策に溺れる
「……何をしているの?」
「しっ! 黙って!」
あきれ顔で声を掛けてきたミラを、イーリィはトラック達から視線を外さないまま鋭く制する。身を縮め、こそこそと様子を窺う姿は明らかに不審者のそれだ。人でごったがえすケテルの大通りではむしろ悪目立ちする気がするのだが、本人は身を隠しているつもりなのだろう。
「トラさんとセシリアの運命の日になるかもしれないのよ? おかしな方向にいかないように、私たちが見守らないと」
私たち、という言葉に自分がカウントされていることを知り、ミラは複雑な表情を浮かべる。どんまい、と言うようにリスギツネがクルルと鳴いた。セシリアとトラックをふたりきりにするためにイーリィはミラを預かると申し出たのだが、どうやらミラとお祭りを楽しんでくれる気配はなさそうだ。ミラは賑やかな出店の様子を見渡し、小さくため息を吐く。楽しみにしていたのに、という未練が吐く息と共に風に溶けて消えた。
「トラックは都合よく聞こえない振りをするから、言い逃れできないように周到に追い込む必要がある」
気持ちを切り替えたようにミラはイーリィの隣で身をかがめ、リスギツネを胸に抱きかかえた。どうやらイーリィに付き合うと腹を決めたらしい。イーリィは深く同意するようにうなずく。
「そうね。ありえないタイミングで『聞いてなかった』って言うものね。ふたりがお祭りを回っていい雰囲気になったところで、人気のない場所に誘導して、身動きができないように拘束して、耳元でセシリアに『好きです!』って十万回ほど叫んでもらいましょう」
「それはぜひやめてほしい」
妙に鼻息の荒いイーリィにミラは冷静なツッコミを入れる。イーリィの言うとおりに実行したらまとまるものもまとまらんわ、と言いたげな様子だ。雑踏をゆっくりと進むトラック達に歩調を合わせ、イーリィたちもゆっくりと尾行する。幸いトラック達に尾行を警戒する素振りはないため、バレることも見失うこともなさそうだ。トラックの大きな車体は人ごみの中でも充分に目立つ。
「あっ、待って。出店で何かするみたいよ」
イーリィはそう言ってミラの肩を掴み、歩みを止める。その視線の先では、トラックとセシリアが一軒の出店を覗き込んでいた。
「いらっしゃい。遊んでくかい?」
三十代くらいの細面の男がセシリアに声を掛ける。この出店はどうやら射的をやっているらしい。銅貨二枚で一回、コルク銃を撃つことができることを説明し、店主は的に目を遣った。
「小さいリスギツネのぬいぐるみが一点。中くらいのが三点。大きいのが五十点。撃ってぬいぐるみを倒した合計点数で景品が出るよ」
ひな壇のような三段の台の上に、ちょっと縫製がいい加減な感じのぬいぐるみが並んでいる。店主の言う「小さい」のがおおよそ十五センチほどの大きさで、「中くらい」のが三十センチくらい、そして「大きい」のが、台の中央にでんっと一体だけ鎮座している、三メートルほどのリスギツネだ。
……
倒せるわけねぇだろ三メートルもあるぬいぐるみをコルク銃で! 普通に手で殴っても倒れそうにないわ! でもいかにも中央で挑戦的にこっちを見てるから思わず撃ちたくなる! これは巧妙に仕掛けられた心理トリックだ!
