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ケテル、消滅

 剣士は西部街区の裏道を全速力で駆けていた。すでに通りはアディシェス兵で溢れており、人々を威圧している。外出は禁じられ、命令を無視して外に出ればそれだけで拘束されてしまうようだ。


「逃がすな! 冒険者と名の付く者は一人残らず捕えよ!」


 表通りがざわめき、戦いの音が聞こえる。大勢が地面を踏み荒らし、金属同士が咬み合う甲高い音が響く。剣士は慎重に表通りの様子を窺った。


「それ以上近付かねぇことだ。首と胴が泣き別れするぜ?」


 表通りの中央で、兵士に十重二十重に囲まれたジンゴが居合の構えを取る。ちょうど刀の殺傷範囲を境界とした円周上に敵兵が並び、追い詰めているはずの敵のほうが蒼い顔をしている。世間に名を知られることなき魔王殺しの英雄は、ただ威圧するだけで敵兵の動きを止めるのだ。

 剣士は腰の剣を抜き、裏路地から飛び出して敵を背後から襲った。素早く三人の兵を打ち据えて囲みの一角を崩す。奇襲を受けて動揺する敵兵をよそに、剣士はジンゴに向かって叫んだ。


「こっちだ! 早く!」


 敵が剣士の出現に気を取られた一瞬のスキを突いて、ジンゴは背後の敵に牽制の一撃を放つと、剣士の出てきた裏路地に飛び込む。敵の追撃を阻む斬撃を振るった後、剣士も再び裏路地へと戻った。




「悪いな。助かった」


 わずかに息を切らせてジンゴが走りながら礼を言った。


「余計な世話だったか?」

「いいや、はったりで凌いでただけだ」


 年を取ると体力がねぇんだよ、とジンゴは苦笑いを浮かべる。剣士は半信半疑でその言葉を受け取ったようだ。はったりが通用するのは、相手に「そうかもしれない」と信じさせることができるからだ。少なくともジンゴは敵兵に『下手に近付くとヤバい』と思わせる雰囲気を持っていた、ということだ。実力もなくそんな雰囲気を出せるはずもない。


「こっちに逃げたぞ! 回りこめ!」


 そう遠くない場所からアディシェス兵の声が聞こえる。ジンゴは忌々しそうに顔をゆがめた。剣士は声から遠ざかる道を選んで細い裏路地へと身を躍らせる。そこは少し広めの庭を持った一軒家の裏手につながっていた。あれ、ここ、どっかで見たことがあるような……


「いたぞ!」


 表通りからこちらを覗き込んだ敵兵が大きな声を上げる。見つかった!? 剣士は小さく舌打ちをして、元の道に戻るべく後ろを振り返った。しかしそちらにもすでに敵兵の姿がある。ちょっと、これってもしかして大ピンチ!? 敵の鎧がガチャガチャと音を立てて迫る。剣士は【何でもない剣】の柄に手を掛けた。


「追いつめたぞ。おとなしく投降しろ!」


 敵兵が抜き身の剣を剣士に突きつけ威圧的に叫んだ。ジンゴの顔が厳しさを増した。民家を囲う塀を背にして剣士は迫りくる敵兵をにらむ。敵兵はじりじりと距離を詰め――


「おやめなさい!」


 緊迫した空気を裂く鋭い叱責が飛び、敵兵は思わずといった様子で足を止めた。


「人の家の庭先で何をしているかと思えば、たった二人を大勢で追いかけまわして。恥ずかしいと思わないの?」


 裏口の扉が開き、家の主が姿を現す。それは一人の老婆――クラルさんだった。おお、ここクラルさんの家だったんだ。リスギツネを救ってくれた恩人、【緑の指】を持つ植物育成の匠。庭の木々はどれも青々と茂り、今は主を守るようにざわざわと揺れている。


