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幕間~どうして~

 夏を送る儀式としての祭りは最終日を迎え、人々は季節の終わりを惜しむようにはしゃいでいる。恋人たちが愛を語らい、老人たちは追憶に目を細め、幼子たちは無邪気に走り回っている。トラックとセシリアを尾行するイーリィとミラもまた、周囲の雰囲気と無縁ではいられないようだ。


「私たちはなにをやっているんだろう」


 ふと我に返ってしまったようにミラがつぶやく。結局この三日間でやったことは、ずっとトラックとセシリアを尾行していただけだ。出店を堪能することも、イベントに参加して楽しむことも、何もできてはいない。だからといってトラックとセシリアの間に何か進展があった手ごたえもない。冷静になって考えれば、他人の生き方に無用な口出しをしているような気がしないでもない。

 イーリィはミラのつぶやきを聞こえない振りで通すらしく、物陰に隠れてトラックたちの様子をコソコソと観察している。ミラは不思議そうな目でイーリィを眺めた。イーリィがトラックとセシリアのふたりをくっつけようと画策したことが全ての始まりなのだが、どうして彼女がそんなことを始めたのか、そして諦めることなく三日もかけてそれを成し遂げようとしているのか、不可解といえば不可解ではある。


「あっ」


 イーリィが小さく声を上げ、ミラは彼女の視線を追った。トラックたちが出店の前で立ち止まり、店主と何やら会話をしているようだ。


「食べ物とは微妙な……いや、何もないよりはマシ?」


 当人たちよりよほど緊張した様子でイーリィはトラック達を凝視し、拳を握りしめている。そこまで感情移入できるのはすごいが、ミラにとってはやはり、イーリィの態度は理解が難しいものだった。当人同士の心の問題だ。他人がどうこうできるものでもなく、今日で何かを決めなければならないものでもあるまい。それにミラは、ふたりの関係の行く末を疑っていなかった。時間が掛かろうと、いつかふたりはあるべきところに落ち着く。何かを急く必要はないのだ。もっとも、その時間感覚の違いはエルフと人間の違いそのものなのかもしれないが。

 トラックはどうやらセシリアに果物を買い与えたらしい。セシリアはそれを胸の前で包むように持ち、嬉しそうに顔をほころばせる。イーリィはじっとふたりの様子を見つめている。ややぶっきらぼうにクラクションを鳴らし、ふたりは店を離れて移動を始める。イーリィは、その後ろ姿を視線で追った。


「……追いかけないの?」


 ミラはイーリィに声を掛ける。ハッと息を飲み、イーリィはどこか動揺した、あるいは混乱した、落ち着かぬ様子で言い訳のように答えた。


「これ以上は、野暮ってもんだわ」


 こそこそと隠れるのをやめ、イーリィは大きく伸びをする。三日もかけてさんざん野暮なことをしていながら今さら、という気がするが、彼女の中で区切りのようなものがついたということだろうか? イーリィは何かを吹っ切るように大きく息を吸って、ミラに笑いかけた。


「付き合わせてしまったわね。残り半日くらいしかないけど、私たちもお祭りを楽しみましょうか」


 イーリィが差し出した手を取り、ミラは「いいの?」と尋ねる。どこか無理をしているような不自然さを感じたのだ。イーリィは「もちろん」と大げさにうなずき、手をつないだまま、祭りの人波に向かって歩き出した。




 空に弾けるスカイランタンを見送った後、イーリィはミラを宿まで送った。お祭りにはしゃぐミラの姿を見て、じゃっかんの後ろめたさを覚える。こんなに喜ぶのならトラック達の尾行などに付き合わせるのではなかった。子供時代の貴重な体験をミラから奪ってしまったのかもしれない。

 星々が輝きを競う夜空を見上げながら北東街区への道をゆっくりと歩く。トラックとセシリアはあの後どうしただろう。口づけの一つも交わしただろうか。


「……あんまり想像できないわ」


 なんとなくだが、ふたりはふたりでいる、ということで満足してしまっているような気がする。燃え上がるような恋情ではなく、互いを温め合うほのかな熱をずっと持っているような。双方が相手を憎からず想っているだろうに、どこかすでに満ち足りているような。ふたりの仲が進展しないのは穏やかに固定された距離感のせい、なのかもしれない。


「じれったいわね」


 夜空を見上げてつぶやく。はっきりと想いを伝えたらいいのだ。好きです、愛しています、あなたが大切です。そうすれば事態は進展する。相手の返事がどうであれ、必ず前に進むのだ。立ち止まっていてはどうにもならない。前に進んでくれれば、迷わずに済む(・・・・・・)


