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弁舌

 『愚者の門』という言葉によって、議場の空気は今までとは違う奇妙な緊張感を帯びた。女王が厳しい表情でコメルを見据える。


「なぜ、お前がその名を知っている?」


 エルフたちはにわかに殺気立ち、返答を間違えれば斬られてしまうのではないかと思えるほどに張り詰めている。マスターたちはエルフの急な変化に戸惑いを隠せぬ様子だ。当のコメルだけが平然とした顔をしている。


「私はケテルの評議会議長の傍に仕えておりましたので。ケテル創建の歴史についてもそれなりに知りうる立場だったのですよ」


 コメルの説明に、しかしエルフたちが納得した様子はない。その真意を見極めるように女王は無言でコメルを見据えている。緊迫した雰囲気の中、


――プァン


 トラックのどこか間の抜けたクラクションが響く。わずかに議場の緊張感が和らいだ。


「『愚者の門』とは、地獄の六王の一柱、暗愚王の支配する地へと続く現世の門と言われています。そこには無限の可能性があり、何も実現されていない場所。すべての始まりであり、永遠に終わらぬ、時間から隔絶された地、なのだとか」


 コメルがトラックの疑問に答える。まあ、何言ってるかわかんないんだけども。暗愚王がいそうだなってことはわかったが、今さら新キャラって言われてもなぁ。暗愚王って名前ですでにときめかないからなぁ。


「なぜ、その『愚者の門』を開かねばならないのですか? その地にクリフォトに対抗する力があると?」


 今度はセシリアがコメルに問う。コメルは首を横に振った。


「いいえ。『愚者の門』の向こうにあるのは力ではなく、試練です。『セフィロトの娘』が真の覚醒を迎えるための、ね」


 セフィロトの娘、という言葉にセシリアの顔が青ざめ、コメルを凝視する。その言葉がここで出た、ということは、コメルはセシリアの正体を知っている、ということだろうか? なんで知ってんの? 盗み聞き?


「……つまり、この戦は百年前と同じ、セフィロトの娘を巡る争いだと、そう言いたいのか?」


 女王が固い声をコメルに投げかける。コメルは大きくうなずいた。


「古き理を消し去り、新しき理によって世を作り変える。百年前、皆さまが三英雄と共に阻止した破壊と創造を、クリフォトは再現しようとしているのです」

「バカな、あり得ぬ!」


 思わず、といった様子で宰相が声を上げる。


「ディアーナの願いは遍く世界に響いた。誰も憶えているはずがない!」


 そんなことがあってはならない、と言わんばかりに宰相はコメルに詰め寄った。コメルはやや目を伏せて首を横に振る。


「憶えている者がいた、ということでしょう。強い願いが奇跡をもたらすのはセフィロトの娘に限った話ではない。スキルがセフィロトの力を凌駕したなら、あの地獄を忘れずにいることもできる」


 女王は不信を露わにしてコメルを鋭くにらみつけた。


「あの地獄、とは、まるでその場にいたような言い方ではないか。我らとて当時の記憶はないというのに」

「もちろん、私のは想像にすぎません」


 コメルはあいまいな表情でわずかに女王から目をそらした。


「ケテルには過去の、セフィロトの娘を巡る争いに関する文献があります。百年前だけでなく、もっと昔に起こった争いの数々も。それらを見れば、百年前に何が起こったのかを想像することはできる。どれだけの命が失われたのかも」


 コメルの言葉に、百年前を実際に体験したであろうエルフたちは神妙な顔になった。でも、なんか変な話だよね。百年前に起こった争いっていうのが何なのかよくわからないけど、エルフたちは当時にはもう生まれていたわけで、女王の言った「我らとて当時の記憶はない」というのはおかしい気がするけど。長く生きて記憶があいまいです、みたいな? 何百年も生きてたらそうなっちゃう? 見た目は若者、脳は老人? ……エルフ、意外とうらやましくないな。


