侵入
祭りの熱気が去り、ケテルは奇妙な平穏の中にあった。去っていく夏を見送る儀式を終えた脱力感のようなものだろうか、ぽっかりと穴が空いた空虚感が町を覆っている。もっともケテルは商人の街であり、動いていないように見える風景の中でも次の仕掛けに向けて裏では着々と準備を始めているのだろうが。
風が湿気を払い、幾分過ごしやすくなった昼下がりに、トラックは西部街区の一角で【キッチンカー】を発動していた。西部街区の住人たちはお祭りを楽しむ側というより出店の店主やその仕入先の職人たちだったりすることが多く、必然的にお祭りイコール仕事の日、なのだ。そういった人々に「お疲れさまでした」の意味を込めて、せめて祭りの余韻を楽しんでもらおうと【キッチンカー】でもてなしている、というわけだ。
「イーリィさん、どうしたのでしょうか?」
キッチンカーで売り子をしているセシリアが心配そうに表情を曇らせる。何でも、今まで無遅刻無欠勤のイーリィが今朝は連絡もなく出勤していないのだそうだ。おかげでギルドの受付はジュイチがひとりで担当しており、依頼に来た人間が逃げてしまうんじゃないかとみんな心配しているらしい。イーリィが無断欠勤なんて、確かに彼女らしくない気がするなぁ。なんだかんだできっちりしたひとだもんね。
「イーリィは議長の娘だ。今のケテルの状況を考えれば、捜しに行ったほうがいいかもな」
剣士が声を潜めてトラックに言った。西部街区の人々が【キッチンカー】の料理を楽しんでいる最中にあまり不吉な物言いをするのは憚られたのだろう。祭りが終わり、大人たちは穏やかな時間に身を委ねていて、子供たちは広場を駆け回っている。クリフォトとの戦いが間近に迫る現実が少し遠くにある光景が広がっている。
「もしクリフォト絡みなら冒険者ギルドにも何らかの情報なり要請なりがあるはずだ。それがねぇってことは、議長はイーリィの無事を知ってるんじゃねぇか?」
カップに入ったスイーツをスプーンで掬いながらイヌカが言った。どうでもよさそうな口調とは裏腹に、妙に落ち着かない様子だ。剣士は深刻な表情を崩さない。
「あるいは、協力を求められない事情があるかだ」
剣士に同意するようにセシリアが言葉を継ぐ。
「誘拐され、議長は脅迫されている?」
「こ、怖いこと言うなよ!」
セシリアの言葉に反応したルーグが抗議の声を上げる。謝る代わりにセシリアが微笑みを返した。イヌカの持っていたスプーンがカップの底を突き破り、中身が地面にこぼれる。
「ここで心配しているくらいなら、捜しに行ったほうがいい」
リスギツネを抱えたミラが皆に言った。【キッチンカー】のおかみさんが「そうだよ」とうなずく。
「捜しに行って見つかったなら、それはそれでいいじゃないか。ここはあたしと王がいれば大丈夫だから、行ってきな。『あのとき捜しに行っていれば』なんて後悔したらバカらしいだろ?」
トラックがプァンとクラクションを鳴らす。すごい速さでキャベツを刻んでいた王大人が顔を上げた。
「私を誰だと思っている。この程度の客の数、さばくなど造作もない」
自信、というよりも当然の事実を語るように王大人は事も無げに答えた。
……
っていうか、王大人がおる!? 地獄の六王の一柱、『冥王』の異名を持つ王大人が普通にキッチンカーでキャベツ切っとる! 何やってんだ地獄の支配者! 真っ白なコック服が目にまぶしいわ!