「おとなしく家に入っていろ! 邪魔をすれば容赦はせんぞ!」


 剣を向けて威嚇する兵士の前に、しかしクラルさんは恐れることなく進み出る。その迫力に兵士は一歩下がった。


「彼らが一体何をしたというの? 彼らを捕まえるというなら、その罪を証しなさい!」


 正論をぶつけられて兵士がたじろぎ、たじろいだことを隠すように顔を赤くして剣を振り上げる。


「警告はしたぞ!」

「クラルさん!」


 兵士の怒声と剣士の叫びが重なる。クラルさんはまっすぐに兵士を見据えていた。兵士の剣が振り下ろさ――


――バキィッ!


 右頬に剣の鞘を痛打され、兵士はくるくると回転しながら後方に倒れた。


「この方に剣を向けるというなら、覚悟することだ」


 クラルさんをかばうように兵士たちとの間に割って入ったのは、すらりとした細身を無骨な鎧で固めた、ひとりの女性だった。


「この針葉将軍ツンドラを、敵に回す覚悟をな」


 ツ、ツンドラ!? クラルさんが【夢見の樹海】に囚われていたとき、助けに入った樹海の中で出会った暗黒樹海騎士団の四天王のひとり!? 暗黒女帝を倒すために自らを犠牲にした彼女が復活したのか! ということは、心を持ったためにスキルに目覚め、スキルの暴走を止めるためにセシリアが精霊力を奪ったあの木が、また力を取り戻したってこと!? よかった! ほんとよかった! だってさあ、あんな、誰も悪くないのに悲しい終わり方、ダメじゃんか。だから、よかった!

 剣士が驚いたような、信じられないような顔でツンドラを見る。ツンドラはわずかに表情を柔らかくして言った。


「行け! ここは私が抑える!」


 剣士は一瞬だけ迷いを示した後にうなずき、身を翻した。ジンゴも剣士を追い、敵兵が我に返ったように叫ぶ。


「逃がすな!」


 動き出そうとした敵兵を制するようにツンドラが剣を抜き放ち、不敵な笑みを浮かべた。




「もう少しです。頑張って!」


 セシリアの激励に、ジンは歯を食いしばって足を踏み出す。荒い息をなだめる暇もなく、セシリアたちは西部街区の道を駆けていた。ジンの横にはメイド姿の79号が大きな麻袋を肩に抱えて並ぶ。麻袋は何か抵抗するようにうねうねと動いていた。


「おとなしくしてくださいご主人様。へし折りますよ」


 ……人形師、麻袋に入れられてるのか。いよいよ扱いがぞんざいだな。まあ日頃の言動からすれば自業自得か。むしろ連れて行ってもらえるだけでもありがたいと思うべきなのか。


「いたぞ!」


 セシリアの前に敵兵が立ちはだかり、笛で仲間を呼ぶ。セシリアが杖を振り、白い光が敵を薙ぎ払った。しかし笛に呼ばれた敵兵が次々に集まり、セシリアたちを囲む。同時に、ジンがひどくせき込んで膝をついた。


「ジン!」


 切迫したセシリアの声が響く。最近はあまり意識しなくなったが、ジンの地質漏滲症は治ったわけではないのだ。無理な運動をさせれば悪化し、最悪発作を起こしかねない。


「異種族を見逃すわけにはいかん。そのドワーフを差し出せば、他は見逃してやってもいいぞ」


 セシリアの魔法の力を目の当たりにしたからだろうか、敵兵がそう呼び掛けてくる。79号はジンとセシリアの様子をちらりと見渡し、普段と変わらぬ声で言った。


「おふたりはお逃げください。ここは私が――」

「ちょっと、お待ちくださらない?」


 79号の言葉を遮り、場にそぐわない穏やかな声が聞こえた。皆が声の主を振り返る。そこにいたのは、柔和な笑顔を浮かべたお婆さん――シェスカさんだった。


「その方たちは私の大切な友人なの。ひどいことをしないでいただける?」


 声の主がおおよそ戦う力を持つように見えない老婆だったことで、敵兵は威圧的にシェスカさんをにらむ。


「ふざけたことを抜かすなババァ! 一緒に殺されたいのか!」


 セシリアの顔が強張る。一緒に殺されたいのか、ということは、おそらく『ジンと一緒に殺されたいのか』、つまり他種族の者が捕まれば殺される、ということだ。シェスカさんは悲しげに目を伏せる。


