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同盟

 早朝の空気は少しだけ夏の暑さを忘れさせてくれる。もうすぐ照り付ける厳しい日差しに変わるだろう太陽もこの時間は手加減をしてくれているようだ。傭兵たちが去り、森はようやく落ち着きを取り戻した。木々も安堵したようにさわさわと風に揺れている。

 手痛い敗北の後、トラックはしばらく立ち尽くしていたが、気を取り直したのか胸の奥に沈めたのか、教会の中にいる猫人たちを【念動力】で外に出す作業を始めた。傭兵たちが矢を射かけたせいで教会内は割れたガラスが散らばり、知らずに歩けば足を怪我してしまう恐れがあった。それに矢が床や壁に刺さっていたりして、猫人たちが目を覚ました時にそれらを目にしたらいい気分はしないだろう。

 そうこうしているうちに、仲間たちが続々と戻ってくる。最初はナカヨシ兄弟とリーンが、何とか自力で歩いて戻ってきた。死神に感謝しないと。あいつはなかなか骨のあるヤツだった。間を置かずドラムカンガー7号が腹の中に猫人たちを保護し、ミラとジンと人形師と共にずしんと足音を立ててやってきた。人形師はずーっと「なんで私まで」とブツブツ言っていて、ジンに「うるさい」と怒られている。剣士は猫人たちを引き連れて歩いてきたようだ。セシリアも同様で、誰も犠牲にすることなく戦いに勝ったというのに、剣士もセシリアも複雑な感情を隠し切れぬように表情を曇らせている。


――プァン


 トラックが労うようにクラクションを鳴らす。だがそのクラクションにいつものような力強さはなく、どこかしら無理をしているようだった。


「トラックさん――」


 苦しさを吐き出すようにセシリアがトラックに呼びかける。しかし言葉は続きを持たず、ただ心細げな瞳が揺れている。何かを言おうと口を開きかけたとき、ミラがドラムカンガー7号から飛び出してトラックに駆け寄った。


「トラック! だいじょうぶ!?」


 ミラはズタボロのトラックに手をかざし、淡い翠の光がトラックを包む。光は欠けたトラックの部品を補うように流れ込み、車体を形作っていく。セシリアは口を引き結んだ。光が強さを増し、まばゆいほどになってから消える。トラックの車体は新品同様に戻っていた。ミラがほっと息を吐く。


「ジンたちも、来てくれたのか」


 剣士がドラムカンガー7号を見上げて驚いたように言った。ドラムカンガー7号が「ま゛っ」と答え、ジンは笑顔でうなずく。人形師は「誰が好んで来るか!」と怒り、ジンに蹴りを入れられていた。


「皆、ご無事であったか」


 ナカノロフはそう言って眠っているルーグの傍らに膝をつき、安堵の表情を浮かべる。ルーグの身を案じていたのだろう。本来はルーグを守るために一緒にいるはずだったのに、ヨシネンの危機にこの場を離れてしまったわけで、もしルーグに何かあったらと責任を感じていたに違いない。昏々と眠るルーグの表情はどこか晴れやかだった。


「各々うまくやったようだな」


 ヨシネンは皆を見渡し、誇らしげに言った。たった七人で猫人を救出する、そのほぼ不可能なミッションを成し遂げたことに感慨もひとしおのようだ。ヨシネンの隣でリーンは少し居心地の悪そうな顔をしている。猫人たちに顔を合わせづらいらしい。

 セシリアと剣士に連れてこられた猫人たちは互いの無事を喜び、涙を流している。しかしその顔には疲労の色が濃く、無理やり投与された狼憑き(ベルセルク)の影響からまだ回復しているわけではないようだ。幾人かの猫人は、倒れて意識を失っている、ルーグが守ったこの村の猫人に駆け寄り、体を揺すって無事を確かめているようだ。朝の光に照らされ、小さく呻き声を上げて倒れている猫人たちが目を覚まし始める。


「トラック、殿……」


 かすれた声で老猫がつぶやき、ふらつく身体を仲間に支えられながら立ち上がる。トラックが慌てたようにプァンとクラクションを鳴らした。老猫――村長は首を横に振ると、辛そうに大きく息を吐いた。


「……心より感謝いたします、特級厨師トラック殿。あなたを、ケテルを裏切った我らを、あなたは危険を顧みず助けてくださった。我らはかつてあなたに誓った言葉を今一度ここで誓おう」


 村長は背を伸ばし、まっすぐにトラックを見る。


「我ら猫人は受けた恩に報い、汝らの永遠なる友として、いついかなるときも汝らの助けとなろう。一朝事有らば必ずや疾く参じ、汝らの爪となり、牙となろう。この誓いを破ることは二度とない。絶対に」


