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積極

 花魁という重荷を下ろしたセシリアを前に、イーリィは深く頭を下げて謝罪した。


「本当にごめんなさい! まさか、こんなことになるなんて……実行委員会のスタッフを甘く見ていたわ」


 まあ、花魁姿のセシリアを見て急遽イベントに組み込むなんて荒業、予想できなくて当然なわけで、それを謝罪する必要はない気はする。セシリアに花魁の恰好をさせた、という部分が適切かどうかは意見が割れるところだろうが。セシリアはやや虚ろに笑った。


「いえ、得難い経験ではありましたし」


 ミラは澄ました顔でうなずく。


「ひとは試練を乗り越えて大人になっていく」


 セシリアはミラを軽くにらんだ。ミラは慌ててイーリィの背に隠れる。あまり反省している様子はない。なかなか図太くなったものだ。


「お祭りはまだ一日残っている。どうかもう一度だけチャンスを頂戴! お願い!」


 セシリアは困ったように微笑む。本音ではもう勘弁してほしいのだろうが、イーリィの真剣さを無碍にすることもできない。お人好し、と言えばそうなのだが、セシリアはそれだけイーリィを大切に思っているのだ。そしてそれは、イーリィも同様なのだろう。


「……普通の服でいいなら」


 頭を下げた姿勢のまま、イーリィはうっ、と小さなうめき声を上げる。またセシリアを着飾る構想を練っていたのだろう。だが花魁で大失態を演じた手前、そこを押し通すこともできないようで、かなりの葛藤の末、イーリィはものすごく不服そうに承諾した。セシリアは相当ホッとしたように笑った。ミラがじっとセシリアを見上げる。


「トラックは、猫人を助けた後からずっと、元気がない」

「そうなの?」


 セシリアとイーリィは驚いた様子でミラを見る。ミラはうなずき、真剣な声音で言った。


「何があったのかは分からないけど、たぶんトラックは傷付いている。その心の隙間につけ込んで一気に片を付けるといい」


 心の隙間につけ込んで、って、かなり外聞の悪い言い方。もうちょっと穏当な言葉選びをね。ミラの言葉を吟味するように目を閉じ、目を開けてセシリアはミラを見つめ返す。


「……わかりました」


 わかっちゃった!? つけ込む気満々!? セシリアが心変わりする前に、と思ったのか、イーリィはまくしたてるように言った。


「それじゃ、私は明日のトラさんのスケジュールを押さえてくるから! ごめんね? 明日こそは必ずリベンジよ!」


 バタバタとイーリィは部屋を出ていく。セシリアは目を閉じ、口の中で小さくつぶやいた。


「傷、ついている。あなたも――」




 盆踊り大会三日目。もう盆踊りは終わってるのに盆踊り大会でいいのか分からないが、今日もケテルは大きな賑わいを見せている。本日のメインイベントは日が暮れてから行われるスカイランタン。竹の骨組みに紙袋を付け、油紙を燃やして紙袋内の空気を熱することで空に飛ばす熱気球の一種、らしい。夜の闇に空へと昇るスカイランタンは祖霊を乗せて天に帰す船とされており、納涼盆踊り大会を締めくくる、ケテルにとって大切な儀式だ。道行く人も浴衣姿が多いが、セシリアは普段と同じ魔法使い然としたローブを着ていた。

 トラックは今日も通りをセシリアと並んで、歩くような速さで進んでいる。三日連続お祭りデート、というのは、うらやましいのか同情すべきなのか悩ましいところだ。仲睦まじい証拠なのか、初日と二日目がうまくいっていない証左なのか。今回は後者が濃厚だけれども。そもそも、トラックはこの三日間をデートと認識しているのだろうか? トラックがセシリアをどう思っているのか、見当もつかない。……車両が女の子に抱く感情など推測の手掛かりすらない。


「ねぇ、あのひと、太夫じゃない?」

「あ、昨日の?」


 周囲からそんなひそひそ声が聞こえる中、トラックとセシリアはお祭りの雰囲気を堪能するように、人の流れに身を任せている。

 浮かれた人々の雰囲気をよそに、トラックとセシリアは穏やかな様子で祭りを見物している。人々はタコの入っていないたこ焼きを食べ、魔法で生み出される透明度の高い氷を削ったふわふわのかき氷に歓声を上げ、射的の的が倒れないことに憤り、普段は見向きもしないような謎のキャラクターのお面をかぶって笑い合う。小さな非日常が積み重なって特別な日を作り上げていく。ささやかな幸せがそこここにある。


――プァン


 不意にトラックが停車し、わずかにためらいを含んだクラクションを鳴らした。セシリアはトラックを見る。人波が途切れ、喧騒が少しだけ遠ざかる。トラックは道の脇に商品を並べる出店の一つを見ていた。


「どれも美味いよ。おひとつどうかね?」


 老人といって差し支えない年齢の店主が商売用の笑みを浮かべて声を掛けてくる。店には新鮮な果物が並び、頼めば絞ってジュースにしてくれるらしい。トラックは再びクラクションを鳴らす。セシリアは並べられた果物を見渡し、どれかを選ぶのがためらわしいと困ったような表情を浮かべた。