「私のお願いを、聞き届けてはくれないのね」

「当たり前だ! おとなしく家に戻っていろ!」


 吠えたてる敵兵の様子に「そう」とつぶやき、シェスカさんは目を閉じる。


「……ならば、覚悟をしてもらわなければね」


 シェスカさんの言葉を耳にした敵兵が侮りの瞳をシェスカさんに向ける。


「覚悟、だと? 何の覚悟がいるというのだ!」


 シェスカさんは首に掛けたペンダントを両手で握った。それは夫の形見の、一度手放してトラックに取り戻してもらった、美しく磨かれた貝殻がはめ込まれた一対の指輪に銀鎖を通したもの。大きさの違う二つの指輪から光が溢れ、視界を覆う。敵兵たちが手をかざして光を遮る。


「この『風舞い』のシェスカを敵に回す覚悟を、ね」


 光が晴れたとき、そこに老婆の姿はなく、代わりに双剣を手にした妙齢の美女が立っていた。


 ……


 わ、若返ったーーーっ!! シェスカさんが三十代くらいに若返ったぁーーーっ!! なんで!? スキル!? そういうスキルでもあんの!? セシリアの目が驚愕に見開かれる。


「まさかあなたは、伝説の、スピリチュアルライトウェーブの使い手――!」


 スピリチュアルライトウェーブ? えーっと、スピリチュアルって『霊的な』って意味だよね? ライトは光かな? ウェーブは波ど――あ、なんか背中に悪寒がする。これ以上はヤバいって俺の本能が告げている。スピリチュアルライトウェーブはスピリチュアルライトウェーブだよね! それ以上の説明はいらないよね!


「ここは私に任せて、あなたたちは行って。あなたたちはケテルの、世界の希望だから」

「いいえ、あなたも一緒に!」


 セシリアの心配そうな声にシェスカさんは「だいじょうぶ」と悪戯っぽく笑って答えた。


「こう見えてもね。私、昔ちょっと、最強だったのよ」


 そしてシェスカさんは再び「行って!」と鋭く叫ぶ。セシリアは小さく頭を下げ、ジンに手を貸して歩き始める。敵兵がハッと我に返った。


「逃がすと思うか!」

「あら」


 セシリアたちを追おうとした敵兵の足が止まる。それは生物としての本能が告げる警報音のようなものなのだろう。敵兵は一様に青ざめた顔で、冷たい汗を滲ませている。


「『逃がさない』は、私のセリフよ?」


 かつて『魔王殺し』と謳われた英雄は柔和な笑みを浮かべ、絶対的な捕食者としてその場に君臨していた。




 西部街区のはずれ、エバラ家は今、三十人ほどの敵兵に囲まれていた。エバラたちは玄関の軒先で蒼い顔をして固まっている。ドラムカンガー7号とミラがその前に立ち、エバラ家を守っている。


「放て!」


 敵兵が火矢をつがえ、一斉に放つ。ドラムカンガー7号が拳を振って火矢を吹き散らし、ミラも風を起こして矢を逸らした。敵兵を指揮する指揮官は冷静な態度を崩さず、距離を取ったまま攻撃を繰り返していた。


「……このままじゃ――」


 ミラの顔に焦燥が滲む。敵に囲まれてかなりの時間が経っている。もしかしたら増援が来るかもしれない。敵は明らかにこちらの疲弊を待っている。こちらを侮り、力押しで来るような相手ならやりやすいのだが、そういう隙を見せてくれる相手ではないらしい。一度守勢に回ると攻勢に転じるのは難しい。そして、攻勢に転じる機会を潰すような間隔で敵は攻撃を仕掛けてくる。


