賭け
「こいつは、驚いた」
総隊長は素直に感嘆を表情に示し、ルーグを見つめる。
「……英雄の再来、ということですか」
隣にいる副隊長もまた、信じられないものを目の当たりにしたと目を見開いている。総隊長は愉快で仕方がないと言うように顔をにやつかせた。
「百年前、ケテルを作った英雄『筋肉ヒゲ紳士』コングロが持っていたとされる【無敵防壁】。創建間もないケテルを十万の兵が囲んだ時、コングロはケテル全体を光の壁で囲み、いかなる攻撃も防いで見せた。その期間は三か月に及び、ついには一人の犠牲者も出すことなく敵を敗走せしめたという」
そ、そうなの? なんか前にルゼが「コングロはそのポージングで十万の敵を潰走させた」みたいなこと言ってた気がするけど、そういうことだったの!? あなどりがたし伝説の英雄。三か月間スキル発動しっぱなしってそりゃ化け物だわ。
「もう一度やりますか?」
副隊長は総隊長にそう声を掛けた。ルーグは大きく肩で息をしていて、立っているのもやっと、という風情だ。もう一度火矢を射掛ければ防げないと思っているのだろう。だが総隊長は「バカを言うな」という顔でそれを拒んだ。
「油と矢の無駄だ。第一、やっと面白くなってきたんだぞ。そんなつまらん終わり方をさせてたまるか」
手を出すなよ、と念を押し、総隊長はルーグに向かって一歩踏み出す。副隊長は大きくため息をついて首を振ると、部下たちに待機を命じる。部下たちも総隊長の性格を知っているのだろう、肩をすくめて大人しく弓を下ろした。
「小僧」
総隊長は腰の剣を抜きながらルーグに声を掛ける。
「その力、どうやって手に入れた?」
ルーグは鋭い眼差しで総隊長をにらみ続けている。
「知らねぇよ。勝手に閃いただけだ」
総隊長は「そうか」と満足げに何度もうなずく。
「スキルとは個人の業の結晶だ。絶対に叶えたい欲、決して譲れぬ望み、それらが一線を越えたときにスキルは発現する。お前のその力は、『守る』というお前の欲望が結実した結果だ。己の安全も損得もすべて埒外に置いた狂気が力をもたらす」
ルーグは総隊長の言葉の意味を捉えかねているようで、何が言いたいと眉を寄せた。総隊長は嬉しそうに言葉を重ねる。
「俺はそういう突き抜けた奴が好きだ。常人に到達しえない『狂』を持つ奴がな。そういう奴らは何かが決定的に欠けていて、その隙間を埋めるように『狂』っているのさ。俺もそうだからよくわかる。俺たちは似た者同士だ。イカれてるって意味でな」
ルーグが不快そうに顔をゆがめる。総隊長はその反応に小さく吹き出し、表情を改めて一つの提案を持ちかけた。
「どうだ、小僧。一つ賭けをしないか? もしお前が勝ったら『屠龍』は戦闘を停止して即時撤退する」
提案の意図を探るようにルーグは質問を返す。
「……おれが負けたら?」
「猫人は全員、死体になる」
平然としたその声が底冷えするような悪寒を伴って広がる。それは総隊長にとって猫人の命がいかほどの価値も有していないという宣言だった。ルーグは右手で自らの左腕を掴む。自分が猫人の命を支えるのだと、その重みに耐えるように。
「賭けに乗っても乗らなくても、変わらねぇじゃん」
「いいや、違うね」
ルーグの挑発するような軽口を総隊長は思いのほか真剣な声音で遮った。
「賭けに乗らなきゃお前も猫人も生き延びる確率はゼロだが、賭けに乗ればゼロじゃあなくなる。そっちに勝ち目をやろうってんだ。おとなしく乗っといたほうがいいぞ」
一方的にこちらが有利になるような提案にルーグは戸惑っているようだ。総隊長は期待に満ちた目でルーグを見つめている。きっと深い意味や意図などないのだろう。おそらく総隊長は、面白いことがしたくて賭けを持ちかけただけなのだ。ルーグはうなずきを返した。総隊長は「よしっ!」と拳を握った。
