進化
トラックは自らの姿を隠そうともせず、【フライハイ】で森を越えて一直線に猫人の集落を目指す。本来空を飛ぶはずのない質量の襲来に驚いた鳥たちが一斉に羽ばたき、夜の静寂を破った。遮る者のない空を征くトラックは、しかしどこか急くようにアクセルをベタ踏みしていた。早く猫人を助けて戻りたいのだろう。
「な、なんだ、アレ?」
「敵、か?」
眼下の森では戸惑いのつぶやきが聞かれる。『屠龍』の隊員が上空を過ぎるトラックを見上げていた。『屠龍』にしてみればそもそもトラックなんて初見だろうし、敵なのか新種の魔獣なのか、判断つきかねるのだろう。トラックが野良トラックなら、彼らとしては敵対する理由がない。手を出して藪蛇になっても困る、というのが彼らの本音だろうか。
そんな彼らの迷いを突き放すようにトラックは飛び続け、やがて目的となる猫人の集落が見えてきた。最初の東にある集落から最も遠い南南西の村だ。トラックは村の上空でホバリングよろしく停止する。
「て、敵襲ーーーっ!!」
エンジン音を立てて空中に静止しているトラックの姿はすぐに敵に見つかり、わらわらと『屠龍』の隊員が集まってくる。ただ、動かずに見下ろすだけのトラックの意図を測りかねているのか、攻撃をためらっているらしい。
「アレが、ケテルから来たお人好しか?」
そう声を上げたのは、集まった傭兵たちの中でひときわ目を引く、派手な格好の優男だった。ひとをくったようなにやけ顔で、ガムでも食べているのか、くちゃくちゃと口を鳴らしている。仲間のひとりが咎めるように言った。
「隊長。また夜中にミノなんか食べて」
隊長と呼ばれた男は「いいだろ好きなんだから」と悪びれる様子もない。夜中に消化の悪いもん食べたらお腹壊すよ? ほどほどにしとけ?
「見たこともないツラだが、そんなとこに浮いてないでかかってきたらどうだ? それとも俺たちの姿を見てビビっちまったかい?」
にやにやと笑いながら隊長はトラックを挑発する。そう言っている間にも『屠龍』の隊員はどんどん集まってくる。
「それとも、こっちがエスコートしてあげたほうがいいか?」
隊長は腰に提げた二本の小剣を抜き放つ。周囲の傭兵が少し間を取った。隊長は力を蓄えるように身をかがめ、戦いの体勢を取る。この辺りにいた傭兵はおおむね集まったのか、別の場所から駆けつけてくる者はもういないようだ。
「それじゃ、踊ろうか。死の舞踏をな!」
蓄えた力を解き放つように叫び、隊長の左右の小剣が光を帯び
――ズガァァァーーーン!!
隊長の見せ場を断ち切ってトラックが【突撃一番星】を放ち、すさまじいその威力に地面が揺れる。思いっきり攻撃態勢だった隊長は急なトラックの一撃をまともに食らい、頭上にヒヨコを散らせて気絶した。【突撃一番星】の余波は集まっていた周囲の傭兵をも巻き込み、歴戦の兵たちの意識をことごとく奪っていく。村の一角にできた場違いなクレーターの中心で、トラックは「お前らに構っている時間はない」とばかりにぶぉんとエンジン音を立てた。
猫人救出戦、
『屠龍』ミノのひととその仲間たち VS. トラック
――勝者、トラック。
って早いわ! 敵が名乗る暇もなかったわ! せめてミノのひとが使おうとしていたなんか凄そうなスキルの説明くらい聞いたげて! 唯一の見せ場だったのに!