「ま゛っ!」


 ドラムカンガー7号が勇気づけるように声を上げた。灰マント四兄弟の末っ子が震えながらうなずき、ニヨがキューと鳴いた。エバラもその夫も、気丈に背を伸ばしているが恐怖を感じているのは間違いない。敵に囲まれて攻撃を受け続ける、その精神的に重圧に晒され続ければ、エバラ達の心が持たない。

 ミラは唇を噛む。『始原の光』を使えばきっとこの状況は打開できるだろう。しかし彼女はたぶんまだ力の制御に自信がないのだ。力を使えば敵を殺してしまいかねない。そうなればきっと、トラックは悲しむ。そのことがミラを迷わせている。


「放て!」


 機械のように淡々と敵は攻撃を繰り返す。灰マントの末っ子が肩を震わせた。ミラがぎゅっと手を握り、大切なものを吟味するように目を閉じる。ドラムカンガー7号が再び腕を振るい、迫りくる矢を蹴散らした。ミラは決意と共に目を開き――


――どぉぉぉーーーーん!


 突如空から降ってきた物体が地面に激突し、もうもうと土煙を上げる。視界が完全に遮られ、ミラたちは腕で目をかばった。


「すまぬ。遅くなった」


 渋いバリトンボイスが土煙の中から聞こえる。敵兵に緊張が走った。土煙が風に吹き散らされ、声の主が姿を現す。それは、輝く鱗に覆われた神々しい姿――


「天龍!?」


 エバラの夫が驚きの声を上げる。天龍、って、確か前にミラの『核』を作るために陽金石を探していた時、剣士が偶然会った龍、だっけ? なんでここに? ミラがエバラの夫に「誰?」と聞いた。夫は小さくうなずいて言った。


「飲み友達だ」


 飲み友達だったーーーっ! 顔広いなエバラ夫! 天龍は苦笑気味に口を挟む。


「ただの飲み友達ではない。かつて私が生死の境を彷徨ったとき、森で出くわしたのが彼だった。彼は『うまく仕込めば猟犬になるかもな』などと言って、私を助けてくれたのだよ」


 そうなの!? どんだけ懐広いんだよエバラ家! 龍の中でも特に希少な上位種に対してもまったく態度が変わらないよ!

 天龍はミラに視線を向け、わずかに微笑む。


「私の与えた陽金石は、正しく使われたようだな」


 そして敵兵を振り返り、眼光鋭くにらみ据えた。


「我が友に害を為すというなら、覚悟することだ。この天龍を敵に回す覚悟を」


 拳を軽く握る天龍の放つ闘気は、敵兵の動きを止めるに十分な重圧を与えているようだ。天龍の背が「ここは任せて行け」と告げていた。エバラ夫が小さく「すまん」とつぶやく。ドラムカンガー7号が膝を曲げ、腹の部分をパカッと開いた。皆を腹に収納しドラムカンガー7号は走り出す。敵兵の指揮官が我に返って叫んだ。


「追え!」


 その声に反応した敵兵が体の向きを変え――瞬時に場所を移動した天龍に行き先を阻まれる。天龍は静かな怒りを漲らせて立っていた。


「我が友に刃を向けた報い、受けてもらうぞ」




 ルーグはガートンと先生を連れて、西部街区の裏道を走っていた。ガートンが先生の家にいるのは結構有名で、ルーグが先生の家に辿り着いた時にはちょうど、アディシェス兵が先生の家を包囲しようとしているところだったのだが、ルーグは何とかそこからふたりを連れ出すことに成功し、今はギルドを目指して逃げている最中なのだ。