 はっきりと宣言し――村長は崩れるように座り込む。体力が持たないのだろう。周囲の猫人が村長の背に手を添え、無理をしないよう声を掛ける。トラックもまたプァンとクラクションを鳴らした。「すまぬ」とうめくように声を絞り出し、村長は咳き込む。


「皆さまをケテルにお連れしましょう。ここにいては、再び敵が押し寄せたとき守ることができない」


 セシリアが猫人に聞こえるように提案する。猫人たちは一瞬複雑な表情を浮かべ、「よろしくお願いします」と頭を下げた。トラックは了承のクラクションを返し、左のウィングを上げる。ドラムカンガー7号も「ま゛っ」と力こぶを作り、腹部をカパッと開けた。


「帰ろう、ケテルに」


 剣士が何かを振り切るように言った。戦いが終わり、各々がそれぞれに思いを抱え、それを隠し、あるいは押し殺して、トラック達はケテルへの帰路に就いた。




 トラックとドラムカンガー7号に運ばれ、猫人たちはケテルへと迎え入れられることになった。剣士とセシリアが先行してケテルに入り、マスターとルゼに話を通したことで受け入れは大きな混乱もなく行われた。まあ、かなりの短時間で受け入れ態勢を整えられたのはコメルの働きのおかげだろうが。コメルは本当にいつ寝てるんだろうっていうくらい働かされているな。残業代もらってる? 三六協定とか、ちゃんと勉強したほうがいいよ?


「おじいさま!」


 評議会館で猫人たちを迎えたルルは、祖父である村長の無事を喜んで涙を流していた。村長もまた言葉に詰まり、孫娘を無言で抱きしめた。ルルがケテルに助けを求めたことで猫人たちは命をつなぐことができた。村長の中でそれを誇らしく思う気持ちと、孫娘に重荷を背負わせ危険を強いた後悔が混ざり合っているようだった。

 猫人たちは賓客として、最高の待遇を与えられてケテルに留め置かれることになる。それは猫人たちの苦難に手を差し伸べるため、ではなく、ケテルがクリフォトの暴虐から猫人を救った、という政治宣伝のためだ。ルゼはあたかも最初からそれがケテルの意志であったかのように、猫人救出の『事実』を他種族に喧伝するつもりのようだ。ケテル評議会が猫人を見捨てる決断をしたことは、他種族には決して知らされることはない。対照的に、ケテルの要人である『特級厨師』が猫人を救ったという事実は、ケテルが猫人を救ったのと実質的に同じだ、という理屈で都合よく歪曲され、ケテルの他種族への政治的優位性を確保するために最大限に利用される。状況の変化を巧みに利用して自らの立場を強化するしたたかさを、ルゼは備えているということだ。


「クリフォトの残虐性が改めて証明された事件でした。クリフォトはただケテルと敵対しているのではない、この地に住まうすべての種族と敵対しているのです。こちらが手を出さねば安泰、などという楽観が幻想に過ぎないことは、今回のことでお判りになったはず」


 猫人の村長を議長室に迎え、ルゼはその手を取ってしっかりと握った。


「しかし、ご安心ください。今回のことはもう一つ、明確な事実を我々に証明してくれた。すなわち、ケテルはクリフォトを退ける力があるということを。敵は強大、しかし決して動かぬ山ではない。我らと猫人が力を合わせれば、討ち果たせぬ相手ではないのです」


 村長もルゼに向かって大きくうなずく。


「ケテルの示された勇気と友情、そして比類なき武威に敬意を表する。そして、猫人はこの恩に報いるため、ケテルがクリフォトとの戦に臨むその時には必ず共に在ることを誓おう。かくなる上は我らが王にお出ましを願い、正式な条約を締結させていただく」


 言葉の強さと裏腹に、ルゼも村長もその表情は固い。確かに今回は『屠龍』を退けたが、それはケテルがクリフォトを退ける力を証明することにはならないことをルゼは知っているのだろうし、村長は一度協力を拒みながら助けられたという負い目からそのことを指摘できない苦しさがあるのだろう。どこか白々しい表面上のやりとりによって、しかし物事は動いていく。一週間後という異例の速さで猫の王のケテル来訪が決まり、ケテルは大々的に猫人との軍事同盟の成立を謳った。




「クリフォトはこの度、悪名高い『屠龍』なる傭兵団を差し向け、猫人の村を次々と襲いました! 事前の通告もない、一方的な武力の行使はすなわち、クリフォトが我らケテルを、そして他種族の皆さまを蔑ろにしていることの証左です!」