トラックは村の奥の集会場的な場所に向かう。この集落の猫人はそこに集められているっぽい。トラックが【念動力】で集会場の扉を開けると、そこには折り重なるように猫人が倒れていた。扉が開いた音で目が覚めたのか、猫人たちが一斉に立ち上がる。月光に照らされた彼らは、血走った狂気の目でトラックをにら
――ペカー
トラックのヘッドライトが猫人たちを照らし、【解毒】によって『狼憑き』の影響から解き放たれた猫人たちが再び倒れる。うん、まあ、猫人たちが無事で何よりだね。【解毒】で解決しちゃうのがなんとなく釈然としないけどね。
意識を失った猫人たちをトラックはてきぱきと荷台に回収する。その数、おおよそ三十人というところだろうか。ひょいひょい乗せてるけど、もうちょっと丁寧に扱ってくんない? いつもより荒っぽいよ?
全員を回収し終わり、トラックは再びふわりと空に舞う。何か不吉な予感を感じているように、トラックは集合場所である最初の集落へと車体を向けた。
ナカノロフを見送り、ルーグは独りで夜闇に耐えている。空はわずかに白み始め、夜明けが近いことを知らせていた。ルーグは寒そうに自らの両腕を抱える。夏の夜、決して気温が低いわけではないが、孤独は心に寒さを与えているのかもしれない。
「……アニキたち、だいじょうぶかな」
少しかすれた声でルーグがつぶやく。他の皆は無事に勝利し、各拠点の猫人を解放してここに向かっているが、ルーグがそれを知る由もない。ナカノロフが戻って来られたらいいんだけど、ヨシネンとリーンが気を失っているからそれができないんだよね。このぶんだと、猫人を荷台に押し込めて空を飛んでいるトラックが一番早く戻ってきそうな気配だ。
「……おれは――」
ルーグは振り返り、教会を見上げる。この中に猫人たちが眠っていて、ルーグは彼らを守るべくここに残った。だがそれは建前だとルーグは感じている。罠としてわざと兵を置かなかったこの村に敵が再び来ることがあるだろうか? トラックたちはルーグを戦わせないために、不要な役割を作ってそれを任せただけではないのか? 威勢のいいことを言って、無理を通してついてきたくせに、結局何も役に立っていない。そして実際に、敵に対峙する前からすでに怖れている。ルーグは自分自身に対してひどく落胆しているようだった。
――ザッザッザッ
遠く聞こえてくる靴音にルーグは身を固くする。それは大勢が土を踏み鳴らす音。森の向こうからちらちらと松明の光が見える。自らの存在を隠そうともしていないそれは、間違いなく『屠龍』の部隊のものだろう。
「ケテルの動きが思ったより早かったなぁ」
「何をのんきなことを」
まるで緊張感のない会話をしながら傭兵たちはみるみる近付いてくる。ルーグは顔を青くして立ち尽くしていた。ちょ、戻ってきちゃった!? 戻ってきちゃったよ!? こっちルーグしかいないんですけど!? ヘイガイズ! そこでいったん立ち止まろうか? 小一時間くらい? トラックがここに来るまでさ!
