだよ無秩序にボケ散らかしやがって。ボケにボケを重ねるのはかなりの高等テクニックなんだぞ。安易に手を出せば客を置いてけぼりにするだけの痛い空気を生み出すんだからな、まさに今のこの状況のように。

 ……まさか、もしかして、暗愚王の『試練』って、これ? ボケ散らかす暗愚王に適切なツッコミを入れてきちんと笑いに変えなさい、みたいな? 難易度高すぎるわ! そして百年前に英雄と呼ばれた三人が受けた試練が『暗愚王に適切なツッコミを入れる』だったとしたら何か嫌だわ!


――プァン


 トラックが戸惑い気味にクラクションを鳴らす。暗愚王は不快そうに顔をゆがめ、トラックをにらみつけた。


「『試練』について教えろ、だと?」


 ぞわり、背筋を嫌な予感が駆け抜け、空気が一気に不穏なものに変わる。暗愚王は厳しくトラックを見据え、そして言った。


「いいよ~~」


 きゃっきゃっきゃと笑いながら、暗愚王は再び回り始める。えぇい、いちいちボケられると話が進まん。今までもそれなりにすごい奴らはいたけど、こういうタイプは初めてでどう対処すればいいか思いつかねぇ。さすがは地獄の六王の一柱。この土壇場でとんでもねぇ暴れ馬が現れたもんだぜ。


「ここは『始まり』。すべてがあり、何もない場所。ここではすべてが意志によって決まる。『存在』に『意志』を与えよ。それが始まり。終わりを導くためには始めねばならない」


 鼻歌をうたうように暗愚王は機嫌よく答える。でも意味は分からんな。もったいぶらずにわかりやすく説明しなさいよ。思わせぶりが過ぎると興味を失われてしまうよ。


「『存在』に『意志』を……」


 ノブロが小さくつぶやき、大きく息を吸って、そして決然と目の前の何もない空間を見つめた。するとノブロの前の空間が揺らぎ、ゆがみ、やがて一つの門を形作る。その門は装飾のないシンプルなもので、ギギギ、という軋んだ音を立てて開いた。暗愚王が驚いたような感心したような目をノブロに向ける。


「己の未来の姿を明確に描けているようだな。ならば、その門の向こうにはお前が望む未来につながる『試練』がある。どんな試練かは知らん。お前が望んだとおりの試練がそこにある」


 暗愚王は笑いながら、冷徹な乾いた瞳で言葉を続ける。


「試練を乗り越えることができれば描いた未来に近付く。乗り越えることができねば朽ちて消える。身の丈に合わぬ望みを描いたなら、試練から戻ることは叶うまい。試練を受けずに帰るもまた一つの可能性だ。誰も何も強制はせぬ」


 ノブロはじっと開いた門の奥を見つめる。逆光になっているのか、門の奥がどうなっているのかを見通すことはできない。


「『愚者の門』の中にまた『試練の門』って。門の中に門って。最初の門いらなくね? 門の中の門――すなわちモンモン! よっしゃ、『試練の門』の正式名称はモンモンということでよろしくお願いします!」


 暗愚王が勝手にテンションを上げながら独り言をつぶやいている。ノブロは不敵な笑みを浮かべ、皆に軽く手を上げて言った。


「ちょっくら、行ってくんぜ」


 皆がハッと息を飲む。ノブロはためらうこともなく『試練の門』――モンモンの向こうへと姿を消した。


「お次はどちら? お帰りあちら。望むものあらば望め。なければここには何もない」


 優雅に踊りながら暗愚王が指さすと、『出口』と書かれた看板と一緒にウォータースライダーが現れた。どこから水が流れているのか不明だが、ウォータースライダーの先は遥か遠く、その果てを見通すこともできない。ってか何で帰るのに水浸しにならにゃならんのだ。試練を受けずに帰るならそれぐらいしろってことか? ずぶぬれのリアクション芸で笑いの一つも取ってから帰れと、そういうことなのか?


「ならば我らも」


 ナカヨシ兄弟がそう言うと、二人の前に大きな門が一つだけ現れる。その門は繊細な彫刻が施され、内側から淡く光を放っている。ナカヨシ兄弟は双子だから試練も二人で一つ、ということなのだろうか? 門がゆっくりと開き、中から虹色の光が漏れた。ナカヨシ兄弟は互いに顔を見合わせてうなずき合い、門の中に飛び込んだ。


「あいつらに後れをとっちゃダメだろ」


 剣士が苦笑し、腰に佩いた剣の柄を握る。ルーグが同意するように笑った。二人の前にそれぞれの身長と同じほどの大きさの門が現れる。剣士の門にはそよぐ風の流れを現したような抽象的な意匠が刻まれ、ルーグの門は対照的に直線的な模様で飾られている。剣士はルーグに「大丈夫か?」と言いたげな視線を向け、ルーグは「当然だろ」と生意気な顔を返し、二人は試練へと足を踏み入れた。