「悪いが、話が見えん。分かるように説明してくれねぇか?」


 置いてけぼりに耐えきれなくなったのだろう、マスターがコメルに言った。コメルはうなずき、なぜかセシリアに視線を向ける。


「『生命の樹(セフィロト)』とは、神が創世に際して造ったとされる巨大な樹のことです。神の言葉を与えられた生命の樹は、その言葉の意味に従ってこの世のあらゆるものを作った。創世の終わりに生命の樹は役目を終えて眠りについたとされています」


 コメルの視線にセシリアは険しい表情で視線を返した。急に神話を持ち出され、マスターがじゃっかんイライラした様子で言った。


「その昔話の生命の樹とやらが、いったい何の関係がある?」


 コメルはマスターに顔を向け、なだめるように表情を緩める。


「生命の樹は昔話ではなく、実在する奇跡です。神が為したように生命の樹に言葉を与えれば、生命の樹はあらゆるものを無限に生み出す。あるいは、この世の法則を作り変えることもできる。つまりは、生命の樹を手に入れることができればどんなことも可能になる。どうです? 欲しいと思いませんか? あらゆる望みが叶う奇跡の樹を」


 マスターは不快そうに鼻を鳴らし、首を横に振った。


「突拍子もなさ過ぎて何とも思わねぇよ」


 マスターの素朴な感想は部屋の空気を少し和らげた。女王は深く息を吐き、目を閉じて口を開いた。


「……百年前、その突拍子もない話を本気で信じた男がいた。その男は生命の樹を眠りから覚ます方法を探し当てた。そして、その方法を実行した」


 ひどく苦々しい表情を浮かべ、宰相が言葉を継ぐ。


「生命の樹の眠りを覚ます方法は一つだけ。世が乱れ、数多の血が流されること。既存の秩序が意味を為さなくなった時、生命の樹は姿を現し、この世に新たな秩序を与える。その男は生命の樹を復活させるため、当時の権力者たちに生命の樹の奇跡の力を吹聴した。『それを手に入れれば世界の覇者になれる』とな」


 権力者たちは言葉巧みにその男に誘導され、他者に先んじて生命の樹を手に入れようと争い始めた。それはやがて大規模な武力衝突を引き起こし、世は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。


「数多の犠牲の上に、生命の樹は地上に芽吹いた。だが、そこで一つ、誤算が生じた。生命の樹に言葉を伝えるための手段を手に入れることができなかったのだ」


 生命の樹は神の言葉を聞く。誰の言葉でもよいわけではないのだ。そして、この世で神の代理として生命の樹に言葉を届けることができるのは『セフィロトの娘』と呼ばれる者だけだった。


「世の乱れに呼応して神は『セフィロトの娘』を世に遣わすと言われています。百年前、その運命を受けた娘が、当時南の小国にすぎなかったとある国の王女、ディアーナでした」


 ディアーナを手中にすべく各国の権力者は争い、さらに多くの血が流れた。ディアーナは国を出て流浪し、苦難の果てに運命の出会いを果たす。後に三英雄と呼ばれる者たちが揃い、戦乱の歴史は分岐点を迎える。


「筋肉ヒゲ紳士コングロと獣人の娘マリットはディアーナを助け、戦乱を終わらせるための兵を挙げた。その時にはもはや、あらゆる種族、あらゆる国が狂気に囚われたように殺し合っていた。疲弊しきった世界で和解と共存を掲げたディアーナたちへの支持は少しずつ広がり、やがて戦は終わった」

「ちょっと待て!」


 ハッと何かに気付いたように、マスターは話を遮る。


「つまり、ズォル・ハス・グロールは生命の樹を復活させるために戦いを起こしたと言っているのか!?」


 マスターはコメルたちが百年前の戦いの話をした意図を察したのだろう。コメルはうなずきを返した。


「はい。彼は百年前を再現しようとしている。そして、自分の願いを叶えようとしているのでしょう」


 どんな願いかは分かりませんが、とコメルは小さくため息を吐いた。どんな願いであれ、それを叶えるためにどんな犠牲もいとわないなんて迷惑な話だ、と言わんばかりだ。女王は目を開き、コメルを見据えた。


