家族
エバラ夫妻は西部街区の端にある長屋に住んでいる。夫は狩人をしており、妻は獲物を加工して商人に売って生計を立てているようだ。子供はおらず、夫婦二人暮らし。住まいを見る限り、とても金回りがいいとは思えない。獣人売買なんて無縁に見えるんだけど……。実は部屋の中には金塊の山が、ってこともあるかもしれないが。
剣士がコンコンと扉を叩く。「ちょいと待っとくれ」と下町っぽい返事が聞こえ、間もなく扉が開いた。扉を開けて出てきたのはコモドドラゴン、もといエバラだった。エバラは剣士たちを見て、そしてセシリアに抱えられた白い犬人に目を止めると、はっと息を飲んだ。
「ジョン!」
エバラの声にジョンは目を覚まし、セシリアの腕から飛び出した。エバラは膝をついて腕を広げ、ジョンをその胸に抱きとめる。ジョンは嬉しそうに尻尾を振り、エバラの顔をなめまくっていた。
「よかった! 無事で、よかった!」
ジョンを抱きしめて、エバラは泣いていた。戸惑う剣士たちに、家の奥から夫が現れて声を掛けた。
「どうぞ、中へ」
剣士とセシリアは互いに顔を見合わせ、そしてその招きに応じた。
夫が語った事の顛末は、まあ何というか、とても単純な話だった。夫が森に狩りに出かけたある日、森の中で一匹のケガをした仔犬を見つけた。おそらく他の獣に追われて町の近くまで来てしまい、棲み処に戻れなくなったのだろう。野犬など珍しくもなく、構う必要などないと思いながら、夫はどうにもその仔犬を放っておけなかった。この仔犬はきっと生き延びることができない。ケガをしている上に、まだ自分で獲物も獲れないだろうから。夫は「うまく仕込めば猟犬になるかもな」なんて自分に言い訳をして、仔犬を家に連れて帰った。エバラは夫が抱えて帰った仔犬の姿を見て驚いた様子だったが、「仕方ないね」と笑って受け入れた。二人は仔犬にジョンと名付け、一緒に暮らすことにした。
それからしばらくの間、穏やかな日が続いた。ジョンは二人に良く懐き、二人はジョンをとても大切にした。子のない二人にとって、ジョンは我が子も同然の存在になった。ジョンのケガもすぐに治り、元気に駆け回るジョンの姿を見て、夫妻は幸せに目を細めた。だが、そんな日は長く続かなかった。ジョンの正体を、二人が知る日が来たのだ。
その日、エバラは夫が仕留めたイノシシの肉を塩漬けにしていた。ジョンは遊んでほしいとエバラの足元をくるくると回る。エバラは「もう少し待ってね」と言いながら作業を続けていた。するとジョンは、おそらく気を引きたかったのだろう、その姿を人型に変え、エバラの足に抱き着いた。
「ジョン、あんた……!」
驚きに目を見開くエバラを、ジョンの無垢な瞳が見上げる。エバラは膝をつき、ジョンを強く抱きしめて、泣いた。
「ケテルに生きる者として、許されないことをしていると、分かっていました」
エバラはうつむいて剣士に言った。ジョンが獣人の仔なら、エバラ夫妻のやっていることは誘拐だ。本来ならば気づいた時点で衛士隊に届け出なければならない。しかしそれは、ジョンとの別れを意味していた。
「明日、衛士隊に知らせよう。明日はきっと届け出よう。毎日毎日そう思いながら、私たちはズルズルと決断を先延ばしにしてきました」
夫の顔は苦渋に満ちている。獣人だから、法に触れるから、そんな理由では割り切れないほどに、夫妻とジョンはもう、家族だった。
迷い悩む日々を送っていたある日、一つの事件が起きた。ジョンが商品である干し肉を食べてしまったのだ。エバラはジョンをきつく叱りつけた。不必要なほどに。悩みながら暮らす日々は、本人が思うよりずっと心を不安定にさせていたのだろう。ジョンは驚き、そして家から飛び出した。はっと我に返り、すぐに後を追ったものの、ジョンの姿はすでになく、周囲をどれほど探してもジョンを見つけることはできなかった。ジョンが出て行って一日が過ぎ、二人は意を決してギルドの扉を叩いた。ジョンが獣人だと知られないよう、心の中で必死に願いながら。
「あ、あの……この子は」
エバラが縋るような目でセシリアを見る。セシリアは首を横に振り、
「数日のうちに、犬人がその子を迎えに来ることになります。それまでにどうか、別れを惜しんでおいてください」
冷たく聞こえるほどに静かな声でそう告げた。エバラが両手で顔を覆い、夫ががっくりとうなだれる。エバラの膝の上に座っていたジョンが牙を剥き、セシリアに向かって激しく吠えた。