「ルールは簡単。俺は今から全力でお前に一撃を叩き込む。一撃、本当にただの一撃だ。その一撃に耐えられたらお前の勝ち。死んじまったら俺の勝ち。簡単だろう?」
えーっと、こいつは、アレかな? 総隊長は実はバカなのかな? 一撃を耐えればって、ルーグには【無敵防御】があるから楽勝じゃない? もしかして勝ち確定? ルーグが訝しげに総隊長を見る。総隊長は慌てたように言った。
「お前、俺をバカだと思ったな? だが安心しろ、【無敵防御】のことを忘れてるわけじゃない」
総隊長は手の剣を掲げる。その剣がほのかに赤く光を帯びた。
「【無敵防御】があらゆる攻撃を無効化するように、あらゆる防御を無効化する攻撃系スキルも存在する。俺はそのスキルを持っているのさ。【絶対攻撃】なんて色気のない名前のスキルをな」
総隊長はひゅっと剣を振って見せる。赤が闇に光跡を描いた。
「【絶対攻撃】は盾も鎧も素通りして刃を必ず標的に届かせるスキルだ。いわばお前の【無敵防御】と対になるような力を持っている。必ず攻撃を当てるスキルと必ず攻撃を阻むスキル、矛盾する効果を持つ二つのスキルがぶつかったら何が起こるか、わかるか?」
ルーグは首を横に振る。総隊長は即座に言い放った。
「弱いほうが消える」
お、おう、なんか当たり前と言えば当たり前のことを言われた。でもスキルの強弱って何か指標があったっけ? レアリティが高いほうってこと? でもそれだと実際に試さなくても結果が分かってしまって、この男的に面白くなさそうな気が……
「スキルは業の結実だと言ったよな? 果てない欲望の追求がスキルをどこまでも強くする。スキルの強さとは『欲』の強さであり、『欲』を求め続ける『狂』の強さのことだ」
総隊長はどこか恍惚とした表情を浮かべる。
「俺は壊すのが好きだ。それも、より強いものを壊すのが好きだ。俺の手で壊れていくものが愛おしい。壊れていくその瞬間に俺は生を実感する」
な、なんかだいぶヤバいこと語り始めた。さすがは変態の巣窟『屠龍』の総隊長。変態ぶりも頭一つ抜けてやがる。総隊長はルーグを期待を込めた目で見据えた。
「年齢も戦闘経験も関係ない。こいつは俺の『壊したい』とお前の『守りたい』、どっちの『欲』が強いかの勝負だ」
「だったら」
ルーグは勝ち気に口の端を上げた。
「おれが負けるはずねぇよ」
「上出来だ、小僧!」
心底嬉しそうに叫び、総隊長は剣を水平に構えた。
「この俺の全力の一撃、その虚勢だけでねじ伏せてみせろっ!」
総隊長の持つ剣が帯びる赤い光がその輝きを増す。やがてその光は総隊長の全身を覆った。ルーグもまた、両足を肩幅に開いて迎え撃つ体勢を取る。【無敵防御】の淡い蒼がルーグの身体を包んだ。大気が怯えるように鳴動する。
「いくぞ!」
気合の声と共に総隊長は強く地面を蹴った。己を鼓舞するようにルーグは咆哮を上げ、刃に乗せた破壊の赤と決して砕けぬ守護の蒼が正面からぶつかる! 光はギャリギャリと音を立てて互いを削り合い、火花となって夜闇に散っていく。
「なぜ」
剣を突き出した姿勢のまま、総隊長は問う。その顔に余裕が見える。
「戦う? お前にとって猫人はそれほどに価値あるものか? 他人のために死ぬなどバカらしいだろう」
「うるせぇよ!」
額にじっとりと汗を浮かべ、余力のない顔でルーグは叫ぶ。
「おれは、おれの憧れる『冒険者』は、何も諦めねぇ奴らだ!」
ルーグの放つ蒼い守護の光が勢いを増し、じりじりと破壊の赤を押し戻していく。
「お前らなんかにくれてやる命は、ひとつだってねぇんだよ!」
ルーグの瞳に宿る意志に呼応するように、蒼い光はその輝きを増す。「そうか」と楽しげに笑い、総隊長は剣を握る手に力を込めた。赤い光は禍々しさを増し、蒼を押し返す。
――うおぉぉぉぉーーーーーーーーーーっ!!!