セシリアは迷うような視線をトラックに向ける。トラックはプァンとクラクションを鳴らし、【念動力】で銀貨を一枚、店主に放り投げた。器用に銀貨を受け取り、「まいどあり」と笑みを浮かべて、店主はセシリアにコルク銃とコルクを十個渡した。銀貨一枚は銅貨二十枚分の価値がある、ってそういえばずいぶん前に先生の青空教室で習ったんだっけ。セシリアはコルクを銃にセットすると、しっかりと狙いをつけて引き金を引いた。コルクが勢いよく放たれ、小さなリスギツネのぬいぐるみに当たり――大きく左右に揺れたものの、ギリギリで倒れずに残った。
「ああーっ、惜しい! もうちょっとだったねぇ」
店主が大げさに嘆きの声を上げて煽る。セシリアは少しむきになった顔で第二射を放った。コルクは中くらいのリスギツネのぬいぐるみに当たり、やはり揺れはしたものの倒れずに終わる。
「うーん、残念! 次はきっと倒せるよ!」
店主の笑顔にいささか屈辱を感じたのか、セシリアは立て続けに引き金を引く。小さいリスギツネも中くらいのも、もちろん大きなリスギツネも、傍から見ればクリーンヒットしているはずなのに、絶妙に揺れるだけで倒れはしなかった。トラックはカチカチとハザードを焚く。しっかし、全然倒れないのな、いかにも倒れそうなのに。何かぬいぐるみに細工でもしてんのかな……って、ああ!? よく見たら、店主のすぐ近くに小さなスキルウィンドウが出とる! 店主、【念動力】を発動しとる! それで倒れないのか! おもいくそ詐欺じゃねぇか!!
「あらら、もう残り一発になっちゃったねぇ。弾を買い足すかい?」
にこやかに店主がコルクを見せびらかしてセシリアに聞いた。トラックはハザードを止めてヘッドライトを店主に向ける。どうやら【念動力】の発動に気付いたようだ。悔しそうに唇を噛み、セシリアは店主の呼びかけを無視して最後の一発を放った。しかし――
「ああっ、残念! 倒れなかった!」
店主は嬉しそうに叫ぶ。セシリアはがっくりとうなだれ――
――ズガァァァン!!
トラックのヘッドライトから【怒りの陽電子砲】が放たれ、巨大リスギツネのぬいぐるみを直撃する。巨大リスギツネは黒焦げになってお腹に大きな穴が空いた――りはせず、スローモーションのように後ろに倒れた。強いな巨大リスギツネ。ミラに抱えられていたリスギツネが複雑そうにクルルと鳴く。店主は唖然と倒れた巨大リスギツネのぬいぐるみを見つめた後、怒りに顔を引きつらせて叫んだ。
「な、なにしてんだ、アンタ!」
プァンとクラクションを鳴らし、トラックはアクセルを踏んだ。逃げよう、とでも言ったのだろうか。「は、はい!」と応じ、セシリアはトラックを追って走り出す。「ちょ、待てコラ!」と拳を振り上げる店主を置き去りにして二人はその場を逃げ出した。
人の気配のない、ケテルの中心から少し外れた小さな神社まで逃げ延びて、トラック達は大きく息を吐いた。イーリィたちはこっそり尾行を続けており、近くの木の陰からふたりを監視、もとい見守っている。苦しそうに肩で息をしていたセシリアは、息が整うにしたがっておかしそうに笑い始めた。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。セシリアは笑いながら答えた。
「だ、だって、トラックさん、むちゃくちゃなんだもの」
あーおかしい、とセシリアは指で目尻を拭った。神社は木々に囲まれ、お祭りの喧騒からは隔絶された、どこか神聖な静寂がある。なぜケテルに神社があるのか、ここに何が祀られているのか、知る者は誰もいない。確かなのは、この神社は神社庁の管轄外だということくらいだ。
ひとしきり笑い終え、セシリアがトラックを見る。トラックも正面からセシリアを見ていた。風が吹き、少しだけ冷たい風が木々の枝葉を揺らす。イーリィが木の陰から身を乗り出し、ミラがリスギツネを抱く腕に力を込めた。細く張り詰めた沈黙が降る。セシリアがわずかに口を開き――
――プァン