「数多の血が再び流れ、生命の樹が眠りから覚める条件は整ったのかもしれぬ。だが『愚者の門』を開けというからには、すでにセフィロトの娘が世に遣わされた、ということなのだな?」


 女王は膝の上のミラを抱く手に少し力を込める。コメルは柔らかな口調で答えた。


「ご安心ください。ミラ様は確かに『始原の光』を宿しておいでだが、セフィロトの娘ではありません。お気づきになりませんか? あなたがたには懐かしい気配かと」


 コメルのもってまわった言い方にわずかに顔をしかめ、女王は皆を見渡した。マスターを素通りし、トラックも素通りして――その視線がセシリアで止まる。


「まさか、ディアーナの血筋か?」


 宰相も「なんと」と驚きの声を上げる。セシリアはためらうようにぎこちなくうなずいた。


「……おっしゃる通りです」

「ま、待て待て!」


 慌てたようにマスターが声を上げる。


「ディアーナの血筋、ってことは、まさか、セフィロト王国の王族ってことか!?」


 セシリアは観念したように目をつむり、目を開くと、はっきりとした口調で皆に告げた。


「私は、セフィロト王国の第一王女、アウラです」


 マスターがあんぐりと口を開け、ぽかんとセシリアを見る。一緒に並んでいる他の冒険者たちもほぼ同じリアクションだ。そこで他といかに差別化したリアクションを取れるかがリアクション芸人の神髄だろうに、お前たちはまだまだだな。トラックは以前に聞いているから驚いた様子もない。女王は懐かしさを示した後、複雑な表情で目を伏せた。


「子孫までもが過酷な運命を負うとは、ディアーナも心を痛めていような」


 セシリアは――えーっと、もう本名を明かしたからアウラと呼んだほうがいいのか? でも呼びなれないからちょっとなぁ。もうセシリアでいいか。セシリアは小さく首を横に振った。


「力を持てばこそできることもありましょう。為すべきを為す覚悟はすでにある」


 宰相がどこか哀れむようにセシリアを見る。それはかつて見た、運命を背負って戦った少女の面影をセシリアに見ているような、そんな目だった。


「お前の言うことを信じよう、コメル。この戦いが生命の樹を巡るものであれば、ことは我らだけの問題ではない。すべての種族が力を合わせねば、再び世界が地獄に沈むことになるのだからな」


 女王の言葉にコメルは「ありがとうございます」と頭を下げる。女王は皆に向かって強い調子で言った。


「急ぎ兵を整えよ! 我らはセフィロトの娘を守り、世の乱れを平らげるため地上へと向かう! 心せよ! この戦、我らのみならず世界の命運を賭けたものぞ!」


 おお! と気勢を上げ、将たちが一斉に席を立つ。会議が終わり、方針が決まった、ということなのだろう。逆に冒険者たちは、話が大きくなりすぎた感じに戸惑っているようで、誰も席を立てずにいる。女王はミラを膝から降ろして立ち上がるとコメルに近付き、顔を寄せて囁いた。


「思惑通りか?」


 コメルはとぼけた顔で答える。


「何のことでしょう?」

「『愚者の門』を開くにはドワーフの王の持つ鍵が必要だ。我らの持つ『精霊の鍵』とドワーフの持つ『黒鋼の鍵』が揃って初めて門が開く。ドワーフとエルフが協力したとなれば他種族の動向にも影響するだろう。王女の許に他種族を糾合してクリフォトに対抗するのがお前の描いた絵図なのだろう?」


 コメルはわざとらしく慌てた様子でぶんぶんと首を横に振る。


「とんでもございません。そのような大それたことは何も。ただ――」


 コメルはやましいところの何もない純粋な笑顔を浮かべて言った。


「――女王陛下は正しいご判断を下されるだろうと、そう信じておるだけでございます」


 不快そうに鼻にシワを寄せ、女王は部屋を後にした。

トラック無双の主人公はいつの間にかコメルになってしまった説。

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[一言] コメル無双( ˘ω˘ )
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