「こんなところで何をしている!」


 突然の怒声が聞こえ、ルーグたちは足を止めて息をひそめた。怒声はひとつ向こうの路地から聞こえたようで、どうやら誰かがアディシェス兵に見とがめられたようだ。ルーグは慎重に顔を覗かせる。そこにいたのは一組の家族――若い夫婦とその娘が、アディシェス兵に囲まれている姿だった。


「外出禁止令が出ているのを知らぬではあるまい。なぜ禁を破った? 返答次第ではこの場で斬り捨てる」


 夫が妻と娘を背にかばう。娘が持っているぬいぐるみをぎゅっと握った。夫は兵士をにらみ、言い放つ。


「ケテルは自由を愛する街だ! お前たちに何を禁じられる謂れもない!」


 敵兵はすらりと剣を抜く。夫の顔から血の気が引いた。兵士は無言で剣を振りかぶる。ルーグは【加速】を発動し、兵士に体当たりを食らわせた!


「逃げろ! 早く!」


 ルーグは親子に向かって叫んだ。ルーグを追ってガートンと先生も飛び出し、兵士たちに掴みかかる。しかし軍事訓練を受けた兵士に挑むには、ルーグもガートンも先生も力が足りない。三人は周囲の兵士に組み伏せられた。地面に顔を押し付けられながらルーグは再び叫ぶ。


「逃げろ!」


 夫婦が娘の腕を掴み逃げようと走り出す。しかし娘はルーグを見つめたまま動こうとせず、ぬいぐるみを抱く腕に力を込めた。娘の目から涙があふれ、ぽたりとぬいぐるみを濡らす。次の瞬間、ぬいぐるみがまばゆいまでの光を放った。


「ぐぁっ!」


 光に包まれて視界がきかぬ中、兵士たちのうめき声だけが響く。な、なに? 何が起こってるの!?


「我が主を泣かせるというのなら、覚悟することだ」


 光が晴れ、ルーグは信じられないという顔で呆然とそれ(・・)を見つめる。ルーグたちを組み伏せていた兵士はことごとく地面に転がり、気を失っていた。それを為したのは、どこかユーモラスな表情をした、オランウータンのぬいぐるみ――


「この、ウータンを敵に回す覚悟をな」


 ウータン!? ウータンって、確かルーグが冒険者見習いだったときに、なくしたぬいぐるみを探してほしいって依頼を受けて探した、あのオランウータンのぬいぐるみ!? そういえばこの親子も見覚えあるわ! あのときの依頼主の親子じゃん!


「自らも追われる身で我らを助けるとはな。二度も恩を受けて何も返さぬでは、我が誇りが許さぬ」


 ルーグもガートンも、目の前の現実を受け入れられないように目を丸くしている。先生がごくりと息を飲み、眼鏡をくいっと上げた。


「き、聞いたことがあります。元々強い精霊力を持った個体が人の思いに触れ、意志を持つことがあると」


 なんかそれ、前に聞いたことがあるよ。クラルさんのとこの木が意志を持ったって聞いた時にセシリアに解説してもらった内容だよ。今さらそれをこんな場面で再び聞くとは思わんかったわ。


「ここは私が引き受けよう。行け! お前たちはここで終わってはならぬ!」


 ルーグは苦笑気味に「助けに来たのに助けられちまった」とつぶやき、ガートンたちと共にギルドに向かって駆けだした。それを追おうとした敵兵を牽制するようにウータンは大きく腕を振る。振った腕は風を巻き起こし、敵兵の足を止める。


「我が主の涙、決して安いものではないぞ」


 ウータンの放つ静かな闘気に、敵兵は血の気を失った。




 南東街区の悪路をトラックは走る。ここにもアディシェス兵は侵入しているが、南東街区の住人たちは抵抗せず、しかし服従せず、のらりくらりと対応しているようだ。抵抗しない相手に強硬に出るわけにもいかず、アディシェス兵は対応に苦慮しているらしい。