エバラの家を辞し、セシリアたちはギルドに戻って事態を報告した。ギルドからすぐに犬人の村に使者が送られ、三日後、ジョンの両親が我が子を迎えにケテルを訪れた。トラック達は案内役として両親をエバラの家に連れていくことになった。
セシリアがエバラの家の扉をノックして来訪を告げる。ノックに答えたエバラの「どうぞ」の声は震えていた。セシリアは扉を開け、中に入る。ジョンの両親と剣士もセシリアの後に続いた。
「レアン!」
ジョンの姿を見るなり、母親がジョン、いやレアンに駆け寄り、抱き上げる。ジョンは本当はレアンという名前だったのだろう。レアンは嬉しそうにヒャンと鳴き、母親の顔をぺろぺろと舐める。その様子をエバラ夫妻は複雑な表情で見つめていた。
「息子を助けてくださり感謝します。ありがとうございました」
レアンの父親がエバラ夫妻の前に進み出て、深く頭を下げた。だがその言葉は感謝の言葉に不似合いなほどに、固くぎこちないものだった。両親にしてみれば、エバラ夫妻は我が子の命の恩人でもあり、我が子を奪おうとした罪人でもあるのだ。その胸中はやはり複雑なのだろう。
レアンの母親が抱き上げていたレアンを床に下ろし、エバラ夫妻に頭を下げる。エバラが辛そうにうつむき、夫がエバラの肩を抱き寄せた。レアンは不思議そうな顔で両親とエバラ夫妻を交互に見た。レアンの父親が夫妻に背を向け、レアンの手を引く。別れの時だ。仕方のない、ことだ。エバラ夫妻がジョンを大切に思っていたように、レアンの両親はレアンを大切に思っているのだ。
レアンの父親が玄関の扉に手を掛け、開いた。まぶしい光が外から家の中に射し込んでくる。外は皮肉なほどにいい天気だった。レアンたちが足を踏み出し、そして、外に出ようとした、その時。
「身勝手を承知で、お願いいたします!」
エバラがレアンたちの背に向かってそう叫んだ。レアンたちは驚いて夫妻を振り返る。エバラは正座し、額を床にこすりつけて言葉をつなぐ。
「どうか、どうか! その子を、私たちにください! 私たちからその子を取り上げないでください! お願いします! お願いします!」
何度も「お願いします」と繰り返すエバラを痛ましげに見つめていた夫は、自らもエバラ同様、額を床に付けて懇願する。二人の声が、家の中に響く。
エバラ夫妻の言っていることは、まったく筋の通らない、単なる身勝手なのだろう。だが、それを単なる身勝手と切り捨てるにはあまりに、その声は悲痛な思いをはらんでいた。レアンが悲しそうにくぅんと鳴く。レアンの両親はじっと夫妻を見下ろしていたが、やがて静かに言った。
「……あなた方は本当に、この子を大切に思ってくれているのですね」
「だけど、それは私たちも同じなのです。私たちも同じように、この子と別れたくないと思っているの。一緒に居たいと、思っているのです」
レアンの両親の言葉に、何も言えなくなったのだろう、エバラ夫妻は言葉を飲み込んだ。夫妻の肩が少し震えている。泣いて、いるのだろうか。
「あなた方はこの子と別れたくない。ですが、私たちもこの子を手放すつもりはありません。ならば道は一つしかない」
「ええ。どうか、ご理解くださいね」
エバラ夫妻はまだ顔を上げないまま、じっとレアンの両親の言葉を聞いている。レアンの両親は互いに顔を見合わせると、力強く頷き、そして声を合わせて言った。
「今日から我々も御厄介になります」
……は? えーっと、今、なんて? エバラ夫妻も思わず顔を上げ、ポカンとした様子でレアンの両親を見ている。
「人の里に住むというのは初めての経験ですが、何とかなるでしょう」
「少々手狭ですね。すぐにとは申しませんが、もう少し広い家に引っ越すことも考えてくださいね」
レアンの両親は勝手に、自分たちの家から持ち込む家具の配置を話し合っている。えーっと、つまり、みんなでこの家で住むってこと? 明らかに戸惑っているエバラ夫妻に向かって、レアンの両親がにっこりとほほ笑んだ。
「どうか、末永くよろしくお願いしますね」
セシリアも剣士も、怒涛の展開に声も出ない。レアンが嬉しそうにヒャンと鳴いた。
めでたしめでたし、なのか、な?
後日、冒険者ギルドに一つの依頼が寄せられた。
『居候の犬人が働きもせずよく食べるので家計がひっ迫しています。どうにかしてください』
レアンの両親は食へのこだわりが強く、特定のペットフードしか食べてくれないため、エバラ夫妻は本当に困っていました。




