仇
真白の光を纏い、己の存在を誇示するようにセシリアは夜の森を進む。すでに『屠龍』はセシリアを見つけており、その周りを囲んでいるのだが――
「うおぉぉぉーーーーっ!!」
自分を奮い立たせるように咆哮を上げ、一人の傭兵がセシリアに斬りかかる。刃が弧を描いてセシリアに迫った。しかし刃はセシリアを包む光に触れたとたんに光の粒となり、場違いなほどに美しい輝きを放って消えた。傭兵の顔が恐怖にゆがむ。セシリアが一瞥をくれると、傭兵は吹き飛ばされて大木に身体を打ち付けられ、そのまま気を失った。セシリアの翠の瞳が闇夜に光る。
セシリアは歩みを止めず、まるで無人の野を征くがごとくに猫人の囚われているであろう集落を目指す。彼女を囲む傭兵たちは距離を保ったまま、手を出すこともなくセシリアについていく。手を出さない、のではなく、手を出せない、というのが正解なのだろう。傭兵たちの表情には一様に焦りと恐怖が浮かんでいる。
セ、セシリアさん、強くない!? 『屠龍』の傭兵たちをまるで相手にしていない。攻撃しても武器が消滅し、一瞥で吹き飛ばされるなら手出しのしようもないんだろうけど、それにしたって凄すぎでしょうよ。真白の光は確か『始原の光』とか呼ばれてた、なんか凄い感じの力みたいだけど、それをずっと発動して大丈夫なの? 前に剣士の『悪魔』と対峙したとき、『始原の力』を使いすぎると死ぬみたいなこと言ってなかったっけ?
「金で雇われた立場で絶対に勝てぬ戦いに身を投じる意味はない。逃げるというなら追わぬ。死に急ぐというならそれもいいでしょう」
ひどく冷たい響きでセシリアは傭兵たちに告げる。なるほど、セシリアは圧倒的な力をあえて見せつけることで敵の士気を挫き、戦いを早期に終わらせようとしているのだろう。つまり、無理をしている。平気なふうを装っているが、実際にはかなり辛いんじゃないだろうか。
セシリアの言葉を受けて、しかし傭兵たちに逃げる気配はない。十七、八の女の子の姿は歴戦の傭兵の戦意を喪失させるには足らないのだ。恐怖が足らない。セシリアが自分から攻撃していないということも一因か、傭兵たちはまだ勝機があると考えているのだろう。三人の傭兵が互いに目配せをして、呼吸を合わせてセシリアに襲い掛かる!
『アクティブスキル(レア)【焔牙咬穿撃】
闘気を炎の牙に変え、敵を咬み穿つ一撃を放つ』
『アクティブスキル(レア)【裂空次元断】
鋭い斬撃が大気を裂き次元さえも断ち切る、回避不能の一閃』
『アクティブスキル(レア)【氷弔冥蒼陣】
冥府の氷で作られた魔法陣に囚われた者は妖魔の弔いの歌を聴きながら息絶える』
前方から炎の顎が牙を剥き、背後からかまいたちが迫り、足元が青白く氷結して複雑な文様を描く。しかしセシリアはわずかな動揺も示さない。『始原の光』は炎も斬撃も魔法陣の淡い青もすべて光の粒に変える。傭兵たちは愕然と動きを止めた。
「スキルすら、無効化するのか――」
セシリアは無感情に手をかざす。彼女を中心に衝撃波が放たれて傭兵たちを薙ぎ払った。吹き飛ばされた傭兵たちが地面に横たわりうめき声をあげる。何事もなかったようにセシリアは再び歩き始めた。その額にはわずかに汗が滲み、歩みがかすかに揺らいでいることに気付く者はいない。
やがてセシリアの視界に猫人の集落が姿を現した。わずかな星明りに照らされる家々はひどく寂しげに佇んでいる。本来いるべき住人はいないのだ。ひとの気配のない家はこれほどまでに寒々しい。
セシリアが森を出て集落に入った瞬間、四方から破壊と殺意の塊のような力が彼女に襲い掛かった。スキルの形をしたそれらは、やはり『始原の光』に分解されて散る。正確に言えば『始原の光』はスキルや、あるいは他のあらゆるものから意味をはく奪し、原初の混沌へと還元している。創世の御業と同等の、いわば何でもありの力。それがセフィロトの娘が持つ力なのだ。
『始原の光』の力が及ぶのは何もスキルや無生物だけではない。この世の存在者である限り、どのようなものであれその力を拒むことはできない。それは人も例外ではなく、セシリアはその気になれば襲い来る傭兵たちを瞬時に光の粒に変えることができるだろう。しかし彼女はそれをしない。それをしてしまえば、トラックの進む先と同じ場所に辿り着けないから。たとえ敵であっても命を奪うことはない。ある意味でセシリアは敵を殺すことができないのだ。