「ミラ……」


 セシリアが気遣わしげにミラを見つめる。ミラは小さく微笑んだ。


「私の中に宿った力は、運命を『セフィロトの娘』と一緒に背負うためにある。きっと」


 ミラの瞳には自らの役割を見定めた強さがある。その決意に応え、彼女の見据える先に空間から染み出すように門が現れた。何者にも染まらぬ透明な門がミラを招く。ミラはもう一度笑顔をセシリアに向け、そして門を潜った。


――プァン


 トラックが静かにクラクションを鳴らす。セシリアがトラックを振り返った。その顔に不安と虚勢が見え隠れする。再びクラクションを鳴らしたトラックに、セシリアは首を横に振った。


「――試練は己の力で乗り越えるもの。あなたはどうか、あなたの道を」


 トラックはカチカチとハザードを焚く。セシリアはぎこちなく微笑んだ。わかった、というように小さくクラクションを鳴らし、トラックは向きを変えてヘッドライトを点灯した。ライトに照らし出され、トラックの前に門――ならぬETC専用レーンが現れる。お、おう。そうなんだ。トラックにはそういう感じなんだ。ってことは、俺のETCカードから精算されんのかな? 世知辛いわぁ。

 トラックはぶぉんとエンジン音を鳴らし、ゆっくりとアクセルを踏む。ポーン、という音と共にレーンを遮っていたバーが上がり、トラックはレーンの向こう側に消えた。いったいどこにつながっているんだろう? そして、戻ってきたときの料金はどうなっているんだろうか?


「さて、お前はどうする? セフィロトの娘よ」


 暗愚王の問いかけにセシリアはハッと身を強張らせた。セシリアの前に『試練の門』は現れていない。つまり、セシリアは自らの未来を描けていない、ということになる。『愚者の門』をくぐる前には『自由』を望むと言っていたはずだが、ここに来て気持ちが揺らいでいるということだろうか? 暗愚王は見透かせるように口の端を上げた。


「迷う、ということも一つの意志。決められぬその原因を、自らに問うがいい」


 暗愚王はどこか楽しげな様子だ。セシリアが怒りを暗愚王に向ける。


「何を笑う」


 意外にも暗愚王は「失敬」と謝り、少し懐かしむような表情を浮かべる。


「百年前にも同じ光景を見た。ディアーナという名の娘もまた、迷いの中にいたのだ。お前の出す答えが彼女と同じかはわからぬが、多少の期待はしておこう。お前の答えによってはささやかな褒美を差し上げる」


 褒美、という上から目線にセシリアは不快そうに顔をしかめた。暗愚王は軽く笑い、パチンと指を鳴らす。セシリアの前に門、のようなものが揺らめきながら姿を現した。それは迷いを反映するようにゆがみ、不安定に透けている。


「あるいは他の者の試練よりもはるかに辛いかもしれぬ。己の心と向き合うというのはな。だが、それを経ねば真の覚醒は訪れぬ。『生命の樹』はセフィロトの娘の真の願いにしか反応することはないのだから」


 セシリアはじっと揺らぐ門を見つめ、覚悟を決めたように、あるいは虚勢に縋るように表情を厳しくすると、門に手を伸ばした。その指が門に触れると、門は細かな光の粒に変わってセシリアを包んだ。輝きが視界を覆い、光が晴れたとき、セシリアの姿はどこにもなかった。


 これで、全員がとりあえず試練とやらに挑むことになった、ということだろうか。うーむ、いったいどんな試練が待ち受けているのか見当もつかないが――


――置いてかれたーーーっ!! ついていくタイミング逃したぁーーーっ!! え、どうしよ、みんなが戻ってくるのここで待つ!? いやいや、試練の中身って超気になるんですけど! そこ省かれたら辛くない!? パワーアップして帰ってきましたって言われても納得できなくない!?


「さて、最後はお前か」


 暗愚王がそうつぶやいてこちらを見る。お? まだ誰か残ってたっけ? いや、もう全員――


「お前も、そろそろ自分の立ち位置を自覚する頃合いだ。弄ばれるばかりも飽きたろう?」


 暗愚王がこちらに近付き、俺の目の前で止まる。え? ちょっと待って? まさか、暗愚王は俺の存在に気付いてる?


「駄女神にでも直接聞いてみるがいい。お前が喚ばれた理由を。お前を使って何をしようとしているのかをな」


 暗愚王が俺の顔の前に手をかざす。その瞳が妖しく赤い光を放った。

という暗愚王の一人芝居をお送りしました。

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[一言] うおおお、そうきたか!!!!
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