犬探し
ケテルの片隅で起こった詐欺事件は、特に人々の話題に上ることもなくひっそりと解決した。組合員が詐欺を働いたという事実は商人ギルド内部でそれなりの衝撃を以て受け止められたようだが、それらが表に出ることはない。犯人たちは時間を遡って除名され、詐欺事件を起こした時点ではすでに組合員ではなかったことにされた。商人ギルドの組合員に犯罪に走る者はいない、ということだ。早期の幕引きを図る商人ギルドは詐欺事件に関する情報を囲い込み、もはや市民が事件の情報を知る術はない。
一方の冒険者ギルドでは、トラックのEランク降格がギルドの入り口に貼り出された。理由はギルドの信用失墜行為だそうだ。それを見たセシリアが、もう『お前を蝋人形にしてやろうか』的な勢いでギルドの上層部に猛抗議したが、裁定が覆ることはなかった。なおも抗議を続けようとするセシリアだったが、マスターが無言で頭を下げたことで何も言えなくなったようだ。トラックにたしなめられたこともあり、セシリアは仏頂面のままようやく引き下がった。トラックの降格に対するギルドメンバーの反応は様々だったが、マスターが一切の説明なく頭を下げた、という事実に事情を察したのか、とやかく言う奴はいなかった。
商人ギルドは当初、トラックの処分が軽すぎると抗議してきたが、マスターに無視されている間に別の問題が起きて、そのままうやむやになった。別の問題、というのは、衛士隊長イャートが回収した詐欺の被害金を独断で被害者に返してしまったことだ。ケテルには犯罪被害者の救済に関する規定はなく、慣例として押収した犯罪に関わる金は商人ギルドに納めているらしい。今回も当然そうなると思っていた商人ギルドは激怒し、衛士隊に激しく抗議しているとか。それに対してイャートはのらりくらりと回答を返しながら、「拾ったものを持ち主に返して何が悪い」とこっそり舌を出している。実はイャートは、商人ギルドの目をトラックから逸らすためにわざとそんなことをしたのかもしれない、と言ったら考え過ぎだろうか。
ちなみに以上の情報はすべてイーリィからもたらされたものだ。イーリィさんってば情報通。どっから噂を拾ってくるのやら。謎の多い受付嬢である。
まあ、そんなわけでトラックの冒険者ギルドでのキャリアは振出しに戻る。すべてご破算、ゼロスタート。新しい気持ちで参りましょう。ということで、トラックは今、剣士とセシリアと共に、ギルドカウンターでイーリィから仕事の紹介を受けている。Eランクの仕事ならトラックだけでも問題なくこなせるのだが、詐欺事件のようにトラックがまた妙なことに巻き込まれては困ると考えたセシリアが付き添いを申し出たのだ。イーリィがにっこりと笑って、一枚の羊皮紙をカウンターに載せた。
「飼い犬探し、ですか……」
セシリアが呻くように呟き、イーリィの笑顔が無言で「嫌なら一生Eランクだぞ」と告げる。「しゃーねぇなぁ」と剣士が承諾の意志を伝え、そして、ブーブーとクラクションを鳴らし続けるトラックをなだめすかして、三人は依頼の詳細を聞くべく依頼人と面会した。
「ウチの大切なジョン君が行方不明ぎゃおす! 一刻も早く見つけておうちに連れて帰りたいぎゃおす! とっとと探しに行くぎゃおす!」
空気を震わせる圧倒的な声量のハスキーボイスがギルドの応接間に響き渡る。トラックたちの前には質素な麻の服に身を包んだコモドドラゴンがおり、隣にはその夫を名乗る男が直立していた。……あれ? なんだろうこの既視感。初めてなのにどこか懐かしい。
コモドドラゴンは自らをエバラと名乗り、飼い犬のジョン君への愛を語る。いい加減に飽きたのかトラックがプァンとエバラの言葉をさえぎると、急に隣にいた夫が怒りだした。
「冒険者に礼儀を説いても詮無きこととはいえ、無礼にもほどがあるぞ! いったい妻を何だと思っているんだ! ニヨベラピキャモケケトスか! ニヨベラピキャモケケトスなのか!?」
いや、ニヨベラピキャモケケトスってなんだよ。聞いたことねーよ。名前からどんな生き物かも想像できねーよ。そもそも生き物かどうかも不明だよ。
「確かに一見、妻はニヨベラピキャモケケトスに酷似している。というかもう妻はニヨベラピキャモケケトスなのではないか。もしそうだとしたら、人語を解するニヨベラピキャモケケトスなんて大発見だ! 論文にまとめて学会に送れば時代の寵児、がっぽり稼いでいざキャバクラごふぅっ!!」
熱に浮かされるようにしゃべり倒していた夫の腹に、エバラの強烈な右ストレートが炸裂する。身体をくの字に曲げ、夫が床に膝をついた。
「調子に乗るな」
「……あい、ずびばぜん」