俺の提案もむなしく、『屠龍』たちは教会の前に姿を現す。先頭にいた三十くらいの男――おそらくこいつが隊長格だろう――がルーグの姿に目を留め、つまらなさそうに鼻を鳴らすと、部下に顎で行動を促す。部下の傭兵はうなずくと、それが当たり前であるかのように剣を抜きながらルーグに近付き、無造作に斬りつけた! うぉーい待て待て! 相手子供だぞバカなのか! ルーグは鋭く息を吸いこみ、動けないまま刃を身に受ける。
――シャン
澄んだ音を立てて傭兵の剣が砕け散る。虚を突かれたように部下は動きを止めた。ルーグが考える前に動いた、という感じで腰の短剣を抜き傭兵に斬りかかる。傭兵は思わず後方に退いて距離を取った。スキルウィンドウが【無敵防御】の発動を告げる。
「ほう」
隊長が興味を持ったようにルーグを見つめる。隣にいた副隊長っぽい男が複雑そうに顔をしかめた。
「てめ、このっ」
十歳の子供に対して思わず下がってしまったことが恥ずかしかったのだろう、傭兵はルーグに掴みかかろうと前に出る。剣がなくても十分に戦えると思っているらしい。ルーグが息も荒く身構え――
「下がれ」
隊長はどこか緊張感のない声で命じた。傭兵は振り返り不満を表す。
「しかし、総隊長!」
「俺が、下がれと言ってんだぜ?」
反論を許さぬ斬りつけるような声音に傭兵の顔が蒼白に変わる。傭兵は慌てた様子で他の仲間がいる場所まで戻った。ルーグは不可解そうに総隊長と呼ばれた男を見つめる。総隊長はどこかご機嫌な様子だ。
「小僧。こんなところで何をしている?」
緊張で青白くなった顔のまま、虚勢を張るようにルーグは総隊長をにらみつける。
「ここにいる猫人を、守ってる」
「小僧一人でか?」
総隊長は驚いたように問い返した。それを侮りと捉えたのだろう、ルーグの顔の険しさが増す。
「無理だって言いたいのか!」
吠えたてる仔犬を見る目で総隊長はルーグをなだめた。
「そういきり立つな。そんなこと言ってない」
どうどう、と言いながら、ルーグの機嫌を窺いつつ総隊長は言葉を続ける。
「だが、相当な難題だぞ? それはわかってるだろ?」
ルーグは総隊長をにらんだまま返答に詰まったように口を閉ざす。総隊長が引き連れている傭兵たちは二十人を超える。それらを全部相手にして勝てると断言するほどルーグは愚かではない。ルーグはただ、勝たねばならないから勝とうとしているのだ。
「そこで、提案がある」
さも得意げに総隊長は言った。ルーグは警戒に眉を顰める。圧倒的に有利な立場の側からの提案なんて悪い予感しかしない。
「我々はここ、今いる場所から一歩も動かない、というのはどうだ? そっちは自由に動いていい。それなら勝機が見えてこないか?」
新しく閃いたゲームのルールを解説するように、総隊長は目を輝かせている。なんか、このひとちょっと、いやたいぶヤバい。無邪気な様子がナチュラルにヤバい。
「そんなことして、お前たちに何の得があるんだ」
「そっちのほうが面白そうだろう」
ルーグの当然の問いに、総隊長は当然のように即答する。戦いを面白さで評価している。この男にとって戦いとゲームは同義なのだ。副隊長は顔を背けてため息を吐く。ああ、しょっちゅう振り回されてるんだな。
唖然とするルーグに構わず、総隊長はひとりで納得したようにうなずき、
「よし。じゃあそういうことで。お前ら全員動くなよ。あ、片足を固定して、コンパスみたいに回るのはオッケーな」
部下たちは「へーい」とあまりやる気のなさそうな返事を返す。ルーグは慌てて声を上げた。
「待てよ! まだやるとか――」
「はーい、それじゃ皆さん、弓を構えてー。はい、撃てー」
斉射と呼ぶにはまばらな射撃が教会に降り注ぎ、ステンドグラスを砕く。ガシャンと音を立ててガラス片が落下する。え、マズくない? ステンドグラスの下に誰もいないよね? 誰もケガしてないよね?