「……化け物め!」
傭兵の一人が怯える心を隠すように吐き捨てる。セシリアはその言葉に何の反応も示さず、手に持った杖でとん、と地面を叩いた。ぐにゃりと地面が、いや空間がゆがみ、傭兵たちが底なし沼にはまったように地面に沈んでいく。地面の意味を変質させ、上にあるものを飲み込むように書き換えたのだ。悲鳴と共に傭兵たちは地面の下に消えた。セシリアは再び地面とひとつ叩く。地面から傭兵たちが吐き出され、乱雑に地面に転がされた。皆、意識を失っているが息はしている。セシリアは深く息を吐いた。
「成長なさいましたな。アウラ殿下」
感心したような場違いに朗らかな声が響き、セシリアの顔が強張る。かがり火に照らされて一人の中年男が姿を現した。セシリアは憎しみの目で声の主を見た。
「お前は――!」
あまりの怒りに言葉の続きが出ない、というようにセシリアは中年男をにらむ。中年男はセシリアの怒りを意に介さず、朗らかに笑った。
「五年、いや六年になりますか。まさかこのような場所で会うとは。見違えましたぞ。ご立派になられた」
「黙れ!」
懐かしそうに目を細める中年男にセシリアは叩きつけるように叫んだ。全身で激しい拒絶を示し、セシリアは強く奥歯を噛み締めている。軽く肩をすくめ、中年男は呆れたように言った。
「それほど嫌わなくてもよいではありませんか。立場の違いによる不幸な行き違いですぞ」
セシリアの身体がわずかに震えた。
「よくも、そのような――」
血走った眼で、血を吐くようにセシリアは中年男の名を口にする。
「元王室警護隊副長、ラジール・バルジオロ!」
懐かしい肩書ですな、と頭を搔き、ラジールと呼ばれた中年男は苦笑いを浮かべた。
「どうして、お前がここにいる!」
敵意を隠そうともせずセシリアは鋭く問う。ラジールはやや気分を害したように口を尖らせた。
「どうしても何も、貴女のせいですよ」
朗らかな表情の奥にひどく冷酷な光がかすめる。
「六年前のあの日、貴女を取り逃がした時から人生が狂ってしまった」
忌々しそうにラジールはセシリアをにらみ返し、聞いてもいない過去の恨みを並べ始めた。
「そもそもがね、私はズォル・ハス・グロールの命令に従っただけなんですよ」
王室警護隊の副長という地位にあった六年前、ラジールは当時宰相だったズォル・ハス・グロールのクーデターに協力し、王と王妃の殺害を手引きした。まさか王室警護隊の中に裏切者がいるとは思わず、王と王妃はその命を奪われてしまう。ラジールは仲間であった王室警護隊の隊士や隊長も手に掛け、さらにその手を王女アウラに伸ばした。しかしアウラには彼女に影のように従うカイという名の剣士がおり、剣士に邪魔をされてラジールは王女を殺しそこなってしまった。王女を取り逃がしたことを責め、ズォル・ハス・グロールはラジールを追放したのだという。
「確かに私は貴女を仕留めそこなったが、王や王妃、それに邪魔な警護隊員も全部、始末したのは私なんですよ? どうしてそこが評価されず追放の憂き目に遭わねばならないのか。ズォル・ハス・グロールという男はまったく狭量だ。王の器ではない」
憤懣やるかたなし、とラジールは鼻を鳴らす。追放されて路頭に迷っていたところを『屠龍』に拾われ、隊長格として迎えられて現在に至る、とラジールは言った。
「まあ、意外と傭兵稼業も性に合っていたと言いますか、楽しくはやっていますがね。あの頃の安定した暮らしを取り戻したいという願いは、そうわがままなことでもないと思いませんか? 殿下」
しゃあしゃあと言ってのけるラジールに、セシリアはもはや言葉もなくこぶしを握っている。ラジールは片手半剣と呼ばれる長い剣を鞘から抜き放ち、まるで昼ご飯でも誘うような気安さで言った。
「ズォル・ハス・グロールは殿下、未だに貴女を探しているようだ。捕まえて差し出せば恩賞は思いのまま、なんて話もありましてね。ここはひとつ、私の栄達のために――」
ラジールは剣の切っ先をセシリアに向ける。
「――大人しく捕まっていただく」
ラジールの目が醜悪にゆがむ。セシリアを包む『始原の光』が、その白にわずかな赤を滲ませた。
『屠龍』の隊長格は基本変態。