しっかりと体重の乗った、見事な右ストレートだった。これからもっと磨きを掛ければ世界を狙える。そう、言うなれば、エバラ、黄金の右。
エバラは猫にするように夫の首の後ろを掴んで持ち上げると、トラック達にくれぐれもジョン君をよろしくと言って退出した。ジョン君が犬であること以外、犬種も毛色も分からない。剣士はぐったりとした顔で「次から、ペット探しは止めとこう」とつぶやいた。
手掛かりは無いに等しいが、依頼を引き受けた以上は探さないわけにいかない。三人は依頼人の家がある西部街区に赴き、捜索を開始した。
夏の気配は遠くなりつつあり、風が秋の訪れを知らせる。空の青が清々しい。剣士とセシリアは西部街区の狭い路地を覗き込みながら歩いている。路地に入れないトラックは通りに停車し、子供たちに囲まれていた。トラック、意外と人気。配送の仕事でよく来る場所なので、みんな顔なじみなのだ。
「こらっ! どっから入ってきた!」
突然聞こえてきた怒鳴り声に、周囲の人間が何事かと一斉に振り向く。トラック達から少し離れた民家の入り口から、白い仔犬が飛び出してくる。そしてその直後、その家のおかみさんがホウキを持って現れた。おかみさんはホウキを威嚇するように振り回し、仔犬は「キャン」と怯えた声で鳴いて一目散に逃げていく。
「人のメシをつまみ食いとはふてぇ犬だ」
おかみさんはそう吐き捨てると、ふんっと鼻を鳴らして家に戻っていった。おかみさんが追いかけて来ないと知ってか、仔犬は足を止めて振り返る。なんだがしょんぼりしている気がする。お腹が空いているのだろうか。ちょっとかわいそうだなぁ。
トラックが突然プァンとクラクションを鳴らす。すると仔犬が「ヒャン」と返事をした。仔犬は不思議そうに首をかしげてトラックを見る。あらかわいいコレ。ちょっとかわいいよコレ。
「まさか、ジョン君?」
「ホントかよ!?」
セシリアと剣士が驚きの声を上げ、一歩仔犬に近付く。仔犬は怯えたように一歩下がった。ああ、尻尾が下がってる。無理に近付いたらまた逃げそう。セシリアは仔犬を安心させるように微笑み、地面に膝をついて身を低くすると、「怖くないよ」と言いながら腰の荷物袋から生肉を取り出した。仔犬の耳がピンと立ち、その瞳が生肉を凝視する。
……セシリアさん、どうして生肉なんて持ってるの? もしかして常備してるの? 荷物袋に常に生肉を持ち歩く美少女。なんと言いますか、今日も安定の残念ぶりよ。
仔犬はおそるおそるセシリアに近付くと、ふんふんと肉の匂いを嗅いだり、ぺろぺろなめたりしている。でも仔犬に生肉っていいのかな? そもそも肉の塊なんて食べられるの? 俺がそわそわしていると、剣士が腰の短剣を抜いた。セシリアが仔犬を抱え、剣士は生肉を細かく刻んで皿に載せた。生肉を常備しているセシリアも大概だが、街中で皿をすぐに取り出せる剣士もなかなかだ。仔犬はしばらく皿の肉の匂いを嗅いでいたが、やがて勢いよく食べ始めた。そうか、お前、そんなに肉が好きか。俺もな、肉が大好きだ。焼いたほうが好きだけど。
仔犬は皿の肉をすべて平らげると、安心したのか、セシリアの腕の中で眠ってしまった。セシリアが目を細め、優しく仔犬を撫でる。剣士が安どのため息を吐いた。ところが――
あれ? なんか大きくなってない? 仔犬だんだん大きくなってない?
「!?」
セシリアが撫でる手を止め、驚きに目を見開く。セシリアの膝の上で、仔犬はみるみるうちにその大きさを増し、やがてその正体を現した。そこにいたのは、五歳の男の子くらいの大きさの、犬だった。
……
犬じゃん! 大きくなっただけでやっぱ犬じゃん! なんなの? どういうこと!?
俺の率直な感想とは裏腹に、剣士が苦々しく顔を歪め、セシリアがひどく厳しい表情で犬を見つめた。
「……獣人族……!」
えっ? そうなの? 猫人は九割がた人間って感じだったけど、こっちはずいぶん犬成分が強めですね。
トラックがプァンとクラクションを鳴らす。セシリアは深刻な表情のまま頷いた。
「もう一度、依頼人に話を聞きましょう。私たちは真実を知らなければ」
もしジョン君がエバラにペットとして飼われていたのなら、ジョン君は捕まえられて売られた獣人の仔かもしれない。そうだとしたら、他種族との交易で成り立つケテルが吹き飛びかねない大事件だ。もしかしたら今日はケテルの終わりの始まりかもしれない、んだけども、なんかケテルってしょっちゅう終わりが始まりそうになってない? この間もあったよ、似たようなのが。大丈夫か?
セシリアさんが道を歩いていると、生肉の匂いに釣られた野良犬によく襲撃されます。