優しく、残酷に、トラックがクラクションを鳴らした。それはきっと勇気を刈り取る言葉で、セシリアはわずかに目を見開き、そしてトラックに微笑みを返して口を閉ざした。トラックがアクセルを踏む。セシリアがトラックの隣に並び、ふたりは再びお祭りの喧騒に向かって歩き出した。木の幹に身体を預けてイーリィが脱力したように座り込む。ミラが大きなため息を吐き、リスギツネがクルルと鳴いた。
その後ふたりは一日目のハイライトである、東西神輿のブレイキン対決を見物し、他愛ない話題で少しぎこちなく笑って、夕暮れと共に別れた。ギルドの玄関前までセシリアを送ってトラックは去っていった。トラックの後姿に手を振るセシリアに、仁王のような形相のイーリィが声を掛ける。
「不合格っ!」
思わぬ怒声にびくっと肩を震わせてセシリアが振り返る。イーリィはどすどすとセシリアに近付き、ぐっと顔を寄せた。
「どうして神社で告白しなかったの!? あんなアタックチャンス、生涯に何度もないわよ!」
「見ていらしたのですか!?」
セシリアの驚愕の叫びにイーリィはさりげなく目をそらす。
「見守っていたの。友達でしょう?」
都合よく友達という言葉を使われ、イーリィを見るセシリアの目がじゃっかん白けたものに変わる。フォローのようにミラが口を開いた。
「セシリアお姉ちゃんのヘタレぶりには失望した」
「ミラまで……」
疲労感を滲ませてセシリアはつぶやく。ミラの援護を受けて勢いを取り戻したイーリィは、再びセシリアの目を見つめて言った。
「お祭りは三日あるわ。今日の反省を生かして、明日はリベンジよ」
「明日も!?」
悲鳴に似たセシリアの声に、ミラはそっと近づいて労わるようにその背を軽く叩いた。
「がんばれ」
ミラの冷酷な激励を聞き、運命を悟ったようにセシリアはうなだれた。
「足らなかったのは、艶だと思うの」
翌日になり、イーリィは真剣な表情でセシリアを見つめる。セシリアは困惑と諦念が入り混じった様子でただイーリィを見つめ返している。ミラはうっとりした顔で言った。
「きれい」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、方向性が……」
セシリアは自らの身にまとう衣装に目を落とした。抜き襟で着付けた豪華絢爛な裾引きに前結びの帯、そして三十センチはあろうかという黒高下駄。結い上げた髪には豪奢なかんざしが彩を添える。いや、なんというか、似合っているというか似合っているという事実は驚愕に値するんだけども、そして確かに『艶』という意味では十分すぎるほど艶っぽいんだけど――
花魁じゃん。なんとか太夫って呼ばれる人の恰好じゃん。盆踊りに行く恰好じゃないじゃん。
「ゆけ、セシリア。今日こそトラさんを仕留めてくるのよ」
「なお、作戦行動中の君の生死について、当局は一切関知しない」
イーリィが無慈悲に命令を下し、ミラがセシリアの退路を断つ。じゃっかんの同情を込めてリスギツネが鳴いた。ギルドの外からプァンとトラックのクラクションが聞こえてくる。もはや抗う術もなしと、覚悟を決めた瞳でセシリアは外へと向かった。
姿を現したセシリアに、トラックは呆然と立ち尽くしているようだった。そりゃそうだろ、盆踊りに一緒に行く約束をした女の子を待っていたら花魁が現れたのだ。誰だって呆然と立ち尽くす以外にできることはない。セシリアはあらゆる感情を抑え込んだ無表情でトラックの横に並ぶ。
「それでは、参りましょう」
声がわずかに震えていることにトラックは気付いただろうか? セシリアはゆっくりと、外八文字を描いて歩き始める。その堂々とした優美さは、おそらくは当人にとって不幸なことに、周囲の耳目を集めることとなった。周囲が戸惑いと騒めきに包まれる。
「こ、これは……」
セシリアの姿を認めた盆踊り実行委員会のスタッフが足を止め、じっと彼女を見つめる。そして周囲にいたスタッフ仲間と視線を交わしたのち、互いに大きくうなずき合った。彼らはまるで忍者のように素早くバラバラにその場を離れる。なんだろう、すごく緊張感をまとっていたけど、何か問題でもあったのだろうか? お祭りの運営を妨害すると認定されたとか?