「貴様、どこへ行く! 止まれ!」


 走るトラックを止めようと敵兵が道を阻む。トラックは慌ててブレーキを踏んだ。敵兵は剣に手を掛け――横から伸ばされた手に腕を掴まれる。邪魔をするな、と怒鳴ろうと振り返った敵兵は、艶めかしい視線を送る露出度の高い美女と目が合って瞬時に鼻の下を伸ばした。


「お・に・い・さ・ん。怖い顔してないで、遊んでいかない?」

「い、いや、自分は今、任務中で」


 しどろもどろになりながらまだ若い敵兵は顔を赤くする。周囲にいた他の敵兵たちにもそれぞれに美女が声を掛け、脇道へと引きずり込んでいく。美女たちは一瞬トラックに視線を向けてウィンクし、敵兵を自らの巣に運んで行った。小さくお礼のクラクションを鳴らし、トラックは再び走り出した。




「トラック!」


 走るトラックに細い脇道から声が掛かる。トラックが停車すると、脇道からノブロ、ヘルワーズ、ボスの三人が現れた。ノブロは戸惑ったように眉を寄せる。


「いったい何だってんだ。何が何だかさっぱり分からねぇ」


 突然我が物顔で南東街区に現れた招かれざる客に対し、ノブロは不快感を隠そうともしない。ノブロは他人に何かを強制したり、他人から何かを強制されるのが大嫌いなのだろう。憤るノブロに苦笑し、ヘルワーズは突然、ノブロの首の後ろに手刀を叩き込んだ。


「て、めぇ……何、しや……」


 まったく警戒していなかった後方からの攻撃にノブロは崩れ落ちる。その身体を支え、ヘルワーズはトラックに言った。


「すまんが、このバカとボスを頼む。ボスはクリフォトの工作に関わっているからな。敵に捕まれば殺されかねんし、このバカに『敵に従ったふり』などという腹芸はできん」


 トラックはプァンとクラクションを鳴らす。ヘルワーズは首を横に振った。


「俺はここに残る。南東街区にいる奴らの中にはこのバカみたいに不器用な人間も多い。そういった奴らを連れて俺は地下に潜る。見殺しにするわけにはいかんからな」


 それに、と言ってヘルワーズはニヤリと笑う。


「誰かが残っていなければ、お前たちが帰ってくるときに困るだろう?」


 ヘルワーズはトラックたちが必ず帰ってくると確信しているような目でトラックを見つめた。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。満足げにうなずき、ヘルワーズはボスに目を向けた。


「ヘルワーズ……」


 心細げな様子でボスはつぶやく。ヘルワーズはボスの頭を軽く撫で、再びトラックを見上げた。


「頼むぞ。二人を守ってくれ。二人は南東街区の未来に不可欠な人間だ」


 プァンとトラックはクラクションを返す。小さく笑って、ヘルワーズはノブロとボスをトラックに託すと、自らは南東街区の裏路地に消えた。




「トラックさん!」


 アディシェス兵の追跡を振り切り、中央広場に戻ってきたトラックにセシリアが声を掛ける。中央広場につながる道にはバリケードが築かれ、冒険者たちが敵兵の侵入を防いでいた。トラックは【フライハイ】で敵兵もバリケードも超えてきたんだけどね。トラックの荷台には移動の途中で回収した、アディシェス兵に追われていた人々が肩を寄せ合っている。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。セシリアは首を横に振った。


「イーリィさんとイヌカさんがまだ」


 イーリィは結局朝から見当たらず、西部街区で別れたイヌカも戻ってきてはいない。他のメンバーはおおむねギルドに戻っており、そのことがむしろセシリアの心配を助長しているようだ。剣士、ジンゴ、ミラとエバラ一家、ジンにルーグにガートンに先生も、今は広場かギルドの建物内にいる。さらにはリェフやグラハム・ゼラー、仔犬たち元クリフォトの工作員もここに集まっている。要するにアディシェス兵が捕らえようとしている全員がここに集結していた。トラックは再びクラクションを鳴らす。セシリアもまた、再び首を横に振った。