「お勧めはありますか?」


 店主は嬉々として答える。


「どれもお勧めだが、そうだね、この青りんごなんてどうだい? さわやかな酸味とすっきりとした甘さのバランスがいい品種さ。お嬢さんみたいな品のいい娘さんにはお似合いだと思うよ」


 あからさまな上辺の誉め言葉にセシリアは苦笑する。トラックがプァンとクラクションを鳴らし、【念動力】でダッシュボードから代金を支払った。「まいど」と笑って店主は青りんごを差し出す。トラックはそれを【念動力】で受け取り、そのままセシリアに渡した。


「私に?」


 セシリアが驚きに目を丸くする。トラックはややぶっきらぼうなクラクションを返した。その様子に微笑み、胸の前で両手に包むように青りんごを持って、セシリアは目を閉じる。


「ありがとう、ございます」


 わずかに頬を染め、心から嬉しそうにセシリアは笑った。


「一生、大切にします」


 いや、食べてください腐るから。




 その後もトラックとセシリアはゆっくりとケテルの街を回り、人々を、ケテルという場所を、見つめていた。やがて日が傾き、人々は中央広場に向けて流れていく。流れに逆らうことなくふたりもそちらに向かっていった。中央広場の周りでは実行委員会のスタッフが来場者に小さなスカイランタンを配り、使い方の簡単な説明をしている。トラックとセシリアもそれを受け取り、スタッフの誘導に従って中央広場に整列した。日が完全に沈み、幾つかの篝火を除いてすべての灯りが周囲から消える。


「お待たせいたしました。それでは皆様、お手元のスカイランタンをご準備ください。我々のカウントダウンに合わせて、一斉に空へと解き放ちましょう」


 スタッフのアナウンスが中央広場に響く。人々の間を縫うようにスタッフが移動し、着火の方法に戸惑うひとを見つけては個別に説明をしているようだ。やがて、手順が周知されたと判断したのか、スタッフが会場から離れ、同時に残されていた篝火が全て、一斉に消された。星明りだけが淡く世界を照らし、夜闇が世界をその腕に抱く。


「カウントダウンを開始します。できれば皆様もご一緒にお願いいたします。準備はよろしいですね?」


 配布されたスカイランタンには着火のための小さな石が付属している。先端が尖っているその石は、手で握りこんで親指で尖った部分に横から力をかけると簡単に折れ、数秒間火花が散る仕掛けになっているらしい。その火花をスカイランタンの底部にある油紙に当てて火をつけると、スカイランタンは空に昇っていくのだ。


「それは始めましょう。五、四、三、二――」


 スタッフの声に合わせて人々の緊張感が高まる。皆が石を握る手に力を込めた。トラックも【念動力】の発動に余念がない。セシリアも真剣な眼差しで手許を見つめる。


「――一、どうぞ!」


 合図と同時にあちこちで火花が散り、スカイランタンは赤く柔らかな光を放ちながら、一斉に空へと昇っていく。セシリアの手にあったスカイランタンもまた、星の海へと解き放たれていった。トラックのスカイランタンもそれを追う。皆が空を見上げ、その幻想的な光景に感嘆の声を上げた。


「――きれい」


 セシリアが我を忘れたようにつぶやく。誰もが無言で、遥か遠ざかる灯を見送る。灯は夏の終わりに人々の許を訪れた魂だという。今は亡き愛しい人々、懐かしい友人たち、会いたくてももう会えない誰かの面影を灯に重ねて、人々はそれぞれに思いを馳せているのだろう。別れを惜しむようにスカイランタンはゆっくりと遠ざかって――


――パァン!


 ば、爆発した!? スカイランタンが空中で爆発した! なに、なにごと!? 事故、爆発事故ですか!?


「たーまやー!」


 人々が口々にはやしたてる。たまやって、花火でもないのに!? どういうテンション!? 爆発するのが普通なの!?


「もう二度と帰ってくるんじゃねぇぞー!」


 なんでだよ! 盆踊りで霊を迎えるんじゃなかったのかよ! 誘っといて帰す時に爆破するって何の罠だよ! ケテルの文化が俺にはわからん!!


 一定の高度でスカイランタンは弾け、燃え尽きて空に散っていく。スカイランタンが消えるたび、その代償のように星は輝きを増す。やがてすべてのスカイランタンが姿を消した時、夜は星の輝きで満ちていた。人々はずっと星空を見つめる。セシリアもまた、魅入られたように吸い込まれそうな星界をずっと見上げていた。飽きることもなく、ずっと。

スカイランタンが爆発するのは、爆発の勢いで一気に魂を星界まで送り届けるためだと言われています。

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― 新着の感想 ―
[一言] まあ、キュウリとナスで作った動物に乗って、ご先祖様が帰って来るという日本の文化も、海外の人からしたら意味不明でしょうしねw
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