両者が持てる力を絞り出すように吠える。蒼は清浄さを増して白光となり、赤はどす黒く染まって漆黒となった。譲れぬ意志がせめぎ合い、一進一退を繰り返して――不意に、総隊長が笑った。
「――見事!」
総隊長の剣に細かいひびが入り、シャン、と澄んだ音を立てて砕ける。同時に総隊長を覆う闇の光も、ルーグを包む白い光も霧散した。
「お前の欲が、俺に勝った」
にっと生意気に笑い、ルーグは力尽きたように倒れる。その身体を受け止め、総隊長は労うようにルーグの背を叩いた。
「その子供は、今、この場で殺すべきです」
自らのマントを地面に敷いてルーグの身体をそっと横たえる総隊長に向かって、副隊長は硬い声を投げかける。総隊長は副隊長に向き直り、
「えーっ」
とものすごく嫌そうな顔をした。問いかけの重さと返答の軽さのこのギャップよ。「えー、ではありません」と副隊長は物わかりの悪い生徒を諭す教師のような口調で告げる。
「その子供は厄介だ。今はまだ脅威にはならないが、次に会ったときにもそうであるとは限りません」
総隊長はあごを撫でて思案顔になる。
「確かに、【無敵防御】は厄介なスキルではあるな」
「そうではありません」
副隊長は首を横に振る。
「厄介なのはその子供の戦いに臨む精神です。彼は世俗の欲で戦っていない。己自身のためにさえ戦ってはいない」
総隊長は興味深そうに副隊長に目で続きを促す。
「金を求める者は金で転ぶ。権力を求める者は地位を約束してやれば転ぶ」
「お前のように、か?」
いささか意地悪な口調で総隊長は副隊長の言葉を遮った。特に気にするふうもなく副隊長はうなずきを返す。
「その通りです。私が金で『屠龍』に下ったように、我々傭兵にとって義だの信念だのは行動選択の指針たり得ない。そういう輩であれば、次に会うときは味方かもしれないし、味方に引き入れることもできるかもしれない。しかしその子供は違う」
副隊長は横たわるルーグに目を向ける。その目には憐れみを宿し、殺すべき相手を見るにはいささか不似合いだった。
「その子供は信念に従って戦う。それは我々傭兵の在り方とは相容れないものだ。だからその子供は常に我々の前に敵として現れるでしょう。そして次に現れたとき、この子供は大きく成長しているかもしれないのです。英雄と呼ばれるほどにね。【無敵防壁】を操るポテンシャルを侮ることはできない」
総隊長はどこか期待するような目で笑う。
「いいじゃないか。楽しそうだ」
「あなたは楽しいかもしれないが、それによって『屠龍』が惨めな敗走を強いられることになれば大問題です」
副隊長はあくまで冷徹に語る。総隊長は不服そうに口を尖らせた。
「俺が負けると思っているのか?」
「次にこの子供と戦うのがあなたとは限りません」
副隊長はにべもない。むぅ、と総隊長は小さく唸り、しばし考えるように腕を組んで、そして真剣な表情を作って言った。
「やーだー」
「子供か! とにかくダメです。この場で確実に息の根を止めねばなりません」
いい加減に聞き分けろ、と副隊長は冷たく総隊長をにらむ。極めて不満な様子を前面に押し出して総隊長は副隊長から目をそらした。しかしすぐに、いい言い訳を思いついた、というように表情を明るくする。
「いやぁ、そういえば今、俺の剣は砕けてしまっていたんだった。それじゃあこの子供を殺すことはできないなぁ。いや、残念、無念、また明日。じゃ、そういうことで」
一方的にそう言ってそそくさと立ち去ろうとする総隊長に呆れた視線を向け、副隊長はため息を吐いた。
「では、私が始末しておきましょう」
「いやいや、それは話がおかしくなってるじゃない」
くるりと身体を反転して総隊長は元の位置に戻る。
「武器を失ったんだから諦めようって話じゃないの」
「そんな話をした覚えはありません」
副隊長は自らの腰に佩いた長剣を抜いた。刃が黒く塗られたその剣はわずかな星明りさえ反射することもない。
「惜しいんだよ。それこそ百年に一度の逸材かもしれん」
「敵でしかありえない逸材など害悪なだけです。未来に禍根を残さぬためにもここで消します。邪魔をしないでください」
副隊長はルーグの傍らに立ち、その首に狙いを定める。総隊長は「ああ、もったいない」と嘆きの声を上げた。副隊長は小さくつぶやく。
「……過ぎた力を身に宿した不幸を呪うがいい」
副隊長が長剣を振り上げる。総隊長が落胆のため息を吐いた。副隊長が振り上げた剣を振り下ろし――
――プァン
そのクラクションは確かな怒りをはらんで、夜明け前の深い闇に染まる世界に響いた。
ルーグが英雄の再来、ということは、彼も将来筋肉ヒゲ紳士に……!?