 同盟成立の式典で、ルゼは壇上から列席する他種族の面々に向かって演説する。式典には猫の王だけではなく、エルフやドワーフ、犬人をはじめとした獣人族など、ケテル周辺に存在する他種族がのきなみ招かれていた。ルゼの意図は明白で、実際に猫人がクリフォトによって襲撃されたことを直接伝え、各種族の危機感を煽ることだ。各種族の代表たちも以前とは段違いに真剣な表情を浮かべている。『種族浄化』を謳うクリフォトが、実際に猫人を襲ったインパクトは大きいに違いない。日和見は愚策と感じてくれれば、ケテルを中心として一気に他種族の共闘は成立するかもしれない。この式典はその分水嶺となるかもしれない、非常に重要な場面なのだ。


「私は断言します! クリフォトは他種族をことごとく根絶やしにするつもりなのだと! ケテルを滅ぼし、それを以てクリフォトが剣を納めるなどありえないのです! クリフォトは他種族の命を何ほどの物とも思っていない! 今、我らが共に手を携えなければ、クリフォトに各個撃破されるだけ。今、戦う勇気を持たねば、未来は閉ざされてしまうに違いないのです!」


 ルゼは隣にいる猫の王に視線を向ける。


「猫人はその勇気を示してくださいました。我らは今日、未来を共にする同志となり、互いを守る剣となることを誓います。そして我らは、皆さまとも未来を共有したいと思っています。皆さまが賢明なご判断をなさることを望みます」


 猫の王がルゼと視線を交わし、うなずきを返す。コメルが厳かに告げた。


「それでは、ケテルと猫人の、それぞれの代表者による、誓いの儀式を行います」


 ルゼが猫の王に歩み寄り、正面に向かい合う。猫の王は蒼い瞳でまっすぐにルゼを見つめ、口を開いた。


「にゃー」


 うん、猫だね。猫人っていうか猫だね。むしろ仔猫だね。スコティッシュフォールドだね。猫の王はルゼの足元に近付き、人懐っこい感じで顔をスリスリしている。式典の見物人から「かわいいー」の声があちこちで上がった。いや、確かにかわいいけども。そういうんじゃなくない? この式典に『かわいい』いらなくない?

 ルゼはポケットから猫用のおやつの袋を取り出し、猫の王に差し出す。猫の王は夢中でおやつをペロペロしている。再び見物人からの「かわいい」がこだまする。ほっこりしてしまいそうな空気を引き締めるためか、コメルは冷静な声で告げた。


「今、この瞬間をもって、ケテルと猫人の同盟が成立したことを宣言いたします」


 成立した!? 同盟が成立しちゃった! おやつあげただけだよね? 仔猫に〇ゅーるあげただけだよね? それで成立すんの同盟が!? 猫人たちはそれでいいのか?


――ぱちぱちぱちぱち


 会場にいた猫人たちがうなずきながら一斉に拍手する。そうか、いいのかこれで。猫人との同盟は猫の王におやつをあげることで成立するのが彼らの流儀なのか。奥が深いぜ他種族交流。文化が違うと儀式のやり方も変わるってことか。

 ルゼは猫の王を胸に抱え上げ、高らかに宣言する。


「ケテルはクリフォトに決して屈せぬ! 猫人の助力を得て、それはますます確信に変わった! 我らは負けぬ、いや、勝つ! かの国の暴虐を必ずや打ち砕くことをお約束いたします! どうか、我らを信じてください! そして願わくば、我らと共に歩まれんことを!」


 猫の王がごろごろと喉を鳴らす。そのリラックスぶりとは対照的に、ルゼの顔は白く、どこか差し迫った緊張感があった。その言葉にならない不安が各種族の代表を迷わせているようだ。結局、その場で共闘に賛同する他種族はなく、ぎこちない雰囲気を残したまま式典は終わった。


 その後、他種族はケテルとの共闘を検討しつつも結論を得ず、結局新たな賛同者が現れることはなかった。ルゼの苦悩と失望は深く、その憔悴は見るに堪えないほどだった。『屠龍』の猫人襲撃後、新たなクリフォトの動きがないことで緊張感が薄れてしまった、ということもあるのかもしれない。おそらくクリフォトは小細工をする必要がなくなったのだ。つまり、正規軍による軍事侵攻が近付いている。トラックたちは不穏な予感を抱えながら、おそらく束の間であろう貴重な日常を過ごすことになった。時間は残酷なほどにいつも通り流れ――もうすぐ、夏が終わる。

猫の王は「かわいさ」パラメータに全振りです。

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[一言] ハッピーハッピーハッッピー(猫ミーム)
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