しゃなり、しゃなりとセシリアは中央広場を進み、大通りへと出る。彼女に並んでいるトラックは、今は花魁に付き従う下男のようだ。大通りはお祭りの最中でひとがごったがえしているが、セシリアが姿を現すと、その圧倒的な品格によってひとびとは我知らず道を開けた。あたかも海を割る如くにセシリアの前に道が開ける。
「なに? 何か始まったの?」
「お祭りのサプライズイベントかな?」
ざわざわとひとびとの話し声が聞こえる。うん、どうしてもそうなっちゃうよね。でも、いち私人ですから! 皆様と立場おんなじですから! 道を開けてもらって恐縮ですけども、ただのコスプレ花魁ですから!
と、思っていたら、セシリアが進む道の脇から、なぜかセシリアよりも少し若い女の子が遊女然とした恰好をして集まり、セシリアの後ろをついて歩く。さらにもっと幼い少女たちが、いわゆる禿の姿でその後ろについた。彼女らはそっとトラックに「もう少し下がって、後ろについてください」とささやく。何が起こっているかあまり理解した様子もないままトラックはその指示に従う。先頭をセシリアが凛として歩き、その後ろを新造(花魁の妹分の遊女)が、さらに禿が従い、最後尾にトラックが下男よろしくついていく。その姿を満足げに見つめていた沿道にいる盆踊り実行委員会のスタッフが、満を持して叫んだ。
「花魁道中だ!」
おお、と沿道から驚きの声が上がる。これは『花魁道中』というお祭り内のイベントなのだ、という認識を与えられて、人々から戸惑いが消え、純粋に花魁の美しさを、そして儚さを堪能する機運が生まれ始める。セシリアの顔に隠し切れない戸惑いが浮かび、どういうことだと言いたげな視線を沿道の実行委員会スタッフに向けた。スタッフは最高の笑顔でサムズアップを返した。
結局引くに引けなくなったというか、いや逃げちゃっていいと思うんだけど、根がまじめなセシリアは与えられた花魁の役割を全うし、ケテルの街をぐるりと一周して中央広場まで戻ってくる羽目になった。中央広場には高いやぐらが組まれており、ここが盆踊りのメイン会場になることを伝えている。高下駄で外八文字は歩くのにとても時間が掛かり、セシリアが中央広場に帰ってきたころにはもう日が暮れていた。
「今年の実行委員会はなかなかやるのう」
「こんなに華やかなお祭りはそうありませんねぇ」
セシリアの美しさに見惚れた見物人が口々に賞賛する。花魁道中は人々を中央広場に集める役割も果たし、セシリアはそのままやぐらの上に引っ張り上げられ、盆踊りの主役になった。
――ハーア、ヤッコラセーヤ、オンコラセー
ケテル民謡の第一人者の掛け声を合図に、盆踊りが始まる。日が落ち、篝火に照らされて、人々はやぐらを囲んで踊り始める。
――ケテルはぁよーーーおお、ケテルはよぉーーー
民謡歌手の声はやぐらの上からケテル全域にしっとりと広がる。ひとびとは思い思いに踊り、愛しい相手に笑顔を向けている。セシリアは踊りの手本を見せるように優美に舞い、祭りに華やかさを添えている。トラックはやぐらの下でセシリアを見上げていた。
「……どうして、こうなった――?」
ギルドの玄関先からセシリアを見上げるイーリィが、がっくりと膝をついた。
この年を境に、『花魁道中』はケテル納涼盆踊り大会のメインイベントの一つになりました。