「状況は掴めていません。なぜ突然アディシェス兵の侵入を許したのか」

「どうやら俺たちは売られたらしいぜ」


 横からマスターが口を挟む。セシリアは振り返り、怪訝そうに眉を寄せた。


「売られた?」


 マスターは苦い表情を浮かべる。マスターの後ろにいたイャートが前に進み出て言葉を継いだ。


「そう、売られた。評議会議長ルゼ・バーラハにね」


 イャートの後ろには衛士隊の面々が並んでいる。どうやらイャートは部下を引き連れてここにきたらしい。ということは、衛士隊もアディシェスから狙われているのだろうか? セシリアたちはイャートの言葉が信じられないと目を見開く。


「なぜ!?」


 悲鳴のような問いにイャートは「さあ?」と首を振った。


「議長の心の内は分からない。だけど、彼はアディシェス伯に密かに連絡を取り、昨日までの祭りの人ごみに紛れてアディシェス兵を自ら招き入れた。ケテル市民の安全と引き換えにね」


 セシリアは呆然とイャートを見つめた。ルゼは決して清廉な男ではないが、ケテルに対して誇りと責任を持っていた。そのルゼが、ケテルをアディシェスに売り渡すなど到底信じられない。百年前にケテルを作った英雄の志の重さを彼は誰よりも理解している、はずだったのに。


「ケテルそのものが敵に回った以上、ここでアディシェスに対抗しても意味はねぇ。トラック、悪いがお前の腹に皆を詰め込んでこの町を出ろ。町を出てどこに行く当てもねぇが、ここにいれば破滅しかねぇ」


 トラックはプァンとクラクションを鳴らす。マスターは「いや」と首を振った。


「いくらお前でも、全員を運ぶのは無理だろう。俺はここに残るさ。どのみち誰かがしんがりにならにゃならん。どこまでやれるかわからんが、多少の時間稼ぎくらいはできるだろうさ」

「バカを言うな! ギルドマスターがいなければギルドは成り立たん!」


 ジンゴが考え直せとマスターに迫る。しかしマスターは考えを変えない。


「数に限りがある以上、優先順位はあるさ。俺みたいな年寄りは、長く生きただけの責任を背負ってんだ」

「だ、だいじょうぶです!」


 話を聞いていたジンが、勇気を出して割って入る。ジンは大きく息を吸うと、真剣な眼差しをマスターに向けた。


「トラックさんひとりでは無理でも、ドラムカンガーFといっしょならここにいる全員を運べます!」

「ま゛っ!」


 ジンと再会したことで【超力合神】したドラムカンガーFが両腕で力こぶを作るようなポーズをとる。おお、なんか心強い。【超力合神】すると積載量も増えるのだろうか?