「や、やめろ!」
ルーグは短剣を手に地面を蹴り、総隊長に斬りかかる。しかし総隊長は余裕でそれを避け、強烈な蹴りをルーグの腹に叩き込んだ。ルーグは軽々と吹き飛び、地面に転がる。激しくせき込みながら身を起こし、ルーグは総隊長を火のような双眸でにらみ据えた。総隊長は何事もなかったように軽く手を上げる。
「はい、第二射用意ー」
「卑怯だぞ! 猫人のほうを狙うなんて!」
ルーグの非難を受けて総隊長はちょっとムッとした表情を浮かべた。
「俺たちの狙いは最初から猫人どもで、お前と戦う理由は本来ないの。だから猫人を狙うのは卑怯じゃなくて当然なの。猫人を守るのはお前の役目なんだから、そっちで何とかしなさいよ。はい、撃てー」
先ほどよりは呼吸を揃えて傭兵たちから第二射が放たれる。窓が破壊され、矢が教会の中に降り注ぐ。
「やめろっ!」
ルーグは歯を食いしばって立ち上がる。総隊長は冷めた目でルーグを見る。
「だから、それはお前の役割なんだってば」
総隊長は腕を組み、「うーん」と悩み始める。やってはみたが、思ったほど面白くなかった、という感じだ。ルーグは拳を強く握ると、再び総隊長に向かって駆けた。総隊長はまたも蹴りを叩きこ――もうとしてやめ、ルーグの腕を取って身体を入れ替え、背負い投げの要領でルーグを投げ飛ばした。地面に落下したルーグを【無敵防御】がダメージから守る。なるほど、蹴ったら自分の足がイカれるかもしれないから投げに切り替えたのか。そのとっさの判断ができるところが歴戦の傭兵なのだろう。ルーグは無念そうに顔をゆがめ、立ち上がった。
「……どうする? どうしたらいい? どうすれば、みんなを守れる?」
ルーグは己に問いかけるようにつぶやく。闇雲に飛びかかったところで結果は同じ、あしらわれて終わりだ。もっと別の方法が要る。
「おれだけが無敵じゃ意味がないんだ。みんなに向かうすべての攻撃を防がなきゃ。すべてを防ぐにはどうすればいい?」
どうしようもない。方法などない。自分には何もできない。その可能性を否定するようにルーグは「どうすればいい」と繰り返した。総隊長はアゴに手を当て、料理の盛り付けを工夫するような様子でつぶやく。
「火矢にしてみるか。そうしたら絵面が派手になりそうだ」
ルーグの表情が焦燥にゆがむ。火矢を射かけられたらもう猫人を助ける術はない。火矢の一本も教会に届けば、もう誰も助けられない。
「油壷用意ーー。せっかくだから全員で一斉な」
うーっす、と気乗りのしない返事で傭兵たちが準備を始める。ルーグは崩れるように座り込み、両手を地面に突いた。総隊長は期待外れの顔でルーグを一瞥すると、軽く手を上げる。炎を纏った矢が一斉に教会に向けて引き絞られた。ルーグの身体が淡い光に包まれ、スキルウィンドウが【無敵防御】の発動を告げる。
「心配せんでも、お前を射ちはせんよ」
哀れむように、蔑むように、総隊長はルーグに向かってつぶやく。ルーグを包む【無敵防御】の光がその輝きを増していく。
「……冒険者は、誰かを守る仕事だ」
うめくように、確かめるようにルーグは独りごちる。総隊長はつまらなさそうに上げた手を振り下ろした。
「はい、撃てーー」
引き絞られた火矢が一斉に放たれる、と同時に、ルーグを包む【無敵防御】の光が地面を這うように横に広がっていく。ルーグは運命をねじ伏せるように叫んだ。
「無敵の力よ! 我が後背に眠る命を脅かす万象を阻む不可侵の壁となれ!」
ルーグを中心に広がった光は、その魂の叫びに応えて天高く伸び、光り輝く長大な壁となった。光の壁は教会に降り注ぐはずだった火矢をすべて弾き飛ばし、ただの一本もその後ろに通すことはなかった。壮麗なジングルがどこからともなく流れ、スキルウィンドウが厳かに天から舞い降りる。
『スキル進化【無敵防壁】
無敵防御の進化系スキル。自分の背後にいるすべての命を守る、
いかなる攻撃も無効化する光の壁を展開する』
総隊長を含む傭兵たちは呆然とスキルウィンドウを見つめる。役割を終えた光の壁が細かい光の粒となって白み始めた夜闇に舞う。ルーグはふらつく身体で立ち上がり、鋭く総隊長をにらみつけた。
無敵防御は三段進化。無敵防壁の上にもう一つ進化系があるよ。