「サバ定、お待ち!」
王大人がお盆に乗ったサバみそ定食を差し出す。だからお前ら中華料理人じゃねぇのかよ。大量のキャベツを刻んだ結果がどうやってサバみそに変わるんだよ。魔法か? 魔法なのか? 世界一意味の分からん魔法だよ間違いなく。匂いはめちゃくちゃ美味そうだけどな。
「全員動くな!」
突如響いた不穏な言葉に広場の空気が凍り付く。何事かと振り返ると、そこには武装した厳めしい面構えの軍人たちが抜き身の剣を持って立っていた。子供たちが親に駆け寄って抱き着き、大人は突然の出来事に硬直している。血の気を失った表情でイヌカが小さくつぶやいた。
「アディシェス兵――!」
アディシェスって、あの豪快なアディシェス伯の兵士ってこと? なんでそんな奴らがケテルの下町にいんの? え? まさか、気付かないうちに侵入を許したってこと!? それってマズいんじゃない!? 隊長格と思しき中年がトラックを鋭い目つきでにらみ、剣の切っ先を向けた。
「特級厨師トラック、及び冒険者ギルドのメンバーに告げる! 抵抗は無駄である! おとなしく縛につけ!」
アディシェス兵の狙いはどうやらトラックとギルドメンバーのようだ。特級厨師の力を恐れてか、敵兵はひどく緊張しているようだった。敵兵はじりじりとトラックたちを包囲し、その輪を狭める。広場にいた人々が固唾を飲んでトラックを見た。
「待ちな」
静かに威圧する声がアディシェス兵の足を止める。トラックの荷台から降りたおかみさんは、前に進み出てギロリと敵隊長をにらみつけた。
「こいつらは私の連れだ。手を出すんじゃないよ」
剣も軍服も怖れずに立ちふさがるおかみさんに、敵隊長は一瞬ひるみ、ひるんだことを隠すように殊更大きな声を上げた。
「邪魔立てするか! ならば貴様も同罪とみなし、この場で切り捨ててくれるぞ!」
敵隊長は剣を振り上げる。おかみさんは平然と敵の様子を見つめていた。すごい胆力だな。ひっこみがつかなくなったか、敵隊長は目を血走らせて剣を振り下ろし――
――ギンッ
圧倒的な殺意、あるいは憤怒が広がり、敵隊長は剣を振り下ろす途中のひどく不自然な姿勢のままで動きを止める。いや、動きを止められている。恐怖が、死の予感が、身体を動かすことを拒否させたのだ。敵隊長の顔からダラダラと汗が流れる。赤く光る妖しい瞳で、王大人は地獄の底から轟くような声で言った。
「その方を傷付けようというなら、覚悟することだ」
王大人の輪郭が揺らぎ、その身体から真の闇が溢れ始める。人の形を失い、冥府の気配が広がっていく。
「この『冥王』を敵に回す覚悟をな」
夏の終わりの生温い空気が凍える冥府の風にさらわれ、晴れた空がにわかに掻き曇る。真っ青な顔で震えるアディシェス兵たちを横目に、おかみさんは鋭く叫んだ。
「行きな! ここはあたしたちで抑えてやる!」
セシリアたちは互いに目配せをしてうなずく。イヌカが確認するように言った。
「クリフォトは他種族を何とも思っちゃいねぇ。ケテルにいる他種族が捕まったら命はねぇぞ」
犬人のレアン、猫人のルル、ドワーフのジン、ゴブリンのガートンは、敵の手に落ちれば非常にまずい、というか、そもそも捕まる前に殺されることもありうる。いや、ちょっとダメじゃんそれ! はよ助けに行かんと!
「もともとクリフォトの関係者だった奴らも危険だ」
剣士がイヌカの言葉を補う。南東街区のマフィアとしてクリフォトの工作員と取引していたヘルワーズやボス、クリフォトの援助でゴーレム研究をしていた人形師、トランジ商会に雇われていた灰マント四兄弟、工作員としてケテルに潜入していたグラハム・ゼラー、ゴブリンとケテルの関係を壊そうとした仔犬たちクリフォトの工作員たち。みな、クリフォトとしては『消したい』者たちだろう。
「冒険者も狙われてるんだろ?」
ルーグは敵隊長の『冒険者ギルドのメンバーに告げる』というセリフを聞き逃さなかったようだ。敵は冒険者全般を標的にしている、とすれば、マスターを始めとするギルドメンバー、あるいはもしかしたらジンゴやシェスカさんみたいなもう引退したひとも対象になるかもしれない。
「それでは皆様」
セシリアが皆の顔を見渡す。
「後ほど、ギルドで」
全員がうなずきを返す。そして皆は、それぞれがバラバラの方向に駆け出した。
ああ!? バラけた! またか! ちっくしょう、これはまた【視点分割】の出番か! 前より多少は慣れたけど! でもめっちゃ酔うからな! 終わった後はひどい二日酔いみたいな感じになるからな! えぇい、やったれ! いくぞ【視点分割】! 自分の視点を人数分に分け、俺はそれぞれの後を追った。
【視点分割】の副作用で、本当は終わるはずだった本エピソードは今話と次話に分割されました。