「ここにいる皆さんを、急いでトラックさんかドラムカンガ―Fに載せましょう。誰も置いていく必要はありません!」


 ジンの熱意に押され、マスターは大きくうなずくと、


「全員、トラックかドラムカンガーに載れ! ギルド内にいる非戦闘員が優先だ! 全員が搭乗し次第、冒険者ギルドはケテルを離れる!」


 そう皆に宣言する。ギルドメンバーの一人が建物に向かって走った。


「あー、そうなっちゃうか。でも、ねぇ」


 イャートが少々バツの悪そうに頭を掻く。


「君たちを逃がすわけにはいかなくてさぁ」


 その言葉を合図に、衛士隊の面々が一斉に剣を抜いた。マスターの顔が驚きと怒りに歪む。


「イャート、てめぇ!」


 イャートは悪びれる様子もなく朗らかに笑った。


「私たちはケテルの衛士隊だよ。トップの方針には従うさ。それがどんな方針であっても、ね」


 マスターがわなわなと震える。トラックはプァンとクラクションを鳴らした。イャートはじっとトラックを見つめ――


「ぐわぁ! やーらーれーたー」


 突然意味不明に叫び、勝手に倒れた。衛士隊の面々も同様に、勝手にうめき声を上げて倒れる。


「おのれー、特級厨師めー。我々にかなう相手ではなかったというのかー」


 ものすごい棒読みに皆の目が点になる。どうリアクションしたものか、悩んだ様子でクラクションを鳴らしたトラックに、リェフが答える。


「演技の心得もない中年が、無い知恵絞ってようやく作り出した筋書きだ。ここは温かい心で乗ってあげましょう、トラックさん」


 ああ、そういうこと。つまり、イャートは立場上トラック達を捕えないといけないけど、そんなことはしたくないから、捕まえに行ったんだけど特級厨師に歯が立たなくて逃げられました、というストーリーを組み上げたのだ。解説されたイャートが顔を赤くして地面をのたうつ。うん、恥ずかしいよね、解説されると。めっちゃ恥ずかしいよね。

 そうこうしているうちに、ギルドの建物内に避難していた人々やギルドメンバーの搭乗が終わる。バリケードを守っていたAランカーたちが各々の最強技を放ち、敵を退かせてからトラックに向かって走った。トラックはウィングを上げて彼らを出迎える。バリケードを守る者がいなくなったことに気付き、敵兵がバリケードを超えてなだれ込んでくる。


「行け、トラック! 君たちが無事なら、ケテルは終わらない!」


 イャートが地面に転がったまま叫ぶ。ドラムカンガーFの背のロケットが火を噴き、空中へと浮かび上がる。敵兵がトラックに向かって殺到する。敵の剣がトラックに触れる、そのほんのわずか前に、トラックは【フライハイ】で空へと舞い上がり、そのままケテルの外壁を越えた。




 時刻は夕暮れ時を迎え、トラックは迫りくる闇の中で、ケテルを見下ろす丘の上にいた。丘の上ではトラックやドラムカンガーFによって運ばれた人々が今は外に出て、放心したようにケテルを見つめている。自由と融和を掲げるケテルの旗が降ろされ、代わりにアディシェスの旗が風にはためいていた。百年前、三人の英雄の願いによって作られた独立都市ケテルは、夏の終わりと共に、歴史の舞台から姿を消した。

「なにぃ!? 裏庭から出てきた婆さんに邪魔されたから捕まえようとしたら突然細身の美女が現れて頬を殴られ、ちょっと嬉しかったけどめっちゃ強くて気絶させられた、だと!? 何をわけのわからんことを言っておるか貴様! 歯を食いしばれ!」

「申し訳ありません、隊長殿!」


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「なにぃ! 急に現れた婆さんが光と共に妙齢の美女に変わって思わず見とれちゃったけどめっちゃ強くて気絶させられた、だと!? 昼間から何を夢見ておるか貴様! 歯を食いしばれ!」

「申し訳ありません、隊長殿!」


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「なにぃ!? 空から降ってきた竜人が敵の飲み友達で、めっちゃ怒って怖かったうえに強くて気絶させられた、だと!? いい加減にしろ貴様! 歯を食いしばれ!」

「申し訳ありません、隊長殿!」


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「なにぃ! 禁を破って外出していた親子を尋問しようとしたら突然出てきた子供に邪魔され、そちらを拘束しようとしたらオランウータンのぬいぐるみが動き始めたんだけどめっちゃ強くて気絶させられた、だと!?」

「申し訳ありません、隊長殿!」

「……そういえば、ここ数か月、お前には満足に休暇も与えてやっていなかったな。しばらく休め。故郷のお袋さんに顔を見せて安心させてやれ」

「あ、ありがとう、ございます。隊長殿……」

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[一言] 伊達にあの世は見てねぇぜ!
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