「あれ?」


 迷わずに済む? 誰が? 何を迷う? 空に満天の星。セシリアを妹のように思っている。ひときわ輝く一等星の傍にはその光にかすむ星。幸せになってほしいと心から思う。星が流れる。胸がざわめく。私は、何を――


――ザッザッザ


 夜の北部街区に厳めしい足音が響き、イーリィは思わず身を隠して足音のする方向を見た。石畳を削る軍靴は一人や二人のものではなさそうだ。闇に紛れるようにフード付きマントを羽織った十人ほどの集団が、周囲を警戒しながら歩いている。


(この方向は――評議会館?)


 祭りの高揚から離れたこの場所で、明らかに怪しげな集団が評議会館に向かっているとしたら、あまりいい予感はしない。集団の中にいるひときわ背の高い人物を中心に、それぞれが戦闘のプロであるようだ。軍人崩れか傭兵か――そういう手合いだとしたら、この集団の狙いは評議会議員、そのトップである可能性が高い。


(父様!)


 不吉な未来を想像してイーリィの顔から血の気が引く。クリフォトの雇った暗殺者がルゼを亡き者にしようと画策したなら、不特定多数の人間が訪れる祭りの夜は都合がいいだろう。イーリィは袖口に隠していたナイフを取り出した。すでに評議会館は目と鼻の先だ。助けを呼びに戻る時間はない。


(どうにかしなきゃ)


 呼吸を整え、恐怖を押し殺す。敵の姿を鋭く見据え、イーリィは気付かれぬよう集団の後についていった。




 集団は追跡を警戒しているのか、評議会館にまっすぐ向かうのではなく、大きく遠回りをしながら、最終的に会館の裏手にある搬入用の門に向かった。荷物の搬入時以外には締め切られているその門は、今日に限ってはなぜか開いていた。イーリィの顔に焦りが浮かぶ。門が開いているということは、内通者がいる、ということだ。身内に裏切者がいるとすれば、事態はイーリィが考えていたよりもはるかに深刻だということになる。

 門を開けたと思しき男が姿を現し、集団を出迎える。イーリィは裏切者の正体を見極めようと身を乗り出した。


「よくおいでくださいました。心より感謝申し上げます」


 裏切者の声を聞き、イーリィの身体が硬直する。声に応えて集団のひときわ背の高い男がフードを脱いだ。


「ご決断に感謝いたします、閣下。我らは必ずや閣下の望みにお応えいたしましょう」

「ウルス卿!?」


 イーリィが悲鳴に近い叫び声を上げる。マントの集団が一斉に振り返った。裏切者の男が大きく目を見開く。剣を抜こうとする配下の騎士を制し、背の高い男――ウルスが複雑な表情を浮かべた。


「なぜウルス様がここに!?」


 もはや身を隠す意味もなく、イーリィはウルスたちに駆け寄り、裏切者の男を信じられないものを見る目で見据える。ウルスがここにいる、そのことの意味を、イーリィは正確に把握しているようだった。イーリィは斬りつけるように問う。


「答えて、父様!」


 顔を蒼白にして、裏切者の男――ルゼは口を閉ざしたままイーリィを見る。イーリィはなじるように問いを重ねた。


「父様は、ケテルを、売ったの?」


 イーリィの目から涙がこぼれる。ルゼは何も答えず、わずかに身体を震わせた。見かねたのかウルスが口を挟む。


「イーリィ様。貴女の父君は決断なされたのです。もっとも血に染まぬ道を。それは決して非難されるものではない」


 イーリィはウルスの言葉が聞こえていないかのようにルゼの肩を掴む。


「……どうして? 父様、どうして!」

「すまない、イーリィ――」


 イーリィは泣きながらルゼの肩を揺さぶり、ルゼは「すまない」と繰り返す。小さく息を吐き、ウルスはイーリィの首の後ろに手をかざした。バチッと光が弾け、イーリィは意識を失う。倒れそうになるイーリィの身体をウルスが支えた。ルゼは頭を下げる。


「……手を取らせて申し訳ありません」


 ウルスは首を横に振る。


「一時は汚名を負うことになりましょう。しかし閣下の正しさは歴史が証明してくれることでしょう」


 もう一度頭を下げ、ルゼは門の内へウルスたちを迎える。イーリィを横抱きにかかえ、ウルスたちは評議会館へと足を踏み入れた。

毒は回り、すべてを狂わせる。

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